2007年01月12日
『武士の一分』
タイガー・ウッズ以外の有名人男性を滅多に賞賛しない私の祖母、「木村拓哉があんなに演技が上手いとは知らなかった。お前も観た方がいいよ」と。
以下、DVDが発売されるまでこの映画がどんなものだったのか、私自身が忘れないように書きとめたいので、ちょっと長いかも。
興味ある人だけお読みください。
以下、DVDが発売されるまでこの映画がどんなものだったのか、私自身が忘れないように書きとめたいので、ちょっと長いかも。
興味ある人だけお読みください。
まず、タイトルにもなっている「武士の一分(いちぶん)」を主人公が初めて口にするシーンに、「言葉が重さを持つことを、虚構の物語で表現することって可能なのか……」と驚き。
タイトルのつけ方、それひとつとっても絶妙。
ストーリー展開、映像展開も抜群で、冒頭の毒見シーンから始まる緊張感が途切れない。
だからといって観る者を疲れさせない。シリアスなシーンとコミカルなシーンを交互させるとか、そういったテクニックを使わず。
私が知らない時代なのに、映画の中の住人になったような錯覚を。主人宅の間取りまで把握させてしまうようなカメラワークに、その家に自分がいるかのような臨場感。
というのは、その時代の生活描写に説得力あるから。
当時のアイロン(!)といった小道具や、
下駄(?)を脱いで足袋の裏を雑巾で拭いて家にあがる習慣など、
他の時代劇でさえあまり見なかった細かい描写がたくさん。
蛙の鳴声と青臭い梅雨時の香り、
蛍の時節における夕暮れの風、
じっとしていても汗が吹き出る真夏の暑さと湿気、
蚊に刺された痒み、
観る者に「自分の肌で感じている」と錯覚させるような演出に、「やっぱ、視覚のみに独立して訴えるCGや、聴覚のみに独立して訴える音響効果だけじゃ、いい映画にならないんだな」と再認識。
尺八や琵琶(?)などを使った音楽は、画面展開と一瞬のズレもなく、やはり観客の視覚と聴覚を連動させる。
視覚や聴覚といったわかりやすい感覚のほかにも、人間には皮膚感覚や第六感があることも高いレベルで表現。
それが、ストーリー展開やクライマックスの殺陣において、とてつもない説得力を。
「盲人だからといって侮り召さるな」
主人公の言葉の意味を、本当の意味で敵は理解できなかった。石ころに蹴躓き、聴覚で位置を悟られた小さなミスにとらわれすぎた。
だからこそ、主人公にかけるフェイントは、聴覚に訴えるものだけで十分だと侮った。
「盲人だからといって侮り召さるな」。裏をかえせば、「盲人だからこそ、晴眼者にはない優れた第六感が備わっていると知れ」という意味にも解釈可能。
他にも、「共に死するをもって信となし、必死をもって生きるとする」といった精神論も、果し合いがあのような結果に終わることにリアリティーをもたらす(あくまでも、「映画としてのリアリティー」)。
「主人公が言葉と眼力で、妻に三行半を突きつけたのは、妻への怒りゆえではなかったのでは?
潜在意識下では、自分を追い込み、生への執着を断つための手段だったのでは?」
とも解釈可能なほど、奥が深そうな精神論。
以上、脚本によって生じた殺陣のリアリティーも、役者の演技が脚本のレベルに追いついていなければ、私は気づけなかったかも。
木村拓哉の太刀の動き、身体の動きから、敵の太刀の重さを身体で感じていることが伝わってくる。
振り付けではなく、本当に戦っているかのような緊迫感。
自分と敵の切っ先が離れてしまい位置関係を見失ったときでも、敵がうかつに攻撃できなかったことに説得力あり。
背にした馬小屋との位置関係から敵の思考を推測し、それに合わせ上段、あるいは八相の構え(?)へと変化させ、敵の打ち気を牽制している。
木村拓哉、もしかしたら、普段から殺陣の稽古をつんでるのか?
殺陣だけでなく、刀の扱いが上手い。
「早く隠居して子供たちに剣術を教えたい」と妻に語りながら刀を磨き、鞘におさめる動き、免許皆伝された人物として説得力あり。さり気ない動きが自然で滑らか。
殺陣以外の演技も予想以上。
人間にとって、眼とは何であるかを教えてくれる。
物の造形を把握する受動的な感覚器官としてはもちろん、
感情を相手に伝える能動的な発信媒体としても有効であると、
眼光の強弱、涙、視線の向きや瞬きで表現。
脇役の演技も絶妙。
主演俳優の演技がイマイチな作品ですら芸達者ぶりを隠せず、時には作品から浮いてしまいがちな桃井かおり、この作品には溶け込んでいる。
数年前、「日本映画が勢いを取りもどしつつある」と思った私ですが、
昨年ごろから、
「対象を若年層に絞りすぎているせいか、同じような映画が量産されつつある。このままだと、すぐに飽きられてしまうかも」
と心配に。
しかし、タイガー・ウッズにしか興味を示さない私の祖母をも虜にする作品、新年早々鑑賞でき、「2007年の日本映画、期待できるかも」と嬉しくなっちゃったりなんかしました。
タイトルのつけ方、それひとつとっても絶妙。
ストーリー展開、映像展開も抜群で、冒頭の毒見シーンから始まる緊張感が途切れない。
だからといって観る者を疲れさせない。シリアスなシーンとコミカルなシーンを交互させるとか、そういったテクニックを使わず。
私が知らない時代なのに、映画の中の住人になったような錯覚を。主人宅の間取りまで把握させてしまうようなカメラワークに、その家に自分がいるかのような臨場感。
というのは、その時代の生活描写に説得力あるから。
当時のアイロン(!)といった小道具や、
下駄(?)を脱いで足袋の裏を雑巾で拭いて家にあがる習慣など、
他の時代劇でさえあまり見なかった細かい描写がたくさん。
蛙の鳴声と青臭い梅雨時の香り、
蛍の時節における夕暮れの風、
じっとしていても汗が吹き出る真夏の暑さと湿気、
蚊に刺された痒み、
観る者に「自分の肌で感じている」と錯覚させるような演出に、「やっぱ、視覚のみに独立して訴えるCGや、聴覚のみに独立して訴える音響効果だけじゃ、いい映画にならないんだな」と再認識。
尺八や琵琶(?)などを使った音楽は、画面展開と一瞬のズレもなく、やはり観客の視覚と聴覚を連動させる。
視覚や聴覚といったわかりやすい感覚のほかにも、人間には皮膚感覚や第六感があることも高いレベルで表現。
それが、ストーリー展開やクライマックスの殺陣において、とてつもない説得力を。
「盲人だからといって侮り召さるな」
主人公の言葉の意味を、本当の意味で敵は理解できなかった。石ころに蹴躓き、聴覚で位置を悟られた小さなミスにとらわれすぎた。
だからこそ、主人公にかけるフェイントは、聴覚に訴えるものだけで十分だと侮った。
「盲人だからといって侮り召さるな」。裏をかえせば、「盲人だからこそ、晴眼者にはない優れた第六感が備わっていると知れ」という意味にも解釈可能。
他にも、「共に死するをもって信となし、必死をもって生きるとする」といった精神論も、果し合いがあのような結果に終わることにリアリティーをもたらす(あくまでも、「映画としてのリアリティー」)。
「主人公が言葉と眼力で、妻に三行半を突きつけたのは、妻への怒りゆえではなかったのでは?
潜在意識下では、自分を追い込み、生への執着を断つための手段だったのでは?」
とも解釈可能なほど、奥が深そうな精神論。
以上、脚本によって生じた殺陣のリアリティーも、役者の演技が脚本のレベルに追いついていなければ、私は気づけなかったかも。
木村拓哉の太刀の動き、身体の動きから、敵の太刀の重さを身体で感じていることが伝わってくる。
振り付けではなく、本当に戦っているかのような緊迫感。
自分と敵の切っ先が離れてしまい位置関係を見失ったときでも、敵がうかつに攻撃できなかったことに説得力あり。
背にした馬小屋との位置関係から敵の思考を推測し、それに合わせ上段、あるいは八相の構え(?)へと変化させ、敵の打ち気を牽制している。
木村拓哉、もしかしたら、普段から殺陣の稽古をつんでるのか?
殺陣だけでなく、刀の扱いが上手い。
「早く隠居して子供たちに剣術を教えたい」と妻に語りながら刀を磨き、鞘におさめる動き、免許皆伝された人物として説得力あり。さり気ない動きが自然で滑らか。
殺陣以外の演技も予想以上。
人間にとって、眼とは何であるかを教えてくれる。
物の造形を把握する受動的な感覚器官としてはもちろん、
感情を相手に伝える能動的な発信媒体としても有効であると、
眼光の強弱、涙、視線の向きや瞬きで表現。
脇役の演技も絶妙。
主演俳優の演技がイマイチな作品ですら芸達者ぶりを隠せず、時には作品から浮いてしまいがちな桃井かおり、この作品には溶け込んでいる。
数年前、「日本映画が勢いを取りもどしつつある」と思った私ですが、
昨年ごろから、
「対象を若年層に絞りすぎているせいか、同じような映画が量産されつつある。このままだと、すぐに飽きられてしまうかも」
と心配に。
しかし、タイガー・ウッズにしか興味を示さない私の祖母をも虜にする作品、新年早々鑑賞でき、「2007年の日本映画、期待できるかも」と嬉しくなっちゃったりなんかしました。
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トラックバック一覧
1. 武士の一分 [ 活動写真評論家人生 ] 2007年01月23日 02:37
動物園前シネフェスタ これほど前宣伝した山田洋次監督作品があったろうか。「男はつらいよ」のおか
2. 武士の一分 [ ケントのたそがれ劇場 ] 2007年01月23日 13:08
★★★★ ご存知、山田洋次監督の藤沢周平シリーズ第3作であり、シリーズの最終作品となるようだ。主演にキムタクを起用したので、果してきちっと時代劇になるのか、少し心配であった。 ところが、意外と言っては失札だが、木村拓哉はりっぱな仕事をするではないか。あの
3. 武士の一分(06・日) [ no movie no life ] 2007年01月24日 00:01
「譲らない心。譲れない愛。
人には、命をかけても守らねばならない一分がある。」
思い描いた人生が崩れ、信じていたものにも裏切られる。そんなとき、人は何を思い、どう動くのか。
海坂藩主の毒見役により失明した三村新之丞(木村拓哉)を、見えないことへの苛立...
4. ★「武士の一分(いちぶん)」 [ ひらりん的映画ブログ ] 2007年01月24日 00:33
SMAPのキムタク主演の時代劇。
彼のファンの人は、「キムタク」とは呼ばないそうですが、
良い意味のあだ名なので、敢えて。
結構スマップ好きなひらりんなんですっ。
5. 「武士の一分」映画館レビュー 一分への距離 [ 長江将史〜てれすどん2号 まだ見ぬ未来へ ] 2007年01月30日 03:22
山田洋次監督は、今もなお進化し続ける巨匠。僕が武士の一分を語れるには、あと何年かかるだろう。
コメント一覧
1. Posted by みうちゃん 2007年01月11日 20:29
ブログの調子が絶不調で、なかなか訪問できなくてごめんなさい。
『武士の一分』前から凄く気になってましたぁ♪
見に行ってみようっと

RYUYA 様がハッピーで充実した1日になりますように〜〜♪
♪(人-ω-)。o.゜。*・★
2. Posted by RYUYA 2007年01月13日 04:40
『武士の一分』、かなりいい映画でした!
クライマックス、木村拓哉が見せるアクションシーン、ワイヤーアクションやCGでは出せない、本物の迫力と説得力です!
お勧めですよ!
今日もみうちゃんさんにとって、ハッピーで充実した一日になりますように!
3. Posted by シルクウィザード 2007年01月13日 09:04
4. Posted by RYUYA 2007年01月15日 04:55
すぐに返事できずごめんなさい・・・
NANA2、私は楽しめました。ただ、原作ファンの知人は「原作と違う!」と、1のファンの知人は「主要キャストが前回と違う!」と怒ってました。
私は大して気にならなかったのですが、気にする人にとっては大問題のようです。
スフィアリーグの公式サイトを見たところ、次の予定はUPされてないようですね・・・
恋サルで告知あるでしょうか?
夜はかなり寒いので、シルクウィザードさんもお馬さんたちも、風邪をひかないように気をつけてくださいね!
5. Posted by 冨田弘嗣 2007年01月23日 02:43
トラックバック、ありがとうございました。私は出演者よりも脚本、監督で観る傾向にあり、どうしても山田洋次作品として観てしまったので、らしからぬ監督振りにひどく寂しさを覚えました。山田洋次監督は現代劇の人なんだとあらためて思った次第。しかし、評論を読ませていただくと、私の気づかなかった細かなカットが丁寧に文章化されていて、私は深く観ていないことに気づきました。3度読み、読み終えて、私は自分を恥じています。いろいろ考えさせられます。読ませていただき、本当にありがとうございました。 冨田弘嗣
6. Posted by RYUYA 2007年01月25日 05:06
私も脚本と演出で映画を観るタイプで、一部の俳優を除き出演者にはそれほど注意を払いません。
ただ、『武士の一分』を観て思ったのは、「殺陣が素晴らしい木村拓哉、今まで恋愛テレビドラマを中心に演技してきたことが残念」ということです。
たとえば韓国映画や韓国ドラマ、恋愛物が取りざたされることが多いですが、ぺ・ヨンジュンやイ・ビョンホン、上段後ろ廻し蹴りを美しいフォームで披露します(それも恋愛ドラマの中で)。
私としては、日本映画でもそういったアクションシーンをもっと観たいと思っていた矢先、木村拓哉が素晴らしい殺陣を見せてくれただけで嬉しくなりました。
冨田さまのコメントへのレスとして適切ではないかもしれませんが、いつか冨田さまが、素晴らしいアクション映画を撮ってくださったら嬉しいです。
アクション向けのお勧めの女優さんとして、松原渓さんという方が。
興味がありましたら、彼女のブログを覗いてみてください。
http://blog.livedoor.jp/matsubara_kei/