あすなろ親父 ヤマトの細道

センチュリー21柳和スタッフの林が様々な歴史の事柄を画像と共にご紹介するブログです♪

縄文神社~その3~

グラハム・はコックは『神々の世界』で主張する。海の中にこそ先史時代の文明が眠っていると。

インドの宗教はヒンドゥー教。その教えは文字で記録される以前は口承により伝えられてきたという。

どのくらい大昔から伝承されてきたかは不明。その教えは『世界は創造と維持と破壊で出来ているという。創造の神がプラフマーであり、維持の神がヴィシュヌ。破壊の神がシヴァで三神で一体となり宇宙を司っているんだとか。この三神は同等である。

シヴァは宇宙を再構築するための破壊を担当しますが、いろんな側面を持った神です。男性器をイメージする陽石で表されるため子宝の神でもあります。

 

シヴァ・リンガ

ヨニと合体したシヴァ・リンガ 産めよ増やせよでインドの人口は今や14億人!



全地球規模で襲った3回の大洪水でインド亜大陸は数百キロも内陸に後退したという。

直近の大洪水は縄文海進の頃です。この78千年前の洪水により水没した海底25mエリアで宮殿の跡が発見されたという。ハンコックは英国のテレビ局から資金援助を受けて妻と共にスキューバダイビングを決行したのでした。

その内容をまとめた本が『神々の世界(上・下)』です。


神々の世界

体力と行動力と資金と知的好奇心がないと続きません。



世界遺産モヘンジョダロは、メソポタミア文明のシュメールの影響ではなく、大洪水で沈んだインド亜大陸の古代文明の影響だという。モヘンジョダロで発掘された印章には、聖なる牛やシヴァ神が描かれているという。7千数百年前に農耕文化がヒマラヤを源流とするインダス川上流部に突然出現。ハラッパーやモヘンジョダロのようないくつかの都市国家も突然出現している。

 

陸上じゃなく海底にこそ、その故郷はあるんだと力説するのですが、いかんせん海中調査は莫大な予算が必要となります。アカデミーは全く非協力。民間人の一個人ではギブアップです。

最終氷期から現在までの2万年間に海面が130mも上昇していますからハッキリ言って無謀な挑戦としか思えません。沈没船を探すトレジャーハンターなら一攫千金の夢がありますが、海底に石段や城壁を見つけても大したお金になりません。もっとも、地元の漁師が言うには魚の棲みかとなっていて日々の恵みを与えてくれる神々の住まいなんだとか。

 

縄文海進の最盛期の海岸線沿いに貝塚が多数出土しています。

この世界規模の海進の時代に、シヴァ神を信仰する古代インド人は日本列島に渡来していたんだろうか?シャクジンは石の神で男性器をイメージするシヴァ神と重なります。


シヴァ

日本人は兄弟だよ。


日本語はどこから来たんだろう?

古代ドラヴィダ語を研究した文学博士の故大野晋先生は、インド南方やスリランカで用いられるタミル語に行き着いたのでした。語彙・文法などで共通点が多いんだという。現在日本語の中に1000以上の単語が残っているともいう。あ・い・う・え・おの五母音も同じ。

シュメール人が日本に渡来したことを実証するため古代船で中東を出港し、はるばる日本まで到達した岩田先生。

岩田明

シュメール人は日本に渡来したのか?

その海路の3分の2で済む計算ですから古代インド人が縄文人と邂逅したのは大いにあり得ます。

「どっから来たの?」「ウン。インドから。」「今度オレ遊びに行っていい?」「ウン。いいよ。」

この下地があるからこそヒンドゥー教の一派である仏教が6世紀の日本人にすんなり受け入れられたのです。シャクジンがシヴァであれば、インドの水の神ナーガが日本の水の神イチキシマビメと合体するのは必然。

 
江の島弁財天

江の島に祀られる弁財天



お家芸の合体は日本のアニメとなり、今や世界中の子供たちに影響を与えているのだから大したものです。アニメの聖地に詣でるため世界中から日本列島に善男全女が押し寄せてきます。もちろん航路沿いのインド・インドネシア・マレーシア・シンガポール・タイ・ベトナムや台湾からも。

多神教のインドと日本は、無神教の共産中国を敵対国家として『開かれたインド・太平洋のシーレーン防衛』のため手を結びました。今、再度合体中です。

 

大洪水前インドとスリランカは半島でした。その先は深いインド洋です。

この海に沈んだインドとスリランカの海底エリアに古代都市はあったのでしょうか?

ハンコックの探索は続きます。70歳過ぎても潜り続けるでしょう。

 

シャクジンを別の角度から説明しているのが戸矢学先生です。

その調査の対象地は諏訪。御柱祭で有名な諏訪湖です。

諏訪湖

諏訪は縄文人の故郷です。



ここに縄文の神『ミシャグチ神』が祀られています。寅と申の年に御柱祭が行なわれます。

四つの宮に4本づつ合計16本の御柱が天空高く立てられます。

祭りの最中に死者はつきもの。諏訪人は死を恐れません。ケガで流される血や死者は神への捧げもの。弥生の稲作では不浄とされるものがこの諏訪では当たり前なのです。


御柱

御柱は1社で4本。合計16本で諏訪湖の祟り神を封印だあ!


御頭祭では75頭の鹿の頭が捧げられたという。江戸時代には子供が生贄として捧げられたともいう。これこそが縄文の世界なのです。

 

ミシャグチとは何者か?

戸矢学先生は言います。ミシャグチのミは御と同じ。シャグチはヤマト言葉に直せばサクチ。

音読みの石神(セキジン)は漢字が入ってきた頃に置き換えられた新しい言葉だという。

はるかな昔から使われていた言葉『さくち』こそが根源の神の名前なのだという。

意味は『裂く地』。大地震により裂けた土地こそ真の意味で、その恐怖を封印する祭りこそ諏訪の御柱祭だというのです。

大地震を起こし、大地を切り裂き、大洪水で村々を呑み込み鳴動する暴れ神を畏れ鎮めるものこそは御柱とミシャグチ神なのです。

諏訪の地から甲府盆地を抜けて、関東平野にミシャグチ神は広まりシヴァ神と合体したのでした。(そういえば善福寺公園は『裂け地』だったぞ。)

 

帝釈天で産湯に漬かった車寅次郎が大活躍した葛飾シヴァマタはまだまだ海の底の時代の話です。

 

柴又駅

「遊びに来な。」




縄文神社Ⅱに続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

縄文神社~その2~

「社長、いますか?」オンボロ事務所のドアを開け声を掛けました。

「なんだ、林君かい。久し振りだネ。」何か厚みのある本を読んでいます。

「社長、縄文時代の関東は海の底だったんですね。」

 

「いきなりなんだい?車の中でそんなことを考えながらうちの事務所に来たのかネ?」ちょっと呆れたようにソファーを指さします。「マア、掛けなさいヨ。」

 

「この前『縄文神社』という本を読んだんですよ。これはすぐに行かなくっちゃあと思って、3ケ所ばかり神社巡りをして来たんですよ。近場ばっかですけど。」

「どこと、どこと、どこかな?」

「埼玉の大宮神社と、あきる野の二宮神社、それと井草八幡宮です。」


二宮神社

あきる野市二宮神社



「確かに近場ばかりだネェ。収穫はあったのかナ?」

「うーん。神社自体はいつも見慣れているんで特にこれといったものはないんですけど。神社を観る視点が変わりましたよ。」

「どんなところかな?」

「海と山を水源で繋ぐ。その交点に聖地ができる。そこが現在に続く神社仏閣の場所だと。」

「パワースポットの誕生だネ。」

 

「それから縄文時代からの言葉がそのまま現代に生き残っていることですね。」

「ふーん。例えば?」

「大宮神社は氷川神社というんですけど、本を書いた武藤郁子先生が氷川の氷は『氷であり、火であり、光であり、霊(ヒ)である。川はカハ(ワ)であり湧水や泉、池だというんです。聖なる泉の祀られた場所だというんですよ。台地の遠方には古入間湾の先に富士山が見える。絶好の場所だって。それに7千年前の湾岸沿いに神社が並んでるなんて考えたこともなかったからこれはこれでショックだったなあ。」

蛇の池

氷川神社の蛇の池


「飲み水のあるところに動物が集まるのは必然だ。数百人単位の集団が生活できるだけの水が確保されればその場所は大切にされるはずだ。あきる野の二宮神社にも池があったよネ。」

ンお宮神社池

二宮神社の透明度の高い池。錦鯉が泳いでいます。



二宮神社は多摩川本流と支流の平井川、秋川に面する秋留台の台地上突端に鎮座しています。

 

「そうなんです。二宮神社境内や周辺にも縄文の遺跡が数多く出土してるんですよ。境内には考古館もあるし。地名も小川で、これが結構な水量なんです。おまけにここには縄文の神様のアラハバキが祀られているんですよ。見のがしちゃうようなところに。氷川神社とおんなじやつ。」

アラハバキ

大宮氷川神社のアラハバキを祀る門客人神社


二宮神社アラハバキ

あきる野市二宮神社境内アラハバキを祀る神社



「言葉と、古い神様と、縄文海進の沿岸沿いかあ。井草八幡宮はどうだったの?沿岸沿いじゃあないけど。」井草八幡宮は海抜52mにあります。

「ここは善福寺川の源流の池があるんですよ。地形はハケだし。縄文の遺跡も出土してて、何より近くに石神井があるのが縄文の言葉なんです。」

善福寺公園

井草八幡宮から徒歩10分の善福寺公園


「石神井は石の神だよネ。」石神井駅は善福寺公園から徒歩で30分ほどの近距離にあります。

「カタカナで書くとわかりやすいですよ。シャクジの井戸。石の神の泉って意味であきる野の二宮神社に石棒が立ったまま出土したそうですよ。その名前がシャクジン。池のほとりには社宮社という祠があって『おしゃもじ様』と呼ばれてるそうです。」

「ふーん。『シャクジ』の言葉がおんなじなんだ。林君、閃いたヨ!諏訪湖のミシャグチ神とよく似てるじゃないか。漢字は古くからある日本のヤマト言葉に当てはめたものだからシャクジに石を当てたんだ。『いし』か『イワ』を祀る風習が縄文の昔から続いていたんだろうネ。」

 
石棒

出土した4本の石棒


4本の石棒が立っていたと想像すると、いやでも諏訪の御柱祭が目に浮かんできます。

石の柱はイギリスのストーンヘンジが有名で世界中に多数の遺跡があります。もちろん日本にも。日本では木の柱のストーンヘンジも見つかっています。

4は縄文の暦を決定する冬至・夏至・春分・秋分に不可欠な数字です。

 
三内丸山遺跡

三内丸山遺跡 歴史学者は縄文が大嫌いです。第二次世界大戦勝者、欧米のキリスト教歴史観を踏襲しているからです。


三内丸山遺跡でも明らかなように縄文人はクリを育て、ウルシを栽培し、ひえやアワの穀類を貯蔵して大人数の里人を養っていました。三内丸山では常時500人以上が暮らしていたんだとか。ストーンサークルは方位を示し時間を支配しました。当然祭祀を司る指導者がいたはず。祭祀と政治は一体です。

原始共産主義の平等社会は理想ですが、それだけではきびしい大自然に打ち勝つことはできません。

超強力な指導者(祭祀者)の下にチームは結成され生き延びてゆくのです。サルの社会を観察すれば一目瞭然。強いボス猿が食い物とメスを支配し一族をまとめていくのです。

 

5900年前に始まった三内丸山遺跡のずっと以前7000年前の海岸沿いに祭祀を行った聖地が関東地方の各地に現存しているという事実。素朴な祭祀場は祠となり、仏教伝来とともに神仏習合で神社仏閣が建立されました。記紀神話以降、縄文の神は片隅に追いやられ、主祭神は記紀神話の神に変わりましたが日本人の心は縄文の昔以来何ら変わっていません。

 
スサノヲ石像

記紀神話のはるか昔は縄文の世界です。


それは自然を畏怖する心です。自然に感謝して自然を拝む。自然のすべてに神は宿る。何時かは自分もこの世での役目を終えて自然に還っていくのです。早いか遅いかの違いだけ。あれほど荒れ狂った大洪水の後には、何千年か過ぎれば豊かな実りを約束する大地となるのですから。自然は大きな周期で回転しているのです。

歳差運動の172年×360度=25920年が頭に浮かんできました。

 

「林君、最終氷河期の三度の大洪水から逃れて生き残った人間が世界中に散らばって新たな文明を起こして繁栄してきた。いまや地球の人口は202211月で80億人だ。ついでに言えば日本の人口は国別で11位だそうだヨ。」

水くみ

世界人口80憶人の最大の問題は『水』です。


「旧約聖書を信じれば、ノアの箱舟で生き残った8人が、今や80億人ということですね。」

 

「ウン。私はキリスト教徒じゃないからそんなことは信じちゃいないが、最終氷期に海抜が130メートルも低かったエリアに住んでいた人々は一体どこへ行っちゃったんだろうネ。何%かは生き延びたはずだ。世界各地へと、高度な知識をもって拡散していった。一部は氷河の回廊を伝ってアメリカ大陸へと渡った。その文明の拡散の答えを探し求めている人物がグラハム・ハンコックだ。」

 
グラハム・ハンコック

グラハム・ハンコック


グラハム・ハンコック!懐かしい名前です。

今も彼は最終氷期の海岸線を復元して失われた大陸を探し求めている。奥さんと一緒にスキューバダイビングの免許を取得して海底遺跡を探す旅を続けているそうだ。」

グラハム・ハンコック!

1996年『神々の指紋』が発刊され、全世界で600万部が売れたイギリスのノンフィクション作家です。

 

縄文神社~その3~に続く

 

 

縄文神社~その1~

縄文から続く神社があるという。

それもこの関東地方にいくらでもあるんだとか。京都だとか、中国・四国だとか、はたまた九州だとかの遠隔地に、はるばる出かけなくてもいいんだそうな。

自分の住んでる青梅から車や電車で半日もあれば行ける距離だという。

 

えー?そんなに近いの?これは聞き捨てにできません。

 

はるかな昔、最終氷期の時代、地球の温暖化が進んだ最盛期の頃、氷河が何回も溶けて海面が急激に上昇しました。

その上昇は大きく3回に分けられます。

1回目は今から約15000年前。第2回目は11500年前。そして第3回目が8200年前の寒の戻しが終了した7000年前のことです。縄文の草創期・前期・中期に当たります。

 

この温暖化による海面上昇で日本列島も海の底に沈んだ場所が数多くありました。今から7000年も昔の海岸線を復元した日本列島の地形図が有ります。その地形図を頼りに当時の海岸線を俯瞰してみると、なんと海岸線沿いに神社が並んでいるじゃあありませんか!

 
縄文海進関東地方

7000年前の関東


千葉県佐原市香取に鎮座する下総国一宮『香取神宮』と茨城県鹿島市宮中に鎮座する常陸国一宮『鹿島神宮』の間は海となっています。その距離は三浦半島と房総半島の距離ほどもあり両神宮は対岸の南北で向かい合っているのです。そして武蔵一宮スサノヲを祀る、埼玉県さいたま市大宮区に鎮座する『氷川神社』は、古入間湾と奥東京湾に突出した半島の中央部分となっています。半島の先端から順番に氷川女體神社、中山神社、そして氷川神社と並んでいます。さらに北上すると、奥東京湾左岸に鷲宮神社があります。関東最古の神社だという。



縄文海進②

現在の鉄道網 立川と大宮は以外近いのです。



ひえー!神社の回りは海だったんだあ。大宮駅と氷川神社の間に位置するのは高鼻町で文字通り半島の突端部分のことです。7000年も前からタカハナと名付けられていたんだ。

 

十月の初旬の休日、穏やかな秋晴れのなか青梅線に乗って中央線の西国分寺で武蔵野線に乗りかえ。南浦和に向かいました。7000年前の海岸線で見ると武蔵浦和駅はなんと海の底です。南浦和も海の底。

京浜東北線に乗りかえ浦和に到着。浦和からやっと7000年前の陸上となるのですから想像してみろと言われても、とてもできません。

氷川女体神社

石段を登り鳥居をくぐると本殿が見えてきました。


氷川女體神社は見沼氷川公園の北側に隣接。大宮台地に鎮座しています。主祭神はクシイナダヒメノミコト。スサノヲの正妻です。見沼は7000年前海だった名残だとか。

この境内や周辺には縄文時代の遺跡が数多く発見されているそうな。

 
縄文海進貝塚

海岸沿いの貝塚遺跡分布図


京浜東北線の終点大宮に到着。ここから氷川神社の参道に直接向かわずショートカットで高鼻町を目指します。

高鼻町は大宮台地にあり海を見下ろしていたとか。ずーっと平坦な住宅街でかって周囲が海だった面影は全くありません。名前だけが残ったんだなあ。

住宅街を抜けて、途中から道幅のとても広い参道に割り込みます。ほどなくして氷川神社の案内看板が掲示されている場所に到着。由緒には今から2千有余年前第五代考詔天皇の御代に創立したと伝えられているとのこと。

 
氷川神社案内図

案内図



明治天皇が東京遷都と共に行幸したことで有名。主祭神スサノヲは天皇家とどれほど深い関係にあるのかこれまた謎です。

ともかく7000年前からこの地は、縄文人の祭祀が行われた聖なる場所だったのです。

中山神社(中氷川神社)と氷川女體神社と氷川神社の三社一体で武蔵国一宮を形成していたんだそうです。中山神社にはスサノヲとクシナダヒメの皇子神が祀られています。

 

広い境内を散策。もちろん本殿に拝礼してから縄文神社の根源である蛇の池に向かいます。

7千年も8千年も続く聖地の条件は高台にあること。湧泉が有ること。遥拝又は登拝できる山があること。森や林が有ること。枯れることのない水量豊かな源泉がないと人は生活できません。

水に感謝し、水辺で暮らし、舟で移動し、海に出る。そして移動の目印である山に感謝するのです。

 

氷川神社

武蔵国一宮氷川神社



大洪水に翻弄され逃げのびた縄文人は、これ以上水害の及ばない高台に集まり再び日常生活を再開することができるようになりました。

東日本大震災の映像を見た全日本人は水の恐怖を容易に想像することができるようになりました。たったの一日で跡形もなくすべてを奪ってしまう水の恐怖を。

水は畏怖する最大の対象であり、生命を維持するのに欠かせない最大の恵みの糧なのです。

縄文人は津波で亡くなった多くの仲間を祈り鎮魂したのかも。それがこの台地なんだ。

さしもの大洪水も終焉を迎え、徐々に徐々に海は後退し平野と大湿原が出現したのでした。

その期間ザっと7000年!

4200年前の寒冷による海退・3200年前の寒冷による2度めの海退で取り残された海が広大な見沼となりましたが、江戸時代に干拓され田圃になったと記録にあります。見沼公園はその名残であり、地名として残っているのだそうです。

 

見沼

干拓前の見沼



地球温暖化で再びこの地が海となってもこの縄文神社は水に漬かる恐れはありません。

ここは神に護られた聖地なのです。

蛇の池から注ぎ込む神池に浮かぶのは宗像神社。言わずと知れたスサノヲとアマテラスのウケイで生まれた宗像三姉妹です。水を司る神でその一柱であるイチキシマヒメノミコトは6世紀にインドの神と神仏習合して蛇体となりました。沖ノ島(日本海)・厳島(瀬戸内海)・江ノ島(太平洋)と航海の要衝を護っています。

 

7000年前も、2000年前も、1500年前も、現在も、日本人は海と共にあるのです。

海の民は地球温暖化で海面が上昇しても生き延びる術を知っているからすごい!

 

中山神社の低地を流れる芝川の流域には縄文時代の丸木舟が出土した遺跡もあるそうです。海を畏れ、海の幸に感謝し、山を遥拝し方位と季節を知り、日々を祈りと共に暮らしていたんだろうなあ。


中山神社

中山神社



氷川神社の神池は、見沼の名残だそうですからここまで海が迫っていたんだ。

日本各地には謎の縄文の神『アラハバキ』が祀られている神社があるそうですが、この氷川神社の一角にも門客人神社があります。そこにアラハバキの神が鎮座しています。これぞ縄文神社!7000年も前から縄文人による祭祀が行われていた証拠です。

 

氷川神社の氷とは『ヒ』➡『氷・火・光・霊』のことであり、『カハ(ワ)』➡『泉・池・ハケ』であり要約すると霊泉のこと。ヒカワはズバリ湧水『蛇の池』のことだそうです。

7000年も枯れることのない台地上の湧水こそ縄文神社の根源なのです。

 

縄文神社~その2~に続く

 

 




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