愚禿道化の備忘録

持ち前の鈍ーい感性で四季折々森羅万象を忘れないように記すグータラ記録

カテゴリ: 芸術

昨日の続きです。

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会場正面には作品を大きく引き伸ばした画像が入場者を迎えてくれる。

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また、ドローイングした作品をあえて濃度をつけてプリントしてそれをさらに暗い照明で展示してあるコーナーもあった。
見る人が抱くイメージの違いを意識した展示といえそうだ。

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この日は作家の長沢秀之氏と甲南大学教授服部正氏、館の学芸員岡村氏とのトークも開催された。

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阪神淡路大震災の被災者から提供された写真と文章をもとに描いた絵とプリントされた分のパネルをバックに語る長沢氏。
氏の作品は大きな評価を得ているが、私めは絵とともに文章にも注目している。彼は人間の本質を見抜く哲学的な思考の文を書いている。
芸術家はしばしば複数分野でその才能を発揮している例が少なくないが、長沢氏もその例に洩れず、文章も秀逸だ。
後の参加者との質疑応答で、氏の文章についての評価を発言したら、彼個人の文章ではなく、寄せられた文章についての話になってしまった。
それはそれで感銘を受けたが、氏個人は自分の文章の発信力についてどう考えているんだろうか聞きたかった。

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丸木美術館には原爆の図の展示室とともに、企画展示室、展示室、新館などがある。
一階展示室から階段を上がると、丸木夫妻がアトリエ兼書斎として使用していた小高文庫があり、休憩室になっている。

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窓からは都幾川の流れが眺められる。春には満開の桜が景色を覆ってしまうかもしれないがそれもまた一興です。

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その桜の下の梅?の木に烏瓜が孤独を楽しんでいるかのように風に揺られていました。

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都幾川を見下ろす外の休憩所の脇にあるかなり大きいクヌギの樹皮に触れるのもよし。
私めが子供の頃はこの木のことを「ジンタンボウ」と呼んでいた。
調べたら一般的に「ジンタンボウ」はドングリのことらしく、木そのものではないようだが、でもクヌギの木をそう呼んでいた。
「ジンタンボウ」って「仁丹坊」って書くのだろうか。

原爆の図丸木美術館、長沢秀之展は2月16日まで開催されています。ぜひどうぞ。








昨日、埼玉県東松山市にある原爆の図丸木美術館に中学時代の同級生7人で行って来た。

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車一台がやっと通れる狭い田舎道を行くと美術館に到着する。駐車場もそれほど広くない。
その脇には、ここから出土した宋銭を供養するという宋銭堂と「ピカは人が落とさにゃ落ちてこん」の石碑、右の石碑は関東大震災の後、朝鮮人が虐殺された事件を悼んで建立された「痛恨の碑」。

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眼下に都幾川を望む場所にある原爆観音。合掌。

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昨年の台風で氾濫して大きな被害をもたらした都幾川が今は何事もなかったかのように冬の陽光を反射していた。

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ほとんど人が通らないと思われる河岸に続く小道のコンクリートには小石が埋め込まれていた。
アートと滑り止めを兼ねた趣向だろうか。

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同じ埼玉県に住みながらこれまでここへ来たことがなかった。原爆の図も目的だったが主目的はこれだ。
中学時代の同級生、現武蔵野美術大学名誉教授長沢秀之君の企画展が開催されていて、この日は氏のトークがあるというので出かけたのだ。
先日のNHKテレビ「おはよう日本」でも放映された。

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2015年から続いている「私が生まれたとき」シリーズの今回のテーマは25年の節目になる阪神淡路大震災だ。
被災者から提供された写真をもとにドローイングして消しゴムやドットで手を加えて表現する氏独特の絵画が展示されている。
写真撮影OKでした。

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下は写真をもとにモノクロでドローイングしたもの。上は同じ写真をカラーで描きその上からドットをランダムに載せたもの。
(絵の専門家ではないので描画の説明は正確ではありません、悪しからず)

続く

エー、笑う門には福来たると言いまして、笑うというのは体にいい、健康にいいということが証明されているんだそうですな。
作り笑いでも、無理にでも笑うというのでもいいそうで、どこかの病院では笑いを治療に役立てているというくらいですからな、とにかく笑いましょう。
ワハハハハ。
ようし、俺は死んでも笑ってやるぞ、てな覚悟でございまして…。
こうなると、決死の笑いということでございますかな。

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昨夜、恒例の入間市商工会の我らが支部の落語会が開催された。入場無料。
演者はこれも恒例の春風亭柳之助師匠。
師匠は支部役員Y氏の大学時代のラグビー部の後輩なのだ。
その縁で毎年来ていただいて二席演じていただいている。

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昨夜の演目は「荒武者の茶の湯」と「寝床」。

なお、めくりの字は寄席文字ではない。
寄席文字は有料サイトでしか出てこないので勘亭流で作った。

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落語は師匠の相変わらずの熱演で面白かった。

だが残念なことに幼児連れのお客さんが一番前の真ん中に座って、その幼児が声を出し始め、やがてあっちウロウロこっちウロウロ、おもちゃをとりだしてガチャガチャさせるはで迷惑この上なかった。
母親はそれでも何ともないのか注意もしないし外に連れ出しもしない。
やがてさすがにこれはまずいと思ったのか子供を抱えて後ろの席に移動したがそれでも幼児はうるさくしていた。
その幼児に罪はない、幼児がじっとして落語に聞き入るわけはないからね。

結局そのうち静かになるだろうということで主催者も注意したり退場勧告!しなかったが、やはりその母親には幼児を連れて退場願った方がよかったのかもしれない。
私めは写真を撮るので後ろにいたので会場のみんなが苦々しくしていたのがよく見てとれた。
隣の女性客はそれとなく幼児に注意していたようだが、母親は何とも思わないのかしらん顔のふうだった。

アットホームな雰囲気で少人数での落語会なので、あまり堅いことは言いたくはないが、来年からは幼児入場禁止にしなければいけないかもしれない。

落語の後の懇親会で師匠に聞いたらやはり困っていながら演じていたらしい。
よほど演目を途中で変えるかやめるかしようと思ったらしいが、これも経験のうちだと思ってぐっとこらえて演じたというようなことを言っていた。
春風亭柳之助師匠に拍手!だ。

土曜日の午後、例によって無給休暇をとって東京小平にある武蔵野美術大学に行って来た。
オラの中学時代の同級生、画家の長沢秀之君がムサビの教授を退官するのでその記念展が10/1まで開かれているという案内をいただいたので、閉展の前の日に急遽行って来たのだ。

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ムサビに行ったのは初めてだ。きれいで落ち着いて広大なキャンパスが広がっていた。土曜日だったせいか学生は少なかった。

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開催場の美術館の入り口には氏が描いた鳥越俊太郎氏にまつわる写真を素にした今回のテーマの絵画の巨大なポスターがオラたちを迎えてくれた。

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文章、これじゃ読めないので要約しましょう。

1986年に発表した氏を代表する《風景》シリーズは「”人間”を見えなくしてきた”自然”というものに”風景”を対置することによって”人間”を見ようとしてきた」と氏は語った。
やがて”風景”は画家の目の外でなく目の内部にあるもの=網膜に向かう。
「私が見るのではなく目が見る」という言葉からは氏の一貫したテーマである”見ること”へのこだわりが伝わってくる。
今回展示された新作《幽霊》シリーズは、その延長線上にあるもので、カメラという「機械の目」をとおして、過去の一瞬を切り取った「写真」をもとにドローイングを描き、その上に絵の具でドットを一つずつ載せていくという手法は、元の写真が示す過去と描き手である自身の立つ現在との距離をキャンバス上で測って行く絵画手法は、記憶や奥行きとともにイメージが呼び起こす様々な時間の振幅を想起させる。

フー、書くのに疲れた。

彼の中で避けられない存在になってきた《幽霊》、《心霊》という言葉には、時間軸の多義性が内包されているという。

もうこうなってはオラのような凡人にはさっぱり理解できない。
哲学を絵画で表現しているということか。

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入口正面に展示されている氏の作品の前で記念撮影。
左から二人目が長沢秀之君。

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久しぶりの再会だったので学内のカフェでコーヒーを飲みながらしばし談笑、そしてお互いの健康と活躍を期待し、またの再会を約してムサビをあとにしたのでした。

いやー、めったにない芸術鑑賞、しかも作者の解説付きだったので非常に分かりやすく有意義でした。

現代詩・文学・評論の最高峰、大岡信氏が亡くなられた。
村上春樹氏より先にノーベル文学賞を受賞してもおかしくない存在だと思っていたが残念だ。

今は昔、オラが眉目秀麗、髪フサフサの美青年と誰もが認めて・・いない大学生の頃、大岡先生の授業を受けたことがある。
大岡先生は既に現代詩人として高名であったが、教科書に割と忠実な授業で、詩の話はあまりなさらなかった。
そこで、オラはあの有名な詩、「マリリン」について解説してほしい旨質問した。
先生はマリリン・モンローとエリザベス・テイラーを比較してそのうえで懇切丁寧に自作の詩の解説をしてくれたのを覚えている。

また、尾崎紅葉の「金色夜叉」で宮は貫一という許婚を捨てて富豪の富山唯継の元に嫁ぐが、その富豪のネーミングに紅葉のしゃれっ気が出ていて面白いというようなことを言われたことも覚えている。
つまり富の山を労せずして唯で引き継いだと。

現代文学界の巨星が墜ちた。

マリリン
マリーン

ブルー

合掌。

オラは自分でやるのは芸術的センスはゼロだと常々自慢している、って自慢してどうする。
何しろ音楽ではドとレとミが全て同じ音階に聞こえる絶対音感ゼロだし、絵を描かせれば人の顔が全て赤塚不二夫の漫画に出てくるハタ坊みたいになっちゃうのだ。
ハタ坊って知らないかな?

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しかし音楽でも絵画でも芸術を鑑賞するのは好きだ。
古民具も今では芸術のフィールドに入ると思うので、邪魔だからと言ってなかなか捨てられない。
けっこう味わい深いものがあるのだ。




解体する予定のガラクタ置き場に多分生糸に関係していると思われるが、どうやって使ったかわからない木の歯車や円盤、そろばん球のようなものが付いている糸繰車と思われる古民具があった。
そのままでは大きすぎるので分解して別の場所に保存しておくことにした。

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この木製たらい?は割合新しそうだが、底が乾いて外れていたのをはめ込み修理した。
行水ができるほど大きくはないがそれでもかなり大きいたらいだ。
水を張って金魚でも入れればお洒落かなと、とりあえず保管だ。




隣にあるのが分解する前の糸繰車です。

捨てるにはもったいないと思って取っておいた芸術的工芸品とも言うべき農具の嫁入り先が決まった。

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一つは糸繰車。繭から生糸を作るのに使う道具だ。
輪の部分は竹でできている。造りは単純なようだがいざこれを作るとなったらなかなか手間がかかりそうだ。
市内の骨董好きの知人に進呈した。喫茶店だかにオブジェとして飾るらしい。

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これらの嫁入り先は静岡県春野町だ。春野で自給自足的生活をしている知人がはるばる埼玉県入間市まで取りに来た。
もちろん鑑賞用ではなく使用が目的だ。
脱穀機、足踏み式送風機、かまざる、鋤・鍬、背負い籠等実際の農業に使うそうだ。




我が家に眠っていても宝?の持ち腐れ、嫁入り先が決まってよかった。

ガラクタ置き場から折り畳み式の古いちゃぶ台2卓が出て来た。
これも前にこの欄に載せたかもしれないが、その後の経過を。

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例によって埃だらけだった。だが表面の板は汚れと傷はあったが無垢材の一枚板で、張り物ではないのできれいにすればいい風情が出そうだった。
大きさは測ってないが、70×55くらいかな。

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しかし、一方の卓には脚が片方なかった。
オラが付け直すには複雑な造りなのでとても無理だ。そこでたまたま訪ねてきた知り合いの同級生の元大工に、これ直せないかい?と聞いたらこれは建具屋さんの仕事で、俺には無理だと言われた。

仕方がないので知り合いの鉄工芸家に相談したら、できると思うよ、と言って快く引き受けてくれた。
この鉄工芸家は誠に器用で、道具はあるし木工ももちろんできるので普段から何かと頼りにしているのだ。

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これが出来上がって来たものだ。右側の脚を取り付けてもらった。
どうやらすべて分解して取り付けたらしい。実際そうしないと取り付けられないようになっていたのだ。

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脚のカーブも、間の補強材も片方と同じように微妙なカーブをつけて修復されていた。ウーン、すごい、さすがだ!
同じ材質の木ではなかったが、それは仕方がない。

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これが畳んだ状態だ。左の従来から付いていたものと全く同じに作ってあった。

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修復してもらったのは脚だけではなく、表面の板が反っていたので平らに直してももらった。
後はオラが表面の塗りを担当した。
ふと思いついて自家製の柿渋を塗ってみた。

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ほとんど染み込まないので何回か重ね塗りした。だんだん濃く渋い色になってきたので5、6回塗った。
もちろん取り付けた脚にも塗って、従来あったのと同じような風合いにした。
乾いてから濡れ布と乾燥布でよく拭いて完成だ。









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これはもう一方の卓。これも表面の板が反っていたので修復してもらった。
最初のは表面が研磨してあったがこれは預けたそのままだったのでサンダーできれいにしてから塗った。
これはなぜかさっきのと違ってどんどん柿渋が染み込んでいってすぐ濃くなってきた。

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これでガーガーと表面の汚れがある程度落ちるまで削った。そのあと紙やすりで滑らかにした。柿渋を塗るのはそれからだ。

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柿渋を2回くらい塗ったあと(まだ乾いていない状態)。


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こちらのは柿渋を塗る回数は2回程度にして、乾いてからその上にカシュー塗料を2回塗ってみた。
最初は刷毛で塗りそのあと布で拭いた。

というわけでなかなかのアンティーク折り畳み卓袱台が出来上がったのでありました。

これにフグ刺しなんぞを載せて、傍らの火鉢の上の鉄瓶で燗したぬる燗で一杯、たまりませんなあ。
O君、フグ刺しいつでもいいからね、待ってるよ。

このブログで我が家にあるガラクタの紹介をしていると、すでに載せた物かどうか忘れてしまう。
次の画像は載せたかなあ?

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これは多分1954年製作、55年公開のフランス映画「French Cancan」のノベルティの皿なのだと思う。
骨董好きの友人は他の埃だらけの古い皿や茶碗には興味があったが、これはただのおもちゃ並みのものだと思ったせいか、見向きもしなかった。
が、オラは「ン、これはお宝かも」と思ってきれいにし、さっそく飾ったのであった。

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裏面にはこのように記されている。

ネットで同じ皿の画像がないかいろいろ調べたがなかった。
これはまさしく世に2枚とないお宝だ、鑑定団に出してみようか、3億円の値が付いたらどうしよう、借金返して家を新築しよう、などと妄想が膨らむのであった。

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さて映画ネタをもう一つ紹介。
オラの顔ではないよ、ご存じあのジェームス・ディーンのライターだ。
ZIPPOのライターかと思ったら裏にその刻印がない。あるのはZ16という刻印のみ。
ウーン、これはZIPPOを真似たまがい物なのか、それともまだ刻印をしない前の本物か?
4億円の鑑定が出たらどうしよう。えーい、被災地へ全額寄付だ。いや待てよ、やっぱり1億円は残しておこう。

昨夜、入間市商工会のわが支部の恒例の落語会が入間市産業文化センターであった。
今年も支部役員の大学時代のラグビー部の後輩の春風亭柳之助師匠をお招きしての落語会だ。

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公演に先立って地元の小中学校の校長から、少子化に伴い東町小・中学校が閉校になるのではないかという噂の否定があった。
わが支部は当然地元密着、こういう問題も機会をとらえて地元の人に情報発信だ。

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商工会から補助が出ているのでこの会は一般の人もすべて入場無料だ。
老若男女、頭髪の少ない人も多い人も、畳に座るのが苦手な人も椅子席で笑ってもらった。

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師匠は雪男で、昨年も雪、一昨年はあの大雪で、それでも来ていただいた。
先日はなんと奄美大島の公演で100何年ぶりの雪にも出会ったそうだ。
だが今年は雪の予報は今日で、一日ずれたので助かった。

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演目は一席目が「子ほめ」。
例によって愚か者の熊公が他人へのお世辞の言い方を教わって失敗するという話だ。
知り合いの歳を実際より若く言って誉めてただ酒をいただこうという魂胆で、最後は生まれたての赤ちゃんを誉めるがもちろんうまくいかないというお笑いだ。

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二席目がご存知古典落語の名作「芝浜」
こういうローカルな席でこの人情噺の大ネタを聞けるとは思わなかった。
この話は大笑いのネタではないが、もともとは三題噺だ。
三題噺とは、寄席で客から三つのお題を貰い、それらを絡めて、その場で作る即興の落語だ。
柳之助師匠によると、今でも三題噺はやる、10分くらいならすぐできますよ、ということだった。
「芝浜」はその三題噺を三代目桂三木助がだんだんに改作して長くしたらしい。
大晦日の夫婦の愛情を細かく暖かく描いた屈指の人情噺で、柳之助師匠の熱演に聴衆は笑いの中にもほろりとさせられたのでありました。

今年は雪も降らず、終演後の懇親会にも師匠には最後まで残っていただき親交を深めたのでした。

こういうのが当たり前にできる平和が続いてほしいなあ。

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