帰り道、電車の六人がけの座席を、寝そべって二人で占領している若い男女を見た。何故我慢しない(眠気などを)、どこに居るかわかっているのか(乗車率70%)、そもそも太陽が照っているのが一切目に入らないのか(午後2時過ぎ)、と一瞬にして様々な文言が脳内をよぎった。ああいうのを見ると、なんとまあ、脳が豆腐にでもなってしまったのかねぇ、と思う。人のことは言えないかも知れないが、あれがよしとされる風潮には少し疑問を覚える。
 友人と、茶髪で和服を着ていた人(和服の良さはどこに?)について話をしていると、すこし不思議に感じたことがあったので、議論してみた。山姥メイクなどのぎとぎとしたファッション(笑)、ギャル、髪を妙ちきりんな色に染めるようになった、僕より少し上の世代の日本人。彼らは年老いたときにどうなるのだろう?
 少しオブラートに包むと、欲望のまま突っ走ったら最後にどうなるか(包めてないかな)、ということ。若い頃の価値観を大して変えずに行ってしまったら、何が残るのだろう。僕一人が考えてみても、崩れ気味の人生観や、傷み、汚れた体以外、想像できなかった。
 結局、しばらく話し合って、僕らが出した答えは、「心は恋する乙女(笑)」であった。
求めることがかなわなくとも、 「思い出が心に在ればそれでいいの」だなんて、ロマンチックですこと。
 僕は、男女問わずに「知性も容姿のうち」ではないかと思っているので、僕には異性の目を気にした、着飾るという行為が、ただのうわべ飾りにしか見えない。僕の推測が外れていないのなら。

さて、今回のテーマは「愛」について。

 僕は"True Love"なる単語が嫌いである。英語の問題をやっていてこの単語が出てきたときには、思わず失笑してしまったことさえある。なぜか?それは、このような単語をほざく輩は、だいたい言葉の意味を取り違えているように見えてしまうからだ。今朝の新聞を読んでいて、面白いものを見つけた。
「すぐに結婚だのなんだの考えるのは所詮遊びである(意訳)」
神の前で永遠だと誓っておきながら一瞬で離婚など、よくある話だそうな。あんなのが真実だとは思いたくはない。人は、一生に大体二回ほどトイレの便器を買い換えるらしい。巡り逢った運命の人(笑)の数が、トイレの神様の数より多いなんて、有り難みも薄れるものだ。


(恋愛関係の話にもなるので、続きは、嫌いな人はスルー推奨)

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 家族愛という単語の中の「愛」と、男女間の「愛」が同じ意味に感じられないのは何故だろう。家族愛という単語の中には「慈しみ」、男女間の方には「体クレ」という雰囲気を感じてしまう。そのような意味をくみ取ってしまうことも少し残念だと(悔しい、でもry)思う。素人の意見だろうが、下手に愛情と友情(なんだかこれも胡散臭い)を分けてとらえなければ、いくら移ろいやすい人の心といえど長続きしそう。

 愛情だなんて思い単語を使っていると、息切れしておぼれてしまいそうだ。

 「愛」という単語を使うときは「大事にする」という風に意訳したい。また、「愛している」などとたわけた言葉をまき散らす暇があるならば、「友人」に何ができるか考えたい。。「若さ余りて……」などというのはもってのほかだ。また、「友達百人できるかな」などと歌って友達たくさんうれしいな、と浮かれたくもない。それほど多くの人に重きを置くのはなど、よほどのことが無ければできまい。

 現段階において恋愛とは何か、というのを考えてみると、友情の延長線という事になる。この先変わることも在るだろうし、来年の自分があのとき何を考えていたのか、というときの指針にしたい。



 今回は恋愛シリーズである。もし、また書きたくなったら、同じタイトルで書くかも知れない。場合によるが。


<思い出ぼろぼろ>
ネットを見ていたら、外人「なんで日本人は髪をそめるのか」というのがあった
また、こんなのも発見。処女を捨てる年齢。私の価値観は変ですか?
こんなことを疑問に感じる人が出てきてしまうとは……