2008年11月14日

人生は一度

261b3215.jpg今季ドラフトの超目玉選手は、新日本石油の田沢純一投手のはずであった。しかし、田沢投手は早くからメジャーへの挑戦を表明し、その決意も固いとみられたことから同投手を指名する球団はなかった。
こうした田沢投手の行為について、日本プロ野球機構(NPB)は、このような有望な人材をいきなり海外へ渡らせてはならないと危機感を強め、新たな燹米本プロ野球)独自の瓮襦璽襪鮑遒辰拭
なんでも(日本の)ドラフトを拒否して海外の球団へ入った選手は、帰国後2年間は復帰できないという新たなルール―「流出防止策」―を作ったのだ。
小さい頃からの野球ファンとして言わせてもらえれば、あまりにも人間を愚弄するものではないのか。
確かに、アマ球界NO1とも言われる選手が海外へいくということは、人材の流出ではあるだろう。
しかし、彼の人生を弄ぶ権利や門戸を閉ざす権利が日本プロ野球機構にあるのであろうか。

日本球界とメジャーとでは、金銭の差が著しい。例えば、イチローや松井秀の年棒を払える球団は、メジャー以外にはないであろう。
確かに、メジャーへの憧れは、一つにはお金の魅力もあるかもしれない。あるいは、純粋に世界最高峰のメジャーで腕を試してみたいという欲求からかもしれない。
だけど、理由はどうであれ、その人の人生を決めるのはその人自身である。それをとやかくいって、なおかつ、その人の人生をつぶしてしまう、制限してしまう道理は絶対におかしいであろう。
志の高い若者を、なぜ、応援してあげられないのだろうか。日本プロ野球機構の度量のせまさに辟易としてしまった。

s196461 at 22:14 
現代社会 

2008年11月06日

インクルージョンな社会へ

03bb0fc7.jpg社会福祉をライフワークとする中で、多くの人たちと知り合い、また福祉の現場をみてきた。高齢者施設、児童施設、障害者施設…Etc。そういった中で、特に障害者福祉に興味をもった。また、障害者もそうであろうが、マイノリティを対象にした勉強もしている。
とかくマイノリティの(少数派に属する)人たちは、ときに社会的に排除(エクスクルージョン)されたり、差別や偏見にさいなまれたりする。そうした現状も見て聴いたりしてきた。
最近、朝日新聞紙上で、倏悗旅發き畚性団体の会の方が、「身体差別」について言及していた。もちろんすべての背の高い女性が、身長についてコンプレックスをもっているわけではないだろうが、多くのそうした女性たちは「デカイ」と言われて、長く心を痛めてきたのもまた事実であろう。また、「相変わらず大きいね」や「身長何センチ」式の言葉も同様である。からだの太った人に対して、「デブ」や「メタボ」といったりすることも同じことであろう。こうした身体的な特徴を、多くの人たちは、意図せずに(故意ではなく)気軽に言ってしまったりする。
確かに、太った人に対しては、なんとなく「デブ」といったら気分を害すだろうぐらいのことは想像がつくが、背の高い、たとえば日本人の女性の場合は、170cmを超えた人は背の高い部類に入る女性に対して、たいしたことないだろうと思って、気軽に「背が高いね。何センチあるの?」と言ってしまってはいないだろうか。私自身も反省するところである。
よく「相手の立場に立ってものを考えよ」とか「他者の痛みを感じる」などとはいうが、そう簡単に、相手のことなどわかるものではない。
私たちは小さい頃から学校教育などで「差別や偏見はいけません」と習い、「個人個人を尊重しましょう」といった教育を受けている。そして、大概の人は「そんなことは言われなくてもわかっている」と思っている。しかし、先に挙げた背の高い女性への「身体差別」などは、なかなか気づきにくい問題である。だから、悪気がなくつい口を滑らせてしまう。差別・偏見は自分には関係がないと思っていると、なおさらこうしたことには気づかされないだろう。そう、差別や偏見は、我々の日常生活に宿っている問題なのである。
そうした一方で、残念ながら差別意識のない人も少なからずいる。
嘗て、「五体不満足」の著者・乙武洋匡は、ブログで秋篠宮ご夫妻の男子誕生をめぐって
揶揄して書いたことから、ブログが「大炎上」した。その「炎上」した内容をみると、乙武の書いた内容による批判も確かにあったが、「障害者」を差別した「コメント」もかなりの数みられたのである。なお、現在、乙武のブログはコメントを受け付けていない(封鎖した)。
こうした事例からも残念ながら、差別・偏見がなくなることはないだろうと思う。
だけど、仲間や味方を増やすことは可能だろうと思うのである。
つまり、あくまで差別をよしとするのは一部の人間であって、大半の人間は差別をよしとしない立場にいる人間だからだ。そうした人(エクスクルージョンではなくインクルージョンを標榜する人)たちを社会に一人でも多くつくっていく/育てていくのが、社会福祉を学ぶ者や福祉従事者の使命でもあると思うのだ。
最後に、「身体差別」を受けてきた会の代表者が「誰もがありのままに安心できるやさしい開かれた社会の誕生を心から望んでいる」と語っていたのが印象に残った。
私自身も社会福祉士として、日常生活を顧みながら、差別や偏見について常に敏感な「目」をもちたいと思った次第だ。

s196461 at 20:41 
福祉 | 現代社会

2008年10月29日

政権選択選挙

889dc7a1.jpg今度の衆議院選挙は、間違いなく狎権選択畫挙だ。いまの自民党・公明党の連立政権の継続を望むのか、あるいは民主党を中心とした野党連合―連合の相手は社民党および国民新党。共産党は閣外協力に留まると予想される―を望むのかどうかの選挙だ。一言で言えば、政権交代を問う選挙である。
では、政権選択選挙で問うべき選挙の争点は何か。
景気対策、格差是正、後期高齢者医療制度、年金問題、食の安全、農業など食糧自給率の改善などいろいろとあるであろう。
しかし、これらにかかわるその多くは、「官」に関わる問題でもある。年金問題では、新たに標準報酬月額の組織ぐるみの改竄が明らかになった。社会保険庁や厚生労働省の責任は重いと言わざるを得ないであろう。学校給食など食用に使われていた「汚染米」の問題では、農林水産省と業者(三笠フーズなど)との癒着とも思える接待漬けが明らかにされた。ほかにも財務省のタクシー券や防衛省の守屋事務次官の収賄事件もあった。と、この間の官の腐敗はとどまるところを知らない。

これまでの自民党政権下でも「行政改革」の必要性は訴えられてきた。しかし、そうした声とは逆に官は肥大化してきた。彼らの既得権益である特殊法人や独立行政法人は増え続けていったのだから。そして、そこへ天下れば、数年いただけで数千万円の退職金をもらえる。しかも一人の人間がそれを繰り返す。無駄を通り越して、ただただ呆れるばかりである。
つまり彼らの仕事の実態は国益ではなく省益・自分たちの既得権益の拡大を優先に仕事をしているのだ。国家国民のためというのは名ばかりなのである。天下り先確保のための特殊法人や独立行政法人のおびただしい数がそれを物語るであろう。
だから今回の選挙は、官僚機構にメスが入れられるかどうかであると言えるだろう。

政治主導と言われたあの小泉さんでさえ、そこまでは手を回せなかった。渡辺行革大臣が民主党の力添えもあって公務員制度改革法を通した時に、感極まって人前で涙を流した訳は、それだけ官の抵抗が強かった故の成果だったからではなかろうか。
文藝春秋11月号で麻生さんは「国家の公僕たる公共精神を官僚たちが失ったことには政権党たる自民党がその監督責任を問われるのは当然であり、それから逃げずに霞ヶ関を再生させるのもまた、行政の長たる私の責任である」と語った。果たして、長きにわたって政・官の癒着やもたれあいを曖昧にしてきた政党が、官僚を再生できるのであろうか、といったことをも問われる選挙である。
つまり、今回の選挙は、「官僚」主導システムをやめさせ、「政治」主導システムを転換できるのは、与党か野党連合かを選ぶ選挙だとの思いをもっている。
作家で明治学院大教授の高橋源一郎さんは、朝日新聞紙上で政治家には「ほぼ期待していない」と、こう言っている。
「おれたちが、あの連中に期待していないのは、あの連中が『言うだけ』マンだからだ。そして、言って、間違っても、失敗しても、責任をとらないからだ。勘弁してください。そういうの。教育上、悪いですから。
じゃあ、どうするんだ。あの人たちに、まとめて退場してもらうしかないでしょ。その代わりが、オザワさんのミンシュ党か。とりあえず、チャンスはあげようか。それでダメなら……また、考えます!」と。
わたし自身も高橋さんと同じように、一度、小沢さんの民主党中心の野党にチャンスはあげたいと思う。そうすりゃあ官僚依存の自民党だって変わらざるを得ないであろうからね。
どちらの党が政権を担っても政治は変わらないという人も多くいるが、変えられなければ(公約を果たさなければ)その政党は野に下るだけだ。そうして政権交代のある国にしていけば、国民にとっては、少なくとも爐い洵瓩茲蠅はましな政治にはなっていくであろう。

s196461 at 23:44 
政治 

2008年10月21日

なりふりかまわず

60a70d4d.jpg解散を急ぎたい民主党と少しでも有利なときを見計らいたい自民党、なお、連立を組む公明党は、来年都議会選挙を控えていることから、年内に解散してほしいという意向のようだ。
当初は、10月26日解散説が有力であったが、米国のサブプライムローンに端を発した金融危機に襲われ、解散のタイミングを逸した(か)。
麻生さんにとっても気勢を殺がれた思いであったろう。
民主党からやり玉に挙げられた雑誌「文芸春秋」の文章で麻生さんは、「国会の冒頭、堂々と私とわが自民党の政策を小沢代表にぶつけ、その賛否をただしたうえで国民に信を問おうと思う」と書いていた。また「何をさておいても、従うべきは国民の信なのである」と述べていることから、早期解散を考えてはいたのだろう。
それに所信表明演説では、自身の所信表明というより野党・民主党へ「質問」するなど、しきりに挑発していた。これなども「俺は解散は怖くない。いつでもやってやる」というシグナルではなかったのだろうか。しかし、このことは逆に、マスコミや野党から「所信表明とは政権担当の基本姿勢を披瀝し、各党からの代表質問を受けるべきものであって、野党に質問するという所信表明は聞いたことがない」(毎日新聞)と揶揄される始末だ。そして、民主党の小沢代表は、それを逆手にとったのか、首相への「代表質問」というよりも民主党の政権公約(マニフェスト)―具体的なマニフェスト(政権公約)として、平成21〜24年度までの3段階に分けた政策実現の工程表と、20兆5000億円の財源策を明らかにした(毎日)―を披露して、自党の政権構想を広く国民へアピールするなどしたたかな一面を見せた。
また国内の政治不信、官僚腐敗は相変わらずだ。年金問題はいまだ課題が山積している(社会保険庁の杜撰さはやむところがない)。それに農水省の「汚染米」だ。国土交通省の中山大臣は就任早々問題発言を連発して辞任した。
さらに、金融危機が麻生内閣を襲った。金融危機は景気に打撃を与え、非正社員はこれまで以上に増えるだろうとエコノミストたちは予測する。
こうして狎府自民党瓩篭睛惨躓,両紊法↓狎府瓩勝手に自爆し続けるものだから、いくら国民に人気がある麻生さんでも支持率は落ちていく。本来自民党の応援部隊である官僚が麻生さんの足を引っ張っているのだ。だから、民主党は、早期解散を唱える戦術をとっている。16日の(2008年度)補正予算成立を皮切りに、テロ新法、補給支援法改正案、および日銀副総裁人事承認など矢継ぎ早に終わらせ、解散へなだれ込む戦法だ(朝日17日参考)。
そして、いよいよ今度こそほんとうに解散しそうだ。そうして11月30日の線がかなり有力として報じられている。
自民党も民主党も過半数をとるために、自党のPRをなりふりかまわず行っている。なりふりかまわず行っているところに、両党の必死さも伺える。果たして、勝利の女神はどちらに転ぶのだろうか。

s196461 at 22:22 
政治 

2008年10月15日

なりふりかまわず

0fe07d7a.jpg政策(公約)面でもなりふりかまわない。
自・民ともにお互いの政策を「バラマキ」だと批判し合っている。財源の裏付けについてどうのこうのと応酬しあっても、わたしにはよくわからない。ただ、現行の税のあり方(所得税中心)―たとえば、常に話題としてあがる消費税のあり方―では、到底、超高齢化社会を乗りきっていけないのではないかとは思う。それにすでに医療、年金などは破綻しているではないか。
話を戻そう。
与党は、「総合経済対策」を打ち出し、(規模は定かではないが)「定額減税」を柱にしている。また、麻生首相は積極財政派だと言われている(マスコミにそう書かれている)。これについて、秋田大学の島澤諭准教授は「積極財政派の公共投資は、経済のグローバル化が進んでいる現在、公共事業への投資が国内経済全体に波及して景気がよくなるという、「乗数効果」が低下しているため、景気浮揚効果はほとんど期待できず、次世代に残るのは借金でしょう」と述べている。また、公共事業を重視した政策は、小泉政治の否定であり、自民党の先祖帰りと言えようか。
一方、総額15兆円に上る民主党の選挙公約は、たとえば、「1人当たり月額2万6000円の「子ども手当」の支給」、「農業の「戸別所得補償制度」を創設」、「高速道路の無料化」などである。しかし、財源はあるのだろうかと、自民党やマスコミから攻撃されている。それについて、小沢党首は「財源はあります。まず何を優先させるか、政策の優先順位次第で財源はどうにでもなります」と言っている。それは果たして、ほんとうなのであろうか。
確かに、官僚の天下り禁止や特殊法人及び独立行政法人の(原則)廃止は、歳出削減にはなろう。しかし、それだけで15兆円ものお金を生み出せるとは思えない。小沢党首は、霞が関の言うことを鵜呑みにしてはいけないというが、では、なにを根拠にして財源はあるといっているのであろうか、はっきりしない。
しかし、自民党と民主党とでは、予算措置について大きな違いがある。それは、「民主党5つの約束」のうちの第1番目に示されている。第1番目の約束には、こう書かれている。

「天下りとムダづかいをなくし、税金を国民の手に取り戻します。
国の総予算212兆円を全面組み替え。国民生活を立て直す財源を生み出します」と。

民主党の長妻議員は衆院予算委員会で麻生首相に相対して、税金の無駄遣いを生み出す五つの仕組み(自民党型システム)―ひも付き補助金、天下り、特別会計、官製談合、随意契約―から官僚をコントロールする「民主党型システム」へとシステム転換をはかる、そういった政権をつくるのが最大の課題だと述べた。
さらに、長妻議員は天下り関して「2万6632人が4696法人に天下りし、12兆6047億円の税金が流れている」と、その問題点を指摘した(朝日10/7)。
そうすると、民主党の言う必要財源15兆円も眉唾ものだとは一概にいえないのではないかとの思いも強くする。
ただ、実際に政権を握った場合、事はそう簡単なことではないこともまた事実であろう。あの小泉さんでさえ特殊法人改革は遅々として進まなかった。これまでも歴代の首相が「行政改革」の旗を掲げてきたが、その都度、官僚の激しい抵抗にあっている。その結果はどうだ。却って、特殊法人や独立行政法人は増すばかりではなかったか。
果たして、民主党はどこまでやれるのか。一度、彼/彼女らに政権を託し、お手並み拝見といきたい思いもある。

つづく

s196461 at 20:21 
政治 

2008年10月07日

なりふりかまわず

1c43c026.jpgいよいよ総選挙が近づいてきたようだ。
先の参議院選挙で与野党の議席が逆転したことから、与党・自民党も政権を維持しようと必至だ。一方、野党第一党の民主党も、ここで政権を取れなければ、小沢さんは辞任すると公言するなど、こちらもこの選挙にかけている。今度の衆議院選挙は文字通り天下分け目の関ヶ原という様相を呈してきた。
有権者の一票で「政治を変えられるかもしれない」、今回はそんな選挙だ。
だからであろうか。どちらの党も過半数をとるために、なりふりかまわずなんでもありだ。
自民党はただでさえ劣性を強いられている。安倍さん、福田さんと立て続けに政権を投げ出してしまったことから国民の批判を浴びている。それに前回の小泉郵政選挙で議席をとりすぎた反動から、その揺り戻しもあるだろう。だから、自民党にとっては、いかに議席減を最小に食い止め、公明党とあわせて過半数をとれるかが目標となる。
また、民主党は社民党と国民新党と選挙協力を行い、野党の分裂を食い止めた。さらに、民主党にとっては追い風がある。共産票の取り込みだ。今回の選挙で共産党は、 すべての小選挙区に候補者を立てていないことから、共産票の多くは民主党に流れるだろうと予想されている。だからといって、選挙に勝てる保障はない。
新聞社が行っている世論調査を読み取ると、自・民の支持は、自民32%に対して民主23%だ。しかし、「仮に、いま、総選挙の投票をするとしたら、比例区ではどの政党に投票したい」かという問いになると、民主34%の自民33%で拮抗している。さらに、総理大臣ともなると、麻生さんが小沢さんを圧倒している。朝日新聞の最新の調査(10/7)によれば、麻生さんの50%に対して小沢さんは22%に留まっている。
これとは逆に週刊誌をみると、その多くは民主党が過半数をとると予想しているが、果たしてほんとうなのでだろうか。まして組織票は、政権与党の自公が優っていることを考えれば、どちらが勝つか全く分からない情勢だと思う。そのため民主党をはじめとする野党が過半数をとるためには無党派層(浮動票)が「動く」かどうかがカギとなる。かつて森善朗元首相は「寝た子を起こすな」と言った。「寝た子」とは無党派層のことである。その無党派層が起きれば(選挙へ行けば)、政権交代も現実味を帯びるであろう。
寝た子を起こしたくない自民党に対して、寝た子を起こしたい民主党は、候補者選びでもなりふりかまっていられない。長崎2区では薬害肝炎九州訴訟原告の福田さんを久間元防衛大臣にあててきた。また、愛知1区は南海放送アナウンサーの永江孝子さんを擁立した。愛媛1区は、塩崎恭久元官房長官のお膝元だ。また国替えで太田和美さんは福嶋2区へまわった。現職の大臣経験者に勝てる「刺客」を放った。
片や自民党もお騒がせの元大臣・中山氏の引退に絡んで、東国原宮崎県知事を後釜に擁立しようとした。しかし、どうやら県民はそれをよしとは思っていなく、思わせぶりな知事も断念せざるを得なかったようで、不発の終わった。このように知名度のある(勝てる)人を担ごうとする動きは、今後もあるであろう。

つづく

s196461 at 22:41 
政治 

2008年09月16日

搾取

e1fac2d2.jpgといっても、中には、「格差」や「貧困」などが、果たして、本当に日本にはあるのだろうか、と疑問を投げかける人たちもいる。そういった文章をたびたびみかける。
確かに、アメリカのように勝ち組1割、負け組9割という、すさまじい格差社会に比べれば、日本はまだましであろう。また、都市部と農村部との著しい格差のある中国にしてもそうだ。あるいは、アフリカや南米、北朝鮮などと比べてみれば、やはり、日本の方が「豊か」であろう。それに悲しい現実として、世界の6人に1人は、1日1ドル以下の生活を余儀なくされている。当然、住居のない人だって多くいる。開発途上国では、多くの子どもたちが餓死している。そこにはワーキングプアどころではない現実もあるのである。
だからといって、では、年収200万円以下のワーキングプア層の人たちや今では総労働人口の3分の1までになった非正規雇用者、果ては、ニートやネットカフェ難民などと言われる人たちに対して、「1日100円程度でがんばって生きている人もいるのだから、おまえたちの苦労なんて、その人たちに比べれば、大したことではないのだから、がまんしろ」とでも言うのであろうか。
今問題なのは、貧富の激しいそうした世界へと近づきつつあることではないのか。
小泉構造改革(規制緩和)―アメリカをモデルにした新自由主義化路線を推し進めた結果―によって、格差は広がったといわれている。日本は、アメリカのような勝ち組1割といわれる社会を望んでいるのであろうか。
また、世界には餓死してしまう子どもたちが多くいるのも歴然たる現実としてある。それを考えれば、まだ食べられるだけいいのかもしれない(日本でも生活保護を受けられずに、北九州のお年寄りが餓死してしまったニュースは記憶に新しい)。しかし、一方で、日本は「過労死」問題を抱えている。休みもなく長時間働かされてきた結果、心身に疲労をきたし、死へ、いたってしまう。途上国とは形は違うけれど、そこには「死」にいたるという共通問題がある。
かつて、日本は高度経済成長期を得て、「一億層中流社会」と言われた。それがどうであるか。今では、その「一億総中流」から一人欠け、二人欠けと、止めどもなくボロボロと脱落していっているのである。また、正社員になりたくてもなれない多くのフリーター/若者が「下流」から抜け出せずにいる。長く続いた平成不況から脱したにもかかわらず、今でも、そういった状況がなんら好転せずに続いているのである。そうして、その差が益々大きくなっている。そこが問題なのだ。
つまり、アメリカより、中国より、旧社会主義国より、南米より、アフリカよりなどと比較して、まだいい―日本には、「格差」や「貧困」がない―とする論調は、「搾取」されている人の声を封殺するだけではなく、企業や政治家、官僚の無策ぶりを讃えるだけなのである。

s196461 at 23:44 
労働 | 政治

2008年09月09日

搾取

05be3ce5.jpgでは、企業側の論理はどうであろうか。
企業が労働者を安く使う(使い捨てる)訳、それは、グローバリゼーションだ。このグローバル化した世界で競争に勝つためには、高い労働力では負けてしまうから、労働者は安い賃金でがまんしろということだ。しかも、それで長時間働けという。こうして企業は、グローバル化を錦の御旗にして、正社員から使い勝手のいい非正社員へとシフトさせてきた。その結果、今では労働者の実に3分の1が非正社員という有り様だ。
さらに言えば、今、「少子化だ」とその対策が問題になっているが、このような低賃金で先行き不安定な労働者の身を考えれば、自分のことだけで精いっぱいであろうし、とてもではないが、「結婚して、子どもをつくれ」となんて言えないであろう。少子化問題は、雇用環境をよくすることなしに解消するわけがなかろう。
それでも企業は、グローバリゼーションを盾にとって、自己の正当性を主張する。だから、死ぬまで働けというのであろうか。
「過労死」問題は、今では、あたり前化した社会問題である。
7月には、「外食大手「すかいらーく」の32歳店長の死を巡って、労働基準監督署が過労死と認定した」と、大きく報道された(朝日7/17)。新聞によれば、「店舗は朝5〜8時を除く21時間営業。店長以外は全員アルバイトやパートだったため、毎日朝7時〜深夜2時ごろの勤務が続き、休みは月に数日程度。アルバイトが急に休んだ時は穴埋めで働いた。遺族の話では、亡くなる直前の3か月間の残業時間は月平均200時間を超えていた」という。また、店長は1年更新の契約社員(非正規社員)だった。
母親は言う。
「息子は責任感が強く、頼まれたら断れない性格。そんな性格を会社にいいように使われた。上司が誰も息子の健康に心を配ってくれなかったのが悔しい」と。
また、全国一般東京東部労組の書記次長・須田光照氏は「低賃金で不安定雇用の非正規社員の店長に、長時間労働と責任まで押しつけているのが実態だ」と語った。
平成不況を脱し、景気が好転したにもかかわらず、企業は非正社員を増やし続けていった。だからといって、非正社員の賃金があがったわけではない。しかも、下がる一方なのだ。派遣社員の時間給をたどると、それがよくわかる。派遣社員の平均時給は、1994年1704円、2001年1465円、2006年1327円(「NPO法人派遣労働ネットワーク調査」朝日7/4)と、平成不況を脱してからも下がっていることがわかるであろう。このことからも非正社員の雇用をめぐる環境(待遇)は、悪くなる一途だといえよう。
そして、このような状況を政治は放置してきたのだ。この間の規制緩和に伴った構造改革が、かえって、労働者の雇用環境を悪化させた。たとえば、労働者派遣法の変遷だ。
ルポライターの鎌田慧氏は、「労働者派遣法は人転がしの悪法だ」。「大企業の欲望として、携帯電話1本で労働者を集める。必要なときに必要な量だけ集めてあとは捨てる。あなたをほしいのじゃない。誰でもいい。労働者の部分品だ。人間じゃない。昔は出稼ぎ労働者でも旅費や電気ガス代、ボーナスも出た。食事は本工と一緒にできた。まだ経営者にモラルがあった。いまは企業はもうかっても国民は幸せになれない」と語った。
これを「搾取」でなしに、なんと言えばいいのであろうか。


s196461 at 20:32 
労働 | 政治

2008年09月03日

搾取

a8f20efa.jpg小林多喜二の「蟹工船」(新潮文庫)が売れているようだ。また、共産党の新規入党者がこの10ヶ月で約1万人に達したという。「ワーキングプア」や「ネットカフェ難民」などの言葉もあたり前に使われるようになったし、日雇い派遣や名ばかり管理職など、労働環境を巡る雇用条件の悪化は覆い尽くしがたいところまできているということであろう。
少し前に朝日新聞で、「名ばかり管理職」の実態について書かれた記事があった。それを読むと、そこでは過酷な労働にもかかわらず低賃金で働かされている実態があった。それも多くの人が一度や二度は行ったことのある名の知れた企業が、そのやり玉にあがっているのだ。
マクドナルドの店長が、サービス残業代の支払いを求めて訴訟を起こした裁判は、店長の職が、果たして、管理職にあたるのかどうかが問われた。一審では店長側が勝訴した。つまり、店長職は、「経営者と一体的な立場」にはない「名ばかり管理職」にあるということだ。
また、コナカでは昨年6月に過重労働に対する是正指導を受けて、10月には店長約300人を管理監督者からはずした(朝日「われら『名ばかり管理職』」)。
紳士服販売業界に勤める社員がいうには、店舗の社員は店長を含めて2人しかおらず、昨年の休みも59日しかなかったそうだ。なんでも、店長には平均1,5倍の売上高(ノルマ)が求められているという。確かに、これでは安心して休めるはずがない。だから、「年齢層は20代、まさに体力勝負」のようだ(「われら『名ばかり管理職ぁ戞法
「ショップ99」の28歳元店長は、配属されて9ヵ月目には店長になったという。「させられた」といった方がいいであろうか。しかし、いとも容易く昇進させるものだ。ここでも、過酷な労働実態が浮かびあげる。店の正社員は店長1人だったという。そうして「シフトの穴埋めで早朝から深夜まで働いた。残業は月100時間を超えた」。そして、おかしなことに、「店長になる前は約29万円あった手取りが約21万円に減った」そうだ。まさに、「店長は使い捨ての奴隷」といえそうだ(「われら『名ばかり管理職』ァ法
しかし、これで驚いてはいけない。さらに、もっと驚くことに、24歳女性の元カフェ店長は、入社3日目で研修も受けないまま店長にされたという。そうして店長という管理職に祭り上げておいて、「月60時間残業しても残業代は一切な」く、しかも時給は850円だったという。こうして「使用者側は、未経験な若者でも正社員というだけで容易に管理職の肩書を与えるようになっている」と日本労働弁護団の弁護士は言っている(「われら『名ばかり管理職』」Α
まさに、これらの「名ばかり管理職」の実態をみると、労働者は「搾取」されているといっていいであろう。

つづく

管理監督者とは
労働基準法で労働時間規制から除外されると規定される管理職。厚生労働省の通達などでは〃弍勅圓醗貘里領場にある⊇仟犇个了間を自分で決められるD其發篌蠹などで地位にふさわしい待遇を得ている、などの要件を満たすものとされ、これらを満たさないのに残業代を払われない管理職は「名ばかり管理職」と呼ばれる(朝日新聞から引用)。

s196461 at 22:57 
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2008年08月22日

幸福度

5c005bde.jpgでは、正規雇用者はどうであろうか。正規雇用だからといって、問題はないのだろうか。
以前、海外の南国の島へ旅行をしたときに、バカンスで来ていたドイツ人からこう言われた。「日本人は入れ替わり立ち替わり来るけど、あなたたちはいつまでいるのか」と。そうして、「5日だ」と応えたら、手を広げられて、あきられてしまった。北欧や欧米では、仕事の対価として、休みもしっかりとっている。向こうでは、バカンスを「月」単位(1ヵ月)でとることも珍しくないようだ。
片や日本はどうであろうか。休みをとるのもままならない。そんな企業が多くある。相変らずの長時間労働に有給休暇取得率の低さが、それを物語る。
それに、今では正月さえもない。一昔前は、どこのお店も年始は休んでいたから、年末には親に連れられて、食料品の買いだめをしたものだ。それが、どうであろうか。今では、買いだめをする必要はない。確かに、「それはそれで便利でいいじゃないか」といった意見もあるであろう。
しかし、数多くの年始に働きに出る人たちの気持ちはどうであろうか。その人たちだって、できれば家族や身内の人などと一緒に、ゆっくりしたいと思っているのではないか。
一昔前は、「ふつう」の家庭であれば、家族そろって食卓を囲んだであろう。年の初めくらい誰もがゆっくりできる。それさえも今はできなくなってしまった。
便利すぎるウラでは、過酷な労働を強いられている人たちのいることをもっと理解すべきではなかろうか。他人を思いやるきもちがあれば、「年始ぐらいみんなで休もうよ」とは、ならないものであろうか。また、今問題となっているコンビニの営業時間短縮でも、無理(過酷な労働)をしてまで年中無休を金貨極上の如く掲げる必要性がどこにあるというのであろうか。
自分にとって便利でさえあれば、それでいいという「自分さえ」というエゴイズム。そうして人のやさしさまでもが失われてきた。そんな気がしてならないのである。
したがって、幸福度の指標をあげるには、労働環境をよりよくしていくことと、こころの余裕(他人に対する寛容度や他者の痛みを分かち合うこころ)を取り戻すことであろう。

s196461 at 20:41 
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