キリゾー・モッコロ(愛知万博)
 キリゾー・モッコロというキャラクターのパロディー(本当はモリゾー・キッコロ)まで登場して幕を閉じた愛知万博(愛・地球博)。9月25日に閉幕して、そのほとばりも冷めつつある中、その成果や意味を問い直す論考も登場している。
 朝日新聞に掲載された、五十嵐太郎・東北大助教授(建築論)の「愛知万博とは何だったのか」という評論は、「根本的変革の機会逃す/意味問い直さず中途半端に」という見出しとともに、愛知万博を批判的に論じている。

 五十嵐の視点はこうだ。「19世紀に始まった万博は近代技術と都市開発を推進したが、それらが一段落すると歴史的な意義を喪失した。20世紀半ばにはディズニーランドが登場し、スペクタクル空間のお株も奪われた。そんな中、21世紀に入って行われた愛知万博は、万博の根本的意味を問い直す絶好の機会となりえたが、実際は失敗もせず、変革することもなく、目標入場者数のハードルを下げての商業的な「大成功」によって、中途半端に生き残ることになってしまった」。

 五十嵐は1970年の大阪万博と比較し、愛知万博についてこう述べる。
「三十五年前の大阪万博では、前衛的な建築家やアーティストが参加していたが、それがほとんどない。広告代理店が幅をきかせ、崇高な理念よりも、大衆が望む適当なものを与えればよいという視聴率の世界と同化している。」
 鋭い指摘だと思った。
 五十嵐は、名古屋駅近くのささしまサテライト会場を取り上げさらに続ける。
「関連事業とはいえ、ポケモン遊園地、スター・ウォーズ展、八〇年代ディスコの再現など、支離滅裂な企画は万博を矮小化していた。」
 ここで私は気付いた。「大衆が望む適当なものを与えればよいという視聴率の世界」といい「支離滅裂な企画」による「矮小化」といい、愛知万博というのは「小泉劇場」そっくりではないかと。
 中身なき「改革」の連呼は、「CMの後すぐ!!」とか言って延々と番組を引き伸ばして視聴者を繋ぎ止める悪質なTVのやり方にそっくり。自民党の衆議院候補のリストだって、ホリエモンとか料理研究家とか杉村太蔵とかいう26歳の兄ちゃんとか、まさに「ポケモン遊園地」そのものではないか。
 あるいは愛知万博が「小泉劇場」のエピゴーネン(模倣者)として長久手の地に具現化したものなのか。
 いずれにせよ、愛知万博と小泉劇場はコインの表裏の関係にある。
 そして私たちは今後しばらくの間、「広告代理店が幅をきかせ、崇高な理念よりも、大衆が望む適当なものを与えればよいという視聴率の世界」を生きていくしかないようだ。
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