セマンティックウェブ・ダイアリー

小出誠二の個人的な業務日誌

このエッセイは2005年7月に人工知能基本問題研究会において発表された内容のものです.現在の状況と合わない部分があることを,あらかじめお知らせしておきます.図詳細は元論文を参照願いたい.

宇宙とAI

1.はじめに

 宇宙に進出したいという人類の夢と,人間に匹敵する知能を創造したいという夢は,何故かよく似ている.いずれもその最初の技術は第2次大戦において生まれ(フォン・ブラウンのV2は1942年,コロッサスは1943年),その後両技術は劇的な進歩を遂げるが(1969年人類月に立つ,1970年IBM-370発表),その夢の実現ははるか将来にある.いずれの技術も人類史における影響の大きさと重要性を否定する人はいないであろうが,アポロ計画(1963-1972)や第5世代コンピュータ(1982-1992)のように,両方とも国家的威信をかけた大規模なプロジェクトが実施され,それに対する様々な評価があって,未だ夢に至る道筋さえ見えていないのにもかかわらず,現時点において過去の巨大プロジェクトの成果を継承してそれを超えるプロジェクトがないというところまでそっくりである.その最大の原因は,一つには国家の力が衰弱してきて,かつてのような巨大プロジェクトを実行する余裕がないこと,もう一つには民間から見れば,投資に見合ったゲインが見えてこないという現状にあるのではなかろうか.国家的大規模プロジェクトは10年を超えて発展継続することはないというのが,現在の経験則であろうが,もう一方では,民間だけではビジネスモデルを描けるに至っていないということも事実のように思われる.

 一方,現在社会インフラとなっているGPSや通信衛星は軍事がらみではあるが宇宙技術に対する開発投資から得られたものであるし,ワークステーションやインターネット技術も人工知能技術の副産物として生まれたものであることもよく知られている.IT(人工知能)分野においても宇宙科学技術分野においても,社会的価値のある副産物の創造も見据えた国家的戦略が今両方に必要ではなかろうか. 本稿では極めて個人的な私見から宇宙と人工知能の関係について考察し,過去・現在と両者に係わり,将来も係わり続けるであろう立場から,我々がこれから進むべき方向を探って見たい.

2.宇宙のためのAI
2.1  宇宙用AIとは?

 結論から先に言うと,当然のことながら宇宙用のAIというものはない.しかしAI応用の場としての宇宙にはそれなりの特殊性があり,AIの必要性と応用の仕方にも特殊性がある.ここではそれをオンボードAIとオングラウンドAI,自律型AIと支援型AI,という軸で考える.宇宙用AIの特徴は,応用の場が地球から離れるほど利用可能なリソースは制限されるが,自律性は益々要求されるということである.

2.2  自律型AI
2.2.1  宇宙用ロボット技術の研究(NASDA)
 宇宙ロボットは以下のように定義されている[1].

(1) 第1世代:スペースシャトルに現在使われているような近接遠隔操作型マニピュレータ
(2) 第2世代:技術試験衛星VIIに搭載されたような地上から操作する部分自律遠隔操作型ロボット
(3) 第3世代:ソジャーナのような惑星探査あるいは深宇宙探査のための完全自律型ロボット

 宇宙開発事業団は1990年頃,宇宙関係民間8社を指導して技術試験衛星VII搭載の遠隔操作型ロボット開発を実施した.各社の成果は筑波宇宙センターに設置された宇宙ロボットテストベッドにて確認されたのち,実際にETS-VIIにて各種の実験が行われた[2].

 我々はこのプロジェクトに参加し,部分自律から完全自律へと地上から宇宙への移行を円滑に行うことができる,階層型部分自律制御アーキテクチュアを提案し,実際にORU交換を例題に,部分自律型宇宙ロボットのプロトタイプを開発した[3].

 この知的制御アーキテクチュア(図1,省略)では,システムは状況依存タスクスケジューリング層, マクロタスク実行制御層, ミクロタスク実行制御層, 知的アクチュエータ制御層に分割され,状況依存タスクスケジューリング層ではミッションとリソースを考慮したタスクスケジューリングが行われ,そこで生成されたマクロタスク実行シーケンスがマクロタスク実行制御層に投入され,マクロタスク実行制御層ではそれを実際にロボットが実行可能なミクロタスクに展開し,さらにミクロタスク実行シーケンスが知的アクチュエータ制御層に投入されて実際にロボットが駆動される.
 ロボットの外部世界モデルとしてCommon Lisp Object System (CLOS)とロボットシミュレータIGRIPが用いられ,ロボットの動作の副作用がすべてこの世界モデルに反映されるのみならず,視覚センサと視覚フィードバック用マーカを用いたセンシングの結果も反映するようにした.ロボットを実際に動かす前にIGRIPを用いたシミュレーションによって動作の正当性がチェックされるため,世界モデルが正しい限りにおいて,ロボットアームが誤った軌道で物を壊したり,到達不可能な点までアームを伸ばして制御不能になったりすることは起こらない.
 この知的アクチュエータ制御層ではBrooksのサブサンプション・アーキテクチュア(SSA)が想定されており,実際にロボットアームの知的制御にSSAを適用し,ピン挿入問題をSSAにより実行した[4].
また,STRIPS風の計画プログラムを開発し,ORU交換を例題にマクロタスク計画問題とミクロタスク計画問題にも取り組み,JEM暴露部のような半開放空間を前提にしたヒューリスティックなグローバルパスプラニングも開発[5]したが,実際に我々の開発成果を生かすことはできなかった.

2.2.2  惑星探査用ローバ
 日本で第2世代宇宙ロボット開発に民間各社が鎬を削っていたころ,米国ではNASAの資金援助で主にカーネギーメロン(CMU)大学とMITが火星探査用移動ロボット開発で競争していた.この両者のロボットは非常に対照的であった.CMUのDante II は全長10ft,全高10ft,重さ1,700 lbsの八本足のロボットであり1994年にはアラスカのSpurr山の火口に下りて科学的調査を行った[6].一方,MITのBrooksは学内に火星の表面を模擬した砂場(sandbox)を設け(15ft×10ft),そこで六本足の昆虫ロボットAttila やGenghisを動かした[7].彼の主張は大きなロボット1台と何台もの小さなロボットの優劣では,後者のほうが失敗する可能性が少ないというものであった.その後の経緯は必ずしもMITの勝利というわけではないが,巨艦大砲主義からsmaller-faster-cheaperの方向に世の中の趨勢は動いていった.
 日本でも第3世代のロボット開発に着手[8]するであろうとの想定のもと(1997年月周回観測衛星,90年代末月面赤道あるいは極付近に月面ローバの計画),我々もApplied AI社(カナダ)を介してIS Robotics社(米国)のサブサンプションロボットを日本で始めて導入したが,日本でも外国でも月面ローバのプロジェクトが立ち上がることはなかった.
 実際に火星に降り立ったロボットはJPLのマーズパスファインダに搭載されたソジャーナであった.そこにサブサンプションはなく,後継のスピリットとオポチュニティにおいてもステレオビジョンやパスプラニングはあるが,サブサンプションはなかった.

2.3  支援型AI

 ここで支援型AIというのは,故障診断やスケジューリングなど,人間が行うタスクを支援するためのAIのことである.

2.3.1  スペースシャトル運用支援システム
 スペースシャトルの運用にはメインフレーム計算機が用いられ,運用者はモノクロの旧式なモニターに表示される生データで状況把握を強いられ,管制官が一人前になるには2,3年間の訓練が必要であった.一方,アポロ時代とスペースシャトル時代の間NASAでは新規採用が手控えられていたため,若手と熟練者の中間層が薄く技術の伝承も問題となっていた.そこでSunのワークステーションを活用した支援システムが従来の運用システムの隣に導入された[9].新旧システムが並置され,運用者は適時両方を活用するという方式は,当時出現したばかりのエキスパートシステムが実社会に普及するための現実的な方法と思われた.

2.3.2  ロケット打上運用支援システム
その後我々は,一般産業用のプラント運転支援システムにおいて,実システム開発や国家プロジェクト参加[10]を行ってきたが,現在文科省の指導のもと,図2(省略)に示すようなIT技術を活用したロケット打上運用支援システムの開発[11]を行っている.ここではロケット打上運用オントロジー開発,不具合診断アルゴリズムの開発,マルチメディアデータ分散データベース検索技術開発,セマンティックウェブサービスによる大規模複雑システム開発など,多くの技術開発が行われているが,本稿では定性推論を用いたプラントモデルに基づく不具合診断技術について述べる.

(1) MFMによる設計意図を表現したプラントモデル
 MFM(Multilevel Flow Modeling)[12,13]はLind によって提唱された工学システムモデル化の手法であり,本来の目的は工業プラントをデザインする上で手段-結果,全体-部分の概念を使用するための基礎体系を与えることにあった.
 MFMモデルでは,システムの目標/サブ目標を達成するためのシステム機能間の関係を手段と帰結の構造により表現し,全体/部分の軸からも表現する。質量・エネルギ・行動・情報の流れ構造を,貯蔵,バランス,移送,湧き出し,シンク,バリヤ,などの基本機能集合を用いて表現し,機能と目標の関係(Achieve関係及びCondition関係)や機能とそれを実現するコンポーネント間の関係(Realize関係)を図式的に表現する.

(2) MFM定性モデルによるプラントの診断
 これまで MFM は,診断,計画,マンマシンインタフェースシステム設計問題に適用されてきた が,五福[14]は先のプロジェクト[10]にて石油精製プラントの定性モデル診断にこれを適用し,今回我々はロケット打上地上設備診断に用いている.
 診断のためのMFM知識には,MFM図(表現例を図3示す,省略)に加えて,異常知識,代表変数知識,操作知識,危険知識が必要である.異常知識,代表変数知識,操作知識はMFM図のコンポーネントの役割を抽象的に表現した機能を,推論によって具体的なコンポーネントの挙動に変換するためのものである.危険知識ではMFM図中のある機能の定性値が実際の世界でどのような危険状態を表現するかの対応を表す.
 異常原因絞込推論では異常が検出されたとき,(1)プラント運転状態と代表変数知識を用いてMFM図中の機能の定性値を計算した結果と,(2)異常知識に書かれている全ての異常原因についてMFM図に従って影響波及を評価した結果を,(3)比較して類似度の高いものを異常原因と判断する.
 危険予測推論では同定された異常原因につき,異常原因部位を出発点としてMFM図を用いて異常の定性状態を波及させ,危険状態を発見する.
 対応操作導出推論では危険状態知識にもとづき,危険状態を正常値に戻すための逆波及推論によりコンポーネントの操作がみつかるまでたどり,見つかった操作を対応操作候補とする.

(3) 異常原因概念と機器異常オントロジー
 MFM診断推論において用いられる各種の知識は,オントロジーとして整理される.制御弁はMFM図中において輸送機能として表される.制御弁閉異常の具体的な異常原因としては弁体閉固着,制御装置閉異常,センサ異常による弁閉異常,アクチュエータ異常による弁閉異常などが考えられるが,それらはMFM図に
 制御弁の具体概念である.抽象異常概念と具体異常概念をまとめた異常原因オントロジーを構築した(図4,省略).また,打上地上設備に関する抽象機器概念と具体機器概念をまとめた機器オントロジーも構築した.
 近い将来,機器オントロジーと異常オントロジーを用いて,ある系統で使われている機器タグリストからその系統における具体的な異常原因の一覧を自動生成することができると考えている.また,モデルベース推論で推定できる異常原因の概念は,異常オントロジーの例で言うと「制御弁輸送機能の低下」という抽象的な概念である.異常原因推定ではその抽象的な概念を出力するのではなく,異常オントロジーを用いて具体的な異常原因を出力する必要がある。

(4) FTA,FMEA の自動生成とモデル検証
 MFM図表現に用いられる機能は簡単なものばかりなので,機能単体は容易に理解可能であるという長所がある.しかし複雑な系統をMFM表現する際,簡単な機能の記号を複雑に組み合わせて表現する必要があり,作成されたMFM図はその複雑さゆえにMFM図になじみが薄い一般のプラント設計者にとって理解することが難しいものとなる.そこでMFM図から一般のプラント設計者に理解容易なFTA図やFMEAシートを出力し,それらの出力をプラント設計者が検証することでMFMモデルの検証を可能とした.
 航空宇宙分野では,設計段階でFTA/FMEAを実施することは必須である.従って設計図から知識工学者がMFMモデル作成を行い,MFMモデルの検証のためにMFMモデルから自動的にFTA/FMEAを生成することは,プラント設計者にとっても価値のあることである.
 FTA/FMEAの解析の基本的性格は,定性的因果関係を追及することにある .この考え方はMFMによる異常発生時の推論方法と非常に類似性が高い.その反面MFM図では情報を抽象的に表現しているため,具体世界へのマッピング情報が必須となる.そこで前節でのべた異常原因オントロジーにより,具体世界のマッピングを行うようにしているが,この異常原因オントロジーを用いてMFM図の抽象的な情報をFTA/FMEA の具体表現に変換することでMFM知識を表現することができる。FTA自動生成の例を図5(省略)に示す。FMEA自動生成の例を図6(省略)に示す.
 自動生成されたFTA/FMEAを用いてMFM知識検証を行った結果,数多くのMFM知識自体の不備を発見することができた.さらにMFM知識のみならず診断対象設備自体の設計不備をも発見することができ,プラント設計者にメリットをもたらすこともできた.

3.自律・自己診断対応型AI

 現在計算機システムにおいて,自己修復型システムの開発普及が進みつつある.宇宙機など将来的には自己修復型の自律ロボットとして,これまでの自律型と支援型の統合が行われるであろう.自律型に近づけば近づくほど,ヒューマンインターフェースの問題は表面上軽減される.たとえばオンラインGUIなどは必要でなくなる.一方,自律ロボットの内部がわからないようでは,ロボットの言うことを信用することはできない.機械を理解可能にするという本質的な部分において,ヒューマンマシンインタフェースへの人工知能技術の貢献はより重要になるであろう.
 人間の持つ概念と機械に埋め込まれた概念を統一することは,機械を理解可能にするという点から重要である.現在オントロジー研究が盛んになりつつあるが,自律機械と人間のコミュニケーションにおいても将来オントロジーの果たす役割は大きいであろう.
 感情的な計算機についても,現在は(1)人間に親しみやすくする,(2)動物の感情研究(認知研究)のために人工感情を開発する,などが行われているが,フレーム問題に陥ることなく,自律機械が自分のリソースの範囲で緊急事態において,抽象的なミッション達成のためにどう行動すべきかという観点からの認知研究があってよい.すなわち人間のための認知研究ではなく,人間の認知メカニズムをてこにした効率的機械実現のための認知研究である.

4.おわりに

 1968年に封切られたキューブリックの2001年宇宙の旅では,2001年に人類は宇宙へ飛び立ち,宇宙船の内部では人工知能のHAL9000(1997に始動)がミッションも含め船内のすべてをコントロールしていることになっていた.我々は過去における未来よりも遅れているという倒錯した現在にいる.1997年に出版されたHAL’s Legacyという本において,その当時の現実と映画で描かれた夢との比較が行われたが,現在の我々はエンタテイメントロボット技術とインターネット検索技術を除いては1997年とほとんど変わらない状況下にいる.しかし,現在のエンタテイメントロボットや癒し系ロボットから,変化する環境の中で自在に動き回り,自律的に与えられたミッションを実行するロボットに至る道はとんでもなく遠いと言わざるを得ない.
 作業用自律ロボットを地上で開発しようとすると,常に人間の作業速度や性能との比較の場に立たされる.結論的に言えば,コスト比較でロボット開発への投資に対してビジネスモデルは到底成り立たない.しかし,宇宙用ロボットでは宇宙という極限環境がロボット開発の実現性を後押しする.宇宙に何を求めるかは様々あり得るが,宇宙用自律ロボットの開発はそれ自体将来の宇宙技術に必須のものであると同時に,それに参加する日本の産業界に対する副次的効果も大きい.第2世代ロボット開発を推進し,かつて計画され頓挫させられた第3世代ロボット開発計画を復活することで,産業界に対しては現在の癒し系ロボットから作業用自律ロボット開発への呼び水となり,宇宙開発に対して日本独自の国際的貢献も可能になるのではなかろうか.

謝辞

 本稿で述べた研究遂行において,多くの方々のお世話になった.宇宙ロボットの開発では,共同研究者であった安藤秀之,鈴木俊太郎,本多史明の各氏に感謝する.支援システム開発では,現在も一緒に研究実施中である島田紀一,御園昇平,川村正則の各氏に感謝する.大阪大学溝口教授と岡山大学五福教授には過去と現在の二つの国家プロジェクトにおいて指導を戴いている.記して感謝する.
 紙幅の都合で感謝すべき方々の名前を列挙つくせないが,株式会社ギャラクシーエクスプレスの永野進社長以下の方々には宇宙とAIに携わる機会を与えて戴いた.この場をかりて感謝の意を表する.

文献
[1] 岩田,宇宙ロボット,日本の科学と技術 特集多様化する宇宙開発,33-267,pp42-48,日本科学技術振興財団,1992.
[2] ロボット学会誌 特集ETS-VIIにおける宇宙ロボット実験,17-8,1999. 
[3] Koide, S., H. Andou, and S. Suzuki, Semi-Autonomous Teleoperation Control System with Layered Architecture, Proc. Int. Conf. Intelligent Robots and Systems (IROS93), pp.1995-2001, IEEE/RSJ, 1993. 
[4] 安藤,本多,小出,第3回ダイナミックスに関するオーディオ・ビジュアルシンポジウム,A7,機械学会,1994.
[5] 鈴木,小出,ロボットシミュレータを用いた宇宙ロボットのパスプラニング,機械学会ロボ・メカ講演会,1993.
[6] http://www.ri.cmu.edu/projects/project_163.html
[7] http://groups.csail.mit.edu/lbr/hannibal/
[8] 月・惑星探査ミッション概念研究成果報告書(その2),宇宙開発事業団筑波宇宙センター,1992.
[9] Muratore, J. F., et al., Space Shuttle Telemetry Monitoring by Expert Systems in Mission Control, Innovative Applications of Artificial Intelligence, pp.3-14, AAAI Press, 1989.
[10] Endo, M., et al., Development of Human-Machine Interface Composed of Virtual Reality and Interface Agent on Process Plant Operation, Int. Conf. Systems, Man, and Cybernetics (SMC’99), pp.V-636-641, IEEE, 1999.
[11] Koide, S., H. Nishio, S. Nagano, Coping with Large-scale Complex Systems by Agents, Semantic Web Services, and Ontology, Proc. Complex Systems, Intelligent and Modern Technology Applications (CSIMTA’04), Cherbourg, France, pp.101-107, 2004. 
[12] Lind, M., Representing Goals and Functions of Complex Systems - An Introduction to Multilevel Flow Modeling; Institute of Automatic Control Systems, Technical University of Denmark, Report No. 90-D-381, 1990.
[13] Lind, M., Modeling Goals and Functions of Complex Industrial Plants, Applied Artificial Intelligence, 8-2, pp. 259-283, 1994.
[14] Gofuku, A., Y. Tanaka, Display of Diagnostic Information from Multiple Viewpoints in an Anomalous Situation of Complex Plants, Int. Conf. Systems, Man, and Cybernetics (SMC’99), pp.V-642-647, IEEE, 1999.

Common Lisp を使って Wikipedia にアクセスするには,cl-mediawiki というライブラリを使う.quicklisp が Common Lisp システムにインストールされていれば,簡単にこれを使うことができる.以下のようにすればよい.
seiji@shinra:~$ sbcl
This is SBCL 1.3.14.debian, an implementation of ANSI Common Lisp.
More information about SBCL is available at .

SBCL is free software, provided as is, with absolutely no warranty.
It is mostly in the public domain; some portions are provided under
BSD-style licenses.  See the CREDITS and COPYING files in the
distribution for more information.
CL-USER(1): (ql:quickload "cl-mediawiki")
To load "cl-mediawiki":
  Load 1 ASDF system:
    cl-mediawiki
; Loading "cl-mediawiki"
;;; Checking for wide character support... WARNING: Lisp implementation doesn't use UTF-16, but accepts surrogate code points.
 yes, using code points.
.
;;; Checking for wide character support... WARNING: Lisp implementation doesn't use UTF-16, but accepts surrogate code points.
 yes, using code points.
;;; Building Closure with CHARACTER RUNES
......
("cl-mediawiki")
CL-USER(2): (in-package :cl-mediawiki)

#
CL-MEDIAWIKI(3): (with-mediawiki ("http://ja.wikipedia.org/w")
                   (get-page-content "辰吉丈一郎"))

"{{雑多な内容の箇条書き|date=2011年6月}}
{{記事名の制約|[[ファイル:「辰吉丈一郎」の正確な表記.png|辰𠮷 𠀋一郎]]|disablerealtitle=yes}}
{{JIS2004}}
{{Boxing statsbox
|name=[[ファイル:「辰吉丈一郎」の正確な表記.png|辰𠮷 𠀋一郎]]
|image=Tatsuyoshi Joichiro & Sakamoto Junji \"Joe, Tomorrow\" at Opening Ceremony of the 28th Tokyo International Film Festival (22439511161).jpg
|imagesize= 280px
|caption = 2015年、[[第28回東京国際映画祭]]にて、[[阪本順治]](写真右)と
|realname=[[ファイル:「辰吉丈一郎」の正確な表記.png|辰𠮷 𠀋一郎|x14px]]
|nickname=浪速のジョー
|weight=[[バンタム級]]
|height=164cm
|reach=178cm
|nationality={{JPN}}
|birth_date={{生年月日と年齢|1970|5|15}}
|birth_place=[[岡山県]][[倉敷市]]
|death_date=
|death_place=
|style=右ボクサーファイター
|total=28
|wins=20
|KO=14
|losses=7
|draws=1
|no contests=
|}}
[[ファイル:「辰吉丈一郎」の正確な表記.png|辰𠮷 𠀋一郎]](たつよし じょういちろう、[[1970年]][[5月15日]] - )は、日本の[[プロボクサー]]。[[岡山県]][[倉敷市]]出身。[[帝拳プロモーション|大阪帝拳ジム]]所属。第50代日本[[バンタム級]]、元[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界バンタム級王者。愛称は'''浪速のジョー'''。自身が幼年期にいじめられっ子であった過去を持つ。血液型はB型。入場曲は『[[死亡遊戯]]』メインテーマ1996年中に出場した2試合のみ、友人の元[[光GENJI]]・[[諸星和己]]から提供されたオリジナルのテーマ曲「JOEのテーマ」を使用したこともあった。。マネジメントは[[株式会社トリックスター]]所属。

「吉」の正確な表記は「𠮷・[[ファイル:Tsuchiyoshi.svg|14px]]」(「土」の下に「口」、つちよし)である。また「丈」の正確な表記は「𠀋」であり、右上に点がある。[[Unicode]]CJK統合漢字拡張B,❲U+20BB7❳「{{拡張漢字|吉}}(土の下に口)」。[[Unicode]]CJK統合漢字拡張B,❲U+2000B❳「𠀋(丈の右上に点)」

== 来歴 ==
生後間もなく両親が離婚。その後、ボクシングファンであった父・粂二(くめじ)の男手一つで育てられ、幼少時よりボクシングを仕込まれた。中学校時代の担任教諭の勧めで、中学卒業と同時にボクサーを目指して[[帝拳プロモーション|大阪帝拳ジム]]に入門した。

粂二は辰吉にボクシング(喧嘩)の稽古をつけていた時に、構える手の高さは胸の前あたりの方が、相手全体を見渡したり攻撃をかわしたりしやすく、また、喧嘩の相手をつかんだり凶器を奪ったりしやすいと教えた。辰吉の無意識にガードを下げる癖はそこに由来すると考えられる。辰吉自身の解釈は、喧嘩では相手がオーソドックスの場合に右足で蹴ってくる場合が多く、左手を下げておくことで蹴りを払い、右手でパンチを繰り出すことができるからだと映画「BOXER JOE」で語っている。

サウナや立ち食いうどん屋、かまぼこ屋などでバイトをしながらボクシングに打ち込んでいた。

[[1987年]]、17歳で[[全日本社会人ボクシング選手権大会|全日本社会人選手権]]バンタム級優勝。[[ソウルオリンピック]]の有力候補だったが、体調不良により予選で敗退した。この後、諸事情によりジムを離れて半ば放浪同然の生活を送ったが、後の専属トレーナー[[大久保淳一]]が主催するジムでのトレーニングを経て大阪帝拳に復帰。アマで数試合をこなした後、プロ転向する。この頃から辰吉の試合記事は関西地区のスポーツ新聞に写真入りで報じられており、その才能は早くから注目の的だった。アマチュア通算成績は19戦18勝 (18KO・RSC) 1敗。

[[1989年]]9月29日、プロデビュー(6回戦)。韓国の国内ランカー崔相勉を2回KOに降す。辰吉の前評判は高く、日本人ランカー全てにオファーを出したが拒否された。

[[1990年]]6月28日、3戦目。[[世界ボクシング評議会|WBC]]インターナショナル[[バンタム級]]王者サムエル・デュラン([[フィリピン]])とノンタイトル戦を行い、7回KO勝ち。

同年9月11日、4戦目で日本王座初挑戦。日本バンタム級王者[[岡部繁]]を4回KOに降し、王座獲得に成功。4戦目での日本王座獲得は[[ジェームス・キャラハン (ボクサー)|ジェームス・キャラハン]]、[[モデスト・ナプニ|友伸ナプニ]]、[[平仲明信]]と並ぶ最短タイ記録である(2013年に[[井上尚弥]]も並ぶ)。当時は安易な世界挑戦が多かったので「世界挑戦は最低でも国内または東洋王座を獲得してから」という暗黙の規定がなされていた。その規定に従い、先ずは日本王座を獲得。試合後のインタビューでは「この試合は通過点」と世界王座へのこだわりを見せた。

[[1991年]]2月17日、6戦目。世界ランカー[[アブラハム・トーレス]]([[ベネズエラ]])とノンタイトル10回戦を行い、引き分け。トーレスのジャブに最後まで苦しみ、「辰吉が負けていた」との声が出るほどの大苦戦(トーレスもリング上で寝転がり判定に抗議)。当初、この試合の後、国内最短となる7戦目で世界挑戦を予定していた辰吉陣営だったが、トーレス戦での苦戦を目の当たりにし、もう1試合ノンタイトル戦をはさむこととなる。

[[1991年]]5月19日、1階級下(ジュニアバンタム級=現・[[スーパーフライ級]])の世界ランカー[[レイ・パショネス]]([[フィリピン]])と対戦。アウトボックスで相手を翻弄し、10回判定勝ち。辰吉のフットワークとジャブを駆使して相手を寄せつけずに[[アウトボクシング]]した試合を評価する声が多かったが、当の本人はKOできなかった悔しさからリング上で涙をこぼす。

[[1991年]]9月19日、世界初挑戦。WBC世界バンタム級王者[[グレグ・リチャードソン]]([[アメリカ合衆国|米国]])に挑む。アマで275戦、プロで33戦のキャリアを誇る王者相手に終始優位に試合を進め、10回終了TKO勝ち。[[具志堅用高]](9戦)を抜いて国内最短新記録(当時)となる8戦目で世界王座奪取に成功した(後に[[名城信男]]も並ぶが、現在は[[田中恒成]]が5戦に更新)。平成デビューのボクサーとして初の世界タイトル獲得でもある。しかし同年12月、左眼の異常を訴え、大阪市内の病院で検査。結果、「網膜裂孔」の診断を受け、そのまま入院・手術。そのため、翌[[1992年]]2月6日に予定されていた初防衛戦(対李勇勲=韓国)は中止となり、長期間の休養を強いられることとなる。

[[1992年]]9月17日、王座奪取から丸1年後の初防衛戦。休養中にWBC世界バンタム級暫定王座に就いた[[ビクトル・ラバナレス]]([[メキシコ]])と統一戦を戦うが、9回TKOに敗れ王座陥落。プロ初黒星を喫した。

その後、1戦をはさみ、[[1993年]]7月22日、世界再挑戦。当初、3月にラバナレスを降してWBC世界バンタム級王座を獲得した[[辺丁一]](韓国)に挑むことになっていたが、辺が5月の初防衛戦で左手を骨折。そのため、同級暫定王座決定戦としてラバナレスと再戦。フルラウンドにわたる死闘の末、僅差ながら判定勝ち。10か月前の雪辱を果たすと同時に、世界王座返り咲きを果たした。その後、11月25日に正規王者・辺との統一戦が組まれたが、それに向けてトレーニングを重ねていた9月、再び左眼の異常を訴える。検査の結果、今度は[[網膜剥離]]が判明。[[日本ボクシングコミッション]] (JBC) ルールにより試合ができない身となり、事実上引退の危機に(暫定王座も返上)。

手術は無事に成功。退院後、現役続行の意思を表明し、その道を模索することとなる。その結果、[[帝拳プロモーション]]会長・[[本田明彦]]等の尽力も有り、[[1994年]]7月2日、JBC管轄外の[[ハワイ州|ハワイ]]で復帰戦を強行。4月にWBC世界バンタム級王座に挑戦したホセフィノ・スアレス(メキシコ)を3回KOに降す。この勝利でWBCから返上していた暫定王座を再び与えられた。JBCも特例で辰吉の現役続行を許可。

現役続行が許可されたことで、同年12月4日、名古屋市総合体育館レインボーホール(現・[[名古屋市総合体育館|日本ガイシホール]])でWBC世界バンタム級正規王者[[薬師寺保栄]]との統一戦が実現(薬師寺は前年12月、辰吉の代役という形で辺に挑戦し、12回判定勝ち。王座獲得に成功し、これまで2度の防衛に成功している)。この試合は彼のキャリアの中でも最大の注目を集め、圧倒的優位を予想されたが、フルラウンドにわたる死闘の末、12回判定負けを喫し暫定王座から陥落。現役続行の条件として「統一戦に敗れた場合は即座に引退」が掲げられていたため、再度引退の危機に立たされる。この時の敗因は後のインタビューによると、1ラウンド序盤に放った左ストレートが薬師寺の頭部付近に当たった際、骨折。以降なかなか左が出なくなり、セコンドから左を出すように言われても「骨折れて出んのじゃボケ!」と思う程の状態で試合を続行した為という。

しかし、ここでも引退を拒否。[[1995年]]、米国・[[ラスベガス]]でノンタイトル戦2試合を強行。遂にJBCも折れ、辰吉は世界戦に限り国内で試合を行えることとなった(その後、「世界戦に準ずる試合」も追加)。

[[1996年]]3月3日、2階級制覇を目指し、WBC世界ジュニアフェザー級(現・[[スーパーバンタム級]])王者[[ダニエル・サラゴサ]]([[メキシコ]])に挑戦。しかし、初回からほぼ一方的に打ち込まれ、11回負傷TKO負け。この試合ではストップがかかった後も「何でや、まだオレは元気やないか」と抗議し、場内の声も「レフェリー、何で止めるんや」とわき起こったが、試合後に辰吉は土下座し「ファンに謝るしかないでしょう。僕のようなしょうもない人間のために、一生懸命援してくれて。みなさん僕のこと死んでくれと思ってるでしょうね。いっそ自分も死たい」と、試合後の記者会見でつぶやいた1996年3月4日付日刊スポーツ1面。翌[[1997年]]4月14日、再度サラゴサに挑むがここでも12回判定で完敗。「もはや世界王座返り咲きは無理」という声も聞かれるようになった。

同年11月22日、通算5度目の世界挑戦。元のバンタム級に戻し、WBC世界同級王者の[[シリモンコン・シンワンチャー|シリモンコン・ナコントンパークビュー]]([[タイ王国|タイ]])に挑む。5回に王者からダウンを奪ったものの、6回以降は王者の「捨て身」とも言える反撃であわや逆転KO負けというところまで追い詰められる。しかし、7回、左ボディブローで2度目のダウンを奪う。辛くも立ち上がった王者を連打で追撃し、レフェリーストップ。この瞬間、約3年ぶりの世界王座返り咲きを果たした。その後、2度の王座防衛に成功。

[[1998年]]12月29日、3度目の防衛戦。元[[世界ボクシング協会|WBA]]世界バンタム級王者でもある[[ウィラポン・ナコンルアンプロモーション]](タイ)と対戦。序盤こそ互角の展開だったが、回が進むにつれ次第に挑戦者がペースアップ。そして、迎えた6回、挑戦者の左をまともに浴び、プロ2戦目以来のダウン。辛くも立ち上がったものの、挑戦者の激しい追撃に襲われる。そして、最後は挑戦者の右ストレートを左の[[こめかみ]]に受け、仰向けに崩れ落ちた。ノーカウントで試合をストップされ、失神KO。3度目の世界王座陥落。

王座陥落後の[[1999年]]1月、父が他界。

[[1999年]]8月29日、王者・挑戦者の立場を入れ替えてのウィラポンとの再戦。開始当初から一方的に打ち込まれ、最後は7回、レフェリーストップ(同時にセコンドからも「棄権」を示すタオルが投げ入れられた)によるTKO負けで雪辱ならず。試合後、「普通のお父っつあんに戻ります」と現役引退を表明した。

しかし、日増しに現役続行への思いが強まり、後に引退表明を撤回。復帰へ向けて始動するも、周囲の反対もあり、再起まで3年以上もの期間を要する。

[[2002年]]12月15日、実に3年4か月ぶりの復帰戦。元WBA[[フライ級]]王者の[[セーン・ソー・プルンチット]](タイ)を相手に復帰戦を行い、7回TKO勝ちを収めた。

[[2003年]]9月26日、復帰第2戦で[[フリオ・セサール・アビラ]](メキシコ)と対戦し、10回判定勝ちを収めるも、その後は負傷した左脚の回復が思わしくなく、再び長いブランクに入った。

その後、所属する大阪帝拳ジムから試合を組む意思がないことを再三にわたって告げられたものの、本人は引退を拒否。あくまで現役続行にこだわり続ける。

[[2008年]]9月26日、直近の試合から5年が経過。JBCの規定により「引退選手」扱いとなり、国内では試合を行うことができなくなった。しかし、本人は「海外に渡ってでも試合をする」とあくまで現役続行にこだわりを見せる。

そして、同年10月26日、タイ・[[バンコク]]の[[ラジャダムナン・スタジアム]]で復帰戦を強行。地元の新鋭パランチャイ・チュワタナに2回TKO勝ちを収め、5年ぶりの再起を果たしたものの、この試合に関してJBCは試合から1週間後の11月2日、タイ・チュワタナジムのアンモ会長と対談し、JBCライセンス保持者以外の試合禁止を要請。

12月、タイ国内ランキングでバンタム級1位にランクイン。[[12月28日|同28日]]、ライセンス失効後初めてJBCと対談。JBC側は大阪帝拳ジムが国外での試合も禁止したいとの意向を持っていると説明をした他、WBCと提携している米国の医療機関の専門的な検査を受けるように提案。それに対し、辰吉は「5年も試合をしてなかったので、今はどんどん試合をしてコンディションを上げていくことが大事。検査の意味は分かるけど、(引退を)決断することはできない」とあくまで現役続行にこだわる姿勢を見せた。

[[2009年]]3月8日、前戦と同じ[[ラジャダムナン・スタジアム]]に於いて復帰第2戦。スーパーバンタム級のタイ国内ランキング1位[[サーカイ・ジョッキージム]](19歳/11戦10勝 (5KO) 1敗)と対戦するも、3回にダウンを奪われた末の7回TKO負け。世界戦以外の試合での初黒星(通算7敗目)を喫した。試合終了後、辰吉は「俺はまだ終わっとらん」とあくまで現役に拘り、今後もリングに上がり続けることを表明しているが、この試合以降、次戦開催の目処は立っていない。

[[2012年]][[6月20日]]、WBA・WBC世界ミニマム級王座統一戦([[井岡一翔 対 八重樫東戦]])で18年ぶりに、かつてのライバルであった[[薬師寺保栄]]と公の場で顔を合わせることとなった。

2014年現在でも辰吉本人は現役に拘り、トレーニングを欠かしていないと言う[http://wpb.shueisha.co.jp/2014/12/22/40821/3/ いまだ現役“浪速のジョー”が過去を語った!そして「辰吉の子がボクシングやる、世界チャンピオンになる、当たり前や」] 週刊プレイボーイ 2014年52号。2015年には次男・[[辰吉寿以輝]]が大阪帝拳ジムからプロボクサーとしてデビューした[http://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK40630_W5A410C1000000/ ボクシング辰吉次男がKOデビュー「すごく楽しかった」 ] 日本経済新聞 2015年4月16日閲覧。

== エピソード ==
* [[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]の[[松本人志]]とは、親友として知られる。その縁で「[[ダウンタウンDX]]」などにもゲスト出演している。松本によると辰吉が電話口でアニメについて一方的に熱く語るため、松本は相槌をうつだけの電話応対に回っている。
* [[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]の番組にゲストとして出演した際、「地球最後の日に何をする?」というお題に対して、「浜田を一日中シバき回す。」というボケ回答をする。同じくゲスト出演していた関根勤に「死んじゃうよ。一日もたないじゃん。」と言われると「そこは、持たすように。」と回答した。
* [[岸本加世子]]に絶大な信頼をおいており、実の姉のように慕っている。
* [[ビートたけし|北野武]]と対談を通じて懇意となる。辰吉が王座から陥落しスランプに陥っていたころ、武は激励の意味で自筆の絵を送った。そこに書かれていた言葉は、映画「[[キッズ・リターン]]」におけるエンディングの台詞になっている。
* [[布袋寅泰]]、[[イチロー]]とも仲がよい(度々、会場まで試合観戦に訪れている。2008年10月にタイで復帰戦を強行した際は現地で布袋から激励を受けた)。
* ボクシング漫画「[[はじめの一歩]]」では何度も扉ページに登場し、「勝っても負けても彼ほど人を感動させるボクサーはいない」と評されている。またアニメ全般についても話し出すと止まらないくらい好んでいるという。
* 公共広告機構(現:[[ACジャパン]])のCMに出演し「いじめはすごかったですよ。親が泣くくらいでしたからね」などと幼年期に自身がいじめに遭っていた事実を告白しているが、いじめを克服した後、小学生から中学生時代までにやった喧嘩では負け知らず。不良少年としての\"武勇伝\"は今でも伝説になっているという。
* 中学時代は皆勤賞、3年間一度も欠席がなかったという。
* 中学生の頃、下校途中にヤクザに車を横付けされからまれたことがある。その時、「おっちゃん、そんなにすごまんとってぇや」と言いながら車に近づき、隙を突いてキーを抜き取り道路脇の草むらに向かって投げつけ、笑いながら走って逃げたことがあるという。
* 本格的にボクシングを始めて、わずか3回目のスパーリングで国体2位の選手を左ボディブロー一発で倒したことにより辰吉はボクサーとして世間の注目を集め始める。しかし、アマチュア時代、試合に敗れた精神的ショックからジムを飛び出し、半年ほどホームレス生活を送る。本人曰く、この間、自動販売機の釣銭返却口を漁ったり、ダンボールハウスで野宿したりと散々な日々を過ごしていたとのこと。そんな中、偶然立ち寄った喫茶店で現在の夫人と出会ったことが、ホームレス生活から立ち直り競技に復帰するきっかけとなった。
* 1987年の[[沖縄県]]での[[第42回国民体育大会|海邦国体]]の会場通路で[[ピューマ渡久地]]と大喧嘩をしそうだったことがある(理由は沖縄出身で発音に訛りのある渡久地が「文句あっか」と言ったのを辰吉が「儲かってまっか?」と聞き間違えたから)。このエピソードはボクシングファンのあいだでは知られた話だが、渡久地は引退後インタビューに答えて、(国体の)大阪代表が騒いでいたので怒鳴っただけで、辰吉と喧嘩になったことはないと証言している。
* 非常に練習量の多いボクサーとしても知られている。
* タイトルマッチでは「王者は赤いトランクスを着用して戦う」という慣例がある中、辰吉は赤いトランクスを着用して臨んだ試合を落とすことが多かったため、1997年の王者返り咲き以後の防衛戦には青いトランクスを着用した王者として臨んだ。
* [[審判員 (ボクシング)|レフェリー]]のリチャード・スチールが辰吉の引退時の賛辞として「[[オスカー・デ・ラ・ホーヤ]]には若い女性ファンが何人いるか知らないが、あれだけ多くの青少年を夢中にさせるという点では、辰吉が世界一だと確信している」と呈した。
* 一時期は大阪帝拳ジムにて現役復帰を期して練習に励む傍ら、ボクサーを目指していた自身の長男のトレーナーを務めていたことがある。辰吉自身は再三に亘ってジムサイドに自分の試合を組むよう懇願したが、その度に、大阪帝拳ジムの[[吉井清]]前会長は「お前の体が心配だから試合は組めない」と辰吉を諭していた。
* ライバルであった[[ビクトル・ラバナレス]]のことを「友人である」と語る。そのことについてラバナレスは、「友人だったらもう一度俺と試合をしてくれ」と、発言した。
* 初めて世界タイトルを獲った[[グレグ・リチャードソン]]戦では、初回に放った左ジャブがリチャードソンの目に入り、ダブルビジョン(物が二重に見える)になったとリチャードソンが、後に発言している。
* 初めて世界タイトルを獲ったリチャードソン戦の試合直後に、第一声でテレビカメラに向かって、「父ちゃん、やったで!」とコメントした。
* 3度目のWBC世界バンタム級王座2度目の防衛戦で[[ポーリー・アヤラ]]と対戦した際、[[頭突き|バッティング]]で眉毛あたりを深く切り、試合を止められてしまう。その際、試合を途中で止められた悔しさ(本人談)から全国テレビ生放送中にもかかわらず、キャンバスに拳を叩きつけ号泣した。
* 辰吉の人気はすさまじく、辰吉を見て、ボクシングを始めた人間はかなり多い。その中には、世界チャンピオンになった[[畑山隆則]]もいる。ただ、畑山が世界を獲った際に、辰吉の名前を騙り、「ようやったなあ、おめでとう!」と辰吉になりきって、悪戯電話をかけた人間が存在する。そのためか、畑山とは誤解が生じたようで、畑山がさんまのまんまに出演した際には、「辰吉なんて、片手で倒せる」と言われてしまう。
* ドキュメンタリー風バラエティ番組『[[ガチンコ!]]』の「ガチンコファイトクラブ」に特別コーチとして出演するが、この企画がいわゆる「やらせ」であることを知らされず(ボクシングに関しては真面目で真摯な性格の辰吉に詳しく企画内容を伝えたら断られるとスタッフが判断したため)、素人(仕込み)参加者に、ごく真面目にボクシングの指導をした。収録後、辰吉はヤラセ(台本の存在)を企画のレギュラーであった[[竹原慎二]]から聞かされ激怒、収録した映像のオンエアは許可したものの、同番組に二度と出演することはなかった。
* 今でこそ「負けても引退なんか考えたことがない」と語っているが、ラバナレスに負けるまではことあるごとに「負けたら引退」と語っていた。これは本人によればそれぐらいの気持ちでいなければ試合に勝てないからとのことである。
* ボクシングアナリストの増田茂によれば、辰吉は[[オーソドックス]]スタイルであるが実は左利きであることを明かしている。そのために辰吉は右でなく左のパンチが強いとのことである。
* 辰吉が世界王者になる前、日本人として具志堅の記録を追い越し最短で世界を獲ることに価値を見出すのではなく、辰吉の先々のことを考え、じっくりキャリアを積ませるべきだという声が多かった。トーレス戦後、特にその声は強くなる。辰吉自身も[[全日本新人王決定戦|新人王]]、日本、[[東洋太平洋ボクシング連盟|東洋太平洋]]と順番にタイトルを獲ってから世界に行きたいと語っていた。
* 愛車は[[レクサス・LS|LS600hL]][http://www.vieilfee.com/gallery/tatsuyoshi.html VIEILFEE 辰吉丈一郎 カスタムカー] ヴェルフィー。以前はLS400をドレスアップしており、数々のカー雑誌に取り上げられた。
* 『BOXER JOE』のタイトルで、映画監督の[[阪本順治]]が辰吉の20年間の軌跡を収めたドキュメンタリー映画『ジョーのあした−辰吉丈一郎との20年−』が2016年に公開{{cite web|url=http://www.cinematoday.jp/page/N0076832|title=天才ボクサー辰吉丈一郎を20年間追ったドキュメンタリー!阪本順治監督の新作2016年公開|publisher=シネマトゥデイ|date=2015-09-29|accessdate=2015-09-29}}。

== 戦績 ==
* アマチュアボクシング:19戦 18勝 18RSC 1敗
* プロボクシング:28戦 20勝 14KO 7敗 1分
{{Fightstatstop}}
{{Fightstatscont|1|1989年9月29日|☆|2R 0:47|KO|崔相勉|{{KOR}}|プロデビュー戦}}
{{Fightstatscont|2|1990年2月11日|☆|2R 2:18|KO|チャーチュード・エウアンサンパン|{{THA}}|}}
{{Fightstatscont|3|1990年6月28日|☆|7R 2:10|KO|サミュエル・デュラン|{{PHI}}|}}
{{Fightstatscont|4|1990年9月11日|☆|4R 2:51|KO|岡部繁|{{JPN}}|日本バンタム級タイトルマッチ}}
{{Fightstatscont|5|1990年12月18日|☆|2R 3:04|KO|ジュン・カーディナル|{{PHI}}|}}
{{Fightstatscont|6|1991年2月17日|分|10R|判定|アブラハム・トーレス|{{VEN}}|}}
{{Fightstatscont|7|1991年5月19日|☆|10R|判定3-0|レイ・パショネス|{{PHI}}|}}
{{Fightstatscont|8|1991年9月19日|☆|10R終了|TKO|[[グレグ・リチャードソン]]|{{USA}}|WBC世界バンタム級タイトルマッチ}}
{{Fightstatscont|9|1992年9月17日|★|9R 1:19 |TKO|[[ビクトル・ラバナレス]]|{{MEX}}|WBC世界バンタム級王座統一戦}}
{{Fightstatscont|10|1993年2月11日|☆|2R 1:55|TKO|ホセ・ルイス・ベガヒル|{{MEX}}|}}
{{Fightstatscont|11|1993年7月22日|☆|12R|判定2-1|[[ビクトル・ラバナレス]]|{{MEX}}|WBC世界バンタム級暫定王座決定戦}}
{{Fightstatscont|12|1994年7月2日|☆|3R 2:48|KO|ホセフィノ・スアレス|{{MEX}}|}}
{{Fightstatscont|13|1994年12月4日|★|12R|判定0-2|[[薬師寺保栄]]|{{JPN}}|WBC世界バンタム級王座統一戦}}
{{Fightstatscont|14|1995年8月26日|☆|9R 2:59|TKO|ノエ・サンティヤナ|{{MEX}}|}}
{{Fightstatscont|15|1995年11月23日|☆|8R 2:55 |TKO|ヘロニモ・カルドス|{{MEX}}|}}
{{Fightstatscont|16|1996年3月3日|★|11R 2:47|TKO|[[ダニエル・サラゴサ]]|{{MEX}}|WBC世界スーパーバンタム級タイトルマッチ}}
{{Fightstatscont|17|1996年12月21日|☆|10R 1:02|TKO|フェルナンド・アラニス|{{MEX}}|}}
{{Fightstatscont|18|1997年4月14日|★|12R|判定0-3|[[ダニエル・サラゴサ]]|{{MEX}}|WBC世界スーパーバンタム級タイトルマッチ}}
{{Fightstatscont|19|1997年7月26日|☆|10R|判定3-0|リカルド・メディナ|{{MEX}}|}}
{{Fightstatscont|20|1997年11月22日|☆|7R 1:54|TKO|[[シリモンコン・シンワンチャー|シリモンコン・ナコントンパークビュー]]|{{THA}}|WBC世界バンタム級タイトルマッチ}}
{{Fightstatscont|21|1998年3月8日|☆|12R|判定3-0|ホセ・ラファエル・ソーサ|{{ARG}}|WBC防衛1}}
{{Fightstatscont|22|1998年8月23日|☆|6R 3:00|負傷判定3-0|[[ポーリー・アヤラ]]|{{USA}}|WBC防衛2}}
{{Fightstatscont|23|1998年12月29日|★|6R 2:52|KO|[[ウィラポン・ナコンルアンプロモーション]]|{{THA}}|WBC王座陥落}}
{{Fightstatscont|24|1999年8月29日|★|7R 0:44|TKO|[[ウィラポン・ナコンルアンプロモーション]]|{{THA}}|WBC世界バンタム級タイトルマッチ}}
{{Fightstatscont|25|2002年12月15日|☆|6R 1:10|TKO|セーン・ソー・プロエンチット|{{THA}}|}}
{{Fightstatscont|26|2003年9月26日|☆|10R|判定3-0|フリオ・セサール・アビラ|{{MEX}}|}}
{{Fightstatscont||・・・(JBC未公認)・・・||||・・・(JBC未公認)・・・||}}
{{Fightstatscont|27|2008年10月26日|☆|2R 2:47|TKO|パランチャイ・チュワタナ|{{THA}}|}}
{{Fightstatscont|28|2009年3月8日|★|7R 1:03|TKO|[[サーカイ・ジョッキージム]]|{{THA}}|}}
{{Fightstatsbottom}}

== 獲得タイトル ==
* [[全日本社会人ボクシング選手権大会|全日本社会人選手権]][[バンタム級]]優勝(アマチュア)
* 日本バンタム級王座(防衛0=返上)
* [[世界ボクシング評議会|WBC]]世界バンタム級王座(1期目は防衛0=陥落、2期目は防衛2=陥落)
* WBC世界バンタム級暫定王座(防衛0=陥落)

== 現役復帰の経緯と今後の展望 ==
[[2003年]]9月以降、2008年10月のタイ国における復帰試合に至るまでの5年余りもの間、辰吉は全く試合を行っていなかった。先述の様に長期ブランクを経て海外で復帰を果たしたものの、現在日本におけるプロボクシング興行に出場するため必要な、JBCの発給するボクサーライセンスは更新・保持しておらず、また後述のように今後も更新・再取得出来ない。

[[2007年]]5月に37歳になったことで、JBCルールに基く強制引退の対象となったが、辰吉はWBC世界[[バンタム級]]、日本バンタム級の元王者であるため、特例措置として直前の試合から5年以内に再起すれば厳しい条件付ながら日本国内での現役続行が可能であった。とはいえ前述した通り、辰吉は網膜剥離の既往者であるために、世界戦またはそれに準ずる試合でしか国内での選手活動は不可能であった。また、当時所属先であった大阪帝拳ジムを始めとする関係者はそもそも辰吉の現役続行に難色を示していたため、実際に特例措置の申請と試合実施は実現しなかった。

そして[[2008年]]9月25日に上記特例期間が終了し、辰吉は事実上国内での試合出場が不可能となった。今後は、かつて網膜剥離でJBCのライセンスを失効していた頃、あるいは先述のタイ国での試合出場と同様に、外国のコミッションでライセンスを申請し、日本以外の各地で試合に出場することは今後も可能である。だが、海外のジム所属の“逆輸入”選手として日本で試合を行う際には、JBCに臨時のボクサーライセンスを申請し、これを取得することが必要である。しかし既に強制引退選手の対象となっている上、JBCはタイのコミッションやプロモーターに辰吉に試合をさせないよう求めているため、試合が許可される可能性は低い。

[[2009年]]3月8日、再起後2戦目でタイ国スーパーバンタム級1位のサーカイ・ジョッキージムに7R 1:03TKOで敗れた。試合直後の控室でのインタビューで、現役続行を自らアピールした。

==出演==
*[[BOXER JOE]]
*[[ジョーのあした 辰吉丈一郎との20年]]
:いづれも本人役

== 脚注 ==
{{特殊文字|節}}
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}

== 外部リンク ==
* [http://jpba.gr.jp/archive/1990_04.html 日本プロボクシング協会/世界チャンピオン・アーカイヴス「辰吉丈一郎」]
* [http://www.osakateiken.com/fight.php?mode=1&num=116 大阪帝拳 辰吉丈一郎プロフィール]
* {{Boxrec|id=2000|name=辰吉丈一郎}} 

{{Championshiptitle||[[世界ボクシング評議会|WBC]]|世界[[バンタム級]]|グレグ・リチャードソン|ビクトル・ラバナレス|1991年9月19日 - 1992年9月17日}}
{{Championshiptitle暫定王座1||[[世界ボクシング評議会|WBC]]|世界[[バンタム級]]|[[ビクトル・ラバナレス]]|{{small|王座統一戦により消滅}}|1993年7月22日 - 1994年12月4日}}
{{Championshiptitle||[[世界ボクシング評議会|WBC]]|世界[[バンタム級]]|シリモンコン・シンワンチャー{{!}}シリモンコン・ナコントンパークビュー|ウィラポン・ナコンルアンプロモーション|1997年11月22日 - 1998年12月29日}}
{{日本プロスポーツ大賞}}
{{報知プロスポーツ大賞受賞者-ボクシング}}
{{日本のボクシング世界王者}}
{{年間最優秀選手賞 (日本プロボクシング)}}
{{JBCの歴代王者}}

{{デフォルトソート:たつよし しよういちろう}}
[[Category:日本の男子ボクサー]]
[[Category:ボクシング解説者]]
[[Category:ボクシングの日本王者]]
[[Category:バンタム級世界王者]]
[[Category:世界ボクシング評議会世界王者]]
[[Category:日本のボクシング世界王者]]
[[Category:岡山県出身の人物]]
[[Category:1970年生]]
[[Category:存命人物]]"
CL-MEDIAWIKI(4):   
もちろん,http://en.wikipedia.org/w なら英語の wikipedia にアクセスすることもできる.

cl-mediawiki を sbcl にロードすると,"Lisp implementation doesn't use UTF-16, but accepts surrogate code points." といったメッセージが出力される.これはこれでうれしいかもしれないが,残念ながら XML ではもともとサロゲートペアを扱えないので,この利点を生かすことはできない.辰吉丈一郎の吉は本当は「つちよし」(𠮷)(この漢字が表示できるだろうか?)だし,丈は右肩に点がつく丈だから,上記のように wikipedia で正しく表示するためには png ファイルとしている.

これで,wikipedia の情報を機械 (AI) でも扱えるようになるが,どんな情報があるのかはあらかじめ知って置く必要がある.

蛇足になるが,「シドアルジョの泥火山」の記事中にはアポストロフィに余分なゴミがついているところがあって,ダウンロードできない.記事の由来を追いかけてみると,元の場所にはゴミはついていなさそうだ.SilverSpeech さんが直してくれるのを期待している.

 日本語の形態素解析の主要な目的は,分かち書きされていない「与えられた文を形態素・語の並びに分解し,それぞれの形態素・語の品詞などを決定することである」(自然言語処理,長尾編,岩波).一方,英語の形態素解析の主要な目的は,「入力文中の多品詞語の品詞を決定することにある」(同上).たとえば,英語では当たり前のことだが,loveに動詞も名詞もあるように,その語だけでは品詞の区別がつかない.文中の単語についてその単語の品詞を同定するのが英語の形態素解析の役割である."Time flies like an arrow." は「光陰矢の如し」という意味であるが,このとき"files"を動詞ではなく,「ハエ」(fly)の複数形と解釈すると「時蠅は矢を好む」と訳されることになる.

 英語の形態素解析において歴史的に最も代表的な形態素解析システムは,1993年にXerox Parcで開発されたPart-of-Speech (POS) Tagger であろう.開発者は Lucene, Apache Solr, Nutch,そしてHadoopの開発者である Doug Cutting 氏である.このシステムは当時の Common Lisp で開発され,各種32bitマシンと各種Common Lispと古いシステム管理システムで走ったが,それを現在の環境で稼働させるのは中々大変であった.しかし今ではそれがquicklispライブラリに入って,Linux上で簡単に動かすことができるようになった.ちょっと試してみるなら,以下のようにすればよい.

たとえば, sbcl の場合には,これを参考にして sbcl と quicklisp をインストールしておく.そこで,次のようにすれば,簡単に Xerox POS tagger を動かすことができる.これはAllegro Common Lispのalispでも同様である.

CL-USER(1): (ql:quickload "tagger")
To load "tagger":
  Load 1 ASDF system:
    tagger
; Loading "tagger"
.
("tagger")
CL-USER(2): (tag-analysis:tag-string "I saw the man on the hill with the telescope.")
;;; Reading /home/seiji/quicklisp/dists/quicklisp/software/tagger-20150923-git/data/brown/suffix.trie ... Done.
;;; Reading lexicon from /home/seiji/quicklisp/dists/quicklisp/software/tagger-20150923-git/data/brown/lexicon.txt ...
;;; Done reading lexicon.
;;; Reading HMM from /home/seiji/quicklisp/dists/quicklisp/software/tagger-20150923-git/data/brown/brown.hmm
I      saw   the man on the hill with the telescope.
ppss/2 vbd/3 at  nn  in at  nn   in/2 at  nn/2
CL-USER(3):

ただし,残念ながらこれはWindows上では動かないし,またAllegro Common Lispのmlispでも動かない.色々な環境に対応させるのはできない話ではないが,現在でも時間をとる作業になっている.POS taggerの現代化が望まれる.

 英語の場合,一語は語基(radical)あるいは語幹(stem)と接頭語(prefix)や接尾語(suffix)からなる.たとえば,birdは語基のみからなる語であり,その複数形birdsは語基と接尾語の's'からなる語である.playは語基のみからなるが,playingやplaysは語基と接尾語からなる.文中の語からその語基(語幹)を取りだすシステムはstemmerと呼ばれるが,英語には昔からヒューリスティックなアルゴリズムで語から語基(語幹)をとりだす porter stemmer がある.その詳細はこれを見てほしい

このページのトップヘ