蝉の声が途絶えてしばらくが経った。授業を聞きながら外を眺めて、鳴いている蝉たちには相手がいないのだろうなあ、まるで薔薇園にいる僕らと同じだ、などと思いを馳せていたのだが、いつの間にかその喧騒さえもなくなっていた。

  <ずいぶんと前に書いたものである。十月の半ば頃?> 
 先日、庭に寝転がってぼうっと休み時間を過ごす機会があった。カレンダーをめくるたびに、日に日にそよぐ風が涼しくなってゆくのがわかる。汗が流れる機会は減り、目ぶた越しに差し込む日差しもいくらか暖いだけで、うっとうしく感じるほどではない。そんなこんなで、秋の作物のことが気になりはじめていたのだ。
 まずは農具についた錆を、トイレから拝借してきたクレンザーと亀の子たわしを以て無心に殲滅してみることにした。ところがこれが思ったよりしぶとい。三日ほど粘って茶色い泡を量産したものの、怪しい健康食品ほどの効用もなかった。
 巷に流布する信憑性のない噂に聞くばかりだが、来年の某中央審査までの日数が二桁になったという。たまに自らの至らなさに絶望しかける。そんなある昼休みのこと、ふと思い立って、鎌を構えて庭に繰り出すことを決めた。お天道さまの照り付ける夏の日は此方の圧倒的な劣勢だったが、近頃は我々に勝機が見えてきたのだ。気を晴らそうという考えがあったということは否定できない。そうして、庭に蔓延る雑草を血も涙ももなく抜いていくことになったのである。

 また別のお昼のこと、僕はまた庭にいた。少しお天気が悪く、風も強く冷たい。トマトやきゅうり、とうもろこしを植えていた場所の雑草を抜いて更地にし、軽く耕して次に備える作業も数日前に終えていた。土はふかふかとして驚くほど柔く、少し感動したことを覚えている。友人達は非情にも「遺跡発掘現場から出て来たラディッシュ」と例えたが、薩摩芋も育ちつつあるようだった。
 学級の話し声を遠くに微睡んでいると、ぽつりぽつりと雨が降ってきた。これが「寝耳に水」というやつだろうか。いつだったか、窓際に聴く騒がしさが心地良いということを書いたような気がするが、ここもまた似たような静けさである。心は平らかで、海の中層を漂っているような気分だ。次第に雨足が強まるようなら室内へと退散しなければならないが、そのおそれも無さそうだった。
 ふと恐れを抱いたとき、それを振り払うために思い浮かべるものは何だろう。一つ深呼吸をして、精神を落ち着けてみた。将来のことなど全くわかったものではないのだから、無闇矢鱈に考えたところでどうしようもないではないか、と。

 暑気が遠退き、過ごし易さが増すと同時に、ひたひたと現実の足音が近付きつつあった。かといって、頭の中に咲くお花畑はまだ枯れる気配を見せず、庭にもまた植物が生い茂っている。僕は今、自分が居る場所を楽しむこともできる。
 私は天人ではないが、もうしばらくは愉快にやっていけそうだ。

【思い出ぼろぼろ】
・掃除にはまっている。箒や雑巾などを取り出して大規模にやるのもよいが、針とティッシュなどを使って身近な小物の細かな汚れを落とすのが楽しく、昔作った卓上箒が役に立っている。だが整頓作業、お前は駄目だ。
・我がパソコンのラヴィエルさんが記憶喪失になり、データの全てと引き換えにOSを再インストールするはめに陥った。文章の類はバックアップを取っていたのでまだよいけれど、各種設定やアプリケーション、MIDIファイルや住所録などが消えてしまったのが痛い。後のためにも削除されたものを復旧できないかと試すつもりだが、携帯電話に残る古いメールなどが、嬉しくもまた悲しい今日この頃である。
・今年の頭より考えていた年賀状の案もまた、使えずじまいになるのが哀しい。
・ラヴィエルさん:NEC LavieシリーズのPC。最初は天使の名前にちなんで「ラヴィエルたん」と呼んでいたのだが、ある日驚くべき事実に気付いてしまった。
 Windowsには、最初から女声か男声での音声合成機能がついている。このことを知った僕は、さてどんなものかと試してみることにした。ああ、僕はこの若さゆえの過ちを今も悔いている。少しわくわくしてる僕を尻目に、彼女(ラヴィエルさん)は「Hello World」という文言をそそくさと呑み込んだ。そして、彼女は何と野太いおっさんヴォイスで喋り出しやがったのだ。
 大いに驚き嘆いた僕は、それ以降彼を「ラヴィエルさん」と呼ぶことにした。
・どうも、同級生が近所の公園で、見知らぬおっさんに金属パイプで殴られる事件が発生しているらしい。おうおう、まんじゅう怖い。