舜天王統は、3代続きますが、孫の義本王の時代に、
琉球は天変地異が相次ぎ、飢饉や疫病が発生します。

義本王は、これは自分に徳が無いから起こるのだと
王位を降りる事を決意して、部下で人望の厚い英祖に
政治を委ねます。

■英祖に政治を委ねて義本王は姿を隠した



英祖が政治を行うようになると、雨が順調に振り、
疫病も収まったので、義本王は、姿を隠してしまい、
英祖はやむなく王位について、ここに英祖王統が成立します。 

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■母親が太陽を飲み込む夢を見て産まれた太陽の子



英祖の父は、恵祖世主といい、彼の居城とされるグスクは、
今でも伊祖城として残っています。
英祖は、この伊祖城で産まれますが、英祖の母は、
夢の中で太陽を呑みこみ、その後に懐妊したので

英祖は英祖日子(てだこ)と呼ばれるようになります。
太陽の子という意味です。

■土地の境界線を定め 年貢を公平に課した



その後、英祖は領地をくまなく巡回して実情を知り、
土地の境界線を定めて、税制を不公平がないようにしたので
住民は富み栄えたと言われています。

■離島からも贈物がもたらされる



1264年には、久米島、伊平屋、慶良間の島々から、
貢物を持ってやってきたようなので、舜天王統の時代より
その王権が強く確立され、支配地域が広がっています。

この頃の主要な港は泊港で、英祖は、ここに行政機関と
貢物を管理する蔵を建てています。

■まとめ



英祖は実在がはっきりする王で、当初極楽山と呼ばれた
浦添ようどれに葬られています。
また、英祖の時代、僧、禅鑑が来琉し、王は浦添城の西に
極楽寺を建てて住まわせ、それが沖縄に仏教が伝来した
初めての記録となっています。