2010年10月

2010年10月09日

第八章・黄泉の龍宮 その6

 泉美は、びくっと痙攣的に身を震わせ、教授と健介を見る。二人の表情には驚きと畏怖があった。泉美は握っている小太刀の刃を見た。研ぎあげた鋼の上に流れる深紅の血。鉄錆の匂いに似た血臭が鼻を打つ。泉美の全身がわなないた。
 咆哮をあげ、渕崎が凄まじい力で身を起こす。跳ね上げられた泉美はかろうじて四つん這いで着地した。渕崎はちぎれた右腕を左手に掴んで立ち上がる。切断された右肘の傷口から、蛇口のように血が噴出する。渕崎は叫んだ。
「ネクタイよこせ!」
部下の一人が、ネクタイをほどいて投げると、渕崎は持っていた右腕を口にくわえ、左手で受け取った。そしてそれを右上膊部に素早く巻き付け、血止めをする。
「俺を傷つけたやつなんて・・・四十年ぶりかな」
凄惨な笑顔で、渕崎は泉美に吐き付けた。
「たいした腕だ。でも、教授やその坊やはただの人間。鉄砲玉をかわすことはできへんやろ。動くな泉美!親父や先輩を撃たれたくないやろ」
 弾き飛ばされた拳銃を拾った男たちが、教授たちに狙いを付けている。泉美は歯を食いしばりつつ、逆鱗の小太刀を構えなおす。
 その時、泉美は目を見張り、小太刀の刃をまじまじと見た。奇妙な響きが、そこにいる全員の鼓膜を震わせる。小さなモーターが回転するような、どこか弓の弦が鳴っているような振動音。
「刃が・・・小刻みに震えている。音叉みたいに」
健介が茫然と泉美の持つ小太刀を見ながら呟いた。
 同時に、悲鳴が上がった。屋敷の老婦人が、隕石を祀った祠にしがみつくように跪いている。
「ご神体が、天から降った石が、血の穢れを見て怒っておられる!」
全員の視線が祠に集中した。小太刀が発する音と明らかに感応して、祠の内部からはさらに大きな振動音が響き始めていた。
 そして共鳴する小太刀と隕石の音が膨れ上がり、耳を聾するほどになっていく。その音響に悲鳴を上げたのは渕崎だ。喘いで目をつぶり、言葉にならない叫びをあげて逃走する。切断された腕を抱えたまま、屋敷の外へ飛び出していく。部下たちも、昏倒した仲間を抱えあげながらそれに続いた。
 その音が苦痛なのは、教授や健介も同じだった。茫然と泉美が掲げる逆鱗の小太刀、その刃が陽炎のように激しく振動しているのを見て、健介が叫んだ。
「その剣を、鞘にしまうんだ!」
(続く)

ryu3shosetu1 at 01:39|PermalinkComments(0) 醜斑神 

2010年10月06日

第八章・黄泉の龍宮 その5

 教授が激しくかぶりを振って抗議する。
「そんなことは許されない。まだ、HFとそちらの協定は有効だ。私たちを傷つけたり持物を奪ったりすることはできないぞ」
「知ったこっちゃないね。水知組はどこまでも氷上の連中とは敵だ。王の居ない今、協定なんぞ、何の意味もない。おまえらみんな湖に沈めて魚の餌にしてもええんやが、正直にすらすらうたったみたいやし、刀をもらうだけで勘弁してやる、言うてるんや。さあ、こっちへ渡せ」
 渕崎の言葉に、拳銃を握った部下二人が泉美ににじり寄る。泉美は澄んだ瞳で二丁の銃を見据えた。どちらも同じ、銃身の短い回転式拳銃。撃鉄は起こされていない。それでも引き金を引けばすぐに発射できることくらいは知っている。その毒蛇の口のような銃口が忌わしかった。ただ、嫌悪感に泉美は支配され、反射的に行動を起こした。
 前に倒れこむようにして上半身を伏せ、袋のまま逆鱗の小太刀を右手一本で振ったのである。電光の一撃、驚異の瞬速。二丁の拳銃は袋に包まれた鞘に弾かれて、火を吹くことなく男たちの手から飛んだ。そして泉美の動きは止まらない。小太刀の鐺で向かって左の男の鳩尾を突き、右の男はこめかみを打ち、一撃で昏倒させると太刀袋を口にくわえ紐を解き、柄を握って鞘から刀身を抜き放ちながら渕崎に殺到する。
 その動きのあまりの俊敏さに、教授や健介、そして渕崎の部下たちは何が起こったのか理解する間もない。
 しかし、渕崎だけは違っていた。彼だけが、接近する泉美の動きに的確に対応し、身構え、地面を蹴って距離を置いた。それでも、渕崎の顔に、初めて驚きの色が浮かんでいた。
「おまえ・・・その動きの速さは・・・」
絶句する渕崎ののど元に、逆鱗の小太刀の両刃の剣先が突きつけられている。
 実は、驚いているのは泉美自身も同じだ。自分がなぜこんなに素早い動きで戦えているのか、夢を見ているような思いだ。
渕崎の顔色は蒼白さを増し、すぐに紅潮していく。さっきまで冷笑を浮かべていた唇がわななき、子どものような泣き顔に見える。
「まさか・・・王の血を貰っていたのか、おれたちのように・・・」
爆発的な動きで渕崎は飛びのきざま上着の裾を跳ね上げ、ベルトに差していた自動拳銃を引き抜く。ためらいなく泉美の顔面に銃口を向けて引き金を引く。鋭い銃声が弾ける。だが銃弾は虚空を裂いただけだ。渕崎の指が引き金を絞ると同時に、泉美は地面にたたきつけるように上半身をのけぞらせていた。そのまま地を転がり、最短距離で渕崎の足首に斬りつける。
 血がしぶいた。渕崎が歯を食いしばり、拳銃を連射するが、その身体はぐらつき、銃弾は地面にめり込むだけだ。輝く刃が垂直に斬り上がり、渕崎の右腕が肘からちぎれ飛んだ。絶叫してうつ伏せに倒れこむ渕崎に馬乗りになった泉美は、左手で渕崎の頭髪をつかんでのけぞらせると、小太刀を逆手に持ち、刃を喉に当てようとする。
「やめろ!」「よすんだ!」
教授と健介はその時になってようやく、叫ぶことができた。
(続く)

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第八章・黄泉の龍宮 その4

その罵声を弾き返す鋭さで、泉美が叫んだ。
「話には順序があるんや!最後まで聞き!」
渕崎が目を見張り、配下の構えた拳銃が泉美に狙いを付ける。泉美は軽く腰を落とし、両足を前後に踏ん張って、凛然と渕崎たちに立ちはだかる。それと意識せずに袋に入ったままの小太刀を左腰に引き付け、抜き打つ構えになっていた。
 ねめつける渕崎の白い目が爬虫類のように感じられるが、泉美は眼をそらさない。怒りと闘志が身体のうちにたぎり、敵意の視線も銃口も恐れていなかった。
「そんなに長い話をするつもりはない。私たちがつかんでいるシコブチ神の足跡はただ、彼女が潜んでいた神戸の石造りの洋館が、ヴォーリズ建築のひとつだったかもしれないということだけだ。彼女にとってそれが、居心地の良い隠れ家であるのだったら、またヴォーリズ建築の石造りの洋館に足を運ぶかもしれない。そんな可能性があると。それだけだ」
ため息をつくように、豊倶教授が言葉を切る。拍子抜けしたように渕崎が首を振り、唇をゆがめた。
「ふん、そんなくらいか。氷上の巫女、おまえはどうなんだ。王と友達づきあいしていて、王が気に入っていた場所とか、行きたいと言うていた土地とか、なかったんか?」
 泉美は戦闘態勢のまま、ゆっくりと口を開く。
「うちらは、そんなにいろんな話をしていたわけやない。ただ、一緒にいると落ち着けた。今日子は、琵琶湖のことをいろいろ教えてくれた。滋賀県の昔の話も、時々してくれた。そして、自分のことを、『私は、私を王と慕う者たちの希望と夢であるに過ぎない』言うてた。今日子は、自分は琵琶湖の底の冥界からやってきたと言うてた。湖の深みの墓場から。でも、どこへ行きたいとか、これからどんなふうにしたいとか、一切、言わへんかった」
「役に立たんな。そんな他愛ない付き合いしかしてへんかったのか」
渕崎が泉美を嘲ると、教授が反駁した。
「その他愛ない付き合いこそ、シコブチ神が心から求めたものだったんだよ。真の仲間のいない、たった一人だけ不死の天人。けれど心は人間だ。人間の求める幸福は、たあいない心のふれあい、安心できて、共感できる誰かと心をつなぐことなんだろう、きっと」
 激しく舌打ちすると、渕崎は再び泉美を睨み据え、耳障りな嗄れ声で言った。
「もういい。おまえらは戯言しかうたわへん。そうなれば、もう一つの目的を果たすまでや。おい、その小太刀、袋のままこっちへ渡せ」
 唐突な要求に眉をひそめ、泉美は低く答える。
「これは絶対、他人にはわたさへん。そやけどなんで、こんなものを欲しがるん?」
渕崎は天を仰いで哄笑した。
「目ざわりやからな。どんなもんより、その刀はけったくそ悪い。隕石と一緒にして、粉々に砕いて湖にほかす。そのために、ここへおびき寄せたってわけや」
(続く)

ryu3shosetu1 at 00:19|PermalinkComments(0) 醜斑神 

2010年10月03日

第八章・黄泉の龍宮 その3

 泉美は、手に提げている太刀袋に目を落とし、呟く。
「この小太刀が、この石から作られた…?」
教授は確信に満ちた口調で続ける。
「恵美押勝や氷上塩焼の怨霊と残党を鎮めるため、隕石は血に染まった琵琶湖畔に運ばれて祀られ、その一部を取って、怨敵を撃ち払う逆鱗の小太刀が作られたのだ。HFには、その情報は伝わっていない。氷上神社氏子衆だけの秘密の口伝だ。だから、私も今まで知らなかった。そして、隕石の位置は氷上神社氏子衆の伝承からもこぼれおちた」
「じゃあ、この隕石の存在は、どこから情報を?」
健介の問いかけに、教授は微かに苦笑した。
「夕べ、教えられたのさ、意外な人物にね。つまり、その人物が、ここへ逆鱗の小太刀を携えて行けと示唆したわけだ」
「それで、隕石から作られた刀とその隕石が出会ったと・・・それに何か意味があるんでしょうか?」
途方に暮れたように健介が問いかけると、それに応えるように奇妙な笑い声が響いた。
男とも女ともつかぬ甲高い含み笑い。
「ようこそ、怨念の地へ。氷上の奴らにはもっともタブーの土地へ」
健介の背筋に冷たい戦慄が走る。悪意と冷酷をにじませたその声は、水知組を率いる蒼白な顔の若頭・渕崎。
 彼と、凶暴な目をした数人の手下の一団が、前触れもなく屋敷に踏み込んでいて、健介と泉美、豊倶教授を押し包んでいた。
「まどろっこしいやり取りは抜きにするぜ。俺は教授が食いつきそうな餌を撒いた。ここへ誘い出したかったからだ。隠れ里の老いぼれたちが、愚図愚図しているのがじれったい。
王の行方について、おまえらの知っていることをすべて吐いてもらう」
 剥き出しの暴力的な威圧感に、健介が額に脂汗を浮かべている。泉美は胸を張って渕崎の前に一歩進んだ。
「そんなこと、里長との話であらいざらい提供したわ。里長に聞いたらええ」
「だからそんなまどろっこしいことはもう沢山なんだよ。氷上の巫女」
渕崎が顎をしゃくると、手下の二人がニッカーズボンのポケットから拳銃を取り出し、泉美と教授に突きつける。
「言え!王がどこへ消えたか、その可能性のある場所を洗いざらい喋れ!」
教授が悲痛に眉を曇らせ、言葉を選びながらゆっくり喋る。
「水中の巨大な生物の背中に乗って、琵琶湖の水面下へ潜って行ったんだ。北湖の海津大崎の岩礁か、葛籠尾崎の入り組んだ湖岸あたりが、巨大生物の棲家にはふさわしいだろう。行く先の一つは、そんな場所だ。
だがシコブチ神が水中を離れ、単独で潜むとなると、彼女の今までの足跡を振り返ることが必要だ。その長い道のりで、滞在してきた場所、それは私たちより、君たちのほうが詳しいはずだ」
泉美が言葉を継ぐ。
「今の今日子が琵琶湖へ戻ってくる前には、神戸にいたって聞いたわ。古い、石造りの洋館で、眠っていたって」
それを受けて、教授が語る。
「石造り、洋館・・・その二つの言葉は、この近江の国に深く関わっている。古来、近江は石造建築物の宝庫なんだ。巨大なイワクラが無数に祀られ、石の馬の伝説を秘める石馬寺、新羅系渡来人が彫ったとされる狛坂磨崖仏、百済系渡来人が建立したとみられる石塔寺の巨石の塔、ここのごく近くにある鴨稲荷山古墳からは、家形石棺が出土している。それら、石の伝統は戦国時代にも、鵜川四十八体石仏や、安土城をはじめとする城郭の石垣を積んだ穴太積みに伝わってきた。
そして、洋館といえば、ヴォーリズの建築だ。彼、ウイリアム・メレル・ヴォーリズこそは、近江八幡を世界の中心と考えつつ、美しい洋館を近江各地にとどまらず、日本全国に
建て続けたのではないか。そして、彼はシコブチ神・今日子と交流があった」
渕崎が吠える。
「誰が講義を始めろ言うた!結論を言え!」
(続く)

ryu3shosetu1 at 23:19|PermalinkComments(0) 醜斑神