こんにちは、塩原俊之です。
このブログでは二度目の登場となります。
前回とは打って変わって、少し抽象的な読み物を。
このコロナ禍を、これを読んでいる皆さんは、いかがお過ごしでしょうか?
ある人は、そもそも誰とも会わないさと、いつも通り農作業をしているかもしれない。
ある人は、同居するご両親を気遣って、ステイホームを徹底しているかもしれない。
ある人は、今日の宿の為に、職安に並んでいるかもしれない。
ある人は、今にも無くなりそうな命の為に、今日も病室を走り回っているかもしれない。
僕も、今この瞬間、何をすべきか、何をしたいかを必死に考えながら毎日を過ごしています。
今この瞬間、演劇をやるということはどういうことか。
きっとこれを読んでいる皆様も、明日には今日とはまた違った選択を迫られるかもしれません。
否が応でも頭を使わずには過ごせない毎日だと思います。
今は辛くとも、秋がきて冬がきて、気が付けば5年経ち10年経ち、彼は中学生になり、彼女は亡くなっているかもしれません。
どうか皆様が、後悔なき選択が出来ますよう。
どうか皆様が、健やかに過ごせますよう。
僕にとっては演劇が、そういうものかもしれないなぁと思う。
このブログでは二度目の登場となります。
前回とは打って変わって、少し抽象的な読み物を。
このコロナ禍を、これを読んでいる皆さんは、いかがお過ごしでしょうか?
ある人は、そもそも誰とも会わないさと、いつも通り農作業をしているかもしれない。
ある人は、同居するご両親を気遣って、ステイホームを徹底しているかもしれない。
ある人は、今日の宿の為に、職安に並んでいるかもしれない。
ある人は、今にも無くなりそうな命の為に、今日も病室を走り回っているかもしれない。
僕も、今この瞬間、何をすべきか、何をしたいかを必死に考えながら毎日を過ごしています。
今この瞬間、演劇をやるということはどういうことか。
きっとこれを読んでいる皆様も、明日には今日とはまた違った選択を迫られるかもしれません。
否が応でも頭を使わずには過ごせない毎日だと思います。
今は辛くとも、秋がきて冬がきて、気が付けば5年経ち10年経ち、彼は中学生になり、彼女は亡くなっているかもしれません。
どうか皆様が、後悔なき選択が出来ますよう。
どうか皆様が、健やかに過ごせますよう。
僕にとっては演劇が、そういうものかもしれないなぁと思う。