沖縄県では現在でも、
冠婚葬祭でよく棒の演舞がおこなわれます。
これは棒術と読んだり、棍と読んだりしますが、
同じく棒を使う演舞は 姿形を変えながら日本各地に存在します。
ところが同じ棒でも、沖縄にはスーマチ(衆巻)という
数十名から数百人が六尺棒を持ち
渦を巻いたり円を描いたりしながら行進して
棒の演武を披露する伝統芸能があり
こちらは沖縄以外には類例がないものです。
今回は勝連盛豊著
検証 沖縄の棒踊りを参考に 沖縄独自の集団棒、スーマチ
を紹介してみます。
大勢で渦巻きを作る不思議な演武
スーマチは数十人、
時には数百人でおこなわれる集団の棒演武です。
大抵一列か二列縦隊になり、
先頭の人は三角のペナントのような旗頭か
青龍刀のような武器を掲げ、
独特の掛け声をかけながら行進します。
そして、集団で大きな渦巻きを作ると、
次はそれを解いて二列縦隊になり、
二つの渦巻きを作り、次には円を描いたりと
少しずつ渦の形を変えつつ、
最後は棒持ちが対になり、
棒の演武を見せて終了になります。
渦を作るパターンはスーマチを演じる地域で違い、
それこそ千差万別ですが、 行進の過程で、
どこかで渦巻きを作るという点は共通しているようです。
スーマチはいつから始まったのか?
ブログ主は歴史家なので、スーマチがいつから始まったのかについて、
一番関心があるのですが、
勝連盛豊さん曰く、よく分からないそうです。
ただ、ブログ主が著書を読んだ限りでは、
北中城村島袋の棒総巻が今から330年前に
武士中村が首里の「西の平」から習い、
島袋村の若者の精神鍛錬と
相互扶助の精神を育む目的で
はじめたとあるのが根拠が
しっかりした伝承では一番古そうです。
石垣島白保のスーマチは、さらに古く
1470年頃、石垣島川平村の
仲間満慶山英極の棒伝承だそうですが、
沖縄本島からマーラン船の乗組員や
移住者が伝えた説や、
明治の末に帰還兵が伝えた説。
与那国のアーサという人の三人棒説、
真境名スーグヮーの真境名棒説と沢山あり、
いずれの説にも確証はないようです。
スーマチの目的は?
スーマチは龕の年忌に合わせておこなわれるようですが、実際にはそればかりではなく、 日清戦争の戦勝記念や、
昭和天皇の即位の太礼や第二次世界大戦の戦勝祈願など、
大きな出来事があった時にも開催しています。
その理由としては、スーマチは参加人数が多く、
村を挙げて多額の経費がかかるので、
毎年というわけにはいかず、
龕の年忌や戦勝祈願、
慶賀すべき事がある時に挙行したようです。
また、これはブログ主の感想ですが、
スーマチにより一糸乱れぬ行列を組み、
棒の演武を挙行する事で村の団結心と相互扶助の心を
確認する意味合いもあったように 考えられます。
まとめ
著者の勝連盛豊さんは、昭和62年、第42回国民体育大会海邦国体で
中学生2000人による スーマチ演武
「たくましく生きる島人」を指導されました。
これは、沖縄各地に伝わるスーマチを
モチーフにしたものですが、
2000人の中学生が2年間も練習し、
櫂を巧みに操りながら演武をする様子は
いみじくもスーマチの本質を
表しているように思いました。
スーマチは沖縄人が団結し、
相互に助け合いながら櫂を片手に世界の大海を泳ぎ、
沖縄県民ここにアリという気概を示す為に
存在したのではないでしょうか?
かつては村々で演じていたスーマチは、
今、沖縄県民全体が心を1つにして
世界と互していく為に、復活していくべき
伝統芸能ではないかと思います。