2009年11月21日
2009年11月18日
悟ってみれば
悟ってみれば
仏も下駄も
同じ木の片で
ある。
一休
近所の浄土真宗寺院の掲示板に半年くらい前に掲げられていた法語です。
一休さんって人気ありますよね。
しかし本当に理解されているのでしょうか。
虚無主義のブンカジンがこの法語を目にしたら「悟ってみりゃそんなもんだよ」と冷笑しそうです。
一休禅師の言葉は「仏が下駄に同じ」なのではなく「下駄もまた仏なのだ」と読むべきなのです。
悟りの世界には仏と下駄の分別はありません。下駄に仏を見るとき、わたしたちは下駄を粗末にすることができなくなるはずです。
わたしたちもまた仏なのです。わたしが仏であることを知ったとき、わたしの命を上手に生かそうという思いが導かれるはずです。
本覚の仏教は仏になることが目的ではなく、仏を知ることからはじまります。
2009年11月17日
『お葬式の雑学』
一時期、読む本といえば仏教書ばかりの時期がありましたが、最近のリュウセイは俗な本ばかり読んでいます。大型書店の店頭で平積みになっている新書とか。
一昔前の新書というのは、もっと学術的というか、初学者向けであってもそれなりに権威的というか、とにかく今よりエラそうな本ばかりだったと思うのだけれど、最近は何だか与太話みたいものが多いですね。
私の読書感想文も与太話と思って見てください。
さて、『お葬式の雑学』(扶桑社新書)。サブタイトルは−意外と知らない「死」のマナー−。著者は 日本初の葬儀相談員 リリーフ代表 市川愛さん。
サブタイトルや著者略歴を見ると葬式のマナーブックみたいですが、中身はそうではありません。
葬式にまつわる地方独特のしきたりや他の地方では見られない奇妙な習慣を雑学知識風に列挙してあります。
雑学ゆえに全体のまとまりはないのですが、著者の言いたいのは、地方ごとにいろいろな風習があるのだから知らなくて当然。堂々と葬式に臨んでほしいということのようです。
そうそう、同じ氷見市であっても地区ごとによって微妙に異なるのが葬儀の習慣です。2、3回葬儀に関わったからといって、訳知り顔でエラい発言をしている人を見かけますが、そっちの方が見苦しい。
また、書店に並んでいる葬祭のマナーブックのようなものは、ご当地のしきたりについては何の役にも立たないということがわかるはずです。
最近は地方独自の習慣もなくなってゆく方向にありますが、著者もそれを残念と述べています。
氷見でも葬祭業者のホールができてから、急速に葬儀にまつわる地区ごとの習慣が消えて画一化していったように思います。
何もかも昔のままが良いとは言いませんが、独自のしきたりとともに地縁血縁の関係も薄くなってゆくのが寂しく感じます。
本書のあとがきからそのまま抜き出します。
----- 全国各地どんなしきたりがある場所でも通用する、お葬式の心得をお伝えしましょう。それは「故人の旅立ちを、心からの感謝で見送る」ということです。-----
実際のところ、その感謝の心をいかにして形にするかで関係者の思いの行き違いが生まれ、トラブルになったりすることもあるわけですが。
それにしても、誰もが身近に経験するはずの葬儀です。縁起でもないと目を背けるのではなく、機会があれば勉強しておくのは大切なことです。
マナーブックではなく、近しい方の御不幸の時にその場に出向き、謙虚な気持ちで勉強するのが理想のように思います。
蛇足ですが、どこかの自治体みたいに斎場建設に異常な反対運動が起こるのは、はたから見ていて見苦しくてしょうがない。
2009年11月15日
虹と今日のおつとめ
一昨日、昨日とちょっとグチっぽくなりました。
今日の午前中の雨上がりに撮った虹のデジ画など。
サムネイルをクリックして大きな画像でご覧下さい。よく見ると紫の内側にもうひとつの虹ができています。これを過剰虹というそうです。
詳しく知りたい方はgoogle先生にでも聞いてください。
デジ画は、ほんのしばしの雨上がりに撮ったものですが、今日は雨が降ったり止んだり、強風が吹いたりおさまったり。
空模様が気忙しい北陸の初冬ですね。
こんな日ですが、以前から檀家さんの墓石の開眼の予定をきいていたので、とある地区の共同墓地まで予定通り行って参りました。
その時間帯は小雨でしたが、横殴りの寒風の中に年輩の方も参列していらっしゃいました。こんなときは急きょ予定を変更です。
あらかじめ施主さんと参列者の了解をいただいて、墓前ではササッと開眼の作法だけをつとめ、仏壇の前に移動して御法楽をつとめました。
わたしもそれなりに僧侶の経験が増えると、こんなときはちょっと機転が利くようになりました。
2009年11月14日
情けない品位
悲しい事件です。
夕方にたまたま玄関の外に出たとき、大イチョウの樹下でパチンというハサミの音がしました。そっちを見るとイチョウの枝を持っている人が見えました。
怒鳴りました。 「きれいだったものだから・・・」という言い訳が返ってきました。
国指定の天然記念物の枝を切り折ったのですから、本来ならば警察に通報すべきような事態です。 「二度と境内に入ってくるな」と怒鳴って追い返しました。
大公孫樹のお世話をしてくださる自治体の教育委員会も、ちょっとした手入れをするときにさえ文化庁に届けを出しているはずです。
以前に記事にしましたが、消防訓練のための消防車が境内に入れるかとうかを調べるときにも、関係者はイチョウの枝に触れないよう大変に気を使ったはずです。
きれいだからという理由で簡単に枝を切り取ってゆくような低い意識に悲しくなりました。
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下のデジ画の看板は、この秋に設置したものです。
ギンナン拾いに注意とお願い 朝日山 上日寺
一、個人の楽しみの範囲でギンナンを拾って持ち帰ることができます
一、商業目的のギンナン拾いはお断りします
一、実の外側の果肉(やわらかい部分)は持ち帰って処理してください
一、鎖の内側への立ち入りを禁止します。鎖の内側のギンナンは
寺院行事に用います
一、枝の実をむしり取る 枝をゆする 棒で落とす などの乱暴な行為を
固く禁止します
一、御本尊への報恩感謝の心を忘れずにギンナン拾いを楽しんでください
毎朝御参りに来る方が、この看板を見て「情けないですね。日本人の品位が」とおっしゃいました。
わたしも、あまり細かいことは言いたくないのですが、看板があって鎖があって張り紙があっても、鎖の内側に踏み込む輩が後を絶ちません。
枝の実をむしり取る 枝をゆする 棒で落とす という行為は今までに全部あったものです。
情けないと思っていたこの時期に枝を切り取るという事件があって、今日は完全にブチ切れて怒鳴って追い返しました。
しかし、枝を切った者には自分のやったことの重大さを認識してもらうために、毅然と警察に通報すべきであったかと今になって反省しております。
いずれにしても、ほんとうに情けないです。
2009年11月13日
今日の作務と人物撮影についての雑記

デジ画は朝の大公孫樹を見上げて撮ったもの。気持ちのいい朝です。
天気予報では夕方から雨だと聞いていたのに、お昼前から雨になりました。
しかし、カッパを着て予定通り境内の掃除をします。どっちみちまた荒れ模様らしいのですが、少しでも落ち葉を集めておきます。
エンジンブロアはぬれ落ち葉でもいい仕事をします。
ところで、とある農家の方から聞いた話。
ウォーキングがブームになって農道を歩く人が多くなった。で、多くの人は問題がないのだけれど、たまに農作業中に至近距離からカメラで撮影されることがある。そんな時はちょっと抵抗がある、という話しでした。
私も経験があります。作務衣姿で竹箒で掃除をしていたら、無言で至近距離から撮影されたことがあります。
作務衣姿の坊さんが境内を掃除していたら絵になるかもしれません。しかし、わたしだって生きている人間なのです。いきなり撮影されるのは抵抗があります。
正直に言って、動物扱いをされたような不愉快さがあります。
週刊誌ネタですが、プライベートをいきなり撮影されてブチ切れたという若いタレントのゴシップ記事が載っていたりします。わたしは有名人ではありませんが、その気持ち、ちょっと分かるような気がします。
あらかじめちょっとした会話があって、それからカメラを向けられたのなら何の問題もないのですけれど。
人物撮影というのは結局のところ、対象となる人との関係が大切なのでしょう。
もちろん、人物撮影に限らない話しですね。
余談ですけれど、アフリカのマサイ族に無言でカメラを向けると槍が飛んでくるとか。




