ジョヴァンニッキ2

即興演奏家が本業よりアート鑑賞に夢中になっているブログです。

2015年05月

「亀田節子・飯坂郁子『ふたり展』」(プロモ・アルテ・プロジェクト ギャラリー:神宮前)に行った。


♪飯坂郁子の作品は以前よりよく観ていた。そしてその個性に感心していた。台所用品を描いただけの小品でも、一目で飯坂作品だとわかるのである。今回もその個性は健在であった。

♪亀田節子は知らなかった。静物画の一つは観る場所によって趣が異なるという不思議な作品だった。遠くから眺めると心象風景のように見え、近づくと穏やかな静物画に変化するのだ。

このギャラリーには初めて行った。明るくてお洒落で、しかも広さを感じさせる空間は個性ある二人の展覧会にぴったりだった。ここで個展を開きたいというアーティストが多いと聞いたが、納得した。

最後にカンケーシャにだけわかるコメントです。飯坂さん、積み上げワインを描いて戴き、ありがとうございました。

「姉妹展」(ギャラリーカノン:銀座)に行った。


画廊主で版画家でもある♪高橋睦未と、お姉さんで画家の♪橘 稲美の二人展である。私はこの画廊を「止まり木」にしてきた。ある時期は曜日限定ではあったがバーも営業していた。

しかし、誠に残念なことにこの画廊は5月で閉廊となってしまった。今回のオーナー姉妹展は最後を締めくくる展覧会だったのである。

この画廊では多くのアーティストとの出会いがあった。♪東京ダルマというマルチアーティストの存在を知ったのもこのギャラリーカノンに来たお蔭である。版画家♪篠崎純子、ジュエリー・アーティスト♪中谷文子も同様に、この画廊が無かったら知るチャンスが無かったかもしれない。駐日大使の夫で画家の♪エドさんと会ったのもこの場所である。

そして何より、♪三塩佳晴という熟練の銅版画家を知り、作品をじっくり味わい、作家本人と話が出来たことは大きかった。幻想怪奇寄りの版画なので、広く一般に愛好される作家ではないかもしれないが、この分野が好きな一部の好事家にとっては神格化されてもおかしくない存在であろう。

高橋睦未さん、いろいろありがとうございました。

「第51回 作家集団 実在派展」(銀座アートホール)に行った。



お目当ては♪山内若菜の作品だ。個展と同時開催だったので2日間で両方観に行った。今回はストリッパーを描いた絵が多数展示されていた。初めて聞く人は、女流画家なのにストリップ劇場に通って絵を描くなんて、と驚くかもしれない。あるいは不謹慎だ、などの感想を抱くかもしれない。

しかし、もしそういう人がおられたら、ぜひ作品を観てもらいたい。写実的だったり、ドフォルメしたり、抽象化したりと多様な描き方でストリッパーの生活を描いているのだが、どの作品を観ても生命力を感じさせる。上品とか下品とか、そういうものも超越してしまっているのだ。

もう一人お目当ての画家がいる。♪内藤範子だ。幽玄な世界を描く画家としていつも楽しみにしている。過日、鎌倉での展覧会の折りに専門家が言ったことを引用させてもらうと「これは彼岸の絵だね」ということになる。死後の世界の雰囲気が漂ってくるのだが、これも山内若菜と同様、技術が素晴らしいためであろう、清楚な感覚に浄化されている。

今回、内藤の作品を観てあれっ?と思った。絵が以前より明るくなったのである。彼岸ではなく、現世に引き戻され、生きる歓びを再び味わい始めているかのようだ。今後、内藤の絵はどんどん明るくなっていくのだろうか?それもまた新たな世界を観ることができそうで楽しみだ。同時に以前描いていた彼岸の世界も、ちょっぴり「怖い物見たさ」の感覚があるが、捨てがたい。

このグループ展は面白い。毎回楽しみだ。

「山内若菜展」(中和ギャラリー:銀座)に行った。


私は素人で絵画の技術的なことに疎いが、それでも山内若菜が恐るべき腕前を持った画家だという事はわかっているつもりだ。上手ければいいとは限らないが、上手いに越した事はない。

山内若菜の絵画には強い社会的メッセージを有するものが多い。テーマは震災復興、生きる力などである。私は本来メッセージやコンセプトを含むアートを愛好しないのだが、山内若菜の作品には引き込まれてしまう。それは山内の技術が卓越しているから、メッセージ性のあるなし等を超えたところで作品が魅力を発揮しているからだろう。

会場では小品の即売があった。私は「夕やけ ふるさと」を購入した。


購入した作品は紙バッグに入れてくれる。洒落た絵が添えられている。


私と同じ藤沢市在住で、こんなに優れた画家がいるという事に誇りを感じる。

「右近多恵子展 ―佇む人々―」(櫟(くぬぎ)画廊:銀座)に行った。


過去の展覧会同様、今回もインスタレーション作品の展示であった。作家自身の言葉によると、展示されているのは「作品」ではなく「装置」であるという。接した人が日常と異なる世界に入ってゆくのを支援する装置というような意味だと思う。

それで思い出すのは「気配の設え(しつらえ) 佐藤 卓とライゾマティクス展」だ。そこで展示されていたモニターを私は「気配察知促進機械」とか「トリガーマシン」と呼んだ。異界に入り込むためのきっかけとなるマシンという意味だが、これは右近多恵子の「装置」と同じような機能を有するという設定となる。

インスタレーション作品を観た人の、その時の体調とか集中度によって異なるが、うまくいった場合は日常からの脱却が図れるかもしれない。右近多恵子のインスタレーションはそういう期待感を内包している。

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