沖縄と言えば、青い海から連想される塩も有名です。
日本全土では、650種類以上の塩があるのですが、
その中でも沖縄は100種類以上を生産していて
塩王国の感さえあります。
しかし、こんなメジャーな塩ですが
沖縄では長ら生産されてなく薩摩から買っていたのです。





塩




日照時間の不足と台風とスコールで塩づくりには不向き


大昔から、塩を造っていたように思う琉球、
マースという言葉は真潮(まうす)から来ています。
ところが豊富な海水がありながら
琉球では日照時間の不足と台風、頻繁なスコール、
冬の曇り空の多さにより 17世紀の末まで
塩が大々的に製造される事はありませんでした。

なんと、塩は薩摩からの輸入に頼っていたのです。
しかし、1694年に大きな変化が起こります、
那覇市の泊付近にある広大な干潟で、
宮城という平民が 薩摩藩の弓削次郎右衛門という人物から
製塩法を学んで生産を開始します。


技術革新入浜式塩田方法


塩づくりに向いていない琉球で製塩を可能にしたのは
入浜式塩田という製塩法でした。
最初に、早朝海岸に出てヒラを使って砂を波打ち際で広げます。
※途中で雨が降ると、広げていた砂を
一カ所に集めて覆いを被せて保護します。


やがて潮が満ちてくると砂が海水に浸り潮が引いて
水分が乾くと塩の結晶が砂粒につきます。

次に、砂がよく乾くようにマンガという
大きな熊手のような道具で砂に筋目をつけていきます。
こうして、十分に砂が乾いたら、砂を集めてきてツボの中に入れます。

砂を海岸に広げる行為を繰り返して
砂浜の塩分濃度が20度を超えると
次に砂の入ったツボに
海水をかけて濃いカン水を採ります。

このカン水を砂や骨灰でろ過して不純物を取り除き、
鉄製の平釜で2~3時間煮詰めます。
これでようやく水分が蒸発して塩が出来るのです。

この入浜式塩田の方法は薩摩藩から伝来し、
沖縄戦後もしばらく数百年来の方法で造られていました。
特に泊の潟原や沖縄市泡瀬の干潟は、
入浜式塩田に最適な環境を備えていて、
18世紀後半以来、沖縄各地に塩を販売する事で栄えたのです。



イシハラマサミツのズバッ!

石原


元々、恵まれた海と砂浜を持ちながら
天候のせいで塩を造れなかった沖縄。
それが入浜式塩田という新しい技術を導入する事で、
塩を自給できるようになり、
戦後の塩王国に繋がっていったわけです。
いかに技術革新が大事であるかを
この故事は物語っています。













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