ジョヴァンニッキ2

即興演奏家が本業よりアート鑑賞に夢中になっているブログです。

2015年02月

「モンゴル近代絵画展 -その源流と展開-」(東京ステーションギャラリー)の回想。


この展覧会はモンゴルにおける近代絵画の流れを見せるもので、アートの研究者にとっては貴重な情報をもたらしてくれたであろう。私は専門家ではないので、モンゴル近代絵画の多様性という点に焦点を当てて振り返ってみる。

モンゴルに限らず日本と異なる国・民族・文化を背景とした絵画は日本のものとは違った個性を有している。例外は純粋な抽象画だろう。モンゴルでは1968年の展覧会で初めて抽象画が登場した。例えばチラシ裏面に紹介された♪O.ツェヴェグジャブの「「母の白い心」はグローバルな普遍性を感じさせる。


チラシ表に掲載された♪Ch.バザルヴァーニの「国の旗のもとに」は建物や人物に比べて旗が異様に大きい。素朴画家の作品を彷彿とさせる。


半券には♪Ts.ドルジの「子羊飼い」が使われていたが、これは漫画やアニメの影響下にあるように見える。


♪D.アムガランの「夢」は印象に残ったので絵葉書を購入した。愛馬に休息を与えている間に草原で寝込んだ男が見た夢であろうか。旋回する夕映えの雲は幻想的だ。


幻想といえば、♪B.チョグソムの「タイハルの岩」も不思議な印象を与える作品だ。このような巨岩は実在するのかもしれないが、その形状は単純化され、たぶん若干デフォルメされているのだろう。


このような幻想画は、モンゴルの自然から醸成されたものであろう。西洋や日本のものと違った味わいが楽しかった。

「メゾチント展」(ギャラリーカノン:銀座)に行った。


私が初めて観たメゾチントは、たぶん♪浜口陽三の作品だったと思う。今でも最も愛する作家のうちの一人だ。しかし、なぜか展覧会を観たという記憶と記録がない。

初めてブログに書いたのは♪マリオ・アヴァティだ。1977年に行った展覧会のことをアーカイブとして引っ越し前の「ジョヴァンニッキ」に記事をアップした。

そして大好きな♪駒井哲郎。1980年の展覧会の記事を書いていた。

次は♪長谷川潔。2006年の個展を観ていた

今回の展覧会では、メゾチントという技法から生まれる作品が多種多様であることに驚いた。この技法は表現の幅が狭いと勝手に思い込んでいたのだが、考えを改めた。

展示作品の中で恐るべきオーラを放っていたのは♪三塩佳晴の作品(案内葉書の左上)。これは本当にメゾチントだろうか?銅版画のようなたたずまいだ。

そう言えば今回の展覧会の案内葉書は、8つの作品の配列により、それ自体が一つの作品のような味がある。上から2列目だけ彩色された作品を配置し、それらをモノクロームの作品が取り囲んでいる。コンポジションの妙と言えよう。

今回の展覧会は「技法」に特化したという点が面白く、私が知らなかったこと(メゾチントの幅の広さなど)が見えてきたのが良かった。


「6人のフォルム」(兜屋画廊:銀座)に行った。


この展覧会に行った目的は成城で知った画家・福島唯史の絵を追いかけるためだ。そして今回は数点の作品に出会った。図録には「コンポートの洋梨」が紹介されていた。素敵な絵だ。


私が最初に観た福島唯史の作品は「ダリヤ」だった。白くて四角い花弁の美しさに驚いた。それ以来、福島作品は機会ある毎に観てきた。

今回展示された作品の中で「薔薇」があったが、この花の色を白くしてもっと大きな作品にするとダリヤの感じに近づく。この薔薇もやはり花弁が四角く、そこに作家の個性が凝縮されていたようだった。

それにしても、抽象・薄塗りを好む私がなぜ具象・厚塗りの福島作品を好きになったのだろうか?真逆ではないか?

自分の嗜好を分析しても仕方がないが、たぶん福島作品には具象の裏に堅固な構成感が潜んでいるからだと思う。また厚塗りに関しては、一種の立体的な構築性(平面作品ではあるけれども)の雰囲気が漂うからかもしれない。

そのような考えでもう一度図録に紹介された「コンポーネントの洋梨」を観ると、ほとんど抽象絵画と言ってもいいような構成物が見えてきた。

そして赤と緑の補色の対比も、どちらも渋い中間色が用いられているためどぎつくなく感じが良い。色面構成と呼んでしまうとマチスの専売特許かもしれないが、福島のような作家も違う形で色の構成に取り組んでいるように思った。

「クワトロ・ロッソ サロンコンサート」(横浜市イギリス館)に出演した。



演奏したのは「弦楽四重奏曲の名曲を訪ねて」シリーズの一環として、スメタナの「わが生涯より」とチャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」である。「クワトロ・ロッソ」というのは私が所属するアマチュアの弦楽四重奏団の名前だ。

今回は「第9回 横浜山手芸術祭」に参加した。この催しにはコンサートだけでなく展覧会やガーデニングなど多彩なイベント(有料・無料)が企画されていた。


私たちのコンサートは入場無料なので、有料のコンサートに比べると気楽な感じだが、それでも「芸術祭参加」となるとある程度の成果を残さないと恰好がつかない。これがプレッシャーになっていた。なんとか演奏を終えたら、くたくたに疲れていた。

聴いて下さった方々、ありがとうございました。

尊敬する音楽ライター・ハシビロコウさんと音楽談義をしていた際、ふとしたことからプッチーニの話になった。そして「トゥーランドット」に話が及び、さらに弟子のフランコ・アルファーノによる補作に話題が進んだ。

よせばいいのに、私はプッチーニよりむしろアルファーノの方が優れた作曲家だと力説した。それには根拠があった。彼の弦楽四重奏曲第3番の小型スコアを持っていて、作曲技法の優秀性を感じていたからである。


第1楽章の冒頭は全楽器がほぼ対等に取り扱われ、伸び伸びと歌いながら音楽を構築してゆく。この「譜面づらの良さ」がアルファーノの資質を表しているというわけだ。


ハシビロコウさんは、これだけの事では納得せず、それでは「トゥーランドット」において実際の音構成をプッチーニとアルファーノと比較し、具体的にアルファーノの方が上だと述べなければいけない、という方向に話が飛んだ。

愚かな私は、「そうだね」と気軽に応じた。するとハシビロコウさんから「トゥーランドット」のフルスコアのコピーが送られてきた。厚さは1センチ半もある。


アルファーノに切り替わった箇所は次のページだということだった。二重唱の始まるところかな。


そしてこのフルスコアにおいて、プッチーニとアルファーノの作曲技法を比較し、アルファーノの方が優秀だという証拠を見つけるというのが課題だ。

このハシビロコウさんとのやりとりは何年前のことだっただろうか?私はちょっと取り組んでみたのだが、その作業の困難さに辟易し、そのまま放置して年月が過ぎてしまった。この仮称「アルファーノ・プロジェクト」は今のところ再開のメドが立っていない。

最近は画廊めぐりに忙しく、アルファーノどころか編曲活動も滞りがちである。作曲に至っては、「怒りの日」着手をブログで宣言したにもかかわらず、遅々として進んでいない。これはまずい。どうにかしなければ・・・。

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