Cleveland Orchestra
 Franz Welser-Möst (MD)

BRUCKNER Symphony No.7
 薄暗い闇か、明け方の霧なのか、この曲は視界不良の暗がりから悠然と立ち上がるように始まる。それは、深い呼吸とともに何かが始まりそうな"予感"を、チェロが奏でるせいだ。次第に巨大な璧となって金管に行く手を塞がれたかと思えば、新鮮な香りに体が包まれ、心が緩む。

ブルックナーは、特別な雰囲気をまとった作曲家だと思われがちだ。どこか神格化されているところもあるだろう。だからこそ、ブルックナーとは"こうあるべきだ"という固定概念がある。往年の名演と言われる演奏は、どれも雄大で格式高くて厳格なものばかり。ヴェルザー=メストは、それらを全て捨て、真の核心に触れようとしているらしい。

クリーヴランド、ロイヤルコンセルトヘボウ、ロンドンなどとのブルックナー7を聴いてきたが、私が一番気に入ったのは、2008年のこの演奏である。泥臭さを拭い、絶対的な音楽美を追い求め、純度を比類ないところまで高めた、至極の音色を放っている。少し触れただけで零れ落ちてしまいそうな、繊細でか細い輝きが、痛く胸に染み入る。

最も胸に響いたのは、第2楽章。クリーブランド管の鋭い弦の響きとあいまって、もうどうしようもないぐらい切ない。彼の指揮棒は、雄弁に心の色を描きながら、音を次へと送り出す。まるで魔法の杖のようにオケを操るように見えてならない。全てが一致して、壮大な旅を完結させようとする様が、再三私の胸を動かす。

詩的な旋律が支配する中でも、ヴェルザー=メストは詩情に全てを委ねることをしない。むしろ、それを達観するように曲を進める。指揮者による余計な解釈の介入など不要で、曲そのものに語らせるという彼の信念がそうさせているのだろう。

聴き終えた後の、これ以上とない充足感はなんだろう。60分強の音楽の旅は、私を現実ではないどこかへ導いてくれたように思う。現実を忘れ、目を釘付けにして全ての意識が音の中に吸い上げられていたような気がするのだ。時間にして10分程度の出来事かと思えば、1時間が過ぎていた。

T.D