沖縄大辞典

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いつもいつも
コロナウイルスの話題ばかりだけど
世の中捨てたモノではないようで、
今回は、コロナウイルスを吹き飛ばそうという
大イベントの告知です。


冬至正月太陽祭チラシ



2021年12月22日は
冬至の日にあたり、
太陽の力が最も衰え
同時にこの日から太陽の力が強まる
記念すべき日です。

洋の東西を問わず
世界中の文明は暦を発展させて
冬至の日を割り出し
太陽が一度死に復活する日
全てが新しく生まれ変わる日として
盛大にお祝いしました。

そこで、冬至の日に勝連城跡で
若太陽(生まれたばかりの若い太陽)を
拝みコロナ終息と健康を願い
共に冬至正月をお祝いしましょう
という趣旨で、12月22日朝7:00より
冬至正月若太陽拝みを実施します。

当プロジェクトの実行委員長で
古謡研究家の宮城葉子さんが
朝7;14分頃に上がる若太陽を迎えて
一の郭で火の鳥(鳳凰)を讃えるオモロを謡い
次に勝連城の10代城主アマワリを
讃えるオモロを謡います。

その後は四の郭まで下りて
希望者全員でかぎやで風節を舞い
太鼓、琴、三線、棒術、古武道を
若太陽と勝連按司アマワリに奉納します。

日の出を拝みたい人は
朝6:30までに勝連城跡に集合
かぎやで風節に参加したい方は
7:00までに勝連城跡に集合

一般の観覧希望の人は
朝8:00までに勝連城跡まで集合です。

またかぎやで風節参加者の皆さんには
冬至ジューシー・あまがし、お茶・みかんの
提供がございます。

沖縄タイムスでも、
大々的に報道があると思いますので、
沖縄タイムスを購読されている方は
そちらでご確認下さい。

生まれ変わる太陽の日差しを浴びて
12月22日でコロナ禍ときっちり
決別しましょう。









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  勝連南風原の偉人に
カッチンバーマーと呼ばれる人がいる。
沖縄民話の中に多くの頓知話を残し、
モーイ親方と並ぶ機知の人で
元々、勝連グスクの南麓にあった勝連南風原村を
現在地に移転するのに
優れた指導力を発揮した事でも知られている。
しかし、惜しい事にカッチンバーマーは
無系の為に家譜がなく その生没年についても
大まかな事しか分からない。
ただ、バーマーの民話を注意深く読んでみると、
天明の大飢饉の頃までは
バーマーが生きていたのではないかと思える節があり
また、あみふいのたむんの逸話は
荒唐無稽な創作だと言い切れない現実との
リンクが幾つも見いだせるのである。


あみふいのたむん

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カッチンバーマーの晩年の頓知話に
あみふいのたむん(雨降りの薪)というものがある。
どんな話かを簡単に説明すると、



尚穆王の時代のある年、半年以上も続いた長雨に
首里と那覇の薪の困り方は 言語を絶するものがあった。
天井、床、壁など燃やせるものは全て燃やし尽くし
果ては襤褸やムシロの類まで燃やして
煮炊きに使うという有様。

これでは、薪不足の為に
死人がでかねない状態に追い込まれた。

王府においては摂政、三司官はじめ、
要路の人々が
毎日鳩首談義をしているが
何も名案がなく、
空しく雨天を恨む日々が続いた。

ある日の会議の席上、与那原親方が
「実は昨夜、
薪の事ならカッチンバーマーに聞け
という夢を見せられた
なかなか機知縦横の男と聞いている。
とにかく一度呼び出して
聞いてみようではないか?」

このように提案した。

しかし、大方の役人は
「多寡が知れた田舎の百姓に、
こんな大問題を裁く分別があるわけがない。
上役人の面目をつぶすだけだ」と反対した。

与那原親方はそれでも
モノは試しという事もあると
決意を新たにし
使者をカッチンバーマーの元に送り
首里まで呼び出した。

呼び出されたバーマーは
困った顔をするかと思いきや

「そんな事は簡単です。
まず、中頭北部の百姓を集めて
恩納間切の南の村々を取り壊し リ
レー式に村から村へと運ばせて
之を各戸に配給します。
壊した家の建て替えには
恩納村の村人に山から、
木材、竹、茅を
切り出させ各間切から徴用した大工に
壊した家以上の堅牢な家を建てさせれば
古家を取り壊された家主も
喜ぶほかはありますまい。
このようにして、
恩納村から名護、羽地と辺戸岬まで
壊しては建てを順序よく繰り返せば、
例え雨が十年降り続こうと
薪に不自由する事はありません」

黙々とバーマーの話を聞いていた
王府の高官たちは
その機知に驚くやら、
これで問題は解決したと安堵するやら
早速、実行しようとしたが、
翌日から雨が止んで青天が続いたので
この機知も実行されなかった。


あみふいのたむんは架空の話ではない

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実は、あみふいのたむんの民話は、
荒唐無稽な架空の話というわけではない

尚穆王の時代には世界規模の異常気象が続いていて、
実際に治世の後半 1784年には、
霖雨と記された長雨が続き夏なのに寒かった事(冷夏)
そして作物が例年通りに実らなかった事もさることながら、
救荒作物である芋も 長雨のせいで虫が入って腐り
収穫が期待できない事が当時の三司官、
伊江親方朝睦の日記、
「伊江親方日々記」から確認できるのだ。
日本では天明の大飢饉が発生していた。

また日々記には、
 諸物価が高騰している事も記録される。
あみふいのたむんでは長雨で薪が不足していると
ボカして書いているが 雨が降り続いたから
薪が不足するのは辻褄が合わないので

飢饉を前に一儲けを企んで
米を買い占める商人が出て物価が高騰
薪も高値になり買えなくなった那覇や首里の人々が
屋根や床板を剥すほどになったと推測できる。


そう考えるとカッチンバーマーの提案は

「商人が薪を買い占めたのならば、
買い占めがバカらしくなる位、
薪を増やして 需要を賄えばいいのです。
百姓の古家を片っ端からぶち壊して薪にして
壊した分は山から木材を切り出して
新築の家にすれば誰も文句はないでしょう」

と暗に主張している事になり、
やりかたは乱暴ながら価格の高騰には
需要を供給で満たす事であると
経済的には正しい処方箋を書いている。
裏読みではあるが経済オンチで
商人の買い占めを黙認している王府への
皮肉のようにも見て取れる。


与那原親方は実在する


あみふいのたむんの話には、
与那原親方という唯一実名の人物が登場する。
与那原親方は実在し、1784年当時、三司官を勤めていた
与那原親方良矩と 推定する事ができる。

与那原良矩は歌人として優れ、琉球三十六歌仙に選ばれ
三司官に在位する事28年で「君子親方」と美称された
儒教の実践家でもあった。

奇妙な偶然はもう1つある。
伊江親方日々記を記した伊江朝睦も1784年当時、
三司官として与那原親方の同僚だったのだ。
あみふいのたむんは、ただの民話とは思えないほどに
1784年当時の様相が盛り込まれている話ではある。

カッチンバーマー直筆の位牌

勝連南風原の儀保家には、
儀保大屋子の位牌という
特別仕立ての大位牌があり
位牌裏面の

大清乾隆四十八年癸巳二月仕立
但総入目金弐百拾五貫
前地頭代 浜親雲上

という文字はカッチンバーマーの署名と伝わる
この乾隆四十八年は1783年であり、
あみふいのたむんの民話の時期と ほぼほぼ重なる。
逸話との整合性を考えるとバーマーは
80歳を超えて長寿したと考えられるだろう。

まとめ

あみふいたむんの民話の時期が1784年にほぼ特定され、
民話に登場する与那原親方が1784年に三司官であった事
また、儀保大屋子の位牌の文字から考えると、

あみふいたむんの民話を荒唐無稽なフィクションと
簡単に片づける事は出来ないだろう。

1726年にカッチンバーマーが勝連南風原村を
現在の場所に移す時に、内間村に先を越されて
三司官に直々に訴えたというような民話もあり

カッチンバーマーの名前が首里でも聞こえた
一種の「名物男」であった可能性もある。
もちろん、文書の中に
カッチンバーマーの名が出てこない以上
後世の誰かが大飢饉の時代にカッチンバーマーが出てきて
機知で飢えから救ってくれたらという願望を込めて
創作した そういう事かも知れない。

しかし、そうだとしても手が込んでいて
何とも夢のある話ではある。

・参考PDF:近世琉球・奄美における災害と気候変動問題
―1780・ 1830年代を中心に―
・参考書籍:勝連町史


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沖縄の伝統芸能の特徴にメロディー先行という事があります。
歌の文句がどうこうよりもリズムが良ければOKというアレです。
甲子園の沖縄代表の応援歌であるハイサイオジサンは超有名ですが、
あの歌詞の五番は共通語に直してテレビで流すのは難しいでしょう。
しかし、このメロディ先行の考え方は昔からであるようで
沖縄の伝統芸能であるフェーヌシマもそうなのです。


検証沖縄の棒踊り
沖縄文化社


今回も勝連盛豊著 検証沖縄の棒踊りより
内容を参考にして頂きました。



崩れて変化していくフェーヌシマ

フェーヌシマとは南の島をあてる伝統芸能です。
地域により、パイヌシマ、ペンシマ、ヘーンシマ、
ハイヌスマカンター棒と呼び沖縄各地の村祭りで踊られます。
内容は赤髪のかつらをかぶった青年が4人登場し、
鉄輪がついた四尺棒を片手に持ち
「ハウッ!ハウッ!」と奇声を発しながら
三線や銅鑼、法螺貝、鉦にあわせて
意味不明な歌に合わせて飛んだり跳ねたり
腕をぐるぐる回したり、地面を強く踏み締めたり
四尺棒を打ち合わせたりしながらリズミカルに踊ります。

ここまででも十分奇妙なのですが、
このフェーヌシマは、どこの地域でも歌詞が意味不明で
そのために歌詞が正確に伝わらずに
どんどん崩れている 不思議な伝統芸能なのです。

どんな歌詞なのか?

フェーヌシマには、
すんじなりたやから始まる歌詞と
ちゃうんえーちゃーから始まる歌詞があります。
似たような内容なのに歌詞が違うのは奇妙ですが、
試しに那覇市安里フェーヌシマの歌詞を少し書いてみます。




すんじなりたや ひゃくなりひゃー(百成瓢箪)
ひるやみくしに さぎらりてぃ(昼は御腰に下げられて)
ゆるやうすばに うかさりてぃ(夜はおそばに置かされて)
クルリン ちんとう かたとぅちね
あぬひゅー くぬひゅー(あの瓢箪、この瓢箪)
はいやかたとぅちね ちーくちーたち 二十八日
さゆいくどみそらば くぬ おーさったーしょうがち わしたんが 
うむいする ゆありちみんさま さじんとうがならば
シックリシックリし しさしがうしゅい
ふわにむ トゥチワ なにむに トゥチワ

いくつか分かる部分はありますが、 ほとんど意味不明です。
無理もない話で、フェーヌシマを歌う人でさえ
歌詞の意味がほとんど分からないのです。


消えていく芸能

実は、那覇市安里のフェーヌシマは、
まだ意味がわかる方であり、
別の地域に行くと、もっと崩れて意味不明になり、
頻繁に歌詞の転訛や歌詞の欠落が発生して
歌詞の伝承が消えることさえあります。

実際、勝連南風原のフェーヌシマは
1850年頃に武士前茂太伊という人が 首里の士族が唐人から
武術、フェーヌシマを習うのを盗み見て覚え、
南風原地区に持ち帰り 若者に教えたのが始まりとされ
武術として一の型、二の型が存在し
歌詞もあったものの崩れてしまい、
今では消えてしまっています。

現在は先に金輪をつけた五尺棒で踊る
棒踊りが残っていますが歌詞はありません。

歌詞が残らない理由

どうして歌詞が正確に伝わらないのか?
ハッキリした理由は分かりませんが、
どうもフェーヌシマの元歌が
明治初期の大和の俗謡であり、
それを所々琉球の言葉に置き換えて、
太鼓や三線の擬態語を入れているのが原因っぽいです。
時代が下って明治初期の俗謡が分かる人がいなくなると
フェーヌシマを歌う人も歌詞の意味が取れなくなり
適当に歌っている間にますます歌詞が変化して崩れ
遂には全く意味不明になったのかも知れません。




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沖縄県では現在でも、
冠婚葬祭でよく棒の演舞がおこなわれます。
これは棒術と読んだり、棍と読んだりしますが、
同じく棒を使う演舞は 姿形を変えながら日本各地に存在します。
ところが同じ棒でも、沖縄にはスーマチ(衆巻)という
数十名から数百人が六尺棒を持ち
渦を巻いたり円を描いたりしながら行進して
棒の演武を披露する伝統芸能があり
こちらは沖縄以外には類例がないものです。


検証沖縄の棒踊り



今回は勝連盛豊著 
検証 沖縄の棒踊りを参考に 沖縄独自の集団棒、スーマチ
を紹介してみます。



大勢で渦巻きを作る不思議な演武




スーマチは数十人、
時には数百人でおこなわれる集団の棒演武です。
大抵一列か二列縦隊になり、
先頭の人は三角のペナントのような旗頭か
青龍刀のような武器を掲げ、
独特の掛け声をかけながら行進します。

そして、集団で大きな渦巻きを作ると、
次はそれを解いて二列縦隊になり、
二つの渦巻きを作り、次には円を描いたりと
少しずつ渦の形を変えつつ、
最後は棒持ちが対になり、
棒の演武を見せて終了になります。

渦を作るパターンはスーマチを演じる地域で違い、
それこそ千差万別ですが、 行進の過程で、
どこかで渦巻きを作るという点は共通しているようです。

スーマチはいつから始まったのか?

ブログ主は歴史家なので、
スーマチがいつから始まったのかについて、
一番関心があるのですが、

勝連盛豊さん曰く、よく分からないそうです。

ただ、ブログ主が著書を読んだ限りでは、
北中城村島袋の棒総巻が今から330年前に
武士中村が首里の「西の平」から習い、
島袋村の若者の精神鍛錬と
相互扶助の精神を育む目的で
はじめたとあるのが根拠が
しっかりした伝承では一番古そうです。

石垣島白保のスーマチは、さらに古く
1470年頃、石垣島川平村の
仲間満慶山英極の棒伝承だそうですが、
沖縄本島からマーラン船の乗組員や
移住者が伝えた説や、
明治の末に帰還兵が伝えた説。
与那国のアーサという人の三人棒説、
真境名スーグヮーの真境名棒説と沢山あり、
いずれの説にも確証はないようです。


スーマチの目的は?

スーマチは龕の年忌に合わせておこなわれるようですが、
実際にはそればかりではなく、 日清戦争の戦勝記念や、
昭和天皇の即位の太礼や第二次世界大戦の戦勝祈願など、
大きな出来事があった時にも開催しています。

その理由としては、スーマチは参加人数が多く、
村を挙げて多額の経費がかかるので、
毎年というわけにはいかず、
龕の年忌や戦勝祈願、
慶賀すべき事がある時に挙行したようです。

また、これはブログ主の感想ですが、
スーマチにより一糸乱れぬ行列を組み、
棒の演武を挙行する事で村の団結心と相互扶助の心を
確認する意味合いもあったように 考えられます。

まとめ

著者の勝連盛豊さんは、
昭和62年、第42回国民体育大会海邦国体で
中学生2000人による スーマチ演武
「たくましく生きる島人」を指導されました。

これは、沖縄各地に伝わるスーマチを
モチーフにしたものですが、
2000人の中学生が2年間も練習し、
櫂を巧みに操りながら演武をする様子は
いみじくもスーマチの本質を
表しているように思いました。

スーマチは沖縄人が団結し、
相互に助け合いながら櫂を片手に世界の大海を泳ぎ、
沖縄県民ここにアリという気概を示す為に
存在したのではないでしょうか?

かつては村々で演じていたスーマチは、
今、沖縄県民全体が心を1つにして
世界と互していく為に、復活していくべき
伝統芸能ではないかと思います。


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沖縄市は、桑江市長が毎日18:10分から
毎日ダミ声で外出するな、密になるな
ワクチン打てと連呼するポンコツ市で

桑江朝千夫

https://www.city.okinawa.okinawa.jp/shisei/25


活力あふれ、市民が夢と希望をもてるまちづくり
とか、なんの冗談だ?市民に命令する前にお前のダミ声を
第一に自粛しろと

毎日考えてしまうのだが

それはそれとして、
今回は拡散したい取り組みがあったので
紹介したい。

以下は毎日新聞の引用



沖縄市は新型コロナウイルスの自宅療養者に
食料などを配達する事業に関連し、周囲の支援が得られないなど
困難な状況にある乳幼児がいる家庭に紙おむつや粉ミルク、
離乳食など「支援パック」を届けるサービスを始める。
ひとり親家庭や経済的な困窮家庭などを想定し、9月内にも始める。

 24日の市議会一般質問で平安栄こどものまち推進部長が
真栄城健二氏(護憲凛の会)に答えた。
平安氏は、市社会福祉協議会など関係機関に
困窮者向けの粉ミルクなどの寄付が寄せられていると説明。
「関係機関とも連携し、民間団体の支援や寄付金を活用しながら
粉ミルクや紙おむつなどの『支援パック』を提供していきたい」と説明した。


 沖縄市は県内市町村で初めて、
新型コロナの自宅療養者のうち単身世帯などに
食料や日用品を届ける事業を始めた。
市こどものまち推進部によると、
この配達の際に家庭状況などを確認した上で、
乳幼児がいる場合などの事情に応じて「支援パック」も届ける。
市民健康課やこども相談・健康課が連携して実施する。

保健所による自粛の強制と
マスゴミのコロナ煽りこそが
経済を冷やし生活困窮者を生んでいるので
俺から見ればマッチポンプだが
生活に苦しんでいる人に罪はないし
ましてや乳幼児に何の落ち度があるだろう

困っている人はぜひ活用して欲しい
安慶田地区まちづくり推進協議会ブログでは
沖縄市議とも繋がっているので
こちらのブログを読んでもらうと有難い

https://agedamachikyo.ti-da.net/e12043303.html?fbclid=IwAR3-L3Pki312V_9lvgBVySYLnkv3u6e-bIlp0RIlRxbDWHdHOYV1s_BCF8A

自宅待機に追い込まれて支援者もなく
生活に苦しんでいる人に一人でも多く
支援が行き届く事を願う



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 日本医師会もマスコミも、毎日言う事が変わっていきます。
例えば、元々コロナワクチンは接種する事で
こわーいコロナに 感染しないという触れ込みで始まり、
39度の高熱も腕の腫れも 正当化されました。

しかし、実際にはワクチンを接種しても
人々はコロナにバンバン感染しています。
では、どうしてワクチンは効かなくなるのでしょうか?
今回も、小学生にも分かるように科学的に解説します。




細菌とウイルスの違い



これだけ毎日ウイルス、ウイルス連呼している人が多いのに
ウイルスと細菌の区別がついていない人は多いです。
そもそも細菌とはDNAとRNAの二本の遺伝子の鎖を持ち
細胞を持っていて自己増殖できるモノ
そして、ウイルスとはRNA遺伝子しか保有せず
また細胞がないので自己増殖できないモノです。

変異とは何か?

ウイルスにはRNA遺伝子しかありませんが、
これによりウイルスは頻繁に変異を起こす事になります。
元々、DNAは遺伝子のバックアップ装置であり、
RNAが紫外線などで傷つけられると、
傷ついた部分をコピーして 修復し元の遺伝子配列に戻します。

ところが、ウイルスはバックアップのDNAがないので
RNAが破損しても正確に復元する事が出来ずに
元とは違う遺伝子配列になる事があります。
これを変異と言い、コロナ変異株とは
このようにして誕生しています。


ワクチンは変異に追いつけない

コロナウイルスの変異は
2週間に1回という超高速であり、
すでに5000種類の変異株が存在しているそうです。
こうした変異株から人に感染しやすい

デルタ株のようなものが 生き残り
爆発的に数を増やしていきます。

しかし、コロナウイルスと違い
ワクチンは2週間では出来ません。
半年以上も開発に時間がかかり、
そこから接種するとなると 全体に行き渡るまで、
さらに数カ月もかかります。

その頃には、ウイルスは何度も変異し続け
ワクチンが造られた頃のウイルスとは遺伝子配列が違います。
ワクチンの抗体はウイルスの遺伝子で敵を判断するので
遺伝子が大きく違うとそれを敵と認識できません。

つまり、ワクチンは効かないという事なのです。
これは同じくウイルス性の風邪や
インフルエンザも 同じです。

変異株は外国から飛んでこない

日本では医者ですら、
海外から変異株が飛んでくると 真顔で言いますが、
全く何も知らない藪医者です。

よく言われるデルタ株や
インド株やイギリス株というのは、
イギリスやインドで発見された
ウイルスの型の事です。

こう考えてみましょう。
本格インドカレーは
インドでしか食べられないでしょうか?
そんな事はありませんね。
レシピと材料さえあれば日本でも作れます。

コロナウイルスも同じ事であって
インドで発見されたのと同じ変異が
日本のコロナウイルスでも確認されたから
インド株と言っているだけなのです。

今後もミュー株が海外から渡って来たと
真顔で言う医者がいると思うので
見たら笑ってあげましょう。


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 デルタ株のお陰でようやく身辺で、
コロナ陽性者にお目にかかりました。
しかし、未だにコロナに感染するって
どういう事かをまるで理解していない人が大勢います。
そこで、今回は、小学生でも理解できる
コロナ感染について動画をまじえて 解説します。



突然ですがクイズです。

いきなりですが、クイズです。


Q:Mさんの体内にコロナウイルスが入りました。
これでMさんはコロナに感染したと言えますか?

YESと答えた方、残念ながら大外れです。
人間の体内にコロナウイルスが入っただけで感染していたら
1億2000万人が全員感染している事になります。


感染とはウイルスが細胞に入り込む事




コロナウイルスが体内に入るだけなら
感染ではなく暴露です。
では、コロナに感染するとはどういうことか?
それは、コロナウイルスが
細胞の中に入り 増殖を始めた時です。

ウイルスというのは、
菌と違い細胞を持たないので
自己増殖ができません。

なので細胞の中に入り、
細胞の機能を使って
自分のコピーを造らせて増殖します。

こうなって初めて
コロナウイルスに 感染した事になり、
マクロファージや リンパ球のような
免疫との戦いが起きるので
ウイルスを殺す為に高熱が出たり 咳が出たり、
炎症が起きた間接が痛くなります。


コロナウイルスが入れる場所は決まっている

コロナウイルスは
いきなり細胞に入り込めるわけではありません。
コロナウイルスを受け入れるのは、
体内でも特に大腸に多くあるace2受容体で、
ここが家の鍵のような働きをしています。

このace2受容体に、
コロナのトゲトゲ(スパイク)が結合すると
Ace2受容体がスパイクを切り離して
細胞内に取り込むのです。

どうしてace2受容体が
人体に害をなすコロナウイルスを
自ら取り込むのか分かりませんが
ウイルスはかつて動物の細胞から
飛び出した兄弟であり、
その生物の記憶が残っているので
迎え入れるとも言われます。

PCR検査が無意味な理由

さて、
感染と暴露の違いについて書いてみました。
ここでPCR検査について考えてみたいのですが、
PCR検査はコロナウイルスの残骸でも
発見してしまうので
感染ではもちろんですが、
暴露でも陽性にしてしまいます。

だから、PCR検査は
健康体に対して行うのは無意味なのです。
逆に症状が出てからPCR検査を行う事で
確実にコロナである事を 判定する事には有益です。



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 世界に先駆けて、
国民にコロナワクチンの接種を義務付け
劇的に感染者を減らし、
感染対策の模範とされたイスラエルで
逆に感染爆発が起きています。

これにより、
ワクチンでは集団免疫は達成できないばかりか
ワクチン接種によりコロナ感染が重症化する
疑惑が生じています。

そして、日本のマスコミは完全にスルーしましたが
2021年5月24日、大阪大学の荒瀬尚教授を中心とした
微生物病研究所・蛋白質研究所・
免疫学フロンティア研究センター・
感染症総合教育研究拠点・
医学系研究科等から成る研究グループが

新型コロナウイルス患者由来の抗体を分析する事で
新型コロナウイルスに感染すると
感染を防御する中和抗体ばかりでなく
感染性を高めるADE(感染増強抗体)が
産生されていることを
世界で初めて発見したのです。


https://www.amed.go.jp/news/release_20210525-02.html



善玉抗体RBD

新型コロナウイルスは、
人間の体内に入るとすぐに感染するわけではありません。
ウイルスは、人体の中でコロナウイルスを受容する
ace2という受容体を探し
これにウイルスのスパイク(トゲトゲ)を接合させ、
宿主細胞が受け入れて初めて感染する事になります。
しかし、スパイクタンパクの中には RBDという抗体があり、
これがスパイクタンパクが
Ace2受容体にくっつくのを阻止する働きをしています。

面白いですね。コロナウイルスを満載した
スパイクタンパクの中に
全く逆にace2受容体にくっつくのを邪魔する
人間にとっては善玉になる存在がいたのです。

そして、現在、7000万人以上に接種されている
コロナワクチンは、このスパイクタンパクが持つ
RBDを遺伝子レベルで作り出して 人体に投与し、
コロナウイルスに対して 免疫をつけようと考えて
開発されました。
この部分をよーく覚えておいて下さい

感染を悪化させるNTD抗体の発見

善玉と悪玉


しかし、スパイクタンパクにはRBD以外にも、
76種類のたんぱく質が存在していて、
それらの働きは 最近まで分かりませんでした。
驚くべき事に、スパイクタンパクを
ちゃんと調べていないのに
製薬会社はコロナワクチンを開発してしまったのです。
なんという無責任でしょうか?

そこで今回、大阪大学の荒瀬尚教授を中心とした研究グループが
働きが不明だったスパイクタンパクを調べると
そこにRBDとは逆に、コロナウイルスを
宿主細胞に 入りやすくする為の抗体、NTDを発見しました。
これはいわば、悪玉抗体でNTDの働きが強いと
感染者はコロナが重症化しやすくなるわけです。


コロナワクチンにも入ってます

ワクチンは危険


さて、スパイクタンパクに
悪玉抗体であるNTDが含まれる事は、
2021年5月24日に初めて発表されました。

そして、それ以前から日本では
コロナワクチンの接種が始まっています。

はい、その通り、
コロナワクチンの中には
RBDだけではなくNTDもしっかりと含まれています。

そして、恐ろしい事に、ADE(感染増強抗体)は
二度目に同じウイルスに感染した時に、
より強く発生し 感染者を重症化させる事が
デング熱ウイルスで確認されています。

これはどういう事なのか?
つまり、ワクチンを接種した人の方が
さらには1回目よりも2回目を打った人の方が
またコロナウイルスに感染した時に
ワクチンを打たない人よりも
重症化しやすいという事なのです。

イスラエルで起きている事実

イスラエル

https://graphics.reuters.com/world-coronavirus-tracker-and-maps/ja/countries-and-territories/israel/


さて、イスラエルは人口900万人の小国ですが、
世界でも逸早くコロナワクチン接種を開始し
国民の90%が 2回のワクチン接種を済ませて、
感染者数が激減したとして
日本のテレビメディアはこぞって取り上げました。

しかし、現時点のイスラエルは大変な事態が起きています。
2回のワクチン接種を済ませた人の中で、
さらにコロナに感染する人が 爆発的に増加、
死者も急激に増えています。

イスラエルは3回目のワクチン接種で
ブースター効果を狙うと言っていますが
2回打って、こうなっているのに
3回目の接種は狂気の沙汰だと思います。

思い出してみましょう。
ADEはウイルスに再感染した時に強く出てくる事
イスラエルでは9割が2回のワクチン接種後である事
この2つには大きな相関関係があります。

ハッキリ言いましょう。
コロナワクチンは、70種類以上もある
スパイクタンパクの働きもろくろく調べずに
RBD(善玉抗体)があるというだけで
開発されたワクチンです。

そして、今回、
コロナを悪化させる 悪玉抗体NTDが発見され
研究チームは 感染を増強しない、
新型のコロナワクチン開発を 提言しています。

現在、接種が進められているコロナワクチンは
毒であり危険です。








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 新型コロナウイルスワクチン接種が普及するにつれて、
ワクチンを打たない人に強制的に接種を勧めるケースが増えています。
厚生労働省のHPではコロナワクチンの強制を止めるように
呼び掛けを行っています。


厚労省



ソース https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00218.html

 ワクチンを接種していない人に、
どうして打たないの?まだ打たないの?と圧力を掛けたり、
ワクチン接種をしていない事で差別的扱いをする事は
人権侵害にあたる可能性があるので止めましょう。

 また、新型コロナウイルスワクチンは、
令和3年2月 12 日に開催された医薬品第二部会において、
医薬品医療機器等法第 14 条の3第1項の規定による
(特例承認)を受けたワクチンで、
まだ一部の臨床実験が継続中です。


厚労省3

厚労省4


ソース https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=335AC0000000145
https://www.pmda.go.jp/drugs/2021/P20210212001/672212000_30300AMX00231_A100_5.pdf


CMでもテレビでも、
ワクチン接種の利益ばかりを報道し
リスクについては触れませんが、
そのようなメディアの報道スタンスと
厚生労働省のスタンスは温度差があります。

もちろん、市民の皆さんには
新型コロナウイルスワクチンを接種する権利がありますが、
同時に不安だからワクチン接種をしない権利もあります。

テレビやCMに煽られ、コロナのせいで
大事な人間関係を壊さないよう
お互いの意志を尊重しましょう。




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