天望心喜☆あさぎ龍のブログ

『15才』最終3巻は8月9日発売です♪そしてお姉さんものの単行本は11月15日頃発売予定!(10月30日から変更になりました) メッセージはsasakyu3399@yahoo.co.jpにお願いします☆ツイッターでときどきつぶやいてます☆(asagiryu339)

スコットランドの独立が反対多数でだめになりましたね。

独立といえば、あたい。は

『八王子を独立させる!』

という夢を以前から抱いておりました。

以前八王子に住んでいた縁もあり、独立したらなんか面白そうだなと単純な思い付いたわけです。
実際にどうやったら独立できるか、独立したらどうなるか、日本との関係はどうなるのかなどなど、いろいろ妄想すると楽しいです。

独立するよりは、スコットランドがEUに独立加盟しようとしたように、超国家的な枠組みに参加するほうが現実的かも。。。それともいっそのこと、国家を解体するとか!(・∀・)ワクワク
妄想は尽きません♪

63e1f937.jpg仕事中はだいたい80分から90分おきに休憩を取り、コーヒーとセブンスターで一服します。その間に本を読みます。

将棋世界という月刊誌がメインの休息本です。

将棋は自分の数少ない趣味のひとつであり、もっぱら本を読むばかりで実戦はもう4,5年遠ざかっていますが、脳みそを使う仕事という点では漫画家業と近しい関係にあるようで、棋譜を追い、一局の将棋の作りを調べると漫画のプロットやネーム作りに実際に非常に参考になります。

羽生さんをはじめとする強い人の将棋は、直線的な攻めばかりでも守り一辺倒になるわけでもなく、攻守のはっとするタイミングでの切り替えや、また曲線的に広く手を求めたり、形勢が悪くなっても相手に勝たせない指し方をし、局面全体を視野に入れ、エンディングをイメージしながら将棋を作っていく様子はまったく漫画と同じです。

休憩中に将棋の本をめくりながら、詰め将棋をぱっと解けるときは脳みその回転が十分だなと自分で分かりますし、反対に詰み筋が見えないときは神経回路の流れがうまくないなと分かるわけです。
脳みそがうまく働いてないと判断できたら、難しい仕事を出来るだけ控えてペン入れなどの単調作業をするか、少し昼寝をして脳みそを休めるかします。

30歳を過ぎてからは脳みそとの付き合いです。
老いと共に劣化していく脳みそのその日その時の状態を細やかに把握しながら作業しております。
(ちなみにこの時間は酔っ払っております(´∀`*))

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画像は作業中の『織姫 中編』のプロットです。
自分の場合はプロットを2,3日かけて練りこんですっかりイメージできるようになってからネームを作ります。
ネームはだから3,4時間もあれば出来ます。そしてすごく汚いです。

944cd85e.jpg本日発売のペンギンクラブ山賊版10月号から、全3話で『織姫』という作品をやります☆

『織姫』は田舎の染織家の佐緒(32)と姉の妃香(43)と、若い男子の三角関係のお話です。
不倫があったり浮気があったり、エロマンガの中にドラマ性をもたせることを主眼に置いた作品になっております。エロくて、読みごたえもあって、読後に何かしら印象に残る作品にしたいと考えています。

昨年からしばらく続けてきた「おば姉さん」作品を、もう一段掘り下げたラストになる予定です☆よろしかったらご覧くださいませ.。゚+.(・∀・)゚+.゚

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イラストは『織姫前編』より。
黒髪が佐緒、白いほうが姉の妃香です。
よろしくおねがいしま〜す☆ではまたっ

『年上少女』か『美熟の乙女』のどちらかになる見込みです。担当のTさんは『年上少女』押しですし、こっちかな(*'-'*)

しかしながら、半月早く、10月末発売のMARUTA先生の単行本が『年上彼女』とのこと。。。(汗)

これは簡単には決まらないかも・・・(アワワ汗)

b2a4d950.jpg「もう一日くらい35度とかの日があってもいいのになー」と、あの猛暑が変に懐かしくなるくらいの涼しさですね。

来月には単行本などの作業が一旦落ち着いて暇になる予定です(汗)
忙しいうちは次の仕事の準備も滞り、それはそれでもどかしいのですが、暇になったらそれはそれで・・・∑(=゚ω゚=;)ナニ、ムショク!?

…温泉旅館とかに行ってですね、縁側に将棋盤を置いてですね、朝から夕方まで棋譜を並べてゆっくり過ごすとか、そんな余暇をやってみたいです。ちょっと年寄りくさいですね(汗)

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イラストは次回作『織姫』のキャラ表より。前・中・後編の続き物になります。
田舎に住む染織家姉妹と社会人になったばかりの若い男の子のお話でございます。

『織姫』前編は9月11日発売のペンギンクラブ山賊版10月号に掲載してもらうことになっております。どうぞよろしくお願いします☆
(ペンギンクラブのお仕事は毎月やるつもりです!)
ではまた〜っ

いつものことですが、なかなかよい単行本のタイトルを思いつきません(´−д−;`)ハァ
発売日は11月15日頃と決まっており、そろそろいろんなことを進めなきゃいけない時期なのですが・・・ハァ。

キーワードの『お姉さん』をどう使うかでたいへん悩んでいる次第です。
「お姉さんモノ」と「レズ・百合モノ」の本をひと目で区別できるようにしたいこともあって、けっこう難しいです。

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なお収録作品は
・霧の泉
・パラボラ☆ストロベリー1〜3
・恋心。。。
・キてシてもっとミせて
・制服と彼女
・サクラ、サクラ
・この頃私、忙しいから
・描き下ろし
の10本になる予定です。(収録される順番は変わります)

前回の『お姉さんと恋しよう』の収録作品はストーリー自体をエロくすることを目標に製作した作品が中心でしたが、今回はエロ漫画の文法を意識的に取り入れた作品、エロマンガらしい漫画も入ってます☆(*´∇`*)ワーイ

週明けまでに、単行本のタイトルくらい決めておきたい感じです。ではまた〜

2014年の7月半ば、家族旅行で訪れた日光は、自然なら「男体山(二荒山)」、人工建築なら「旧イタリア大使館別荘」が印象に残っている。
(まぁ、ありとあらゆる家や土地や山や谷や川や建物や道を訪ねたり登ったり散策したり観察したりしたわけじゃないです。もちろん)

男体山は3日目くらいにやっと霧が晴れて戦場ヶ原からその全体が見えた。
個人的な感想で恐縮だが、今まで見た山の中では蔵王や富士山なんかと比べるのは失礼なくらい荘厳な霊山だった。あぁ、これが信仰の山なんだなぁと率直に理解することができる山だった。

男体山は大して標高のある山ではないし、平凡な三角形の山だが、日光が神様の宿る土地と言われる源がこの山にあるというその所以を肌で感じることができた。これは高校時代を過ごした仙台市近郊の団地の外縁から奥羽山脈に落ちる夕日を見たときに感じた印象以来、もっともすばらしい体験だった。こうした体験はいわゆる心象風景というイメージとして残り、ずっと忘れないものだ。

あとは中禅寺湖畔の旧イタリア大使館別荘。(この建物は以前に描いた漫画の背景にも使ったことがある)
入館は無料。ただし募金箱のようなものが置いてあり、幾百円ほど入れるのが儀礼という感じだ。
道路沿いの駐車場もせいぜい十五台も入ればいっぱいというささやかなもので、そこから15分くらい崖っぷちの砂利道を歩いて行かないと目当ての建物にはたどり着けないとあってか、観光地にもかかわらず同行の旅行者も少なく実に静かで気分も豊かになる道程だった。

別荘は当時の面影を残す和洋折衷の建築で、足元には湖畔にかかる半ば壊れかけたボート用の桟橋、それから時とともに静かに色を変える中禅寺湖。それだけが全部で、非常に寂しく、それゆえにかえってすべてが充足しているようだ。

往時は夏ごとに各国の大使たちによるボートレースで湖は大いににぎわったそうだけど、そんなものはセミの鳴き声くらいの余興だっただろう。外交官たちが故郷を懐かしむための避暑地としての役割を満足させるためだけにわざわざこの場所を選んで別荘を建てたのではないということはなんとなく分かった。

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色即是空という仏教の言葉があるが、この意味をお坊さんたちが我々救いなき衆生に説明するためにたびたび用いるのが水の例えだ。

水はたとえ葉っぱについた小さな一滴の水滴であっても水だし、集まって川になって流れても滝に形を変えてもやっぱりすべて一定の水という存在で、仮に蒸発して水蒸気になって見えなくなってもそこにあって、やはりすべて水である。水は形なく、水であって水でない。あるものはないものでもあり、ないものは常に同時にそこにある。全は無、無は全。そんな意味です。

詳しいことを知りたい方は身近のお寺へ行ってお坊さんに相談するのもいいですが、中禅寺湖からもほど近い『竜頭の滝』へ行くと意味が半分くらいまで分かるかもしれませんよ。(おっと、勢い三つ目だ)

お土産や軽食を売るお店に両側を挟まれたちんまりしたコンクリートの空間から手すりにつかまって、ぼけーっと、二股に分かれたその小さな滝を眺めるんですね。
まぁ、華厳の滝なんかとは比べ物にならない小さな滝です。しかも右を見ても左を見てもお土産屋さん。色気も何もないですよ。こっちも半分自棄で猿回しの猿になった気分で、えいっと鉄の柵にしがみついてるんだけど、滝の落ちる音がうるさいから周りの音はそれほど気にならない。ひょいっとトンボが目の前を横切ったりね。

大小あわせると滝は日光には幾千も幾マンもあるけど、この竜頭の滝、これは眺めてるともう実際すごくいい気分になりました。時間を忘れました。

右を見て、滝、水が落ちる。左を見て、滝、こちらも岩に当たって水しぶきになって滝つぼにざばざば落っこちる。ずっとこれです。
それから両側には立ち食いそばとあんみつ屋。あとトンボ。壊れたテープよろしくいつまでも鳴り響く滝の落ちる音。ずっとこれですよ。まともな頭でいられるわけがないんですね。

だけど、ただぼけーっとお猿さんのフリしてるのも在野の宗教オタクを自称するわが身としては沽券に関わるから、ここはひとつ例の色即是空の教えを実践してみるわけです。

そうするとあら不思議。カオスってこれのことかしら?

まず見世物である見事な滝と、見世物を当てにした雑然たる観光小屋との相性の悪さにうんざりします。ところがしばらくすると、そのあまりに見事なミスマッチにあきれてどうでもよくなって笑うしかなくなる。
だけど、もっと時間が経つと、自分もその雑然とした混沌の一部になっていることに気付くんですね。
こういうのはささいな出来事から起因しているけれど、やはり『悟り』の感覚の一種で、実に気持ちの良い感覚です。

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はじめに男体山は信仰の山と言いましたが、男体山はその昔は二荒山(ふたらさん)と呼ばれておりました。
大乗仏教において観音菩薩さんの住む場所とするのが補陀落(ふだらく)という山でありまして、そのフダラクにあやかって二荒山と名づけ、さらに二荒山(にこうさん)と変わり、鎌倉時代あたりからその山麓の土地に日光の名を充てたわけです。
ところが男体山(二荒山)の山岳信仰の中心にあるのはその名も二荒神社(ふたらじんじゃ)なんですね。
不思議なことは、仏教思想であるフダラクという名称が、八百万(やおよろず)の神々を祀るはずの神社の名前になっていて、双方がどうもごちゃごちゃになっているということです。

日光には大きく日光三社というのがあって、二荒神社新宮(東照宮の西隣)、二荒神社本宮、滝尾神社を総称してそう呼ぶそうだが、三つとも神社で、お寺は入っていない。しかもそれぞれの神社の建立にはだいたい空海というお坊さんが関わっているという伝承だから、神社を建てたのが仏教のお坊さんと来てはこっちは頭が混乱せざるを得ない。

どうにも日光は歴史や由来がテキトーなのである。
ヤオヨロズもブッキョーもいろいろ集まってきて、それらしい信仰の形を偉い僧侶の人々が次々と御宣託、あーでもないこーでもないとバラバラに信仰を広めて行ったのだろうが、そんな偉い僧侶の人々が帰ってしまうと、もともと地元に住んでいた人々は「まぁ、どれもこれももっともな言い分だよナ」と言いながらテキトーにまとめ上げて今の日光の信仰のカタチになってしまったというのが本当のところじゃないだろうか。
今では「ウン、そういうのを神仏習合というんじゃ」などと、それらしく説明されているけど、実際のところはどうだったか分からない。

そこへ行くと徳川家康という人の偉いところは、その出処の怪しい日光という土地に目をつけ、いろいろと理由をつけてお墓を建てさせた挙句に、なかんずくも自らを神様に祭り上げてしまったことだ。
実際に生きた人間が現人神としてお神輿に乗るというのは自分から見るとほとんど詐欺的な行為で、歴代天皇を除くと前例は菅原道真だけだが、特定の人間が神様になるというのはどういう発想から来る理屈なのか少しも理解できない。死んだらみんな神様さ。こんなことは東北の田舎でも常識で、みんな仏壇を立ててご先祖さまを拝んでいる。
そういう一般常識を外れて家康さんがお神輿に乗る神様になれたのも、出処進退のあやしい日光ならでは可能だったことで、他のまっとうな土地だったらまず現地住民に反対運動が起きて実現不可能だっただろうと推察される。

そういうわけで、私は東照宮もひととおり見物したが、手をパチパチと叩いたりお辞儀をしたりはしなかった。きらびやかな彫刻や襖絵などが並び、美術館としての価値はよく理解できた。
しかしいくら立派な装飾を施してあっても、そこは自分とは何の関係もない一人の人間のお墓に過ぎない。
江戸幕府を開いたりして、日本史の教科書にも載ってる偉い人だからとか、それを理由に拝むのなら、そんなのはおかしいんです。
こういう部分で線引きをあいまいにしてペコペコと誰にでも簡単に頭を下げていると、個人というものを語れなくなる気がするから、私は、イヤなのだ。
とはいえ、せっかく入場料まで払って墓参りに来たのだからせめて線香の一本もあげようと思ったのだが、あいにく東照宮は火気厳禁であった。

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旅行の終わりにふと思い立って東照宮から北に少し行ったところにあるという滝尾神社へ寄ることにした。
ところが神社へ続く道は、農道のように細いガタガタの舗装路でいかにも心細く、日光三社の一角というのがほんとにこんな寂れた場所にあるものだろうかと心配になるほどうらぶれた参道だった。

事実、神社の入り口は注意して目を凝らさないと分からないような雰囲気で、なるほど、ここは観光地ではないのだなとひと目で分かる状態だった。
鳥居へ続く石段を登る途中であたりを見回すと、セミの声が遠くに聞こえ、周囲はどこか肌寒く、足元の石は苔むし、頭上は木々に覆われ、細い川が小さな滝を作り岩を打つ音が響いていた。

社殿の裏手には石塀で囲われた空間に三本杉のご神木が立っており、ずっと前にそのあたりになんとかという神様が降臨したことがあったそうだ。手前の大きな杉の倒木は三百年ほど前に倒れた先代のご神木とのこと。ご神木は三百年前から倒れたままで、下草なども特には手入れなどしていない有様だった。
石塀の中はなにもかも実にそのままで、その昔この山に初めて入った空海さんやなにがしの僧侶もおそらく同じような風景を見ているうちに神様がひょっこり降りてきて、ここに小さなほこらを建てて、この滝尾神社が始まったんだろうなぁと思い、ついにんまりしてしまう。

こんな場所は、日光にはいくらでもあるんだろうな。私はそう思った。

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