2016年11月13日

ほんの一瞬なんですよ。いい表情は

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朝日をうける上日寺の大公孫樹。
 
今シーズンの黄葉のピークです。 

朝日を斜め後方から受けて、逆光気味で撮った1枚。
撮ったカメラは一眼ではなくコンデジです。


ryusei_ashzn at 12:09|PermalinkComments(0) 寺院紹介 

2015年12月25日

葉っぱが落ちても魅力的

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イチョウといえば黄葉の時期というイメージがあって、たしかに黄葉は綺麗だ。

毎日かかさず大イチョウを見ている住職の私だって、黄葉のピークの頃は「おーーーっ」と思うくらいの日がある。
 

黄葉のピークは、その年によってずれるけど、だいたい11月の中旬。

毎年、黄葉の前の時期に何度か電話での問い合わせを受ける。
「今年の黄葉の見頃は、いつ頃か分かりますか?」
私「うん、まあ今のところ例年より少し早めの11月の5日から15日くらいでしょうかね。」
先方「遠方からそちらに行くんで、もうちょっと日を絞っていただけますか。」
私「いや、この後の天候次第で何とも言えないんですよ。」
先方「でも、そこのところどうにか教えてもらえませんか。」

そう言われても、私が天候を決めるわけではないのだ。
何でも問い合わせたら答えてもらえると思っているのだろうか。

昭和の時代と違って、明日明後日の天気は良く当たる。
しかし、週間予報になるといまだに不確実なところがある。
それでも、私に聞くか?



そんなことより、黄葉のピークを過ぎたイチョウでも、それはそれで良いんじゃないのかと思う。

葉っぱが落ちてしまった大公孫樹。
冬に大イチョウの写真を撮りに来る人は少ないのだけれど、これはこれで綺麗な大公孫樹だ。

黄葉のピークはもちろん綺麗だけれど、その時期をはずしても、あるいは他の季節でも、よく見たらいつでも魅力的な大公孫樹なのだから。
いろいろな季節の大イチョウの魅力に触れていただければうれしい。


上日寺に初詣においでになったら、ちょっと足を止めて、葉っぱの落ちてしまった大イチョウにも注目してみてください。
 
冬の大イチョウも凜として気高い魅力がありますよ。


ryusei_ashzn at 20:26|PermalinkComments(0) 寺院紹介 | 如是我記2015〜

2015年12月19日

マナーを作る人

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ビジネスマナーっていうのは、いつの間に出来上がっていくんだろう。

昭和の時代の「ご苦労さま」は、相手の労をねぎらう場合に、目上だろうが目下だろうが立場を気にせずに使える言葉だったように思う。
昭和のヤクザ映画あたりを見ていると、出所してきた親分に「おつとめ御苦労様でございました」と子分が出迎えている。あの業界の方が礼儀には厳しいはずだ。

いつの間にか「ご苦労さま」は目上の人にはふさわしくないというビジネスマナーが定着してきて、その代わりに「おつかれさま」になってきた。
しかし、正直なところ、朝一番から「おつかれさま」はないんじゃないのと思ったりする。

いちおう、最近のビジネスマナーにならって自分も「ご苦労さま」は使わないようにしてるけど、じゃあ他に何があるんだろう。

どこかの会社の社内マナーで「お元気さま」というのがあるらしいけど、どこか新宗教的なニオイがして嫌だな。

やっぱり「ご苦労さま」で良いんじゃないかなあ。



いったいビジネスマナーって誰が作るんだろうね。



僧侶がよく聞かれる質問のひとつに「お布施の表書きは何を書いたら良いんでしょう?」というのがあるけど、「お布施」で良いのに。
他にもあるけど、正直なところ気にしない。
たぶん自分以外の坊さんも気にしてないんじゃないかな。

自分が他のお寺様へ渡す場合は「御法礼」を使うけど、檀信徒さんからお寺へは、金額の大小にかかわらず「お布施」が無難だよね。

チャカチャカとネットで調べたら、「お布施」以外に「読経料」「回向料」でも構わない、というのもあれば、反対に、お布施は読経の対価としての御礼ではないから「読経料」「回向料」はふさわしくない、というのもあった。
結局、訳知り顔でネットにアップされているマナーも、絶対のものではないみたい。

けっこうメチャクチャな表書きの封筒を受け取ることもあって、葬儀の後で葬家の名前「○○家」を上に書いて、「上日寺」と下に書いてあるお布施の封筒を受け取ったことがある。
さすがに「おやおや」と思ったけれど、考えてみりゃ葬式なんだから、喪主さんも気持ちに余裕ないわけで、気にしないでスルーしてしまう。


そのなことより、親戚の法事に物知り顔で出しゃばっているのに、自分が施主の時に間違えている人が一番カッコ悪いかもしれない。

お布施の表書きに「寸志」はペケですよ。
寸志は、仲居さんとか運転手さんに渡すチップのこと。
わずかですと謙遜しているのかもしれないけど、お布施にはふさわしくない。
自分は分かってますみたいな顔してるオバサンに今さら言えないし。




ブログで愚痴ってる場合じゃないな。年賀状書かなくちゃ。


ryusei_ashzn at 16:44|PermalinkComments(0) 如是我記2015〜 

2015年12月18日

「さん」

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今日の日中、新潟の良寛記念館を取材したNHKのラジオを聞いていて気になったんだけど、リポーターのアナウンサーが良寛様を「良寛」と敬称なしで呼ぶのね。
記念館の館長さんとか学芸員さんは「良寛さん」と呼んでいるんだけど、リポーターが敬称なし。「良寛」と呼び捨て。
気になるんだよね。居心地の悪い感じ。


4月になると、あちこちで釈尊の誕生を祝う仏生会(ぶっしょうえ)が営まれるけど、そのときにも「シャカの誕生を祝って・・・」みたいな紹介をされるのが気になる。
「おしゃかさま」と言ってはまずいのか。
どこか他の団体からクレームでも入るのか。


「サンプラザ中野くん」は「くん」まで付けて芸名だ。
釈尊は「さま」まで付けて「おしゃかさま」という固有名詞でも良いんじゃないのか。
子どもに親しまれたと伝えられている良寛様だから「良寛様」ではなく「良寛さん」でも構わないだろう。しかし、呼び捨てはないよね。


最近は企業名やお店にまで「さん」をつけたりするのに、釈尊や高僧は呼び捨てになるのか。
略地図に「モスバーガーさん」とか書き込んであるほうが、よほど変じゃないか。
どうよ。


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デジ画は記事と関係なく冬の大公孫樹の枝。


ryusei_ashzn at 21:08|PermalinkComments(0) 如是我記2015〜 

2015年12月16日

最近の寺院と僧侶の話題から

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坊さん、あるいは寺の運営に批判的な記事は定期的に見られるんだけど

リンク先の記事にある
 
いのうえ氏によると、僧侶にはいろいろな収入があるそうだ。お布施収入は「表だって100万とか200万とか言わなくても、位が上がれば上がるほど」たくさんもらえるという。

あたりを考えてみようか。

さて、貴方は僧侶に数百万円の布施をしたことがあるか?
自分は、そんなのを受け取ったことはないし、聞いたこともない。
いや、もう20年ほど前だけど100万円を受け取ったことが1回だけあるよ。
もちろん寺の会計に計上しているけどね。
まず、寺の収入とボンさんの収入を一緒にしてはいけない。

それから、「坊主丸儲け」という言葉が単に剃髪アタマと丸儲けを掛けて笑ってるだけで、実際のところボンさんがガッポガッポと布施を受け取っているというのは都市伝説のたぐいだよね。
だいたい、堂宇の維持管理に支出される金額のことなんか何も考えていない。


つぎに
 
また僧侶の副業は禁止されておらず、サイドビジネスも多い。中には、寺領の中にテナントを所有し、そこからテナント料を取る例もあるのだそうだ。他にも幼稚園や学校の経営、さらにはラブホテルの経営までしていることもあるという。

のだけれど、もちろんラブホテルは論外でペケね。

しかし、寺領にテナントを所有するのは僧侶ではなく、寺院だね。
個人の資産と法人の資産をごっちゃにしてはいけない。記事を書いてる方もわかってるのかな。
それに、考えようによっちゃ、寺院が自存のために不動産の運用をしてるとも考えられる。
それはそれで、良いんじゃないのか。

それから、僧侶が学校を運営することが悪いとは思わない。
空海さんも綜藝種智院を運営なさった。
もちろん宗教法人の会計と学校法人の会計をダラダラにしてはいけないのは言うまでもない。

なんか、もうちょっと真剣に論じたくなるような記事はないのかな。



もうひとつ、最近の話題からamazonの僧侶派遣のこと

これも、FBでちょっとした話題になってたけど、もうすでにイオングループがやっているし、他にも僧侶派遣の業者がある。
そんなことを知ってりゃ、別に驚きもしない。

しかし、ここで気にしてみたいのは、僧侶派遣の業者のことではなく、消費者側はそこまでしても仏教を求めるのかということ。

故郷を捨てて(あえて「捨てて」という言葉を使う)、菩提寺と縁を切って、都会で生きてきた。菩提寺のことなんか考えたことはなかったろう。
それでも人は死ぬ。
家族が死んで、そうしたらやっぱり坊さんを呼ばなくてはと思うのか。
やっぱり、そこで思い出すのは仏教なのか。

いや、寺や僧侶、そして仏教と関わらずに生きてきたのなら、最期も無宗教式で良いんじゃないの、とも思うのだけれど。
やっぱりそこで仏教が思い出されるのか。

そうだとしたら、まだまだ仏教寺院は生き残れる余地があるんだろうな。
これは、有り難いことだと思わなくちゃいけないのかもしれない。




デジ画は、冬の大公孫樹の枝。

葉っぱが落ちた枝は、血管のようにも見える。 


ryusei_ashzn at 15:52|PermalinkComments(0) 如是我記2015〜 

2015年12月11日

島田裕巳『ブッダは実在しない』

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賢い人だと思う。いや、売るためにセンセーショナルなタイトルを好む。
場合によってはタイトルにあわせて中身を改稿することだっていとわないセンセ。


数年前のベストセラー『葬式は、要らない』の初稿タイトルは「葬式はぜいたくだ」だったと聞いたことがある。
しかし、「葬式はぜいたくだ」では弱い。これじゃ売れない。
で、編集側からの要望で『葬式は、要らない』になったという次第。

実際に『葬式は、要らない』を読めば気づくのだけれど、どこにも葬式が要らないなどとは書いてない。
従来の形式での葬式はお金がかかるから、もっといろんな形の葬式があってもいいんじゃないかという提案でしかない。


恥ずかしくないか。そこまでして売りたいか。
 
かつてオウムがらみで叩かれたマスコミを、その後は上手に利用することにしたのか。



で、こんな著作を出しているようなセンセの『ブッダは実在しない』だけど、タイトル見ただけで大体の見当つくわな。

まず、ブッダが釈尊を指す固有名詞ではなく、悟った者を指す一般名詞であることは、別に島田センセに指摘されなくても、仏教をかじったことがあれば誰でも知っている。

そして、近代仏教学の成果で多少なりとも解明がなされた釈尊の生涯には、複数の覚者のエピソードが混在しているのではないか。
また、教えの内容もまた同じ ・・・ と言うことに関していえば、仏教学者ではなく、新宗教を専門とする宗教学者からの提案として、そういう見方も出来るということなら別に構わない。いや、ちょっと面白いかもしれない。


しかし、だ。
釈尊その人がはじめから存在しなくて、バラモンの教えの一派の覚者の生涯や教えを編集して作り上げた理想の人物像というのはどうだろう。

ひとつ反証をあげてみる。
そうだとしたら、釈尊の死後にあった結集(けつじゅう)の意味がないではないか。
結集というのは釈尊の死後に年月を経ることでグループごとにバラバラになりつつあった教義のすりあわせをしたことを云うのだけれど、最初から理想の人物をフィクションとして作り上げたのであったら、グループごとに教義が異なっても何の問題もない。
伝播によっておとぎ話にいろいろなバリエーションができるのと同じで、釈尊がフィクションだとしたら、その伝や教義にバリエーションが生まれて全く問題ない。すりあわせをする必要もない。

それでも結集があったのは、やはり釈尊が実在の人物だったからだ。
実在の人物の教えだったから教義のすりあわせが必要とされたのだ。じゃないか。

素人の自分にも反証できる程度のものだ。



いや、くりかえすと、固定した仏教の見方に新しい見方を提案するというのなら、この著作に面白い点はいくつかあった。
しかし、それだけだ。


自分が火のないところに煙を立てるような文章ばっかり書いているから、近代仏教学の成果も巨大なフィクションに見えはじめたのかもしれない。
あたまのなかに電波が走りはじめるように。
 
まあ、いわゆるトンデモ本ですね。


ryusei_ashzn at 16:43|PermalinkComments(0) 如是我記2015〜 

2015年05月21日

御朱印。あたりまえのことだけど

御朱印のほかに、納経印、参拝印と呼び名はいろいろありますが、寺社にお詣りしたときに受けるのが御朱印です。

本来は、寺院に納経した証文でしたが、のちに参拝した証しとしていただくという意味合いが強くなったようです。

いずれにしても、御本尊に参拝した印しですから、スタンプ帳ではなく専用の御朱印帳に受けます。

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さて、ひさびさの記事なのに愚痴っぽくなってしまいますが、さっき来た夫婦。
歳で言うと60代くらいか。

「北陸観音霊場の御朱印、ファイル穴の開いたのをください」というもんだから、北陸札所専用の用紙に日付を入れてから差し上げました。
で、「観音様はもうお詣りでしょうか。参道を進んで奥になりますが」と尋ねたら、御婦人の方が「疲れているんで」と言う。

顔を見たら疲れていると言うより、食べ過ぎで動きづらいような顔をしている。
運動不足解消のために、上日寺観音堂は良い場所にあるのですよ。

「いや、御朱印は参拝した証しに受けるものですから、ちゃんとお詣りしてくださいね。御朱印を集めるだけでは意味がありませんよ」とちょっとキツめに言いました。
夫婦で意味が分かったのか分からないのか知らないけれど、ニヤニヤして玄関を出て行きました。

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年に一組くらいあるんですよ。この手のスタンプラリーの来訪者。
私は、この人たちを参拝客とは言わない。参拝する気がないのだから。

うちはきびしいことは言いません。
きびしいところだったら、御本尊前で読経しないと御朱印がもらえないとか、神社の参拝印のある帳面には参拝印を押さない寺とか(偏狭で排他的な宗派ですけどね)。
そんなきびしいことは言いません。



どこまで本当のブームなのか知りませんが、最近は「御朱印ガール」とかいう御朱印を受ける若い女性もいるようです。

御朱印をきっかけに、おそらく最初は軽い気持ちかも知れませんが、そうであっても、寺社巡りから日本人の信仰に関心をもっていただければ良いと思っています。

しかし、ひとつだけお願い。

スタンプラリーではなく
 
お詣りすることを忘れないでください。
 
ほんの30秒ほどで構いませんから、静かに手を合わせてください。


ryusei_ashzn at 14:44|PermalinkComments(1) 寺務日記2007/04〜 | 寺院紹介