年長隊富士野営 このシリーズも14回目にして遂に「年長隊富士野営」が紹介されることとなりました。野口さんご自身の解説をご覧下さい。


 これはかの有名な年長隊富士野営の参加章ワッペンです。今の若い指導者の方は年長隊富士野営と聞いても[それは何んの大会?]と不思議がる方は大勢いると思います。年長隊富士野営は1級章以上の高校生年代のスカウトを対象に(今のベンチャースカウトは昭和の49年頃までは年長スカウトと呼ばれていて各進級章はボーイ隊のスカウトと共通の初級章、2級章、1級章、菊章、年長隊の課程のみにある《隼章、富士章》でした)スカウト運動のメッカである日本連盟山中野営場で5泊6日(実際の訓練は丸4日)の日程により実施された訓練です。
 この大会には全国各都道府県連盟(昭和47年に本土に復帰される前の沖縄のスカウト達もアメリカ連盟の制服を着て参加)のスカウト達が参加しました。主要スタッフには全員がすでに故人になられましたが現在の日本連盟の礎を築かれた「三島通陽」「古田誠一郎」「中村知」「尾崎忠次」「松平頼明」「関忠志」「井上茂」「山口季次郎」「小野平八郎」「山口勝治」「八木清」「吉川哲雄」「小林運美」などの方々がおられ開会式や閉会式、朝礼等において、私達の参加スカウト達に感銘を与えるお話をしてくれました。
 富士野営大会は全部で10回行われましたので記述します。

最初は昭和30年に「1級スカウト富士特別訓練」として開催されました。途中、日本ジャンボリーが開催された年には行われませんでしたが下記の年に開催されました。
2回目は昭和33年に名称を「年長スカウト富士野営」として開催されました。
昭和35年の3回目からは名称を「年長隊富士野営」として開催されました。
4回目は昭和36年に開催されました。
5回目は昭和38年に開催されました。
6回目は昭和39年に開催されました。
7回目は昭和40年に開催されました。
8回目は昭和42年に開催されました。
9回目は昭和43年に前期と後期にわけて開催されました。
10回目は昭和44年に前期と後期にわけて開催されました。この大会には毎回全国から1000名以上の優秀な1級スカウト以上の年長スカウトが参加し「駿河地区」「甲斐地区」「相模地区」などのサブキャンプに配属され山中湖を一周して忍野八海を巡る「一泊ハイキング」ピラミッド塔を作る「パイオニアリング」隊全員でイカダを作り山中湖に漕ぎだした「イカダ訓練」参加者が全員で集う「大営火」山中野営場の整備奉仕活動他が行われました。

 こんにちの山中野営場の整備には参加人数が延べ1万人以上の年長スカウトの汗によって完成されているのです。
 茨城県からも各大会には県内の沢山の年長スカウトが参加し全国の精鋭達と友情を深めました。この大会に引率された隊長としては下記の方々が参加しています(複数回参加の方もおります。川又光男氏(現茨城県連盟副連盟長)、染谷一夫氏(現第7地区地区副委員長)吉田孝俊氏(故人、元茨城県連盟理事長)、相馬順敬氏(故人、元茨城県連盟名誉会議議員)、他にも数多くの各団指導者の方々が茨城県連盟の年長スカウトと共にこの大会に参加され各スカウトの教導隊長として全国からの参加スカウトをまとめ時には、参加スカウト達を叱咤激励しその責任者としての重責を十二分にはたしました。


いつもながら凄い知識です。考えてみれば、私の世代はスカウト時代大会らしい大会がNJくらいで、一番加盟員数が多かった割にはイベントに欠けていたような気もします。そんな中で、来年度から始まる「富士チャレンジキャンプ」に参加できる現在のベンチャースカウトたちがうらやましくもありますね。