聖心こころセラピー 「北山想ブログ」

8年振りにブログを書こうかと。 一週間に一度位、ほんの少しだけ。 大した事も書けませんが、良かったらたまに覗いて見て下さい。

2005年08月

主体性について

最近忙しさと疲労のせいにし、ブログをサボりまくりですみません。

当セラピーにお越し下さる女性たちは、非常に知的レベルの高い方が実に多い。

勿論、男性もそうですが。

持ち上げているのでは無く、実際そうだから仕方が無い。

女性の中には結構、大学で心理学を専攻されたり、心理カウンセラーを目指していたり、中には現役心理カウンセラーの方までおられます。

また、クライアントの中にはお医者さんも居ますし、お医者さんの卵も数名程見えます。

高校生・大学生も学力レベルが非常に高いのが特徴です。

ではそのインテリジェンス溢れる方々が、なぜこの「こころ」の病だけには、そのおりこうさん振りを発揮できないのか。

これが不思議ですよね、10人10色で全員さまざまな相違点はあるものの共通している性格的傾向はあります。

そのひとつに挙げられるのは、
「自己主張は出来る限り押さえ、他人に合わせようとする」事が共通項です。

学力が高いのも、勿論本人の向上心もありますが、「親の期待に応えなければ」
と、考えるパターンも多いと推察できます。

「みんなは自分をどうみているのか」[自分の思っている事が言えない」「みんなに嫌われたくない」「自分さえ我慢すれば」「コミュニケーションのとり方が分からない」等など。

まぁ、自己主張がキチンと出来る人にとっては???ですよね。
思春期にはお勉強も確かに大切ですが「哲学」しなきゃいかん時期にそれをしてこなかったとも思います。

それに加え、父親がその「生きる術としての知恵」を子供に教育してこなっかた事も大きな要因と考えます。
おとうちゃん達は、仕事ばかりして子供への教育をおかあちゃんに任せすぎたようにも思います。

ならば、自分たちで「哲学」しなければなりません。
「ソクラテスの弁明」でもニーチェでもサルトルでもイチローでも構いません。
物事の判断基準をしっかり持たなければ、常に迷いの中にいることになります。
そうです、「主体性創り」をしなければなりません。

20代・30代、人生はまだうんと永くあります。
40代まだ半分も残っています。
今からでも全然遅くはありません。
小難しいことを考えてみましょう。

道を開くのは、私は宗教や道徳や常識なんかでは無く、
自分に関る全ての物事の判断基準である、「主体性創り」が必須だと考えます。
そうすれば全ての行動や発言や考えは「主体性」に従っていけばいいのだから、非常に簡単でシンプルです。

私の場合、「他人の目」なんてどうでもいい事ですし、全ては「主体性」に従って生きていけばいいのだから、楽チンです。

知的レベルの高いあなた方だから、思い悩むのです。
アホは悩みません。(私がその例)
その学習能力を「哲学」に向けてみましょう。

本屋でも行って、簡単な哲学書を求めてください、学生は図書館に行って借りてくるといいよ。

太った豚になってはいけない、痩せたソクラテスになろう。

みんなで「哲人」を目指し、「哲学」を始めましょう。



聖心こころセラピー 北山想

疲れた時は星空にかぎる

しかしこの暑さは、参ります。

少しバテ気味で、疲れが溜まってきました。

最近では、お気に入りのワインディングロードを気分良くドライブする時間も少なく、仕事に全力投入してるんだけれども、心はスキあらばスタバでコーヒーを飲んでてもトリップします。

天候に恵まれた新月の夜には、茶臼山の頂では、南の地平線から始まり、天上を越え、北の山々へと連なる壮大なスケールの天の川(milky way)が観られる。

その中には白鳥座が大きな羽根を広げ、将棋の駒に似たぎょしゃ座は宇宙一の王将だ、大航海時代の道標である北極星の位置を知らせるカシオペア座、北極星さえ見つければいつでも自分の位置が解るからとても便利だ。
その星を追い求めひたすら歩き続けて、その星が頭の真上に来たらそこは北極のど真ん中、地球のテッペンである。

流れ星なんて少しも珍しくもなく、当たり前のように流れて行く。

ちょっと双眼鏡でも使えば、隣の銀河アンドロメダ大星雲だってハッキリ見える。
私は、夏の星座は冬の星座と共に大好きです。

嗚呼、飢餓感に苛まれる、我が魂の拠所は如何に留まらん。

トリップ終了。


・・・・なんて、小難しい事、言って無いで、星でも見に行こ!


聖心こころセラピー 北山想

今日一日だけ。

過去の「こだわり」に生き、未来への「不安」に生きている。

心の病を持つ方の基本ラインはそれである。

昨日の「失敗」を嘆き、明日の不安をより増幅させる。

悪い自己暗示を掛けまくり、そしてそのイメージ通りに行動してしまい、落ち込んでしまう、皆さん「悪い自己暗示の達人」でいらっしゃる。

心の病=対人関係の悩み

誰もが、人に少しでも良く見られたい、良く思われたい、自然な事だとは思います。

しかし、心が病んでいる状態で、果たしてそれを思う必要があるのでしょうか。

「ありのまま」でいいんじゃないですか?

そんな状態の時に、人目を気にする必要があるとは私には思えない。

ただ今日一日だけを、生きてみませんか?

過去の事に囚われてばかりでは、自分イジメじゃないですか?

まだ来ぬ明日の不安を憂いて、何かいい事ありそうですか?

自分イジメを考え直してあげませんか?

自分を可愛がってあげないと、身体も心もいつまで待ってても苦悶の淵から抜け出せませんよ。

今日一日だけでいいじゃないですか。

朝、起きれば、今日一日だけ良い日にしようと思うことです。

明日の事なんて、イメージする必要はありません。

昨日の事なんて、過ぎ去った事じゃないですか。

とりあえず、朝、今日だけ、今日一日だけ、良い一日を過ごそうと想う事です。

向かう先は、昨日と同じ、学校・会社と昨日と代わり映えしないでしょう。

顔を合わす人達も、代わり映えのしない面々でしょう。

しかし、そんな事どうでもいいじゃないですか、

人は人、自分は自分、人に良く思われなくてもマイペース、マイペース。

自分自身が一番の良き理解者、良き友人から始めましょう。

一日良い日(半日でも)が過ごせたなら、自分を褒めてあげましょう。

もう、自分を責めてイジメるのは、可愛そうだから辞めて下さい。

今日だけ、今日一日だけ、好きになれる自分を演じて見て下さい。

人の眼なんて、どうでもいいじゃないですか。


聖心こころセラピー 北山想

















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