さば通信

主に映画や本を扱います。

本当は怖い(かもしれない)『ギルバート・グレイプ』



 若きジョニデ様とレオ様が共演した『ギルバート・グレイプ』(1993年)を観返すと、10年以上前に初めて観た時とはかなり異なる印象を受けた。
 『ギルバート・グレイプ』は、アイオワ州の「何も起こらない」小さな田舎町エンドーラが舞台。主人公の青年ギルバート(ジョニー・デップ)は、自閉症の弟(レオナルド・ディカプリオ)や引きこもりの母を養っている。
 初見時は、宣伝文句にありがちな「厳しい家庭環境でもたくましく生きるグレイプ家の人々を詩情豊かに描いたハートウォーミングな感動作」という漠然とした印象以上のものはなかったが、観直すと、本当は怖い作品なのかもしれない気がした。

 邦題は『ギルバート・グレイプ』だが、原題はWhat's Eating Gilbert Grape。「eat」を「苛立つ」と解釈すると、「ギルバート・グレイプを苛立たせるもの」と訳になる。すると、田舎で燻っているギルバートがだんだん自分の苛立ちを自覚し、ついには弟と町を出るという、閉塞的な環境における青年の「苛立ち」というテーマが浮かび上がる。

 ところで、動詞の「eat」をそのまま「食べる」と受け取り、「ギルバート・グレイプを食い尽くしていくもの」と訳すと、また違った面が浮かび上がる。
 トレーラーに乗って旅しているベッキー(ジュリエット・ルイス)がギルバートにこんな話をする。

「(カマキリが)どう交尾するか知ってる? オスがメスに忍び寄ると、メスはオスの頭を噛みちぎるの。オスの体は交尾を続けるんだけど、交尾が終わるとメスは残りの体も食べちゃうのよ」
(You know how they mate? The male will sneak up on the female, and she'll bite off his head. And the rest of his body will keep on mating. And then when they're done, she'll eat him. She'll eat the rest of him.)


 他愛もない駄弁に聞こえるが、このベッキーのセリフが『ギルバート・グレイプ』を象徴している。
(予告編にもこのセリフがわざわざ抜き出されている)
 『ギルバート・グレイプ』には、カマキリのオスのように早死にする男が多い。ギルバートの父は7年前に自宅で謎の自殺を遂げる。ギルバートが不倫のお相手をしているカーヴァー夫人の夫も、夫婦ゲンカをした日に心臓発作で突然死する。まさに、この作品は、町に定住する女性たちが男性たちに足かせを嵌め、時には命をも奪うような、カマキリの雌雄の構造でつくられているのだ。
 そして、ギルバートも新しい「カマキリのオス」になろうとしている。ギルバートは引きこもりの母を養い、カーヴァー夫人のお相手をして、無為に若い歳月を浪費している。そんな生活がギルバートの人生を蝕み、食べ尽くそうとしている。
 劇中でカマキリのメスを具現しているのは何よりもカーヴァー夫人だが、ギルバートの母もそれに該当する。自殺の理由は明かされないが、夫に先立たれて以降、ギルバートの母は家に引きこもり、日常生活も困難なほど太ってしまっている。肥満という設定は恣意的に思えるが、こうやって考えてみると、はっきりと「eating」と結びついているではないか。つまり、『ギルバート・グレイプ』を「male/female」の二項対立で考えた場合、ギルバートの母は、町に定住してmaleを従わせる「カマキリのメス」的なfemaleの象徴的存在なのだ。

 だが、この小さな町におけるmale/femaleの構造はベッキーによって打ち破られる。ベッキーは女性でありながら遊牧生活を送っていて、「カマキリの雌雄の構造」からはみ出した存在だ。ベッキーの登場後、ギルバートの母は自ら死を選ぶような形でギルバートをカマキリの主従関係から解放してやることになり、ギルバートは弟と共に町を出ることになる。まさに、葡萄(grape)が房から離れていくように。

 『ギルバート・グレイプ』は小さな田舎町が舞台だが、大型スーパーが進出するなど、昔ながらの共同体が崩壊していく様子も描かれている。
 そういった観点からも『ギルバート・グレイプ』を論じられるかもしれないが、理詰めでいろいろ論じたところで、なかなか魅力を言い尽くせない。つまり、作品自体が「カマキリのオス」のように消費されるだけで終わらないのが『ギルバート・グレイプ』の魅力でもある。

そしてみんな取り憑かれる(追悼リチャード・マシスン)

 「梟(ふくろう)」という狂言を観て驚いた。人間がどんどん取り憑かれていく様子が「地球最後の男」(「オメガマン」「アイ・アム・レジェンド」などとして映画化)のようなゾンビ映画にそっくりなのだ。
 「梟」の粗筋は以下の通り。
 弟がフクロウに取り憑かれ、フクロウのように鳴いている。困った兄は、山伏に加持を頼む。だが、加持をしている最中、いつの間にか兄にもフクロウが乗り移る。そして山伏にも乗り移り、登場人物全員がフクロウのように鳴きながら退場する…。
 何らかの救いを入れる最近の映画に観慣れた観客からすれば、全員取り憑かれて終わりというのはシュールすぎる結末だ。それが逆に新鮮でもある。

 「地球最後の男」を書いたリチャード・マシスンが23日に亡くなった。マシスンは第2次大戦に従事し、日本軍と戦ったことが「地球最後の男」のインスピレーションを与えたという。この作品の底流にあるのは、人種や世代などが異なる「他者」に征服されてしまうかもしれない、という恐怖だ。
 「地球最後の男」はロメロ監督のゾンビ映画に受け継がれ、ロメロ作品は(まさにゾンビのように)無数のフォロワーを生み、「桐島、部活やめるってよ」や宮藤官九郎原作の新作歌舞伎「大江戸りびんぐでっど」にも影響を与えている。

 だが、もちろん「梟」は「地球最後の男」の遥か以前に作られている。なぜ時代や国が全然違うのに、似たような作品が生まれたのか?
 きっと「違う生物(あるいは違う人種、違う世代、さらには霊、死、病など)によって自分が滅ぼされてしまうかもしれない」という強迫観念が人類共通で、「他者」(自分からすれば「悪」)が世にはびこるのを怖がっているからだろう。



『地球最後の男オメガマン』(The Omega Man)


The Police-Omegaman

国境の南、はシエラマドレ山脈(『国境の南、太陽の西』と『黄金』)



 村上春樹の『国境の南、太陽の西』を読みながら、前回取り上げたハンフリー・ボガード主演の映画『黄金』を何度も思い浮かべた。前者は一見メロドラマ風。後者は男臭い鉱脈探しの映画。
 何の関係もないようだが、何度も思い浮かべたのには根拠がある。誰に訊かれてもいないが、以下に根拠を書きたい。

1)メキシコ
 まず題名の「国境の南(South of the border)」というのは歌の名前で、米国の南、つまりメキシコを指している。つまり、シエラマドレ山脈がある『黄金』の舞台でもある。

2)金儲けに浮かれない意志
 『国境の南、太陽の西』は、明記されていないが、バブル経済の頃の東京が舞台。主人公の30代男の義父は、低学歴だが叩き上げで建設会社の社長になったという人で(田中角栄みたいな)、こういう登場人物が出てくることからも、高度成長期からバブルにかけての日本が否応なく意識される。
 そして、この義父が株式操作絡みとみられる儲け話を持ち出す。それに対し、主人公が妻に言うセリフが次のとおりだ。

「君は半月で投資した金が確実に二倍に増えるとこともなげに言う。八百万が千六百万になるという。でもそういう感覚には何か間違ったところがあると僕は思う。そして僕も知らず知らずのうちに、その間違いの中に少しずつ呑み込まれていっている。たぶん僕自身もその間違いに加担しているのだろう。僕は最近、少しずつ自分が空っぽになっていくような気がするんだ」


 大金が入ることで、地に足が着いた庶民感覚を失うことを主人公は恐れている。これは、『黄金』のハワードと同じ立場だ。

3)重要な物を失い、空しさを味わう
 主人公が言う「空っぽ」の感覚は、儲け話に手を出そうが出すまいが結局、主人公に終始付きまとっている感覚だ。
 そして小説の終盤、主人公は引き出しにしまっていた重要な封筒をなくす。この封筒は、以前起きた嘘のような話が本当だと信じるための証拠品だった。封筒を失った瞬間、主人公の記憶や現在が現実感を失ってしまった。
 『黄金』でも、大事にしていた砂金がなくなってしまい、主人公たちは大きな徒労感に苛まれる。

4)「あとには砂漠だけが残るんだ」
 『黄金』の終盤は、辺り一面に広がるメキシコの砂漠が、人間や黄金の小ささを強調し、画面全体を覆う砂埃が世界のはかなさを表現する。
 この砂漠というのが、実は『国境の南、太陽の西』の大事なモチーフになっている。
 『国境の南、太陽の西』の中での砂漠は、この世の無常観を象徴するものだ。

 「なあ小学校の頃にウォルト・ディズニーの『砂漠は生きている』っていう映画を見たことあるだろう?(…)この世界はあれと同じなんだよ。雨が降れば花が咲くし、雨が降らなければそれが枯れるんだ。虫はトカゲに食べられるし、トカゲは鳥に食べられる。でもいずれはみんな死んでいく。死んでからからになっちゃうんだ。ひとつの世代が死ぬと、次の世代がそれにとってかわる。それが決まりなんだよ。みんないろんな生き方をする。いろんな死に方をする。でもそれはたいしたことじゃないんだ。あとには砂漠だけが残るんだ。ほんとうに生きているのは砂漠だけなんだ」


 「あとには砂漠だけが残るんだ」というセリフが『国境の南、太陽の西』全体に漂う無常観を象徴している。そして、このセリフはまさに『黄金』の無常観にも当てはまる。

5)でも救いもある
 だが、虚無で終わるわけではない。『国境の南、太陽の西』も『黄金』も、主人公たちは砂漠だけの世界で生き抜いていこうと決心する。ニヒリズムが嫌いな読者及び観客にもちゃんと少しは救いのある作品になっている。

6)傷つきあい、犠牲者も出て、死と隣り合わせ
 で、そもそもなんでこの世が空しいのかというと、人という自我を持った存在は2人以上集まるとどうしても傷つけあい、自分も傷ついてしまうからだ。
 『黄金』では財産目当ての自我がぶつかり、文字どおり大勢の犠牲者を出す。
 『国境の南、太陽の西』は死者こそ出ないものの、登場人物がお互いに傷つきあい、自殺未遂及び自殺衝動も何度か登場し、作品全体が例えば夏目漱石の『こころ』のように、死のイメージに包まれている。
 さらに言うと、『黄金』では登場人物の一人が、死んだ仲間の未亡人(果樹園を営んでいる)に会いに行くことになるのだが、これも『こころ』みたいではないか。

 …というわけで、両作品が似ているというのがこじつけでないことが分かった。
 他にも、ハンフリー・ボガードと言えばフィリップ・マーロウ、フィリップ・マーロウと言えば村上春樹の新訳、などなど挙げればキリがないが、大して何の意味もなさそうなのでこの辺で切り上げたい。

アベノミクスに浮かれたくないと思っている貴方に薦める映画『黄金』



◆欲は悪(Greed is bad)

 巨匠ジョン・ヒューストン監督の名作『黄金(The Treasure of the Sierra Madre)』(1948年)は、3人の男が一攫千金を狙ってメキシコのシェラマドレ山脈に渡り、山賊と戦ったりしながら砂金を探す映画だ。
 『黄金』の思想は「カネに目が眩むと、他人の人生も自分の人生も台なしにしてしまう」という一言に尽きる。『ウォール街』のゲッコー(マイケル・ダグラス)の有名なセリフ「Greed is good.(欲は善)」にあやかって、「Greed is bad.(欲は悪)」と言ってもいい。
 ハンフリー・ボガード演じる強欲な男ダブズは、ヤマを掘りながら時折、仲間を脅して砂金を独占しようとする。それに対し、経験豊かで賢い老人ハワード(ジョン・ヒューストン監督の父ウォルター・ヒューストンが演じている)が年下のダブズを諌める、というのが基本構造になっている(第3の男カーティンの立ち位置はブレる)。
 共通の目標に向かって、赤の他人だった男たちが絆を深めていく、というのがこの手のストーリーの常道だが、『黄金』は違う。大金が絡むので仲間割れは日常茶飯事。さらに、ダブズの狂気も次第に増していく。
 カネが絡むと友情も人生も破綻する点はキューブリックの『現金に体を張れ』(1956年)や、最近ブログで取り上げたサム・ライミ監督の『シンプル・プラン』(1998年)と同じだ。
 ちなみに、英語版wikipediaには、キューブリックが『黄金』を好きな映画トップ10の4位に入れ、サム・ライミ監督も好きな映画に挙げていると書かれてあった。

◆シェラマドレ山脈からアベノミクスへ

 『黄金』は1920年代の話、しかも鉱山という題材で、現代とは遠く離れた過去の話に思えるが、現代の話だと受け取るべきだ。
 ハワードは言う。「金そのものはアクセサリーと金歯にしか役に立たんよ(Gold itself ain't good for nothing except making jewelry with and gold teeth.)」
 金(gold)だって、ただのモノなのだが、それが実体以上の価値を持つようになり、人の欲望を増幅させていくのが資本主義なのだろう。
 『黄金』に出てくるような山賊はいなくなり、ロバに乗って金脈を当てに行くような光景もなくなった。しかし、舞台がコンクリートのジャングルに変わっただけで、こぎれいなスーツに身を包んだ山師や山賊たちがITバブルだとかアベノミクスだとかというゴールドラッシュに群がる様子は変わらない。
 『黄金』で繰り広げられた物語は、今も何ら変わらず、世界中のあらゆる場所で繰り広げられているのだ。

(※「国境の南、はシエラマドレ山脈(『国境の南、太陽の西』と『黄金』)」に続く)



「主権回復の日」と「押し付け憲法改正」の支離滅裂(『デイ・キャッチ』青木理氏発言)

※勝手連的に、TBSラジオ『荒川強啓 デイ・キャッチ!』4月8日放送分より、青木理氏の「主権回復の日」に関するコメント(4分10秒〜)を起こしました。


青木理 「原発汚染水 主権回復の日 北朝鮮」2013.0... 投稿者 crescent421

▼サンフランシスコ講和条約(1952年)が発行した4月28日を「主権回復の日」と言うが、沖縄は米国の占領下に置かれたから、むしろ逆に「屈辱の日」だ

1952年4月28日は、実は、旧日米安保条約(1952年〜60年)が発効した日でもあり、当時の対日外交を主導したダレス国務長官顧問が「日本に我々の軍隊を望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保できるか?これが根本問題だ」と言った通りになった。

▼日米地位協定だとか日米安保条約によると、基地の使い方とかと常に米国が勝手に決められる。オスプレイの訓練も米国が決めてやる。その効力はいまだに続いている。だからこそ沖縄に70%の基地がある。そう考えると、サンフランシスコ講和条約が発行した日は、主権を回復した日というより、むしろ対米追従の原点の日だ

安倍政権はよく「アメリカの占領軍の押し付け憲法だ」と言っている。「だからこれは変えなきゃいかん」と。だが一方で、米国に追従していく原点の日を主権回復の日と言っている。一種、支離滅裂といえる。マンガみたいな話じゃないか、と僕は思う。

▼佐藤千矢子・毎日新聞論説委員は「沖縄のことを忘れてたんじゃないの?」と言っていた。僕もそういう予感はする。この日を「主権回復の日」として祝う、記念するというのは、根本的な勘違いがあるんじゃないか。「憲法は押し付けられた」と言いつつ、その日を「主権回復の日」というのはご都合主義的だ

「西川美和監督のネタ帳か?」とまで思えるサム・ライミ監督の『シンプル・プラン』

 「愚鈍な兄」と「知的な弟」。弟は愚鈍な兄をリスペクトしていない(というか、半ばバカにしている)。
 だが、ストーリーが進むにつれて、この兄弟関係の構造は崩れ、実は誠実で賢明だった兄の前に、不誠実で偏狭だった弟は猛省する。

 …という作品がいくつかある。

 日本で代表的なものは西川美和監督の『ゆれる』(2006年)。渓谷の古い吊り橋で起きた転落死事故(事件)をめぐる二転三転の展開がメインプロットだが、それと表裏一体となって、兄弟の関係の変化が描かれている(いろんな事実が吊り橋のように脆そうに揺れ動くから、題が「ゆれる」)。



 オダギリジョー(東京に住む弟役)は香川照之(地方都市の実家に住む兄役)の愚鈍でダサい生き方を小バカにしている。だが、話が進むにつれて、オダギリジョーの無謬性、万能感は崩れていき、オダギリジョーも自分が間違っていたことを自覚する。

 (西川監督のデビュー作『蛇イチゴ』(2002年)も、犯罪(詐欺)を絡めた兄弟関係のドラマだった。ただし、兄弟関係は反転する。兄(宮迫博之)は不真面目で小賢しい口八丁手八丁の詐欺師。妹(つみきみほ)のほうが真面目で愚直。妹は兄に対して猜疑心を抱いているが、実は、不真面目な兄のほうが真面目な妹に対しては誠実だったりするのが『ゆれる』同様、面白い)

◆ ◆




 『ゆれる』の8年前、『スパイダーマン』シリーズで知られるサム・ライミ監督が『シンプル・プラン』(1998年)という映画を作っている。最近初めて観たら、「愚鈍な兄」と「知的な弟」の関係の話で、「これは『ゆれる』の元ネタか?」と思えるほど似ていた。
 作風はまったく違う。『シンプル・プラン』はヒッチコック風の味わいのあるサスペンス映画だ。実際、ヒッチコックへのオマージュが含まれている。雪の林に何度も登場する、『鳥』のような大きなカラスだ。雪景色の白との鮮やかなコントラストをなす何匹ものカラスがその後の不気味な展開を予感させる。さらに映画の中盤、家の中で酒を飲んでいるシーンで、つけっぱなしのテレビで流れているのは『鳥』だった。
 『シンプル・プラン』は雪の地方都市が舞台ということでコーエン兄弟の『ファーゴ』も想起させる。いずれにせよ、『ゆれる』とはテイストがだいぶ違う。

 『シンプル・プラン』は、林に墜落した飛行機の中から現金440万ドルを発見した田舎町の貧しい兄弟とその友人の話。
 440万ドルを発見したビル・パクストン(弟役)は警察に届けようとするが、ビリー・ボブ・ソーントン演じる兄とその友人は「カネは俺達のもんだ。てめえだけ失せやがれ」と譲らない。そこで賢い兄は穏便に大金を手に入れるための「シンプル・プラン」を考える。しかし、兄とその友人が馬鹿(シンプル)なこともあり、物事は単純(シンプル)に運ばず…。
 この映画を一言で片付ければ「大金に翻弄される人生は破滅する」という教訓話にすぎない。だが、『ゆれる』同様、巨額の金の行方の裏で、兄弟の関係の変化が描かれていて、かなり奥深い話になっている。
 賢い弟は、逃げ切るために、狭い町を出て暮らそうという。だが愚鈍な兄は「ここで暮らしたい」と言い張る。なぜなら、この町には死んだ父たちとの家族の幸せな思い出がつまっているからだ。兄は、父親が金に困って手放した農場を買い戻し、素朴(シンプル)な幸せも取り戻したいと考えている。
 弟はハッとする。親が苦労して学費を捻出し、大学まで出してもらったにもかかわらず、そんなことに思いを巡らせたことがなかったからだ。そして気付く。一見、自分のほうが頭が回って気が利くように見えて、本当に思慮深いのは兄のほうだった。兄は父の死の真相も見抜いていた。
 ビル・パクストンの寡黙だが表情で見せる演技がいい(ビリー・ボブ・ソーントンも凄いが)。

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 西川美和監督は『シンプル・プラン』を観たと思う。あるいはスコット・スミスの原作を読んだと思う。
 作風こそ似ていないが、西川美和監督の作品には必ず犯罪が登場するので、きっとこの手の作品には関心があるはずだ。

 西川監督が『シンプル・プラン』を知っているか知らないかは別にしても、この作品と西川美和監督の近似性はその後も続く。

 『ゆれる』では、『シンプル・プラン』で扱われる2大要素のうち、「兄弟」は扱われているが、「大金に翻弄される人生」は扱われていなかった。
 しかし、西川監督の最新作『夢売るふたり』(2012年)では、まさにお金に翻弄される人生が扱われている。

 さらに、『シンプル・プラン』のビル・パクストンとブリジット・フォンダの夫婦関係=共犯関係が、そのまま阿部サダヲと松たか子の夫婦関係=共犯関係になって表れている。映画の冒頭では夫よりも冷静なはずだった妻が、いつの間にか執念深くて残酷な存在になっている点も同じだ。



 アマゾンをチェックすると『シンプル・プラン』のDVDは廃盤状態だった。レンタルショップに行ってもかろうじてあるかないか微妙だと思うが、西川美和ファンにも一度観てほしい秀作だ。

※追伸
先日亡くなったロジャー・エバート氏の『シンプル・プラン』評を見つけたので、「さば通信インテルナシオナル」に取り上げた
サム・ライミはコーエン兄弟と友達で、『シンプル・プラン』を撮る際、『ファーゴ』で雪のシーンをどう撮ったかアドバイスをもらったそうだ。


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W・アンダーソン監督の総決算&最高傑作(そして最大のヒット作)『ムーンライズ・キングダム』



 『ムーンライズ・キングダム』はウェス・アンダーソン監督の総決算である。

 群像劇としては『ロイヤル・テネンバウムズ』、海と自然が舞台である点は『ライフ・アクアティック』、未成年が主人公という点では『天才マックスの世界』…。ウェス・アンダーソン作品はすべて世界観やテーマ(ぶっ壊れた家族の難しい人間関係をキュートなオブラートに包んで提示する)が共通しているので(デヴィッド・リンチのように)、どれがどうということは言えないが、大雑把に言うとそんな感じだ。

 そして『ムーンライズ・キングダム』の凄いところは、これまで多くの傑作を生み出してきたウェス・アンダーソン監督が、過去の名作につぶされず、さらに凄い最高傑作に仕上げてきた点にある。
 総決算であると同時に最高傑作であるという点で、デヴィッド・リンチ監督にとっての『マルホランド・ドライヴ』と言えるかもしれない。

 『ムーンライズ・キングダム』の小道具の凝り方は、あの『ロイヤル・テネンバウムズ』を踏まえつつ、それを凌駕している。
 そして、主人公の少年の駆け落ち相手である女の子が演劇に出演するシーンは『天才マックスの世界』のクライマックスを想起させる。
 驚くべきは、学校の舞台で上演される「ノアの箱舟」。着ぐるみ姿の子どもたちがかわいいだけでない。「ノアの箱舟」の世界がそのまま『ムーンライズ・キングダム』の世界に繋がっている。
 ノアは自分の家族とすべての動物のつがいを箱舟に乗せて40日と40夜続いた大洪水に耐えた。『ムーンライズ・キングダム』でも、主人公たちが暮らす小さな島に記録的なハリケーンが襲う。そんな中で駆け落ちをし、嵐の中で愛を貫いたスージーとサムは、「ムーンライズ・キングダム」という寓話の世界に生きる寓話的人間のつがいなのだ。
 何かトリヴィアかこじつけを書いていると思われるかもしれないが、この点はキリスト教が盛んな国であれば多くの観客が当然気付くことだと思う。

 ついでにトリヴィア的なことを言うと、少年にロボトミー手術を受けさせようとする福祉局の冷血な女性(ティルダ・スウィントン)は『カッコーの巣の上で』のパロディーだ。こういうふうに、いろんな部分で1965年前後のものがコラージュされている。ズームを多用したり、独特のオープニングクレジット、エンドクレジットもこの時代の映画にある感じだ。

 観終わった後、「これは間違いなくアカデミー賞だな」と思ったら、脚本賞にしかノミネートされていなかった。おそらく脚本賞も取れないと思うが、私の心の中では燦々と輝く作品だ。

ファスビンダー監督『マリア・ブラウンの結婚』で学ぶドイツ戦後史



 ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督(Rainer Werner Fassbinder)の『マリア・ブラウンの結婚(Die Ehe der Maria Braun)』(1978年)は、1943〜1954年のマリア・ブラウンの人生が描かれている。

 これを敗戦・分割後の西ドイツを生き抜いた1人の女性の映画として観てもいいが、彼女の人生そのものが戦後西ドイツを暗示している、ということを知るともっと面白い。

 あらすじをざっと書くと、「マリア・ブラウンは敗戦後、米兵相手の水商売に就き、米兵の愛人となる。米兵を殺した後、今度はフランス人の愛人になる。マリア・ブラウンは猛烈に働いて金持ちになり、傲慢になっていく」という具合になる。

 これはまさに戦後西ドイツの歴史そのものだ。

 (a)米国は1948年から51年にかけて、マーシャル・プラン(欧州諸国のための経済復興計画)で西ドイツに対して巨額の援助を行った。
 (連合国は、第1次世界大戦で背負わせた莫大な賠償がナチスドイツの台頭の一因となったことを踏まえ、第2次大戦後のドイツに対して経済復興を優先させた)

 (b)1952年、西ドイツとフランスなど計6カ国は欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)を設立する。国家の枠を超えて石炭と鉄鋼の共同市場をつくることが目的だが、かつての敵国同士で資源を共有することで、仏独間で戦争を繰り返さないという狙いがあった。ECSCは後にEEC(58年)、EC(67年)そしてEU(93年)に発展していく。
 (ECSCに対してド・ゴールは「フランス政府の優位性があまりにも弱すぎる」、レイモン・アロンは「米国主導の経済復興からの脱却である」と主張。ド・ゴール率いるフランス国民連合はECSCに反対した)

 (c)こうした状況下で西ドイツは「経済の奇跡」と呼ばれる経済発展を遂げる。西ドイツは1950年代、平均成長率8%を記録した。

 (d)西ドイツ初代首相のコンラート・アデナウアー(Konrad Adenauer)は東西再統一が遠のくのを覚悟で「西向き」外交を展開。1955年に主権を回復し、同年、NATOに加盟し再軍備も果たした。


 (a)は「米兵の愛人」、(b)は「フランス人の愛人」、(c)はマリア・ブラウンが裕福になる過程で(d)はマリア・ブラウンの権威も高まっていくことに対応している。

 そこで問題になるのが、タイトルに示されてはいるが作中に出てくる頻度が少ないマリア・ブラウンの夫、ヘルマン・ブラウンだ。

 ヘルマンは戦時中にマリアと結婚した後、戦地で長らく行方不明となる。戦後しばらく経って突然、姿を現すが、間もなく、米兵を殺したマリアの身代わりになって刑務所に入る。出所後はマリアから逃げるようにカナダに移住し、フランス人の愛人が死んだ後、ようやくマリアの元へ戻ってくる。

 マリアが西ドイツの隠喩だとすれば、ヘルマンは東ドイツの隠喩とも受け取れる。戦後、ヘルマンとマリアは離れ離れになり、その間、マリアは薄幸のヘルマンをおざなりにして自由と自由市場経済を謳歌するのだ。

 ファスビンダーは『ローラ』(1981年)でも1950年代の西ドイツを扱い、経済復興の陰で横行するドイツ社会の不正と頽廃を描いている。古き良きモラルの退行は『マリア・ブラウンの結婚』でも『ローラ』でも共通する要素だ。

 こう書いていると、ファスビンダーが大島渚やテオ・アンゲロプロスのように政治よりで難解な映画作家だと思われてしまうが、実際には、こうした背景を知らなくても、ただのメロドラマとして観ても面白いのがファスビンダー映画の面白さだ(ファスビンダーは米国のメロドラマの名手、ダグラス・サークに強い影響を受けている)。

 だが、こうした歴史を知っておくともっと興味深いし、同じような戦後発展を遂げた日本ともかなりダブってくるのも日本人にとっては興味深いところだ。


※参考図書

 

【夏休みの自由研究】アタック25はどうすれば勝てるか?(下)

(中)の続き

【6】角を2枚以上取る者がアタック25を制す

 アタック25で角を取ることが重要なのは言わずもがなです。児玉清氏をまねするとき、「アタックチャンス!」の次ぐらいに「なぜ角を取らない?!」という台詞が使われるのも、角の重要性が広く認知されている証拠でしょう。
 8回のデータからもそれは証明できます。優勝者の角(1番、5番、21番、25番)の平均獲得枚数は2・5枚。内訳は、

0枚…0人
1枚…0人
2枚…5人
3枚…2人
4枚…1人


で、全員、最低でも2枚以上の角を取っていました。
 カモに角の周りを取らせ、その直後に角に入るのが優勝の絶対条件といってもいいでしょう。

【7】中盤以降に王道はないが、序盤でバカなふりをすると有利になる

 アタック25はほぼ毎回、知識は豊富でたくさん答えるけど地雷を踏んで自滅するカモが存在します。しかし、知識豊富なライバル解答者がこれまで述べてきた鉄則をちゃんと知っていた場合、中盤以降はクイズの実力勝負になってしまいます。
 こうなると、王道はありません。知識と早押しのタイミングをコツコツ勉強し、パネルの取り方にも慣れておくしかありません。

 ただし、少しでも中盤以降を有利に戦うための策はあります。
 アタック25は、前半で多く答えて「この解答者は手強い。こいつを潰さないと勝てない」と他の解答者に感づかせてしまうと大変です。自分のパネルが狙われて次々と消されていき、アタックチャンスで角も消されるかもしれません。
 こうした被害を抑える意味でも、「パネルを取ってはならない場面で答えない」という鉄則は重要です。不要な正答数を減らすことで自分を目立たないようにして、狙い撃ちされないようにするのです。言うなれば、ステルス作戦です。

 そして、大して難しくもない場面でガッツポーズをしたりして喜ぶと、効果は倍増します。「そんな簡単な問題で喜ぶなんて」「この人はバカだな」と思わせたらこっちのもんです。アタックチャンスでも自分のパネルが狙われずに済むかもしれません。
 6月17日に優勝した青(30代女性)が好例です。この解答者は8問目(正答した問題のみ)で緑が初めて地雷原(角の周り)に入るまで、1問しか答えていません(そのときの喜びようは、まさに「バカだな」と思わせる喜びようでした)。
 しかし、その後、効果的に緑に地雷を踏ませながら、残り18問(正答した問題のみ)のうち10問を答えます。
 序盤で「バカだな」と思わせた青は、実は、夫婦そろってクイズマニアの公務員という、とんだペテン師、ハスラーだったのです。

 序盤でお手つきを1、2回しておくのも効果的かもしれません。相手にバカと思わせると同時に、緊張をほぐす効果もあります。最初の自爆まで1枚も取らなくても問題はありません

【終わりに】25枚のパネルをColor of Moneyに染めろ

 「アタック25」を目指す方に推薦したい映画があります。ポール・ニューマンとトム・クルーズが共演したマーティン・スコセッシ監督の『ハスラー2』(1986年)です。
 原題がThe Color of Moneyというのも、「アタック25」にふさわしいですね(「アタック25」では獲得パネル1枚につき1万円をもらえます)。



 『ハスラー2』は言うまでもなくビリヤードの映画ですが、この自由研究の要諦が詰まっている映画です。向こう見ずで目立ちたがりの青年(トム・クルーズ)が、かつてハスラーだったポール・ニューマンと出会い、勝負の勝ち方を叩き込まれていくという成長過程が描かれています。
 『ハスラー2』のポール・ニューマンの哲学は、そのままアタック25に使えます。
 ポール・ニューマンの教えを簡単に言うと、「自分の実力を相手にさらけ出さず、謎の存在(the unknown)のままでいろ。わざと負けたりして相手を油断させることも重要だ。実力を発揮するのは大金が動くビッグゲームのときだけだ」ということです。

 『ハスラー2』で扱われているゲームがナインボールだということも、アタック25との親和性を高めています。ナインボールは他のビリヤードのゲームと違い、ただどんどん球をポケットに入れていけば勝てるゲームではないからです。
 『ハスラー2』の冒頭で、マーティン・スコセッシ自身のナレーションが入ります。

 「ナインボールは、2人が交代で、ボールを番号順にポケットに入れていく。勝ち負けに繋がるのは9番のボールだけ。どんなに見事な腕さばきで1〜8番を仕留めても、9番を入れ損なえば、負ける。逆に、ブレイクショットで9番を沈めれば勝ちだ。ナインボールでは運も大事な役目を果たす。そして、運そのものがひとつの「アート」でもある」

(Nine-Ball is rotation pool, the balls are pocketed in numbered order. The only ball that means anything, that wins it, is the 9. Now, the player can shoot eight trick shots in a row, blow the 9, and lose. On the other hand, the player can get the 9 in on the break, if the balls spread right, and win. Which is to say, that luck plays a part in nine-ball. But for some players, luck itself is an art.)


 最後の「アート(art)」は「芸術」という意味もあるでしょうが、ここではまず「技巧」ということでしょう。
 そして、artは「狡猾さ」という意味を含む単語でもあります。
 エディにとって、ナインボールの勝負は、時にはずる賢く振る舞ってでも勝つものです。でも、トム・クルーズ演じるヴィンセントは、この部分が一番分かっていない青二才なので、ハスラー(賭けビリヤードの勝負師)の英才教育にてこずることになります。

 「アタック25」も「運」と「アート」のゲームです。
 勝負どころでライバル解答者の得意ジャンルの問題が出題されたらどうしようもないですが、それ以外の「運」はコントロールできます。それは今回の自由研究で取り上げた、時に「狡猾さ」も含む「技巧」です。

 『ハスラー2』でエディは「カネが絡んだときは絶対に相手に情けをかけるな」とヴィンセントに忠告します。
 アタック25もカネが絡んだ勝負なので、ハスラーに徹してください。

【夏休みの自由研究】アタック25はどうすれば勝てるか?(中)

(上)の続き

【4】パネルを取ってはならない場面で絶対に答えない

 「アタック25」は正答数でそんなに差が出ないゲームだということは(上)で紹介しました。各解答者の正答数の割合を出すと、大体それぞれ2〜3割(ときどき1割台や4割台も出ます)の範囲内に収まります。これはプロ野球の打率と同じぐらいです。
 でも、野球と同様、小さな差が勝敗を分けます。それは、野球で言えば「得点圏打率」や「適時打(タイムリーヒット)」にあたるような、タイミングが重要だからです。

 正解のタイミングを自らコントロールすることで大きく優勝に近付くことができるゲームです。
 それではタイミングとは何でしょうか?
 タイミングの制御法は2つあります。

 (a)「パネルを取りたい場面で正答する」

 このためには知識を蓄え、早押しの技術を磨くことが必要です。その上、実力を培ったとしても、正答するタイミングは、そう簡単にコントロールできるものではありません。

 しかし、アタック25ではそんな努力をしなくてもタイミングはコントロールできます。それが次の制御法です。

 (b)「パネルを取ってはならない場面で答えない」

 このタイミングは自分で100%コントロールできます
 誰でも今すぐ実践できる必勝法はこれです。そして、これができない出場者は必ず負けます。

 正答数1位の出場者でも半分は優勝できないというデータを前回見ましたが、正答数1位なのに優勝できなかった理由は、全員、パネルを取ってはならない場面で答えて自滅したからです

 では、「パネルを取ってはならない場面」とは何でしょうか? これは【5】に尽きます。

【5】角の周り=地雷原に自分で入ってはならない

 アタック25の序盤で、出場者は十字型にパネルを取っていきます。角の周りを取ると他の3人に角を取られる危険が生じるからです。
 しかし、パネルの状況次第で、角の周りに入らざるをえない場面が出てきます
 大事なのはここです。
 次に答えると角の周りを取らないといけない場面では絶対に答えてはいけません。地雷原に自ら足を踏み入れるのと同じです。
 闇雲にパネルを増やそうとして地雷原に入るとどうなるか? 次の問題で正解した人は角を取れるのに、地雷原に入った人だけ自分で角をとれない状況になります(他の色を消せるパネルがあるときはそのパネルをとらなければならないため)。
 言い換えると、「角をめぐる戦い」を勃発させた張本人は、「角をめぐる戦い」の蚊帳の外に置かれてしまうのです
 これはアタック25にとって死を意味します。

 過去8回を見ると、正答数1位なのに敗退した出場者は、ほぼ必ず自ら角の周りに入って地雷を踏んでいます(以下、「自爆」と呼びます)。
 正答数1位で優勝できなかった解答者の自爆数を以下に示します。

6月3日の赤(正答数8問) …自爆3回
6月10日青(正答数11問)…自爆4回
6月24日赤(正答数8問) …自爆0回
(※優勝者は正答数7問。自滅ではないが、接戦にもつれ込んで負けたケース。例外)
7月8日の緑(正答数9問) …自爆3回
7月22日青(正答数12問)…自爆3回


 この方々は全員、優勝者平均正答数(8問)以上の正答数ですが、自爆して敗れています。

 逆に、優勝者を見ると、1つ目、2つ目の角で自爆した人は1人もいませんでした(後半は領土拡大のために、やむをえず角の周りを取る場面も出てきますが)。

 言い換えれば、「1つ目と2つ目の角で自爆してはならない」という鉄則を守るだけで、優勝確率は4分の1から3分の1(自爆のカモが1人の場合)、ないしは2分の1(自爆のカモが2人の場合)に跳ね上がります。

つづく
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