システム・アプローチ

2011年02月28日

紛争に関するシステム的アプローチ(2)

システム的戦争アプローチVS古典的戦争アプローチ(PART II)     Milan N . Vego 

3、システム的戦争観 対 クラウゼヴィッツ的戦争観

(1)システム的戦争観
 システム・アプローチの支持者はみな、戦争の機械論的・ニュートン的戦争観を本質的に共有する。彼らは、「情報化時代は、クラウゼウイッツの時代と非常に異なるので、古典的戦争理論は通用しない」と考える。彼らは、「戦争の本質」と「戦争の性格」の相違を明らかに混同している。戦争の本質は、戦争の説明として、恒久的で、普遍的で、固有の特質を指す。例えば、暴力、偶然、運不運、摩擦、不確実のような説明である。従って、戦争の本質は、政治・社会的環境、戦争の原因、あるいは技術的進歩の変化にかかわらず、永遠である。
他方、戦争の性格は、異なる期間の戦争を説明するもので、一時的で、状況によって変化する特徴を指す。それらの説明は、技術的進歩と同様に、ある時代の政治・社会的で歴史的な状況によって異なる。システム・アプローチの主唱者は、技術が戦争の本質および性格の両方に影響する最重要要素であると確信する。
 ニュートン世界観では、世界は巨大な機械と見なされる。すべては、順調に、正確に、予測通りに動く。すべては、測定可能である。システム・アプローチ支持者は、「戦争におけるすべての問題が容易に解決され、軍事行動はその環境から影響を受けない」と主張する。必要なのは、軍隊という機械が最高の効率で動くことである。かくして、勝利は保証される。ネオ・ニュートン学説の信奉者は、戦争の結果を予測することができると信じる。従って、彼らは、戦闘の進展と結果を測定する際に計量方法を極めて重視する。
 彼らは、原因と結果を連結できると信じている。決定的な成果は大規模な入力を必要とする一方、小さな原因は、小さな結果をもたらす。原因と結果の間には、比例関係がある。戦争は、2つの生きている部隊間の相互作用ではなく、むしろ一方の側の問題、と考える。敵の行動や対応は、本質的に無視される。実際、敵をコントロールできないので、それを要素として考ない。ネオ・ニュートン学説の信奉者は、不確実要素や摩擦が過去の戦争において存在したことを認める。しかしながら、彼らは、「戦争の霧」や「戦闘における摩擦」はリアル・タイムで情報を取得・伝達できないことによって起こる、と主張する。また、摩擦は、広範囲に展開・配置されたセンサとコンピュータ・ネットによって扱いやすいレベルにまで少なくすることができる、と言う。

(2)クラウゼヴィッツ的戦争観 
 戦争へのシステム・アプローチは、18世紀後半のヨーロッパを支配した軍事思想であり、クラウゼウイッツが猛反対した「幾何学的」ないしは「数学的」な学派のアプローチとほとんど同じである。多くのEBO支持者の見解に反して、このプロシアの軍人は、戦争のシステム思考を抱かなかった。実際、彼は、ディートリヒ・ヘンリック・ホン・ブーロウ(1757〜1807)のような思想家を嘲った。というのは、ブーロウは、理論から精神的価値をすべて取り除き、物質的材料のみを扱う数学的な学派に所属していたからである。彼は、すべての戦争を数学的な方程式--優劣やバランスが時間・空間・角度・ラインで決まる--に帰した。クラウゼウイッツは、どのようなドグマ的な思考様式にも反対した。彼は、戦争の遂行には、原理・原則を習得しなければならないと言う。彼の見解では、戦争の遂行は四方八方に枝分かれし、限界というもがない。
 クラウゼウイッツは「非常に多くの無形の要素が働くため、いかなる戦争も、その結果を確実に予測できない」と主張した。戦争術では、部隊は生きものであり、精神的なものである。したがって、それは、絶対的なものを達成することができないし、また常に不確実性が残こるに違いない。不確実性と勇気・自信の間にあるギャップが大きいほど、偶発的出来事が起り易い、と彼は指摘する。
 クラウゼウイッツは、戦争が「生命のない集団」対「生きている部隊」の行動ではなく、2つの「生きている部隊」の衝突である、と書いた。敵は自分自身の意思を持っている。したがって、その対応は、予測できず、不合理でさえある。システム・アプローチの熱狂者は、不合理なタイミングや範囲を予測ないしは測定できないことに気づいていないようだ。そのタイミングや範囲は、不可知である。しかし、一方の側の不合理な意思決定は、他方の行動方針と結果に著しい影響を及ぼすことになる。戦争においては、一般に「合理的な行為者は、代替案がある場合、合理的で適切な選択を行ない、必要なコストを支払う」と考えられる。しかしながら、戦争における不確実性、偶然や幸運の役割、敵の自由な意思と行動によって、戦争遂行における合理性は、極めて非現実的な予測を生む。結局、合理的な計算とは、「国家がコストよりも、利得の大きい戦後目標を有する戦争を戦う」という考え方に基づく。利得とコストは、戦争を通じて重視される。そして、戦争努力の経費が政治目標の価値を超えるなら、目標は放棄され、和平が後に続くだろう。意思決定の合理性は、「戦争の目標が何で、その目標が努力や犠牲に値するものかどうか」を正確に知ることを前提にしている。また、双方は、「戦いを継続ないしは断念する」という他方の意図を評価するために必要な情報を持っており、したがって、一方あるいは他方の側は、敵の現在及び将来の相対的な強さを正確に計算できることを想定している。
 さらに、システム・アプローチの支持者は、「一方または両方の側は、すべての実行可能なオプションのコストを予測し、比較することができる」とも考える。彼らは、「戦争は、有形な要素と政治・統率・情報のような無形な要素の混合による影響のために、めったに均衡状態にない」ことを認める。また、「戦争遂行における摩擦・疲労・士気の喪失・無能な指導者の影響」を彼らは認める。しかし、彼らは「戦争遂行における摩擦・不確実・危険・恐怖・偶然・幸運の混合による影響を正確に予測することができない」ことを理解していない。
 クラウゼウイッツは、「摩擦が、紙上における戦争と実際の戦争との相違を示す要因である」と書いた。彼の見解では、戦争における行動は、抵抗要素が存在する中での移動に似ている。摩擦は、多くの予想外のことから生じ、そして戦争におけるすべての活動を大なり小なり邪魔する。
 クラウゼウイッツは、「軍隊という機械は、基本的に単純であり、したがって管理することは容易である」と書いた。しかし、その機械は、多くの部分から構成される。これらの各部分は、摩擦を生む可能性を持っている。摩擦は、一見して容易な事項を極めて困難ものにする。そして、クラウゼウイッツは「戦争における摩擦の最大の源は、正確な認識が困難であることだ」と書いた。つまり、物事の予測は、極めて困難である、ということである。さらに、彼は「戦争における摩擦が、力学のように数値に換算されることができない」ことも強調した。「摩擦は機会ある度に、どこにでも発生する。それは、大部分が偶然に起こるため、測定することができない影響を引き起こす」と。
 戦闘が対立する意思の衝突であるから、不確実な要素と未知の要素が多い。この「戦争の霧」は、摩擦と一体化するとき、指揮官が決定しなければならない多数の曖昧な事態を作り出す。戦争のレベルが高くなれば、状況はそれだけ多くの不確実な要素を包含する。奇襲と欺へんを達成する機会は、「戦争の霧」が増加するにつれて増大する。クラウゼウイッツは、「指揮官が完全に知っていることは、彼自身の状況だけである」と書いた。指揮官は、信頼性の低い情報から、やっと敵の状況を知る。また、敵の戦力を過小評価ないしは過大評価することは、人間の特性である。意思決定が不完全ないしは不十分な情報、あるいは偽情報に基づいているなら、軍隊の有効性は低下する。「戦争の霧」は、指揮官が意思決定にあたり、高いリスクをあえて賭けるか、極度に用心深く、熟慮するようになる主要な要因である。「状況についての知識」における不確実性や不完全性は、情報技術の進歩にかかわらず、完全には克服することができない。戦争の不確実性は、情報不足の結果だけでなく、与えられた状況を理解しないことによってもしばしば生起するのだ。

おわりに

 強調に差があるが、システム論支持者はみな、戦争に関する同じ見解を本質的に共有する。彼らは新ニュートン学説の信奉者である。なぜなら、戦争を機械として見るからである。彼らにとって、戦争の結果は、予測可能である。従って、彼らは、戦争における有形・無形の諸要素を計量しようとする。システム主唱者は、一般に技術の役割と重要性を強調し過ぎる。さらに、状況の不確実性を除去できないとしても、困難ではあるが、減少させることができる、と彼らは信じている。摩擦の要因は除去できる、とも見る。彼らは、「人間活動の多くの側面--例えば、経済、ビジネス、組織、政治体制--を分析する際に、システム理論を成功裡に適用できる」と安易に考える。しかしながら、戦争にシステム理論を適用することは、その理論をあまりにも拡大解釈している。戦争は経済活動ではない。また、それはビジネス(米軍や他国の軍隊で広く考えられているように)でもない。複雑性と予測不能性において、戦争に近い他の人間活動はない。
 多くの人は、180年前のクラウゼウイッツの考えに同意できないかもしれない。しかし、戦争の本質、政策と戦略の関係、さらには戦争における精神的・心理的要素の重要性に関する彼の見解は、時間の経過にもかかわらず、当時と同じくらい有効である。戦争は、不確実、摩擦、偶然、運不運、恐怖、危険、不合理でいっぱいの領域のままである。技術の進歩は、それを変更しないだろう。
 最後に、戦争へのシステム・アプローチを含む、新しく出現するどんな軍事理論も、「現実のテスト」に遭遇するだろう。そして、その理論が現実と矛盾するなら、修正されるか、根本的に変更されるか、放棄されるに違いない。(JFQ / issue 52, 1st quarter 2009より90%の超訳)


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紛争に関するシステム的アプローチ(1)

戦争へのシステム・アプローチVS古典・アプローチ(PART I)   
(Systems versus Classical Approach to WARFARE)
                   Milan N . Vego     

はじめに
 
 戦争へのシステム・アプローチ又はシステミック(システム全体的)・アプローチは、1990年代中頃以降、米軍やNATO軍を始め、西側の軍隊において支配的な思想となった。このことは、「ネットワーク中心の戦争(NCW)」や、「影響ベース型作戦(EBO)」、それに最近の「システミック作戦デザイン(SOD)」の提唱を、米軍だけでなく他国の軍隊も広く、ほとんど無批判に受け入れていることからもうかがえる。しかし、軍事的システム・アプローチの理論的基礎が抱えるいくつかの重大な欠陥に対しては、注意がほとんど向けられていない。
 古典的軍事思想は、冷戦後の新しい環境、高度な情報技術、殺傷性の高い長距離精密兵器の出現に答えることができない、と言われてきた。カール・ホン・クラウゼウイッツ(1780ー1831)の「戦争の本質」に関する考えは、無視されている。しかしながら、システムの視点から戦争をとらえることには、重大な欠陥がある。このことは、アフガニスタンとイラクでの米国やNATOの経験、そして2006年の第二次レバノン戦争におけるイスラエルの経験から明らかだ。これらの紛争は、戦争へのクラウゼヴィッツ的視点が永遠の価値を有することを示している。将来、「戦争に対するシステム的視点についやされる努力や資源は浪費である」と見なされるにちがいない。

1、軍事状況のシステム的視点

(1)システムのシステム分析  
 EBOの主唱者達は、軍事状況の分析について、伝統的アプローチとは、根本的に異なる見解をとった。彼らは「軍事状況を明確にする最良の方法は『システムのシステム(System of Systems)』と呼ぶものを検討することである」と説く。「システムのシステム」は、その本質において「5リング・モデル」の変形である。『統合出版(JP)3-0、統合作戦(2006)』と『JP 5-0、統合作戦の計画立案(2006)』は共に 、状況分析にあたりシステム的視点を採用した。
 「システムのシステム分析(SoSA)」は、EBO立案のための根本原理として使用される。SoSAによると、「システムのシステム」は、政治・軍事・経済・社会・インフラ・情報の主要システムに区分される。これらシステムの各々はさらに「ノード(決定的なポイント)」と「ノードの連結」に分割される。ノードは、システムの内部にある有形な構成要素(人、場所、物理的な事物)であり、標的(ターゲット)となる。「ノードの連結」とは、ノード間の物理的・機能的・行動的関係である。SoSAは、システム間の関係や、各システム内部のノード間関係を明らかにする。また、SoSAを支持するアナリスト達は、ノードを相互に連結させ、その上で「鍵となるノード(戦略的ないしは作戦的に影響を及ぼすノードまたは重心として定義される)」を決定する。いくつかのノードは、軍事行動のための「決定的な点」になる。
 SoSAは「ノード分析」を生む。ノード分析によって、「結果(影響)」が明らかされるとともに、「影響を生むノード」、「ノードに対するアクション(タスク)」、「タスクに使用される資源」が特定される。ノードとその連結は、外交・情報・軍事・経済(DIME)的アクションのターゲットとされる。その結果、システムの態度・行動・能力に影響を及ぼし、望ましい目標を達成する。作戦上及び戦略上の影響を及ぼすために、殺傷力や非殺傷力等の「国力の道具」は、ノードの連結に作用するように運用される。その究極的な狙いは、敵システム内部に盲目状態や頭脳麻痺状態を作り出すことによって、戦争の戦略目標を達成することである。
 しかしながら、EBO支持者は「誰がDIME的アクションを計画・実行する権限や責任を持っているか」を明確にしていない。なかには、これらのアクションが作戦司令官の責任であることを匂わせている者もいる。がしかし、作戦司令官に責任はない。国家や同盟/連合国の最高政治指導者だけが、力の軍事的・非軍事的道具を総合的に計画し、運用することができるのだ。
 EBO主唱者は、敵システムの物理的な部分に対してアクションをとることによって、人間の活動分野において「望ましい結果(影響)」を生むことができる、と確信している。しかし、この主張は疑わしい。人間の活動は複雑で、原因と結果(影響)を結びつけることは、極めて難しい。彼らは、人間の活動を「生命のない、受動的なものだ」と誤認している。EBO支持者によって描かれた現実は、存在しないか、もしくは作り出すことができない。要するに、人間は、物理的な分野以外において、非常に複雑な活動をおこなっているのである。

(2)システミック作戦デザイン(SOD:Systemic Operational Design)
 米陸軍が関心を抱いている「システミック作戦デザイン」もまた、システム的観点から状況を把握しようとする。この考え方は1990年代中頃に、イスラエル防衛軍作戦理論研究所から出てきた。その起源は、ソ連の作戦思想に見られる。また、この考え方は、フランスのポスト近代哲学者達(ほとんど左寄り)、特にギレス・デレウゼ(1925〜1995)やフェリックス・グアタリ(1930〜1992)に大きな影響を及ぼした。SODの支持者たちは、SODが「認識論」に基づいているとともに、「目的論的アプローチ」の代わりとして開発された、と説明する。
 EBO主唱者とは対照的に、SOD主唱者は、不確実性が戦争のような「複雑適応システム」の属性であると認識する。彼らは、いわゆる「連続的システム再構築(伝統的アプローチ論者は単に『状況の継続的評価』と言っている)」と呼ぶものを採用することによって、問題を解決しようとする。
 SODへの熱狂的支持者は、「EBOアプローチはノードとその連結を破砕することに焦点を当てるが、SODは、システム内部の各部分(構成要素)間の関係や相互作用を変化させることに焦点を当てる」と主張する。EBOアプローチのように、SODもまた、全体的(holistic)な視点--「システム全体」と「構成要素間の相互依存」の重要性を強調する視点--から軍事状況を分析する。SOD支持者は、「ホリスティックな視点に立てば、現代の軍事行動は、線形のアプローチを適用するにはあまりにも複雑である」と言う。なぜなら、敵および環境が複雑適応型システムを形成しているからである。したがって、彼らは主張する、「そのようなシステムを破壊することはできないが、不安定状態--すなわちカオス--に押し込めることは出来る」と。 
 軍事問題へのシステム的視点は、いずれも誤っている。第二次レバノン戦争において、イスラエル軍は、ヒズボラの部隊を撃破することに失敗した。このことが示唆するように、「戦争へのEBOとSODの両方のアプローチは、ともに無益であった」といわざるをえない。

(3)システム思考の問題点 
 システム思考は、還元主義(reductionism)的方法を補足するため、ホリスティクな方法でシステムを研究する技法として開発されてきた。この技法とは対照的な考え方が、「分析的な還元の原則」である。還元主義の考え方は、レン・デカルト(1596〜1650)にさかのぼる。この種の分析法は、複雑な現象の中で単純な性質を特定すると共に、問題の最良の解決策を見出すために、出来るだけ多くの部分に分割する手法である。これまでの経験からして、還元分析は、科学的に使用される最も有効な説明テクニックである。
 ホリスティクなシステム・アプローチとは、他のシステムとの関連や、システムを構成する諸要素間の「連結」や「相互作用」を考察することによって、システムを理解しようとするものである。システム思考は、「複雑システムにおいては、小さなイベントが大規模な変化を引き起こす」ことを示そうとしている。この考え方は、システムを個別の諸要素へ分割する伝統的な分析法と対照的である。
 軍事状況の分析におけるシステム的視点は、現実には還元主義であり、過度に単純化している。システムは、その構成要素が個々に行動することはないし、また構成要素の量的総和として行動することもない。したがって、システム全体の一般的実績(パフォーマンス)は通常、システムを構成する個々の要素があげる成果の「算術的総和」とは相当異なる。システム・アプローチの主唱者は、不合理性・不確実性・カオスに満ち溢れた状況において、合理性、確実性、科学性を探し求める。彼らは、「状況の構成要素をすべて正確に特定することができ、しかも間違いは起きない」と考えている。即ち、敵は本質的に受動的で、我軍に有利になるように行動する、と見ているのだ。戦争に関するこの見解は、過度に単純化されている。なぜなら、戦争における心理的要因の役割と、クラウゼヴィッツの「戦争の摩擦と霧」の要因を考慮していないからである。
 より重大な問題は、システム・アプローチの支持者達が「状況の有形・無形な諸要素を、ノードとその連結に置き換えることができる」と考えていることだ。これは事実に反する。例えば、人間的要素は、単純にノードとその連結に区分できない。人間的要素は、戦争のどんなレベルでも、特に戦略・作戦レベル、すなわち戦争の勝敗が決まるレベルでの状況分析において、鍵となる重要な要素である。戦争のレベルが高いほど、無形な諸要素間の相互作用は複雑になる。加えて、状況の有形・無形な諸要素は、軍事的・非軍事的な力を含んでいる。
 たしかに、有形な諸要素は、大部分、ある程度は測定可能である。しかし、すべての有形な諸要素が必ずしもそうだとは限らない。有形・無形の諸要素は通常ミックスされ、きれいに分離することができない。戦略・作戦レベルで運用される部隊の場合には、特にそうである。また、有形な要素は、不適切に評価されることもある。それは時間とともに変化し、意図的に、あるいは不注意に誤って報告されることもあろう。それらは、恐怖、嫌悪、不信、疲労、ストレスのために、誤って理解されることも往々にしてある。
 さらに、有形な要素は、誤って評価されることもある。例えば、敵部隊あるいは兵器/装備の規模・数は、正確に観察されるかもしれないが、誤って報告されたり、状況と関係なく評価されたりすることもあろう。受け取られた情報は、正確かもしれないが、指揮官や幕僚が誤って解釈することもある。これが、意図的にあるいは無意識に生じることがある。無能さや保全上の欠陥、あるいは反逆行為によって、有形な要素が誤って評価されることもあろう。指揮官が、敵の能力や意図を誤って評価することは良くある。指揮官と部下の間の誤解は、戦闘時には頻繁に発生する。誤解は、予測することも、計量することもできない。兵器や装備の技術的故障は、いつでも生じる恐れがある。大気中で起こることの影響は通常、正確に測定することができない。例外はあるが、自然の出来事は、適時に予測することができない。従って、人間と技術を信頼できないことが、紛争中の両当事者の戦闘行動に大きな影響を及ぼす。
 「有形なもの」とは対照的に、「無形なもの」を計量することは、さらに難しいか、不可能である。無形なものは、大部分が人間的要素に関係する。同盟/連合の団結、戦争への大衆の支援、士気や規律、部隊の団結心のような幾つかの人間的要素は、低度・中度・高度・極度といった漠然とした用語でしか評価できない。他の無形の諸要素、例えば、統率力、戦う意思、小部隊の団結力、戦闘意欲、ドクトリン等は、精確に計量することが非常に困難である。戦略レベルでは、敵の政治・軍事指導者の質や、彼らの将来の意図および反応は、評価することが困難であり、確信をもって予測することは難しい。敵の指導者は「非常に不合理だ」と思われる決定を下すことさえある。

2、「作戦」思考とは何か(伝統的アプローチ)

(1)大局的視点 
 伝統的な軍事思考様式は、システム思考よりも、包括的・現実的で、ダイナミックで、柔軟である。戦略・作戦レベルにおいて、指揮が成功する必要条件の一つは、パノラマのような見方をすることと、広く考えることである。「作戦」を考える指揮官の能力は通常、固有の特性ではなく、長年にわたって養成されるものである。大局的に考える必要性は、「作戦」に関する多くの理論家や実務者によって認識されてきた。例えば、プロシアの将軍ゲルハルト・ヨハン・デービッド・ホン・シャルンホルスト(1755〜1813)は、「部分を見る前に全体を見なければならない。これは第一の原則である。この原則は、歴史研究から、その正しさを学習することができる」と言った。クラウゼウイッツは、「小さなことは常に大きなことに、些細なことは重要なことに、付随的なことは本質的なことに依存する。このことが、われわれの道を照らさなければならない」と書いた。1857年から1888年にかけてプロシア・ドイツ軍の参謀総長であったヘルムート・フォン・モルトケ(1800〜1891)は「高級指揮官は、詳細なことを具体的な方法で実行するよりも、大局的見地を保持することがはるかに重要である」と信じていた。

(2)戦術思考からの脱却
 「作戦」思考は、平戦両時における、指揮官の意識的な努力の結果であり、そして「作戦」成功の最大要因である。しかし、多くの作戦指揮官は、本質的に狭い戦術上の観点に囚われたままである。戦術的に考えることは容易である。それは、全指揮官が違和感を抱かない領域である。なぜなら、戦術思考は、彼らのプロフェショナルな経歴のほとんどで行なってきたことであるからだ。歴史をひもとけば、指揮官が広くかつ遠く思考する能力を持っていないか、あるいはそうしようと意図しなかったため、キャンペーンや「主要軍事行動(major orperation)」において大損害や敗北を帰した戦例が多数ある。
 指揮官が平戦両時にわたり、その責任をはたすにあたり、戦術上の観点ではなく、「作戦」上の観点に立つなら、彼は「作戦」的に考えている。地域的に捉えるなら、「作戦領域(theater of operation)」が「作戦」的視野に入る。指揮官の戦術的視野は、はるかに狭い。なぜなら、彼は与えられた「戦闘地域(combat zone)」や「行動地域(area of operation)」で、戦術目標の達成を目指した「計画の立案」と「行動の実行」に焦点を当てるからである。
 最も広い視野は、軍事戦略および戦域戦略レベル(theater-strategic level)で要求される。戦略的視野は、国家政策目標や国家戦略目標を「達成可能な軍事目標や戦域戦略目標」に転換し、そしてその目標を達成する軍事的・非軍事的な使用手段の組み合わせる能力を必要とする。戦術指揮官は通常、非軍事的な手段の使用には関係がないが、戦略・「作戦」指揮官には関係がある。しかしながら、例外がある。それは、次ぎのような場合である。即ち、状況の非軍事的な様相が戦争のすべてのレベルに重要な役割を果たす「戦争にいたらない軍事行動(MOOTW)」、例えば、キャンペーンのポスト交戦状態の段階や低強度紛争のような軍事行動である。
 「作戦」指揮官が大成功を収めるには、政策・戦略・作戦術・戦術の間にある相互関係および連係について十分な知識と理解を持っていることが必ず必要である。彼らは、「戦争の各レベルの特性」および「各レベルにおける決定と行動が他のレベルのイベントに及ぼす影響」を十分理解すべきである。軍事的・非軍事的な手段を同時に使用したり、順次に使用したりする際に、「作戦」指揮官には、大画面に焦点を当てると共に、小さいイベントや無関係なイベントに囚われない能力がなければならない。
 また、「作戦」指揮官は、担当戦域の状況に関する非軍事的な様相について広範な知識を有し、理解を深めるべきである。戦術上の指揮官とは対照的に、「作戦」指揮官は、キャンペーンや「主要軍事行動」の遂行にあたり、力のすべての手段を同時かつ順次に使用しなければならない。状況を構成するいくつかの要素についての知識および理解は全く満足するものでないとしても、また不確実要素が多いとしても、「作戦」上の正しい決定が下されなくてはならない。空間、時間、戦力の観点から、「作戦」指揮官は、戦術指揮官よりも大きな不確実性に直面する。一般に、指揮官は、作戦レベルよりも戦術レベルにおいて、「行動するリスク」または「行動しないリスク」を正確に測定することができる。
 「作戦」指揮官は、「作戦」目標や付与された戦略目標に対して、空間・時間・戦力の要素を適切にバランスさせなければならない。そうでなければ、彼は、キャンペーン又は「主要軍事行動」の最終目標を達成できないだろう。目標が広範囲であるために、このプロセスは、戦術レベルよりも、はるかに困難で、時間がかかる。一般に、軍事目標の範囲が広ければ、指揮官の状況評価は、それだけ多くの不確実性を伴う。「作戦」指揮官は、自分の行動への敵の対応を予想し、次に、敵の行動に対応するための決定を下す並外れた能力がなければならない。
 戦術的観点からではなく、むしろ「作戦」上の観点から、「作戦」指揮官は、物理的な環境の特徴を評価する必要がある。このことは、キャンペーンおよび「主要軍事行動」の行動方針と結果に影響を及ぼす地理学・水路学・海洋学の観点から、それらの特性を評価することを意味する。また、「作戦」指揮官は、戦域の一部における多軍種/多国籍軍の運用に関して、天候よりも、むしろ気候の影響にもっと関心を持たなくてはならない。

(3)将来を展望する能力 
 指揮官が戦闘地域を越えて展望するだけでなく、戦闘の将来をも展望するなら、彼は「作戦」を思考していることになる。指揮の範囲が広大であるなら、指揮官はそれだけ先のことを考えるべきである。「作戦」指揮官は、自分の行動に対する敵の反応を正確に予測することによって、適時適切な決定を下し、対応行動をとり、敵の対応行動に応じて別の決定を下す準備をすることができる。成功の鍵は、「敵の決定サイクル内部」で行動することである。この能力なしでは、「作戦」指揮官はイニシアチブをとり、維持することができない。また、イニシアチブなしでは、行動の自由が相手によって制限されるだろう。
 また、「作戦」指揮官は、「作戦」を遂行するにあたり、将来の新技術のインパクトを評価する能力を持つべきである。彼は、特定の兵器や兵器プラットフォーム、およびセンサに焦点を当てるのではなく、それらが大量に使用された時、キャンペーンまたは「主要軍事行動」の遂行に及ぼす影響を予測すべきである。モルトケは、彼の時代の技術的な進歩(特に鉄道および電信)が戦争とキャンペインの遂行に与えるインパクトを理解した軍人だった。彼は、部隊の移動、特に動員と展開段階での鉄道の重要性を強調した。彼は、1859年に最初の動員計画と移動表の起草を指示した。さらに、彼は軍事技術の「進歩」に注意を払った。陸軍元帥アルフレッド・ホン・シュリーフェン(1833〜1913)も、新技術の採用へ並々ならぬ熱意を示した。しかしながら、モルトケとは対照的に、シュリーフェンは、将来の技術開発に関係する適切な将来展望(ビジョン)能力を欠いていた。
 「作戦」指揮官の「作戦ビジョン(任務が達成された後の軍事状況を正確に予測すること)」は、作戦思考と深い関係を有する。「作戦ビジョン」は、キャンペーン等の計画・実行を「作戦」的に思考するため、必要不可欠である。それは、「作戦」思考よりも範囲において本質的に狭い。また、時間の観点に立てば、それは、キャンペーン等の予測される期間に制限されている。「作戦ビジョン」は、隷下の戦術部隊指揮官に伝達される「作戦指揮官の意図」として明示される。「作戦」指揮官が「勝利に関する彼のビジョン」と「勝利を達成するための条件・方法」をすべての部下に対して伝えることは、成功するために極めて重要である。「作戦」指揮官の「作戦ビジョン」は、彼の人格的特性、教育・訓練、経験のコンビネーションである。指揮官は一般に、指揮のレベルが高くなればなるだけ、望ましい達成目標を描き、遠い将来を展望しなければならない。そして、軍事目標の範囲が大きくなればなるほど、軍事的「終末状態(endstate) 」とそれに至るイベントの展開を正確に予測することは、より複雑で、より困難な状況になる。
          (PART IIに続く)

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2010年05月15日

21世紀の作戦設計

「オブジェクト・フォース」のための作戦術
(Operational Art for the Objective Force)
                      ジェームズK.グリーア米陸軍大佐 
はじめに
 米陸軍のトランスフォメーション政策である「オブジェクト・フォース」構想が開始されると、次のような質問が多数発せられた。将来の陸軍は、どんな敵と、どういう状況で、どこで、何をすることを求められるか。陸軍は、統合化、多国籍化、省庁間の連携強化の流れの中で、如何に行動すべきなのか。将来、どの技術革新が陸軍の運用に影響するのか。陸軍はどのような戦術で戦うのか。そして、主として陸上で行動し、キャンペインを遂行する陸軍は、如何に運用されるのか、即ち、将来の作戦術はどのようなものか。
 米陸軍トレイニング・ドクトリン・コマンド(TRADOC)のワー・ゲームや陸軍トランスフォメーション・ワー・ゲームにおいて、「戦争は戦術レベルにおいては変わらないが、21世紀のキャンペインは20世紀のものとは著しく異なるだろう。」という観測が出始めた。

1、作戦術(Operational Art)の変遷
 将来の作戦術につて考察する前に、現在の作戦術について理解する必要がある。1970年代末から1980年代初頭にかけて、陸軍は、「戦争の作戦レベル」と「作戦術」をドクトリンに加え、「FM100-5、作戦」の1986年版である「AirLand Battle ドクトリン」を作成した。作戦術に関する論理的根拠の必要性から、統合関係組織は、陸軍のドクトリンをそのまま統合出版物「JP3-0、統合作戦ドクトリン」に取り入れた。 1986年の作戦設計(Operatioal Design)は、軍事理論、軍事史、軍事訓練に関する詳細なTRADOCの研究を膨らましたものであった。これら3領域の研究から導き出された見識と結論が、1989年の「ジャスト・コウズ作戦」および1990年の「砂漠の嵐作戦」のドクトリンとなり、このドクトリンによって両作戦は成功した。
 検討された主要な軍事理論家は、「重心」、「霧」、「摩擦」、「絶頂」を説いたカール・ヴォン・クラウゼウイッツ、「作戦ライン」と「決定的なポイント」を説いたヘンリー・ジェミニー、「縦深の戦い(deep battle)」と「戦争の作戦レベル」を説いたロシア人のトチャチェウスキとトイアンディフィロブであった。また、すべての理論的アプローチがニュートン論理および線形決定論にもとづいていた。なぜなら、当時は、すべての活動がこれら2つのレンズをとおして見られていたからである。
 「AirLand Battle」の作戦設計は、歴史の徹底的分析から始まった。ナポレオンのキャンペイン(compain)に関する研究は、大規模編成の軍事行動の考え方と、主力軍から離れ、独力で戦いに勝利する軍団の開発を明らかにする。ヘルムート・フォン・モルトケの1866年と1870年のキャンペインは、機動の重要性を実証した。ユリセス・S.グラントの米国南北戦争におけるキャンペインからは、時間と空間においては分散しているが、目的という点では統一している軍事行動のダイナミックス性について見識を得た。第二次世界大戦におけるドイツ軍の電撃戦およびロシア軍の縦深運用からは、時間・空間・目的における戦い(battle)と軍事行動の関係について見識を深めた。
 実際の適用場面では、1967年と1973年のアラブ=イスラエル戦争の経験が活用され、ソ連の攻撃から中央ヨーロッパを守る大規模・高強度戦闘を準備した。複数軍団で何度も行われた「リフォージャ演習」のような経験、周到な戦争計画、高級指導者のワー・ゲームは、大部隊の機動運用がかかえる課題を理解するのに役立った。
 戦争の作戦レベルと作戦術に関する米国のドクトリンを理解するには、理論・歴史・慣習から教訓を見出すことが第一歩である。米国とNATO諸国間のドクトリンや慣習上の緊密な協同によって、作戦術に対する西側のアプローチをNATO全体が受け入れることになった。 1989年12月にパナマのマヌエル・ノリエガを権力の座から追い出す軍事行動および1990年にクウェートをイラク占領から解放する有志連合のキャンペインの設計は、「AirLand Battle」のドクトリンの中核を形成した「作戦設計の構成要素」に基づいていた。
 しかし時代は変わり、世界と戦争もまた変わった。ベルリンの壁の崩壊に始まり、テロリズムに対する現在のキャンペインまで継続してきた一連の劇的な出来事によって、陸軍は紛争の全スペクトルにわたり広範囲の軍事行動を実行することになった。ボスニア・コソボ・シナイ半島での平和支援活動、東ティモール・ハイチ・ルワンダの人道援助活動、麻薬取り締まり、洪水・ハリケーン等の災害救助のための国内支援は、陸軍が実行する多くの任務のサンプルである。
 不幸にも、現在の作戦設計の考え方は多くの場合、全スペクトルにわたる軍事行動が必要とするキャンペインや主要軍事行動(major operations)の設計手段を立案者や指揮官に提供するものでない。FM 3-0の2001年版における作戦の論理的な考え方にもかかわらず、現在の対テロ・キャンペインの立案者はバルカン諸国における平和支援活動の立案と同じような課題に直面する。今日の作戦設計に関するドクトリン上の考え方は、紛争の全スペクトルにわたる軍事行動のための効果的で、首尾一貫したキャンペインを設計し、遂行する立案者や指揮官の能力を阻害する。

2、将来の運用環境(operational enviroment)
 冷戦の戦略的環境から解放された相手は、戦略的ゴールを達成する兵力を駆使するだけの量的能力・適応能力・創造性・意志を持っている。古いソ連のモデルに沿って闘うために装備され、訓練された相手に直面するよりも、むしろ様々な新しい、しかも効果的な方法で、通常戦・非通常戦・情報戦を組み合わせる相手に、米軍は直面するだろう。それらの相手は、米国のハイテク支配の戦争を相殺するロウテクの非対称的アプローチを活用することに努めるとともに、彼らの軍隊の一部を抽出して近代化するために、地球的規模で拡散する安いハイテク兵器システムを利用するだろう。
 ソマリアおよびバルカン諸国における戦術的・作戦的コントロールのための携帯電話の使用、セルビアによるF117Aステルス戦闘機の撃墜、米国艦コールに対する攻撃や2001年9月11日の攻撃は、陸軍が将来の軍事行動やキャンペインにおいて直面する潜在的な脅威の多様性と有効性を示している。しかし、将来のキャンペインや主要軍事行動(major operations)の立案者と指揮官にとって、すべてが変わったとは言えないだろう。作戦術は、依然として、
*戦略目的を戦術行動に転換することを意味し、
*統合化、多国籍化、省庁間の緊密化を常に指向し、
*キャンペインや主要軍事行動と関連し、
*一連の戦い(battle)、交戦(engagement)、軍事活動(military activity)を含み、
*外交・経済・情報上の努力と常に調整・統合し、
*決定的な時間と場所におけるパワーに焦点を当てることをいう。


 予測される運用環境の変化にもかかわらず、戦争の性格は変わらない。先端技術や情報作戦を駆使しても、戦争は、人々が死に、物が破壊される残忍なビジネスでありつづける。
 戦争の物理的・精神的領域--危険・疲弊・不確実性・好機に支配される領域--に関するクラウゼウイッツの考えは、1830年当時と同様、今日でも有効である。更に、将来戦を闘うどんなドクトリンも、クラウゼウイッツと同様に、指揮官および、部隊を機動させる彼らの能力に焦点を当て続けなければならない。それでいて、戦争や軍事行動に関する陸軍の考え方は変わり続けるだろう。

 作戦術に関する初期の開発は、歴史上のキャンペインや主要軍事行動の詳細な調査が重要であった。歴史研究は、かってのワルシャワ条約軍に対する大規模・高強度の戦闘を想定する作戦設計、つまりキャンペインに焦点を当てた。最近の米国の軍事行動の特性および予測される将来の運用環境は、歴史研究を異なる方角へ導く。
 「砂漠の嵐作戦」のような大規模で、通常型のキャンペインも研究されなくてはならないけれど、遠征キャンペインや危機対処行動を含む軍事行動の全スペクトルを包含させた歴史研究も重要である。例えば、ベトナム(1945-1975)、ソマリア(1992-1993)、フォークランド(1982)、ノルウェー(1940)、中国・ビルマ・インド(1941-1945)、パナマ(1989)、コソボ(1999)等のキャンペインが含まれるであれる。
 現在の軍事行動から見識を得るために、本土安全保障(2001年9月11後)、対麻薬軍事行動、世界的規模の対テロ軍事行動、現アフガニスタンやフィリピンでの軍事行動も、一層の研究されなければならない。これらのキャンペインや主要軍事行動の立案と実行の検証は、現在の作戦設計ドクトリンを適用しようとすることの困難性を明らかにする。重心・作戦ライン・決定的なポイントは、バルカン諸国での政治的・経済的・軍事的な平和維持努力が複雑にミックスした情況、ないしはアルカイダのような世界的で、クモの巣のような、国境を越えたテロリスト組織を攻撃する場合には、適用困難である。

3、作戦設計に関する5つの代替案
 将来のキャンペインや主要軍事行動を効果的に計画し、実行するためには、新しい作戦設計の考えが必要である。重要な質問は、「その設計はどのような形式をとるべきか」である。少なくとも5つの代替案が、作戦設計のアプローチとして現在検討されている。5つの代替案は、現在のドクトリンを適用するにあたっての難しい問題と取り組もうとするものである。それらは下記の5案である。

(1) 現在のドクトリン
 もし現行のドクトリンを改善するなら、重心・作戦ライン(物理的でかつ論理的)・決定的なポイントに関する現在の作戦設計でも通用するかもしいれない。
 
(2). システム・アプローチ
 システム・アプローチは、すべての軍事組織を複雑なシステムとして見る。そして、作戦設計の考えを開発するにあたり、新システム、カオスの科学、複雑性理論を適用し、対立するシステムをカオスあるいは平衡のいずれかに区別する。
 どのような新しい作戦設計の考えも、システム・アプローチを併合しなければならない。このことは、疑問の余地がない。20年前には存在さえしなかったニュー・サイエンスによって、陸軍は世の中のすべての組織、すべての軍事組織がシステムであること、そして互いに作用し合うシステムの態度(behavior)をシステム理論によって説明できることに気付いた。機甲師団が、テロリスト・グループや空母戦闘群・戦闘機中隊・整備中隊と同様に、システムであると理解することは、伝統的な思考にはない。
 システム理論は、ほとんどのシステムがそのシステムの環境や他のシステムと、相互に作用し合うことを教える。その環境の変化に対処・適合することができないシステム、ないしは他のシステムとの相互作用の結果生まれるシステムは、複雑さから出て、次の2つの状態のうちの1つに追いやる。2つの状態とは、「平衡(equilibrium)」と「混沌(chaos)」である。「平衡」は、システムが生産的活動をできない状態であり、「混沌」は、活動はするが、目的や方向がない状態をいう。
 陸軍部隊が軍事行動を成功裡に遂行しており、確実に指揮・統制機能を発揮しており、環境や敵の行動の変化に適合しているなら、その部隊は「複雑性」の状態にある。もし同じ陸軍部隊が敵の行動に対して打つ手がなく、その兵士が降伏したならば、その部隊は「平衡」の状態にあるといえよう。部隊の活動が無調整で、その結集力や指揮・統制が失われ、いくつかの部隊が敗走するなら、部隊は「混沌」の状態にある。
 「平衡」状態にあるシステムの例は、1940年、ドイツ軍による電撃戦に対する「フランス軍戦略コマンド」、「砂漠の嵐作戦」初頭の「イラク軍防空システム」、1989年ワルシャワ条約崩壊後のソ連軍である。「混沌」の例は、1940年ドイツ軍の電撃戦に対抗するフランス軍戦術部隊、「砂漠の嵐」の地上作戦におけるイラク陸軍、ベトナム戦争(1967-1971)末期における米軍があげられる。
将来の作戦指揮官は、どの敵システムを「崩壊」させなければならないか、どのシステムを「混乱」させることができるか、どのシステムの特定の能力を単に「破壊」すれば良いか、どのシステムを「無視」することができるかを決めなければならないだろう
 
(3)影響重視型(EB)
 米空軍大佐ジョン・ワーデンの「航空キャンペイン」をもとに開発されたアプローチ。影響重視型のアプローチは、戦略目標を達成するために、どのような「影響」が必要とされるか、そして必要とされる「影響」をもたらすために、どのような軍事行動をとるか、ということを明らかにする。「作戦の影響を重視するアプローチ」は、単なる「破壊を狙った兵力の使用」よりも、むしろ望ましい影響に焦点をあてるという観点から、大きな長所を持っている。
 EBOサイクルは、戦略と戦術の強い連携を付与するが、しかし、それは、望ましい影響と、キャンペインまたは主要軍事行動との統合のための方法論を提供していない。代わりに、EBOサイクルは「敵の電力網を切断すべきかどうか」、「もし切断するなら、どのようにするか」を決定するためには最適であるが、陸軍がそれをするかどうかを決定するためのフレーム・ワークを提供していない。

(4)破壊・混乱・分裂
 ジェームズ・J・シュナイダーは1980年代に、敵を打倒するための武力の運用法として、相手の(物理的)武力を破壊すれば、破壊につづき、指揮・統制(電脳)が混乱、最後には部隊の結集力(士気)が分裂する、と説いた。シュナイダーの考えは、指揮官よりも部隊に、機動よりも物理的武力の使用と物理的な破壊に焦点を当てた。
 しかし、現在、陸軍は、相手の破壊・混乱・分裂を達成するため、シュナイダーとは異なる方法を探し求めている。アルヴィン・トフラとハイジ・トフラの書「戦争と対戦争」が説いているように、情報化時代における戦争理論は、工業化時代とは異なった好機を提供する。混沌(カオス)の科学や複雑性の理論のような情報化時代の科学は、軍事的成功の鍵としてシステムや情報に焦点を当てる。最近の十年間における「戦闘力の精確な使用(precise application of combat power)」の事例は、戦争に関するこれらの新理論の妥当性を示している。
 一連の新しい理論は、トフラー夫妻の論文に見られるように、情報化時代のものである。「すべての人間社会を変化させる波が真の革命をもたらす」とトフラー夫妻は説いた。夫妻は、それを第3の波--情報化時代−-と呼んだ。過去十年以上、情報戦に関するそのような理論は幾何級数的に、しかし一貫性なく成長した。情報戦に関する理論が戦争の遂行に著しい変化を約束しているが、ジョミニーと異なり、情報理論を実際的な運用構想に転換することは困難である。

(5) 緊要で、脆弱な重心(COG)
 米国の海兵隊は重心の理論的な考えを、戦闘力の使用にあたっての実際的アプローチに転換するために、革新的なドクトリン上のアプローチを検討している。このアプローチは、相手兵力の緊要で、脆弱な部位--相手の重心がなくなってしまうような部位--を見つけ、そこを攻撃し、撃破するものである。
 米海兵隊大学のジョー・ストレンジが提案するこのアプローチは、クラウゼウイッツの重心理論の考えをとりあげ、その考えから「戦略目標を達成できる軍事的タスク」を引き出そうとするものである。ストレンジの提案は、敵の「重心(COG)」を特定し、次に、その「重心」を形成する「緊要な能力(Critical Capabilities)」を特定する。「緊要な能力」を特定したなら、「緊要な能力」が敵の目的達成のために持っていなければならない「緊要な必要事項(Critical Reruirements)」を引き出す。「緊要な必要事項」から、攻撃され、打倒される特定の脆弱部位を引き出す。考え方は、緊要な脆弱部位を攻撃・打倒することによって「緊要な必要事項」が除去されてしまうので、その「緊要な必要事項」なしでは、「緊要な能力」が敵の重心を形成することができない、というものである。
 ストレンジの考え方の重要性は、「重心」という漠然とした考え方を軍事的タスクに転換するため、系統的な方法を提供するという点にある。しかし、それは、少数のキー・カードを除去すると、敵の家全体が崩れる落ちることを願う「トランプの家」として、相手兵力を扱う。歴史的見地から、これはほとんど起らなかった。そして、作戦術を開発する理由のうちの1つは、20世紀までに、陸軍(海軍および空軍と同様に)が一撃では打倒できないほど、巨大で非常に弾力性のある組織に成長したということだった。

結論―ハイブリッドな作戦設計をー
 米軍がテロリズムとの地球的規模の戦争を行なう場合、重要な指摘がいくつか可能である。将来のキャンペインはすべて、通常戦・非通常戦・情報戦の組合せになるだろう。相手はこれら三つのタイプの紛争を異なる組合せで使用するだろう。米国およびその同盟国は、三つすべてに対処し、打倒する準備ができていなければならない。これは、非通常戦と情報戦を除外し、通常戦に焦点を当ててきた米軍にとって基本的変化である。
 現在の通常キャンペインに関する立案の考えは保持されなければならない。通常キャンペインとは、主として通常型軍隊による、国家相手のキャンペインである。この種の軍隊を打倒するには、通常の戦い(battles)や交戦(engagements)のため、重心・決定的なポイント・作戦ラインに沿って将来のキャンペインを設計する必要がある。
 敵の戦略・作戦・戦術システムの破壊・混乱・崩壊は、敵部隊を迅速・決定的に打倒することを可能にするだろう。軍隊は、電力網のような敵の戦略システムを無効にするため、精密打撃を使用してきた。将来戦では、地上部隊が、燃料の分配といった相手のシステムを打倒するために、努力を結集しなければならないだろう。
将来の陸軍部隊は、相手のシステムの特定と理解を可能にする新しい能力、そしてそれらのシステムを打倒するのに必要な新しい攻撃能力を持たなければならない。
 将来の陸軍部隊は、真に全スペクトルにわたって任務をはたさなければならない。それは、物理的力にのみ焦点を当てて来たこれまでの考え方に別れをつげ、陸上を占領・確保・コントロールする中核能力を保持しながら、相手の物理的・精神的・道徳的側面を攻撃するといったバランスのとれた能力を開発することを意味する。
(September-October 2002, MILITARY REVIEWより50%の超訳)


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