*ふと本棚を見たら新旧いろいろな本が並んでいる中で、昔懐かしい「トム・ソーヤーの冒険」が目にとまった。
トム・ソーヤと伸ばさない名前だと思っていたが、この本ではソーヤーになっていた。まあ、発音だからそれはどうでもよい。
少年向けだと思っていたから今まで読まなかったが、自分もこの歳になってはもう少年みたいなものだからまた読んでみることにした。
読み続けているうちに、それがしが昔読んだ記憶と違っていた。どうも「宝島」と「トム・ソーヤーの冒険」がゴッチャになっていたみたいだ。

昭和28年発行で、これは昭和61年発行の51刷版だ。この51刷版が発行されてからほぼ半世紀、多分今でもいろいろな形で出版され読み継がれているであろう名作だ。
例によってカバーの裏書。「腕白少年トムは、町の浮浪児宿なしハックを相棒に、いたずらの数々・・・・海賊気どりの冒険旅行、真夜中の墓地での殺人の目撃、迷路のような洞窟での宝探し、そして稚い恋。田舎町を舞台に子供の夢と冒険を爽快なユーモアとスリルいっぱいに描く、大らかな自然と自由への讃歌。世界中に読みつがれている少年文学の傑作」だ。
作者のはしがきに「この本は主として少年少女をよろこばすために書かれたものではあるが、だからと言って大人の諸君が遠ざけるようなことはしないでいただきたい。」とあり、続いて「大人の諸君に少年時代を思い起こし、その時代に感じたり考えたり、語ったりしたことまた、時にはどんな奇妙なことを企てたかということを思い出していただくのが私の計画の一部でもあるのだ」とある。
トムのようなかなり怖くて危険な本格的とも言うべき冒険はしたことはないが、少しは似たようなことはやった覚えは確かにある。
思うに、トムは今でいうADHD(注意欠陥多動性障害)児なのか?なにしろ学校はどうでもよく、行ってもいたづらばかり、勉強そっちのけで遊びのことばかり考え、女生徒をからかい、落ち着きがない野生児だ。
それがしの同級生にも少なからずそういうのがいた。
学校の勉強なんてことはどうでもよく、いったん外に出れば活き活きとして活動する。野山川へ行けば独壇場で泳ぎは得意で魚獲りも上手い、山では小鳥を追い捕まえる。
それが今では社会で大いに活躍している。
トムの冒険で特筆すべきは洞窟で行方不明になったときのシーンだろう。淡い恋心を抱く少女と二人で洞窟に取り残され、そこからの必死の脱出劇は圧巻で、そしてそれからの宝物の発見はこれはもう子供の物語ではないと思った。
作者マーク・トウェインはもちろん大人なので、どうしても全くの子供の行動としては描きづらかったのだろう。
文中で、え、これが子供にできるのか?といった話が随所に出て来る。しかし、そんなところも大人が読んでも楽しめる内容として意図したのかもしれない。
トムとハックの年齢が出てこないのでどのくらいの少年か分からないが、想像するに、今の小学高学年か中学低学年くらいだろうか。
小説の時代と今の少年ではあらゆる面で生き方遊び方も違っているので、それは昔の方が少年は大人に近い生き方をしていたであろうことは想像できる。
古い訳本なので、今ではアウトの差別表現も出てくるが、それは仕方がない、そういえばこの頃はこんな言い方を平気でしていたんだと思い出す。
この続編の「ハックルベリイ・フィンの冒険」も読んでみようと思う。
トム・ソーヤと伸ばさない名前だと思っていたが、この本ではソーヤーになっていた。まあ、発音だからそれはどうでもよい。
少年向けだと思っていたから今まで読まなかったが、自分もこの歳になってはもう少年みたいなものだからまた読んでみることにした。
読み続けているうちに、それがしが昔読んだ記憶と違っていた。どうも「宝島」と「トム・ソーヤーの冒険」がゴッチャになっていたみたいだ。

昭和28年発行で、これは昭和61年発行の51刷版だ。この51刷版が発行されてからほぼ半世紀、多分今でもいろいろな形で出版され読み継がれているであろう名作だ。
例によってカバーの裏書。「腕白少年トムは、町の浮浪児宿なしハックを相棒に、いたずらの数々・・・・海賊気どりの冒険旅行、真夜中の墓地での殺人の目撃、迷路のような洞窟での宝探し、そして稚い恋。田舎町を舞台に子供の夢と冒険を爽快なユーモアとスリルいっぱいに描く、大らかな自然と自由への讃歌。世界中に読みつがれている少年文学の傑作」だ。
作者のはしがきに「この本は主として少年少女をよろこばすために書かれたものではあるが、だからと言って大人の諸君が遠ざけるようなことはしないでいただきたい。」とあり、続いて「大人の諸君に少年時代を思い起こし、その時代に感じたり考えたり、語ったりしたことまた、時にはどんな奇妙なことを企てたかということを思い出していただくのが私の計画の一部でもあるのだ」とある。
トムのようなかなり怖くて危険な本格的とも言うべき冒険はしたことはないが、少しは似たようなことはやった覚えは確かにある。
思うに、トムは今でいうADHD(注意欠陥多動性障害)児なのか?なにしろ学校はどうでもよく、行ってもいたづらばかり、勉強そっちのけで遊びのことばかり考え、女生徒をからかい、落ち着きがない野生児だ。
それがしの同級生にも少なからずそういうのがいた。
学校の勉強なんてことはどうでもよく、いったん外に出れば活き活きとして活動する。野山川へ行けば独壇場で泳ぎは得意で魚獲りも上手い、山では小鳥を追い捕まえる。
それが今では社会で大いに活躍している。
トムの冒険で特筆すべきは洞窟で行方不明になったときのシーンだろう。淡い恋心を抱く少女と二人で洞窟に取り残され、そこからの必死の脱出劇は圧巻で、そしてそれからの宝物の発見はこれはもう子供の物語ではないと思った。
作者マーク・トウェインはもちろん大人なので、どうしても全くの子供の行動としては描きづらかったのだろう。
文中で、え、これが子供にできるのか?といった話が随所に出て来る。しかし、そんなところも大人が読んでも楽しめる内容として意図したのかもしれない。
トムとハックの年齢が出てこないのでどのくらいの少年か分からないが、想像するに、今の小学高学年か中学低学年くらいだろうか。
小説の時代と今の少年ではあらゆる面で生き方遊び方も違っているので、それは昔の方が少年は大人に近い生き方をしていたであろうことは想像できる。
古い訳本なので、今ではアウトの差別表現も出てくるが、それは仕方がない、そういえばこの頃はこんな言い方を平気でしていたんだと思い出す。
この続編の「ハックルベリイ・フィンの冒険」も読んでみようと思う。