昔から、秘密基地にはあこがれがあった。小学校の傍には山があり、何かやってみたいと思っていたが、その山はとある神社のご神体であった。そして、そのままうやむやになってしまったのだった。中学校の裏山でなにやらやっている友人を見て、すこしうらやましく思ったものだ。男子たる者(?)一度は感じたことのある思いであろう。

 中高一貫の学校に入って以来、メインで入っていたのはずっと弱小部だった。廃部の危機にあえぐ登山同好会、そしていつの間にか生活と一体化していた数学研究会。
 毎年部員の枯渇にあえぎ、人不足の中でなんとか文化祭をする。それが面白い。
 校風のおかげかせいなのか、放置気味の顧問の横でのんべんだらりとされる活動。誰かに勝つことを目指すこともなく、ただそこにあるものを楽しめる日常。どこからが部活動で、どこからが本来の生活なのだろう。確かに、それを見失ってしまうのは危険な話かもしれない。それでも、それを越えてのめり込めるだけのおもしろさが、弱小文化部にはある。

 それは、部活と日常の境目を取っ払うことができるように 、部員と友人との境目を取り去ることができるという点だ。そういう意味で、僕は弱小(つまり部員5人ぐらいの)文化部を『秘密基地』と例えたい。そこで過ごす自分たち少数だけの時間はとても楽しいもので、いつかふっとしたはずみで思い出したときになんとなくうれしさに浸れる。そんな部活を作れたならば、『秘密基地』という夢も叶ったのではないだろう?そして、そうであってほしい。

 我が高校の文化祭は九月の頭に行われる。
後一回限りの祭りだというのは分かっているし、刻々と近づいてくるうれしさと悲しさ。それを併せ持つのが夏休みの部活だ。夏休みをいかに『秘密基地』で過ごそうか。世間から取り残されたような場所で目的を共有する。 風は時間とともに流れ、雲や草木は空に映える。そんなものにあこがれていたのかもしれない。

 思い出の1ページなんて言葉を使う気はないが、高校時代の締めくくりのお祭りとして、なにか残るようなことができたらいいなと思う。それを見るのは卒業式かも知れないし、下手したら十年後の八月かもしれない。どちらにしろ、思い出に浸れるようなものを作れたら嬉しい。そのためには何ができるだろうか?

 それを考えるのは楽しく、また哀しくもある。

<思い出ぼろぼろ>
文化祭のエンディングの草稿用に書いてみたが、 うまく書けないな……また書き直すか。このノリに近いのが「けいおん!!」じゃなかろう。 書いているうちに本筋からそれてしまうのも情けない話だが、今日はもうこのへんでやめおかないと。ああのどが痛い。

<思い出ぼろぼろ>
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