2009年11月19日
Pflaster セミナー 09’ 11月22日
お知らせ
恒例のフラスターセミナーを行います。
Pflaster トレーナー育成セミナー
「膝関節の評価法〜SOAP〜」
日時:11月22日(日)
9時より12時まで
場所:北トピア(王子駅下車 徒歩3分)
申し込み:左のメールアドレスから申し込んでください。
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Pflaster トレーナー育成セミナー
「膝関節の評価法〜SOAP〜」
日時:11月22日(日)
9時より12時まで
場所:北トピア(王子駅下車 徒歩3分)
申し込み:左のメールアドレスから申し込んでください。
2009年11月16日
日大バスケ部での4年間〜パート3
祥平と、太田敦也(現東三河)という2代看板で、前評判はなかなか良かったです。トーナメントでは優勝しましたが、リーグ、インカレを3位に終わりました。他の大学にも、竹内兄弟、石崎、酒井など才能豊かな選手が多い、いわゆるゴールデンエイジと呼ばれていた年でした。
祥平は、何よりもバスケでは真面目で練習でも抜かない選手。そのせいで後輩からは恐れられていましたがw 今も関っていますが、バスケに対する情熱は本当に頭が上がりません。そんな祥平ですが、先日、日本代表に選ばれました。話したときには、謙虚でしたが、これからも日本を背負って立つ選手になるよう、バスケに対して真面目に取り組んでほしいですね。彼との思い出は、といってもまだ関っていますが、最後のインカレですね。寒い気候で、寒い体育館での大会。前日には、寒さでシュートに多少の影響が出ていたようでしたので、次の日には、アップ前に軍手を用意し、2枚重ね。1枚目と2枚目の間にホッカイロを入れるように伝え、試合始めるぎりぎりまで手を温めていました。その結果かわかりませんが、その試合で51点と活躍してくれました。
太田敦也選手は、あの206cmの大きな身体で素早いクイックターンと走れる体力。今はBjリーグで活躍しているようです。大学時代は、怪我の少ない選手で、唯一半月板挫傷があったのみ。しかも2日ほどで痛みが引きました。そして、面白いことをよくする選手でしたね。とある練習中、「舟橋さん、足の裏がちくちく痛いんですが・・・」って心配そうな顔できたので、評価してみましたが、何もない。シューズのせいかと思い、バッシュを見ていると中に何かが・・・ひっくり返すとパラパラと何か出てきました。その正体は、米粒。まさかと思い、シューズ履かせてどうか聞くと、痛みはないとw ってかなんでバッシュの中に米粒が入っていたのでしょうか??
そして、小野寺翔。翔は、チームの縁の下の力持ち的存在。玄人受けするプレイヤーです。今は黒田電気で頑張っています。いつも試合前には、腕立てをしてパンプアップさせてから試合してましたね。インカレ最後には、試合後ロッカールームでつっていました。顔、口には出しませんでしたが、精一杯プレイしたのでしょうね。今も牧マネジャーと一緒にチームで頑張ってもらいたいですね。
その当時、ブログに書きましたが、橋本卓実。努力家の選手で、下から這い上がってきた選手。普段は、ユニークでおちゃらけているイメージの強い選手ですが、練習、試合では、真剣にプレイする。そしてなんといってもそのプレイが華麗でしたね。祥平が強いがちがちいくタイプならば、卓実は、しなやかでスマートなプレイで、観客を沸かすタイプです。大学でバスケは辞めて、今は社会人で色々苦労しているようですが、一つのことをやり遂げる強い気持ちで、頑張っているようです。そして彼といてば、嬉しかったことがあります。以前このブログで彼のことを書いたときに、彼の母親が、そのブログをプリントアウトして今も取ってあるそうです。それを聞いたのは、久しぶりに遊びに来たその2年後でした。
この他にも多くの選手がいました。Bチームキャプテンだったボイメンは、たまに日大に来て、今も習っているカイロをして選手を治療してくれました。最後の試合では、東京体育館で、本当に熱い試合をしてくれて感動したのを覚えています。その試合で、プレイした菅原。その後も大好きなバスケから抜け出せてないみたいですねw
今も頑張っていますが、身体が戻り、目一杯バスケができるように頑張ってください。
そしてマネージャーの牧。なんといってもリーグ、日体戦で、事件が起こったとき、悔しくて最後まで抗議し、涙を流し続けたのを覚えています。バスケに対する情熱、真摯な姿勢は、今も変わってなく選手たちを支え続けてください。そして自分が辞めるときには、電話をくれて、一緒に悔しがってくれました。本当に嬉しかったです。
そんな2シーズン目でした。
2009年11月11日
日大バスケ部での4年間〜パート2
このチームについてから3回の引退・卒業がありました。
1年目はリーグ前からトレーナーとして入りました。ですので
約半年のみの帯同となりました。秋元がキャプテン、呉屋、八井など
がいました。成績的にはあまりいいものではありませんでしたが、色々思い出
はあります。
まだトレーナールームが、ただの倉庫で2畳くらいのスペースでテーピングなど
をやり始めた時期でした。
一番初めに見た選手が、八井。腰の捻挫でした。リーグ前に痛めて
リーグに間に合わせるためにリハビリをしました。リーグ戦も無事出れましたが、
途中の試合前に行う朝の軽運動での1on1で、腰を痛めて会場に来たりもしました。
今は何をしてるのでしょうかね。
秋元は地元で高校でバスケ部を教えているようです。よくジャンパー膝で、テーピング巻いていました。試合前もテーピング中によく自分や学生トレーナーに話しかけてきてユーモアのある選手でした。そして卒業後も試合に見に来てくれて声を掛けてくれました。その時は嬉しかったです。
呉屋は、Bjで今も頑張っていますね。元LB JAMの中川和之の友達ということで話しかけてくれた呉屋は、練習中に目を切ったり、足底筋膜炎で毎試合のテーピングと、塩ドリンクが印象的ですね。毎試合つる傾向のある彼には、他の選手とは別に塩入りのドリンクを飲ませるようにしました。それまでつりと足底筋膜炎で困っていた彼が、「テーピングをすると雲の上を歩いているようです」と言ってくれたのをよく覚えています。今でも、最初に言われた「ゴヤといいます。漢字は、食べ物のゴーヤと同じです」と言われたことが、本気なのか冗談なのかわかりませんw
そして女子も見ているはずなんですが、覚えていません。
のちに、毎日のように関るトレーナー「しょうさん」に会って
足首のテーピングを巻いたそうですが、覚えていませんw
よく彼女に言われますが・・・・。すみません・・。
そんな1年目でした。
1年目はリーグ前からトレーナーとして入りました。ですので
約半年のみの帯同となりました。秋元がキャプテン、呉屋、八井など
がいました。成績的にはあまりいいものではありませんでしたが、色々思い出
はあります。
まだトレーナールームが、ただの倉庫で2畳くらいのスペースでテーピングなど
をやり始めた時期でした。
一番初めに見た選手が、八井。腰の捻挫でした。リーグ前に痛めて
リーグに間に合わせるためにリハビリをしました。リーグ戦も無事出れましたが、
途中の試合前に行う朝の軽運動での1on1で、腰を痛めて会場に来たりもしました。
今は何をしてるのでしょうかね。
秋元は地元で高校でバスケ部を教えているようです。よくジャンパー膝で、テーピング巻いていました。試合前もテーピング中によく自分や学生トレーナーに話しかけてきてユーモアのある選手でした。そして卒業後も試合に見に来てくれて声を掛けてくれました。その時は嬉しかったです。
呉屋は、Bjで今も頑張っていますね。元LB JAMの中川和之の友達ということで話しかけてくれた呉屋は、練習中に目を切ったり、足底筋膜炎で毎試合のテーピングと、塩ドリンクが印象的ですね。毎試合つる傾向のある彼には、他の選手とは別に塩入りのドリンクを飲ませるようにしました。それまでつりと足底筋膜炎で困っていた彼が、「テーピングをすると雲の上を歩いているようです」と言ってくれたのをよく覚えています。今でも、最初に言われた「ゴヤといいます。漢字は、食べ物のゴーヤと同じです」と言われたことが、本気なのか冗談なのかわかりませんw
そして女子も見ているはずなんですが、覚えていません。
のちに、毎日のように関るトレーナー「しょうさん」に会って
足首のテーピングを巻いたそうですが、覚えていませんw
よく彼女に言われますが・・・・。すみません・・。
そんな1年目でした。
2009年11月03日
日大バスケ部での4年間〜パート1
先日を持ちまして自分の日大生活も終わりましたが、
まず何がいいたいか考えたところ、やはり感謝の気持ちを伝えたいと
思いました。今まで日大バスケ部と自分に関ってきた人たちに感謝を述べたいと
思っています。
そしてその中でも一番感謝しているのは、学生トレーナー、アシスタントトレーナーです。今まで多くの人たちが、学生トレーナーとして手伝ってくれました。ここでは全員を書くことはできないので、代表して数人にお礼を述べたいと思います。
スタートの時期には、小林仁美と小林由佳。この両小林は、まだ何もない状態から一緒にスタートし、トレーナールームを作り、探りながらトレーナー業を行いました。そして由佳は、最終日に辞める趣旨をメールで入れたところ、一番最初に電話をくれました。打ち上げ中で周りがうるさく長くは話せませんでしたが、とても嬉しかったです。
二人とも約2年間休むこともほぼなく、毎日一生懸命に勉強し、手伝ってくれたことを覚えています。ほっけ大好きな仁美は、選手にときに厳しくトレーナーとして選手を甘えさせることのない立派なトレーナーでした。
ありがとう。
第3期学生トレーナーに当たる井出佳代。そのおっとりした性格で、最初のころはなかなかトレーナーという職について行けませんでした。しかし女子を見てもらっていた彼女は、最後に選手から信頼を得るような成長振りを見せてくれました。自分も後輩トレーナーの育て方を彼女から学びました。心がピュアなため顔にすぐ出てしまいそのことでトレーナーとして怒ったこともあります。ただその心は、人を信頼できる心、本心をしっかり見ている目があったからだと思います。そして、女子のリーグ戦、自分が最後の試合後、二人で2時間くらい話しました。初めて彼女の本当の気持ちを聞いた気がします。その心が、彼女の武器なのかもしれません。1年間という短い期間でしたが、少しでもトレーナー業以外でも何かを学んでくれたら幸いです。
ありがとう。
そして約3年、学生トレーナーからアシスタントトレーナーとして日大バスケを支え続けてくれた二瓶奈津美。彼女には、心から感謝の気持ちを伝えたいと思います。最後の年は、週1ほどしか日大に行けず、すべてのトレーナー業務を任せられる人間に育ってくれたことを嬉しく思い、同時に彼女のトレーナーの為の最終試験のようなものとしてアシスタントという立場にしました。彼女がヘッドとしてチームに付いたときに一人でどうするか、何をすべきか、後輩をどう教育するかなど実践で学んで欲しかったためです。ですので、なるべき自分は、手を出さないようにしました。この1年で更に色々学んだと思います。そして自分も彼女からたくさん学びました。
先日の最終日、試合終了のブザーがなったあと、ボトルや片付けなどで選手よりさきにロッカールームに入ったときに、握手をしました。彼女にとったら何気ない握手だったかもしれませんが、両手でしっかり強く握ってくれ、手を離さず長い時間握手していました。そこから伝わる力強さから彼女の気持ちが伝わりました。思わず恥ずかしく「早く離せ」と言いましたが、彼女と一緒に働けたことに心から感謝の気持ちが溢れました。彼女には言いたいことは沢山あり、ここでは足りません。また会ったときにゆっくり話そうね。
ありがとう。
同じく長い間支えてくれた学生トレーナー兼スポットトレーナー。長谷川亜矢。
彼女は日大バスケ部OGとして、自分より長く日大にいます。ですので、自分よりも選手の気持ちはわかる存在です。そして何より心優しくユーモアのある人。後輩たちに、時に選手として、時にトレーナーとして後輩から信頼を得ていました。多くの思い出の中、一番印象にあるのは、とある選手の約7ヶ月程のリハビリをしていて、Biodexを測ったとき、90%を超えたら復帰という目安に、何度か数値が出なくて選手が悩み落ち込んでいました。最後のBiodexで、その数値をクリアしたときに、選手と一緒に涙を流したこと。本当に選手のことを思い、トレーナーとしての安心感や、バスケ選手として選手の気持ちもわかることでの涙かと思います。人の気持ちがわかる人間は、素直に素晴らしいと思います。また彼女には人を惹きつける能力があります。仕事についてからも休みの日には、手伝いや応援に来てくれました。ずっと変わらない姿勢に、すごく感銘を受け、素晴らしい人に会えたことに感謝しています。そして彼女も大切な人に出会えたことで、人間としてもすごく成長しました。落ち着いたらゆっくり話したいこともあります。
ありがとう。
その他にも多くの人がトレーナーとして関ってきました。当時アメリカで学生トレーナーを行っていて帰国のたびに遊びに来てくれ、今はBjで頑張ってるトレーナーもいました。苦労をしているかと思いますが、それが成長させます。頑張って。そのほかにもアメリカから夏休み中に来てくれた学生たち、OBの短期留学にも手伝ってもらったり、アメリカの新しいことを教えてくれたりしました。
そして、日本の専門学生だった学生トレーナーも沢山きました。その学生から学んだことも沢山あります。4年間で20人ほど遊びにきてくれました。
今まで関ってきてくれたすべてのトレーナーに感謝します。
4年間、ありがとう。
まず何がいいたいか考えたところ、やはり感謝の気持ちを伝えたいと
思いました。今まで日大バスケ部と自分に関ってきた人たちに感謝を述べたいと
思っています。
そしてその中でも一番感謝しているのは、学生トレーナー、アシスタントトレーナーです。今まで多くの人たちが、学生トレーナーとして手伝ってくれました。ここでは全員を書くことはできないので、代表して数人にお礼を述べたいと思います。
スタートの時期には、小林仁美と小林由佳。この両小林は、まだ何もない状態から一緒にスタートし、トレーナールームを作り、探りながらトレーナー業を行いました。そして由佳は、最終日に辞める趣旨をメールで入れたところ、一番最初に電話をくれました。打ち上げ中で周りがうるさく長くは話せませんでしたが、とても嬉しかったです。
二人とも約2年間休むこともほぼなく、毎日一生懸命に勉強し、手伝ってくれたことを覚えています。ほっけ大好きな仁美は、選手にときに厳しくトレーナーとして選手を甘えさせることのない立派なトレーナーでした。
ありがとう。
第3期学生トレーナーに当たる井出佳代。そのおっとりした性格で、最初のころはなかなかトレーナーという職について行けませんでした。しかし女子を見てもらっていた彼女は、最後に選手から信頼を得るような成長振りを見せてくれました。自分も後輩トレーナーの育て方を彼女から学びました。心がピュアなため顔にすぐ出てしまいそのことでトレーナーとして怒ったこともあります。ただその心は、人を信頼できる心、本心をしっかり見ている目があったからだと思います。そして、女子のリーグ戦、自分が最後の試合後、二人で2時間くらい話しました。初めて彼女の本当の気持ちを聞いた気がします。その心が、彼女の武器なのかもしれません。1年間という短い期間でしたが、少しでもトレーナー業以外でも何かを学んでくれたら幸いです。
ありがとう。
そして約3年、学生トレーナーからアシスタントトレーナーとして日大バスケを支え続けてくれた二瓶奈津美。彼女には、心から感謝の気持ちを伝えたいと思います。最後の年は、週1ほどしか日大に行けず、すべてのトレーナー業務を任せられる人間に育ってくれたことを嬉しく思い、同時に彼女のトレーナーの為の最終試験のようなものとしてアシスタントという立場にしました。彼女がヘッドとしてチームに付いたときに一人でどうするか、何をすべきか、後輩をどう教育するかなど実践で学んで欲しかったためです。ですので、なるべき自分は、手を出さないようにしました。この1年で更に色々学んだと思います。そして自分も彼女からたくさん学びました。
先日の最終日、試合終了のブザーがなったあと、ボトルや片付けなどで選手よりさきにロッカールームに入ったときに、握手をしました。彼女にとったら何気ない握手だったかもしれませんが、両手でしっかり強く握ってくれ、手を離さず長い時間握手していました。そこから伝わる力強さから彼女の気持ちが伝わりました。思わず恥ずかしく「早く離せ」と言いましたが、彼女と一緒に働けたことに心から感謝の気持ちが溢れました。彼女には言いたいことは沢山あり、ここでは足りません。また会ったときにゆっくり話そうね。
ありがとう。
同じく長い間支えてくれた学生トレーナー兼スポットトレーナー。長谷川亜矢。
彼女は日大バスケ部OGとして、自分より長く日大にいます。ですので、自分よりも選手の気持ちはわかる存在です。そして何より心優しくユーモアのある人。後輩たちに、時に選手として、時にトレーナーとして後輩から信頼を得ていました。多くの思い出の中、一番印象にあるのは、とある選手の約7ヶ月程のリハビリをしていて、Biodexを測ったとき、90%を超えたら復帰という目安に、何度か数値が出なくて選手が悩み落ち込んでいました。最後のBiodexで、その数値をクリアしたときに、選手と一緒に涙を流したこと。本当に選手のことを思い、トレーナーとしての安心感や、バスケ選手として選手の気持ちもわかることでの涙かと思います。人の気持ちがわかる人間は、素直に素晴らしいと思います。また彼女には人を惹きつける能力があります。仕事についてからも休みの日には、手伝いや応援に来てくれました。ずっと変わらない姿勢に、すごく感銘を受け、素晴らしい人に会えたことに感謝しています。そして彼女も大切な人に出会えたことで、人間としてもすごく成長しました。落ち着いたらゆっくり話したいこともあります。
ありがとう。
その他にも多くの人がトレーナーとして関ってきました。当時アメリカで学生トレーナーを行っていて帰国のたびに遊びに来てくれ、今はBjで頑張ってるトレーナーもいました。苦労をしているかと思いますが、それが成長させます。頑張って。そのほかにもアメリカから夏休み中に来てくれた学生たち、OBの短期留学にも手伝ってもらったり、アメリカの新しいことを教えてくれたりしました。
そして、日本の専門学生だった学生トレーナーも沢山きました。その学生から学んだことも沢山あります。4年間で20人ほど遊びにきてくれました。
今まで関ってきてくれたすべてのトレーナーに感謝します。
4年間、ありがとう。
2009年11月02日
有終の美 キセキ
昨日を持ちまして、日本大学バスケットボール部
アスレティックトレーナーを辞めることになりました。
昨日はリーグ戦最終日。ほぼ消えかけていた優勝が、偶然にも
チャンスが舞い降りてきました。そして見事最終2試合とも勝利し、
見事優勝しました。14年ぶり4回目の優勝だそうです・
まさかの優勝で、有終の美を飾れたかなと思います。
今年のチームは、すごいいいチームでした。
毎年4年生だけが仲良いという年はありましたが、ここまで
1年から4年生まで、人のことを考え、チームのことを考え試合をできた
チームは自分が日大に来て初めてでした。それが実となって優勝できたのだと
思います。
そして最後を、「優勝」という最高のプレゼントで終えれたこと。すごく嬉しかったです。
日大に来て約4年間。色々ありました。怪我だけじゃなく色々選手の個人的な事件から、退部した選手、トレーナーの認知度、監督の知識のなさ、すごく悩んだり、困ったりもしました。しかしそれ以上に良いこともありました。
言いたいことは沢山あります。少しずつこのブログで書いていけたらと思います。
今はとにかく、日大選手のみなさん、優勝おめでとう!そしてありがとうございました。次はインカレで優勝してください!
写真のポロも昨日で着納めでした。