松尾龍之介の「長崎日和」

「うたがひあやしむべきは変にあらずして常のことなり」三浦梅園

小便小僧がうらやましい

おしっこ

僕は今でも砂川しげひさと秋竜山をナンセンス漫画の最高峰と仰いでいるが、砂川さんの時代劇で丹下左膳のような主人公が立ち小便をしている場面が忘れられない。後ろから描いているので小便の筋しか見えない。それが二筋に分かれて描かれてあった。

そのリアリズムに笑った。男の小便は、なにも小便小僧のように一筋とは限らない。小僧っ子の頃は良いが、次第に年をとってくると色んな問題に遭遇する。まず、方向が定まらなくなる。とくに朝起きがてがヒドい。とんでもない方向に暴走する。

次に二筋ならまだしも、さらに枝分かれする場合がある。そうなってくると八の字の開脚では間に合わず、ヒザを折り曲げて低くしなければならない。一度だけその恰好をノックもせずに入ってきた奴に見られたことがある。でも、まだまだ先がある。

男のそれは急須と同じで、すべてを出し切るには容器を傾けなければならない。そうしないと残尿になる。それがチャックを閉める頃に溢れることがある。男性でも女性座りで排尿すると良いと耳にした。そうして前屈みをすると、確かに残尿は減った。


魚の頭、牛の頭

冬至

長崎育ちなので煮魚はもちろん好物である。鯛なら魚の「頬っぺた」から箸をつけるし、ブリなら目玉まで食べてしまう。食べ終わった魚の骨に、湯をかけて適当に薄まった汁と、骨から出たダシを飲むのも大好き。場合によると湯が燗酒に変わることもある。

出島で阿蘭陀冬至と呼ばれる祝日があった。これは西洋のクリスマスが絶妙にカモフラージュされたもので、おそらく背後にオランダ通詞の知恵が働いたと思える。さて、1700年、江戸から長崎に出張を命じられた太田蜀山人は、同年、出島の祝宴に顔を出した。

『一話一言補遺』の中に次のようにある。「最後に牛の頭の調理されたものが角をつけたままで鉢に盛って出された。オランダ人は殊にこれが好きだと見える。フォークで目玉を引き抜き、喰らい、脳内に到るまで残さず食いつくしてしまう」と呆れている。

もし、オランダ人が私の魚を食べるのを目にしたら、いったいどんな感想をもらすだろうか。「日本人は殊に魚が好きで、箸で目玉まで食べ尽くしてしまう」と記すであろう。確かに子供の頃の私は、魚の頭部の骨から脳を吸い出しで味わっていたのも憶えている。

訳ありのススキ

すすき

少し前に、ススキは呆ける前に赤っぽく見える時期があると書いた。それを確かめながら再び川に沿って散歩していると、「なんだ!これは…」と、思わず立ち止まるススキがあった。私はスマホは持たず、デジカメも持ち歩かないので写真には撮っていない。

でもそれは、例えばちょうどラーメンに縮み麺があるように、穂が縮んでいたのである。近づいて良く良く見ると、縮んでいるのではなかった。螺旋状になっていた。それが逆光の中で縮み模様にしか見えなかった。縮みは一本の穂の全体に及んでいた。

しばらく見ているうちに、「ハハーん…」とそのワケもわかってきた。その穂は何かワケがあってすんなりと顔を出すことができず、葉鞘の中で我慢を強いられたに違いない。その間に穂は伸びた分を致し方なく螺旋状に巻くしかなかったのである。

その場を離れてさらに進むと、今度は穂ではなく茎が螺旋状になったススキが目に入った。これまた驚いて、しばらく見惚れていた。そしてこれも穂と同じ理由で、我慢を強いられた結果であろうと判断した。同様に人間にも精神的な縮みがあって良いと思った。








花のいのちは短くて…

林芙美子記念館

今を去ること十年ほど前、2009年に『赤毛のアン』の翻訳で知られる花岡花子の遺族宅で未発表の詩稿が発見された。

「風も吹くなり/雲も光るなり/生きている幸福(しあわせ)は/あなたも知っている/私も良く知っている/花のいのちは短くて/苦しきことのみ多けれど/風も吹くなり/雲も光るなり」

林芙美子が色紙によく書いたとされる、

「花のいのちは短くて苦しきことのみ多かりき」

は、この発見された詩の一部である。それに気がついたのは、新宿区中井にある「林芙美子記念館」を訪れたからである。屋敷の保存が非常に優れていたのに驚くとともに、人口に膾炙(かいしゃ)された芙美子の言葉が、上に掲げた詩の一部だったことも教えてくれた。




「いもい」って何だ?

竹取

斉ではなく、斎である。普通「いつき」と読み、或いは「斎場」という言葉で「さい」として馴染んでいる。ところがこれが、「いもい」とも読めるのだからビックリ。もし現代の若者がこの言葉を使った場合は「田舎臭い」「野暮ったい」という意味にもなる。

私が出会った「いもい」は『竹取物語』の中であった。かぐや姫は五人の貴族に無理難題を押し付けて、求婚を断るのであるが、その貴族たちは揃いに揃って狡猾で、エゴの塊で、権威をかさに着た愚か者ばかり。その中の一人に大伴大納言がいる。

彼は部下たちに、龍の首にある五色の玉を探すように命じる。それが見つかるまでは帰ってくるなと厳命する。その間、「自分は毎日、斎(いもい)に服して待っている」と告げる。つまり願がかなうまで、肉食を絶ち、心身を清めるからと約束するのだ。

しかしそれは口先ばかり。その間、かぐや姫との新婚生活を夢みては、大豪邸を新築したり、古女房をすべてお払い箱にするなど、一向に斎に服していないのだ。その破廉恥なこと。でも、こんな政治家や社長、今でもどこかにいそうな気がしてならない。

赤いススキ、白いススキ

ススキミミズク

何時のことだったか、山歩きの最中におばさん連中から声が聞こえてきた。「ススキには赤いススキと、白いススキがあるのよ」というのである。私は「赤いススキなんて、世の中にあるわけないではないか」と心中、彼女たちを小馬鹿にしたものである。

ところが今は違う。確かに赤く見える時期がある。ススキの穂の出始めというものは、白く輝いている。穂が出ると間もなく、小さな黄色の雄しべが顔を出して連なる。ススキは風媒花で、そうやって花粉を風に飛ばすのだ。やがてそれは枯れて茶色になる。

その頃から小穂の付け根に、褐色が目立ってくる。紫色にも思える。それは雌しべが咲き終わるまで、長い期間続く。その間「赤い」といえば確かに赤く見えるのだ。やがて受粉し終わると、小穂の基部に細い糸が伸びはじめ、フワっとしたススキとなる。

民芸品の「ススキミミズク」は、それを巧みに利用し、細工したものだ。私はそれを目にするたびに日本人のセンスの良さに脱帽する。という訳で、近頃の私は、おばさんたちの話も決してないがしろにしない。耳をダンボにして傾聴することにしている。




採れたて俳句

秋の雲

秋澄むや雲のシーツを取り変えて

桜紅葉に人気なき水飲み場

訳ありの秋果とされて盛られをり

「冬眠」とは鬱の状態

コウモリ

『猿の惑星』という映画の出だしで、ロケットの中のカプセルの中で、「人工冬眠」をしていた操縦士の仲間が故障で亡くなっていというショッキングな場面が挿入されていた。その人工冬眠の研究は実際にはコウモリを使って行われているらしい。

コウモリが冬眠するのは有名であるが、私は長い間、寒さから身を守るために眠り込んでしまうとばかり思いこんでいた。ところが最近の研究によればそうではない。コウモリは冬の間、鬱の状態に陥るのだという。そうなると何が起こるのか。

重い鬱によってコウモリの新陳代謝が著しく低下し、生命活動が鈍くなる。するとコウモリの体内に便乗して生きてきたバクテリア、ウィルス、寄生虫などは生きて行けない。こうして余計なものが一掃されるらしい。つまり身体のクリーニングである。

そうして春になて初めて深い眠りに入るそうである。冬眠する動物と人間を一緒にするのもどうかと思うが、そう考えれば季節の中で冬が最も嫌われている理由も、軽い鬱から来ていることになり、「春眠暁を覚えず」も、同様に説明することができる。


冬支度と大航海時代

spice

スペインでは
十一月十一日を
「サン・マルティンの日」と呼んでいる。この日にブタ
を屠殺・解体して冬に備える。そこから「どんなブタにも聖マルティヌスの日が来る」ということわざができた。どんな人間にもいずれはツケが廻ってくるという意味。

西洋人は肉食なので、冬でも肉を食べる。そのためには肉を保存しなければならない。保存方法はさまざまあるが、塩漬けがもっとも手っ取り早い。私は一度、アメリカ帰りの人から、塩漬けの牛肉の塊をもらったことがある。これは儲けたと思って食べてみて驚いた。

塩辛いのなんの。二度と食べようとは思わなかった。おそらく向こうの人たちも、決しておいしいとは思ってはなくて、我慢して食べていたのだろう。そういう肉をおいしくしてくれるものが、胡椒をはじめとするスパイスだった。ただしそれはヨーロッパにはなかった。

インドやモルッカ諸島からイスラム商人の数多くの手を経てようやく地中海へと届けられた。その結果非常に高価であった。その中間マージンがなければと思い焦がれたのが、ヨーロッパでも最もはずれの海に面した国々だった。すなわち葡・西・蘭・英である。








岡本眸さんの思い出

岡本眸俳人・岡本眸

新聞で俳人の岡本眸さんが亡くなられたことを知った。私は彼女とは「一期一会」であった。俳句手帳の記録から調べたところ、平成三年のことである。どうして彼女と会うことになったのか、もはや記憶が曖昧になってしまった。でも確かに出会っている。

杉並区か、世田谷区に関係する仕事であったと思う。椅子とテーブルが置かれてあって、私が座った席がたまたま岡本眸さんの向かいだった。私は彼女のことは知らなかったが、周囲の雑談でそれと気が付いた。彼女は私の俳句を通して私のことを知っていた。

「あなた、この間の句、良かったわよ…」と,、いきなり声を掛けられてビックリした。「何のことですか?」と問うたところ「太郎杉の句よ」というのである。私は確かに、それを日光での吟行でつくっていた。続けて「ここで、皆さんに発表しなさいよ」と言われた。

私はその場が俳人の集まりでないのを承知していたので、一瞬どうしょうかと迷ったが、思い切って「万緑の要(かなめ)たるべし太郎杉」と詠みあげた。その場の人々は何ことやら、分からなかったに違いない。その時の彼女の押しの強さが今でも印象に残っている。








記事検索
プロフィール
自画像 (1)

こんにちは、松尾龍之介です。
著書












QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ