2009年04月08日

馬酔木の香り

馬酔木
この花は、前にUPしたエリカの花の咲く道を下ったところに咲いていました。
とても急な坂道で、ここを下り坂方向に杖をつきながら母が一人で歩いたなんて、危な〜い!知ってびっくりでした。

"発熱性好中球減少症"と診断された母は、その治療のために2/26から3/1まで入院をしました。
母のがんは進行性のものなので、手術ができるかどうかのセカンド・オピニオンをいただくのは早ければ早い方が良いと思った私は、父の主治医にご紹介いただいた先生とお話をして、取り敢えず退院後の3/3に母の診察をしていただくことにしました。

その一方で、私はこのまま抗がん治療を続けなければならないかも知れない母が横浜に移住した場合に備え、治療を受けていた病院の先生に国立がんセンター宛てと神奈川県がんセンター宛ての紹介状を書いてくださるようお願いしていました。
それに加えて、セカンド・オピニオンということで、父の主治医に紹介していただいた先生への紹介状もお願いしたのですが、急なことで、その紹介状は3/3には間に合いませんでした。

そこで、母の病状説明は私の知っている範囲に止まりましたが、血液検査、CT検査などの結果、まだ数種類の検査が必要ではあるが、腫瘍の切除は可能ではないかというご判断をいただきました。

そして、この日早速、腫瘍の切除に向けて、検査、手術などの大まかな日程を決めました。
必要な検査の中で、主要なものである PET検査 を行っている所は、名古屋に数か所しかなく、まずその予約を取りました。
先生は、検査後1週間くらいかかるであろうPETの結果と他の検査次第で、できれば今月中(3月中)に手術をしたいとおっしゃってくださいました。

PETの検査が3/10、そして病院でできる他の検査は3/12〜13頃、手術日は3/25くらいという目安でした。

3/3がお雛まつりであることをすっかり忘れていたのですが、その診察結果を聞いて、なぜだか "今日は3/3、お雛さまだな〜" としみじみ思ったのを覚えています。 そして、この喜びを妹とも一緒に分かち合いたいと思いました。

sachi1929 at 13:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0)治療 | April 2009

2009年03月19日

エリカの花咲く道

エリカの花
母が行く散歩道は、この近くでも私の知らない所がたくさんあります。
横浜はUP、DOWNが多いので、すぐ近くでも急な坂道を登ったり、階段があったりで、私は余り行ったことがないのです。
この花は、家の裏手にあり、海の見える大変景色の良い道の途中に咲いています。

いつも、抗がん治療に入る前日に採血をして、治療ができる状態かどうかを診断してもらいますが、2/27(金)からの入院治療のために2/26日に採血をしたところ、白血球が少ないので翌日からの治療を見合すという連絡が入りました。そして、翌朝の体温が 37.5℃ 以上あったら来院くださいと言われていたので、体温を測ったところ 37.2℃ あり、念のために病院へ行き診察をしてもらうと、発熱性好中球減少症という診断でした。
これは手のしびれと同じ オキサリプラチン(5-FU) による"骨髄抑制"と呼ばれる副作用で、白血球の減少により抵抗力が低下して感染症にかかりやすくなります。
そこで、その日の午後から入院をして3日間白血球を増加させる治療をすることになりました。


母が一生懸命前向きにがんと闘っているのに、それを阻むようなストレスがあり、名古屋でゆっくりした気分でいられない事を考えるにつけ、できればこちらで抗がん治療を受けられないものかと思案します。

FOLFOX にしろ FOLFIRI にしろ抗がん治療のお薬は大変高価で、治療のために母が三日間入院すると病院は、お薬代だけでも赤字になるそうです。
入院にかかる費用は、お薬代だけではなく勿論人件費など諸費用もかかりますので、赤字の額は相当なものでしょう。
そういう事情もあって、こちらで新しい病院を探しても受け入れてもらえるかどうかは、難しい問題です。

一方、母より7才年上の高齢の父が、心臓の大動脈を含む手術に成功したことを考え、大動脈の近くだから切除できない(これは実際には、違っていました**)と言われている母の腫瘍も取れるのではないかという思いが私の中で膨らんできました。

そこで、藁をもつかむ思いで、無謀とは知りつつ、母のことを心臓外科医である父の主治医の先生にご相談してみました。
大変お心の広い方で、父の手術の折に一度お会いしただけのほぼ見ず知らずの私の、それも専門外の相談に快く応じてくださり、名古屋にいらっしゃるお知り合いの大腸がんの権威であるお医者さまをご紹介くださいました。

**検査の結果、腫瘍の切除が不可と判断された理由は、腸が仙骨に癒着していて可動しないためだったようです。

追記:
お願いをしてリンクさせていただいた「心臓外科医の写真紀行記」は、
"名古屋ハートセンター" の米田正始先生のHPです。
父の心臓手術をご執刀いただき、母の先生をご紹介くださいました。
米田先生には、両親共々、心より感謝しています。
この場を借りて、厚く御礼申し上げます。

sachi1929 at 15:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0)経過 | March 2009

2009年02月27日

冬の散歩道

飛行機雲
長い間、ブログの更新が途絶えたままになってしまいました。
自分のこと、母のこと、父のこと、他にもいろいろとあり、書き溜めていながら更新をする余裕がないまま、過ぎてみればすでに4ヶ月。
写真は、ある土曜日に図書館のついでに小さな動物園へ行き、トラやライオンが餌を食べるところを見たり、放し飼いのクジャクと一緒に写真を撮ったりした後、動物園を出たところで見た飛行機雲です。

今日一緒に投稿した "曼珠沙華" に詳しく書いていますが、母のFOLFOX4+アバスチンの抗がん治療は、昨年末までに合計9回行われました。
7回目くらいからプラチナ製剤であるオキサリプラチン(エルプラット)の投与によるとみられる副作用が徐々に顕著になってきました。
末梢神経症状で、冷たいものや空気に触れると手先に痛みを伴うしびれが出たり、ボタンが留めにくかったりします。↓*
その他には、フルオロウラシル(5-FU)の副作用による口内炎や手足の爪への色素沈着。アバスチンの副作用による鼻の粘膜からの出血などの症状も出ています。
治療を長く続けることで、このしびれが持続的なものになり、回復しにくくなるのを避けるため、今年に入ってからは、FOLFIRI+アバスチンの治療に切り替えました。

しかし、こちらは最初から消化器症状の副作用が強く出て、入院中吐き気や食欲不振が続きました。そして、体もつらいそうです。
FOLFOXの投与の時には、次の治療に入るまでにある程度体調が戻り元気になったのですが、FOLFIRIの方はそうはいかず、1/27(火)〜29(木)までの一回目の治療を終えて1/30(金)〜2/11(水)まで横浜に居たのですが、寒いのもあって最初の一週間は散歩にも行かず、ほとんど元気がありませんでした。
その後、だんだん体調も戻り、お天気が良い日には散歩へも行き、私とも出掛けたりできるようになってきました。

そして、2/11(水)に名古屋へ戻った母は、体調が以前ほどは回復しないまま、泌尿器科でのカテーテルの交換があったため 2/12 から入院をして 2/13(金)から二回目の治療に入りました。↓**
泌尿器科でのカテーテルの処置は3度目ですが、以前にも書いたように、随分体力を消耗し辛いそうです。

また1/13(火)には、造影剤を投与しての検査を行いました。
検査の結果は、去年の12/25に行ったCT検査の時から、腫瘍の大きさはほとんど変わっておらず、転移も認められないとのことでした。

そして、父は父で長年患っていた狭心症が悪化して年明けすぐの1/6(火)から入院をしていましたが、とうとう1/26(月)に8時間半に及ぶ開胸手術を行いました。
そちらは順調に回復をして、昨日2/26(木)に無事退院の運びとなり、家に帰ったら、丁度盛りの枝垂れ梅の花が迎えてくれたと喜んでいました。

その父との確執、また母の面倒を見ることへの疲れなど、名古屋に居る間の母に多大なストレスがかかっていることが、母の体調に少なからず影響を与えていると考えられますが、2/26に採血をした結果、白血球が少なく翌日からの治療は延期になりました。


*12/14: 母からの
"ありがとう。朝散歩にでかけるところ。
冷たい空気が私には禁物らしく病院で言われていたことだけれど、冷たい空気にふれると刺すような痛さをかんじるので保温性のたかい手袋を買ってもらいました。その上に皮のてぶくろをしていても朝は刺すような痛さをかんじます、これも日薬で感じなくなると思います。"

**2/13: 母からの
"おはよー、今朝はどんよりしています。廊下で先生に会ったら今日から点滴はじめましょうといわれ、その気にはなって居るけれど、やっぱり嫌な気がします。でも頑張らないとね。"

sachi1929 at 10:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0)治療 | February 2009

曼珠沙華

曼珠沙華-2
曼珠沙華の花言葉のひとつに、"想うのはあなた一人"というのがあるそうです。花言葉って誰がどういう風につけたものなのでしょう?
この花の持つ妖しさから、"あなた一人"と想われたら少し引いてしまいそうだったりして・・・(笑)

8/27日(水)、一人で横浜まで来た母を迎えに行くのに、私ったらギリギリになってしまって、ホームに着いた瞬間にドアが開くといった具合。
28日は、朝から用があり、母は一日中一人で留守番でした。
29日には、初めて一人で散歩に行きました。
それから、三回目の抗がん治療のために名古屋へ戻った9/10まで、夕方の散歩はたいてい一人で行っていました。
母の目標は、ここから約15分の駅まで歩くというものでしたが、9/10(水)帰る時は、遠い遠いと言いながらも、とうとう駅まで歩いて行きました。

そして、9/15、16日には、妹夫婦と母、私の4人で明石海峡大橋、淡路島へと旅行に行き、母は大喜びでした。
帰ってきても"楽しかったネ""楽しかったネ"の連発です(笑)

9/19〜21(日)に3回目の抗がん剤の投与を終え、9/22(月)から10/1(水)まで横浜に居た母は、私でも疲れるほどの距離を歩けるようになり、一人でどんどん散歩に行ってしまっていました。
横浜は坂が多く、この近くも少し歩くと坂道や階段ばかりなのですが、散歩から帰ってきた母にどこへ行ってきたのか聞くと私の知らない所もいっぱいありました。

10/3(金)〜10/5(日) 4回目の治療。10/17(金)〜10/19(日) 5回目。

10/20(月)から11/5(水)、横浜。
妹のバースデェイ・プレゼントの購入のため、デパートへ行き、人混みも随分歩きました。
また、UP、DOWNの多い道を近くにある遺跡まで往復したり、今までは帰りはタクシーに乗った遠くのスーパーへも歩いて往復など。

11/6... 泌尿器科で2度目のカテーテルの交換。体調優れず、食欲もない。

11/7(金)〜11/9(日) 6回目の治療。

11/12、妹の家でれんこんを切っていて、人差し指の指先をカットしてしまい、病院へ。
11/16、妹に家でストーマのパウチから漏れ、大騒ぎ。

11/21(金)〜11/23(日) 7回目の治療。

11/26(水)〜12/8(月)、横浜。
金刀比羅・大鷲神社の三の酉へ行ったり、彼のバースデェイにはおでんを作ってくれたりしました。

12/10(水)〜12/12(金) 8回目の治療。

12/24(水)〜12/26(金) 9回目。
12/24に病院を訪れた際に右手で杖をつきながら、左手にカルテなどを持ち、両手が塞がった状態で一人でエスカレーターに乗り転倒。 頭にこぶはできたものの、検査の結果異常はありませんでした。

母が抗がん治療を始めるに当たって、主治医との間で、母が病院を訪れる際には、必ず誰かが付き添うという約束をしていましたが、この転倒により、何度目からかは定かではありませんが、治療前日の採血に、母は一人で病院へ行っていたことが分かりました。

12/25... CT検査。↓**
腫瘍が画期的に小さくなっていれば、切除も可能ということだったので、この検査には、大変期待をしていました。
しかし、ある程度は小さくなっていましたが、切除可能というほどではありませんでした。

12/27(土)〜1/12(月)、横浜。
年末には、大掃除を手伝ってくれたり、お正月には隣りの区にある天神様まで歩いて行ってきました。

1/12 ...私も母と共に名古屋へ行き、入院中の父を見舞いました。

**12/25: 母からの
" うっすら晴れ。朝ご飯はすみました、夕べの食事はイブだったから、7面鳥の代わりに焼き鳥、ケーキ、レンコンサラダの夕食でした。毎晩のメニューとは少し変化があったので楽しめました。
昨夜点滴しかけたのが8時半すぎ、今朝は口がまずくて茹で卵と牛乳だけ、今日は胸部下腹部のctです。"


sachi1929 at 10:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)経過 | February 2009

2008年10月05日

昼顔

昼顔
母が3回目の治療を終え、こちらに来てからは、毎朝夕の散歩を日課にしていました。
朝は少し遠くまで連れて行ってもらい、夕方は一人で向えのマンションを一周か二周するというペースです。
この昼顔も、私が一緒に散歩に行った時に写したものです。

8/10に一回目の治療を終えた後は、妹の家に滞在して、やはり一日の多くが寝ている生活でした。

二回目の治療は、8/19に採血をして20日からの予定でした。
採血結果は良かったのですが、20日に病院へ行き体温を測ったところ、38.5度あり、抗がん治療は延期になりました。
体温のことは、本人によれば、前日の夜に扇風機の風に当たり過ぎたせいだということで、解熱剤を飲んだこともあり、翌日には体温は下がりました。
しかし、先生の診断で、体のどこかで炎症を起こしているということで、それをまず見つけなければなりませんでした。
8/21の検査で、炎症は腎臓にあり、そのせいで尿道が狭くなっていて尿が出にくくなっていたので、泌尿器科でも検査を受けることになりました。
8/22に泌尿器科での検査の後、尿管にカテーテルを入れました。
この検査は、ちょっと辛かったそうです。**


一回目を無事終えたことで少し気持ちが軽くなっていましたが、こうしたいろいろなことがあって、私たちがこの抗がん治療を決める時に、主治医が"決して甘くない"とおっしゃっていた意味が、頭では分かっていたのですが実感として分かりました。

この間ずっと入院生活だったため、母は嫌気半分で随分疲れてしまったようです。
そして、二回目の抗がん治療は、8/25の午後2時半から始まり、27日の3時に終了しました。
この時の入院では、いろいろあった割に、治療が終わった時点で母は随分張り切っていて、退院したその日に新幹線に乗るところまで妹に送ってもらい、横浜まで一人でやってきました。

2回目の入院の前に外を歩けるようにと杖を購入していたので、それをついて横浜駅に降りた母は、少しふらついた感じもしましたが、前に比べて元気そうに見えました。

**母からの
朝ご飯いま、すみました、昨日の検査は厳しくて、未だ回復していません、あれが普通なのか、わからないけれど、私はつらかった。
10時にお風呂が予約してあるので、入るだけだけれどさっぱり出来るので時間待ちです。
またお世話になります。いま先生がこられて「月曜採血でやれる」*という話でした。

*8/25の月曜に採血して結果が良ければ、その日の午後から2回目の抗がん治療に入れるということ。


sachi1929 at 16:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0)経過 | October 2008

2008年10月03日

秋海棠

秋海棠
この花は、実家の庭の手水鉢の脇に秋近くになると沢山咲きます。でも、名前を聞いたことがあったのかなかったのか、私は名前が分からず、今回母に写真を見せて教えてもらいました。
この秋海棠、気づけば、道端でもよく見かけます。
丈夫な雑草のような花なのかも知れませんが、色といい形といい可愛らしいお花です。

7/20に退院して以来、母は今丁度4回目の抗がん治療中ですが、忙しさにかまけてブログの更新を随分中断してしまいました。

7/20の退院に備え、介護用のベッドの手配、ヘルパーさんの依頼などのため7/18から名古屋に行っていた私は7/25、母に付き添って埋め込みポートの抜糸に行き、8/8から始める抗がん治療のための手続きなどをしました。

それより前、余程気になっていたのか、退院してすぐ、こちらが大丈夫かしらと心配しているにも関わらず、美容院へ行くと言いだし、22日に髪を整えたので見かけはとても病気とは思えない母と、7/24には妹も一緒にホテルへランチに行ったりしました。

退院後は、隔週の抗がん治療の時以外、毎日2時間のヘルパーさんをお願いして、父と二人での生活に戻る予定でいましたが、父が母の面倒を見られそうになかったので、7/27、私は母を伴って横浜に帰ってきました。
ここでは暑いのもあって、一日の半分くらいはお昼寝をしている生活で、歩くのも壁を伝ってやっと歩ける状態でした。
でも、食欲はあって、よく食べていたので、体重も少しずつですが増えていきました。
ただ、入院中に左の耳がボンとして聞こえにくくなったと言っていたのが、なかなか治らずそのことが気になっていました。
その後、耳鼻科で診察を受け、突発性の難聴との診断で、聞こえにくくなって1週間以内なら完治したけれど、時間が経っているので治るかどうか分からないと言われ、母は落ち込んでいました。
薬を飲むことで、先日の検査結果では低音も以前よりは聞こえるようになっていて良い方向に向かっているようで私たちは少し安心したのですが、本人の感覚では、良くなっているようには思えないそうです。

8/7に丁度こちらに出張があった義弟と共に名古屋へ戻った母は、8/8から初めての抗がん治療に入りました。
この時は、私も妹もどのような治療なのか、副作用がどの程度出るのか分からないことづくめでハラハラでした。
私は、妹からのメールで点滴の薬剤の名前を知り、それを事前に病院でもらった資料につき合わせ、どんな副作用が予想されるかを妹に知らせたりしました。
今は前日に採血をして、大丈夫なら翌日から入院して治療をしていますが、第一回目は、当日採血の当日入院をしたので治療が始まったのは、夕方でした。
48時間は思ったより随分長く感じられ、やっと一日経ったかと思ってもまだ後一日あるという思いでとても辛い3日間でした。
退院は7/10の午後7時半頃になりましたが、心配した副作用もほとんど出ず、無事一回目を終えほっとしました。

参考:
母の受けた併用療法はFOLFOX4+アバスチンの投与で、
まずアバスチンを90分投与し、その後ロイコボリンとエルプラットを2時間、そして5FUの22時間持続点滴。 次にロイコボリンだけ2時間、そしてまた5FUを22時間持続点滴するというものです。


sachi1929 at 15:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)治療 | October 2008

2008年09月03日

青空の中の百日紅

百日紅
更新がゆっくりなので、お花のシーズンが随分ずれてしまいましたが、夏のギラギラ太陽の中に咲く百日紅の赤や白の花は、青空によく似合っていました。

夏の終わり・・・セミの鳴き声も今日は遠くから聞こえる程度になりました。

7/15、これから行う抗がん治療のため、抗がん剤を点滴する中心静脈カテーテルと埋め込みポートの手術が行われました。
この手術は、先生に依れば病室ででもできるくらいの簡単な手術とのことでしたが、母の場合はそうは行かなかったみたいです。
前にも書きましたが、母は元々痩せているのにこの2か月近い入院生活で、ほとんど骨と皮状態です。(因みにこの時の体重は約34Kgです。)
ですから、ポートを埋め込むお肉の部分がなく、骨に当たってしまったみたい(笑)
部分麻酔だったので、手術中の先生方のお話が全部聞こえたという母から後で聞いたのですが・・・そこは駄目ここも駄目、で思ったより大変な手術になりました。**
今、母の右胸を見るとポートの台形が突起していて、カテーテルもはっきりと分かります。

普通の点滴は、腕などからしますが、FOLFOXなどの抗がん剤は、漏れがあってはならないため、こうしてポートを埋め込みます。
また、こうした抗がん治療の場合、最近は外来で治療をする病院が増えていて、母の病院も来年の3月くらいからは追々入院治療ではなく外来に替えていく方針なのだそうです。
そうすると、薬剤の袋を付けたまま家に帰って点滴をすることになるため、そういう意味でもポートが必要です。

こうして必要な手術も終え、お腹の痛みもなく、食欲も出てきた母は、7/20に退院することになりました。
これからは、2週間に一度48時間(2泊3日)の抗がん治療に入ります。

**母からの
"おはよー、オペしたところは少し痛み、よく眠れなかったけれど、薬を貰っていたから、たすかりました。まだ検診がないけれど先生はもう、8時過ぎには来られて話をしました。 頭で思ったより、大変なオペでした。"


7/19、丁度私が行った直後にお風呂の予定だったので、私も一緒に入りました。
この時、看護師の方から、ストーマのパウチを外して入りなさいと言われ、そんなことしていいの?と私も母も恐る恐るでした。 
後で聞いてみたら問題のないことだったのですが、ストーマの脇を洗った時に出血したりして、あんなに不安な入浴は初めてです。

そして、7/20の退院の日には、丁度夕食時だったのもあって、母が退院したら行きたいと言っていたお店の一つに寄り、皆で楽しくお食事をして帰りました。


伊兵衛 ← 伊兵衛

汐そば

← このお店独特の汐出汁でいただくお蕎麦です。

sachi1929 at 14:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0)経過 | September 2008

2008年08月21日

ミョウガの花

ミョウガの花
ミョウガの花も7月に庭で撮ったものです。
今頃は、実がすっかり紺色に変化しているでしょう。

現在のがん治療は、手術、放射線、抗がん剤での治療が主です。
がんが発生局所に留まっている間は手術、放射線が有効な治療法ですが、転移によって広がったがんや進行がんに対しては、抗がん剤治療をします。
抗がん剤は、がんを小さくする力を持っていますが、一般には効果の持続期間は長くはなく、特殊ながんを除いて、完治させることはほとんどできません。また、副作用が大きな問題です。

母のがんは、転移はしていませんが進行がんです。
そこで、7/4に主治医からこれからの治療法に対する相談がありました。

,海譴らも続けてTS-1で治療をしていく。
TS-1とCPT-11などを単独で使った治療をする。
FOLFOXFOLFIRIを交互に2週に一回48時間投与する。又は、これらにアバスチンをプラスして投与する。

奏効率の高いの治療のためには、点滴用の器具である中心静脈カテーテルと埋め込みポートを左の胸に埋め込む手術が必要で、右の尿管が巻き込まれていることから、尿管をバイパスさせる手術も必要かも知れないと言われました。

私たち家族は、,亮N鼎肋旦謀で、進行性のがんを手をこまねいて見ている気がしました。そして、△亮N鼎鬚靴董△世鵑世鶚に移るくらいなら最初からの治療の方を勧めるというのが主治医の意見です。
しかし、人工肛門の手術をしたばかりで、また二つの手術をしなければならないかも知れないこと、副作用のこと、月2回の治療ペースに78才の母が疲れないかなど、迷いがありました。

ですが、私が主治医に"もし、先生のお母様だったら先生はどうなさいますか?"とお尋ねしたら、"せっかく良く効く薬があるのに、試してみない手はない。けれど、引き際は大切だと思う"とおっしゃいました。

総合的に考えて、私と妹はの治療をしていただこうとほぼ決めたので、そのことを父にも話し、母もがんばってみると言ってくれました。


<参考>
がんの治療


sachi1929 at 14:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)治療 | August 2008

2008年08月19日

ムクゲの花を探して

むくげ-1
夏の花、ムクゲ。
母が夏になると、よく切り花にしては床の間に飾っていたので、庭にあるはずと思って探したのですが、随分大きな木になっていたのと、他の木の陰になっていて、なかなか分かりませんでした・・・小さなお庭なのになぜ??

術後経過は順調で、手術の翌日、看護師さんに促されて回復室からお隣りの自分の病室には歩いて移ったそうです。
経過の良い患者さんは、歩いて移動されますよとは聞いていましたが、母が自分で歩いて行くとは思っていなかったので、びっくりでした。
それでも、7/2の夜はやはり心配で私は母の病室に泊りました。

7/3は重湯、7/4の朝から三分粥、7/5の朝から五分粥、7/6も五分粥、7/7は普通のお粥、そして、7/8から朝はロールパン2個、お昼と夜はご飯という風に食事が普通のものになっていきました。
これから大変ですが、そうやって普通のお食事が取れるのも、ストーマのお陰です。

7/4の朝に看護師の方からストーマのお掃除の仕方を教えてもらい、午後には自分でしてみたと言って、看護師さんを驚かせた母です。
それに、入院して以来ずっとお手洗いに行く時は、点滴をしていることもあり、点滴台を便りに歩いていましたが、この日たまたま点滴をしていない時があり、一人で歩いてお手洗いに行きました。
"何でもやってみなきゃ"と言って。

この頃まで母はオペでがんも切除したと思い込んでいたらしく、取れていないことを知って、大層落ち込んでいました。

7/8、術後初めての入浴。

7/9、抜糸とCT検査。

7/11、内視鏡検査。

7/11の母からの**:
おはよー。あさごはんなし。昼もなし。3時からの検査待ち。
外の見える長い廊下を始めて先まで歩いたらすすきの穂が出ていたので驚きました。
私もあと、あまり長くはかからないだろーと勝手に思ってます。
月曜日に先生の話また聞いてもらう事になってます。

**携帯電話を持った時に、メールもできるようにと妹と私が特訓した甲斐があり、携帯でのメールは入院中も大変役に立ちました。


sachi1929 at 13:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0)経過 | August 2008

2008年08月18日

ミントの花

ミント
8月も中旬過ぎの今、ミントの花も余り見かけなくなりました。
この記事を書き始めたのは、もう1か月も前だから(^^ゞ
ミントは雑草のようにどんどん増えるハーブ。
お花は色といい姿といい、とても可憐ですが、近くに異種のミントを植えるとなんだかすぐ混ざってしまいます。

ストーマの手術が7/1に決まり、6/27に内科の病棟から外科の病棟に移った母は、これから受ける手術の不安もあったのか、お隣りの患者さんがすぐ横に居るような狭さの今度のお部屋が息苦しいと言って落ち込んでしまいました。
それでも、自分で理由を言って個室に替えてくださいと看護師さんにお願いするくらいはしっかりしていて、一安心でした。

ストーマの術前説明には、母も同席しましたが、例の如く途中からきちんと聞いていなかった様子。
年齢のせいなのかどうか、この頃、長く込み入ったお話は途中で聞いているのが面倒になるみたいです(笑)

ストーマの造設が可能な場所はいくつかあり、母の場合もお腹を開けてみて主治医の判断で決めるということでした。
そして、血液反応が出ていなかったからか、この時点ではまだ"大腸がんの疑い"**があるということでしたので、オペはお腹の真ん中をまず開けて、病巣の様子を見る、ストーマの位置を決めて、造設手術をするという説明でした。
もし、病巣が思っていたより随分小さければ切除しますとも言われ、私たちはそれにとても期待していました。

7/1の手術は午後2時頃からの予定が大幅に遅れ、4時過ぎから行われました。
手術室へ向かう母の後ろ姿は、とっても小さかったけれど毅然としていて、"私は大丈夫だから"って言っているように見え、私の方が返って励まされたりしました。

手術は思ったより早く2時間弱で終わり、術後すぐに主治医から、まず"大腸がん"であったこと、切除はできなかったこと、そしてストーマは最初の予定通りの場所に造設したことの説明を父と妹と私の3人で受けました。
その後、回復室に移された母と面会しましたが、意識はある程度しっかりしていて、父も妹も分かるけれど、なぜか私だけが声が違って聞こえるなんて言われました。

"お腹が痛い、お腹が痛い"と言うので、痛み止めの投与を看護師の方にお願いしたのですが、点滴にするか注射にするかを担当医に尋ねるためか、投与までに随分時間がかかり、母は"早くしろよな"なんて言い方をして私たちを和ませてくれました。

**主治医は、"もしも、がんでなければとても驚くくらいの疑い"という言い方をなさいました。


sachi1929 at 16:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0)経過 | August 2008

2008年07月17日

紫陽花の咲くころ

あじさい
紫陽花の花は、雨の季節の大切な彩り。
こんなに暑く、お天気の良い日が続くのに、まだ梅雨明けしないなんて不思議です。

検査で病院に一泊するかも知れないからと、5/23に軽い仕度で出かけた母が入院してから、すでに1ケ月半が経ちました。
入院前は、お腹が張って痛くてきちんと座っていることもできず、足もむくんでいる状態で、病院へも父に伴われて何とか辿り着いたという感じだったようです。

血液検査に始まり、レントゲン、CT、内視鏡検査をして、病気が判明して、本人も含め家族が内科の医師からの病状説明を受けたのが、6/3でした。

前にも書きましたが、病名は"S状結腸がん"。リンパが少し腫れているが転移はしていない。腸壁にがんが浸潤しているが、境界は分からない。
という所見で、切除は、外科との話し合いだが、難しいかも知れない。
しばらく、錠剤の抗がん剤で化学治療をしていき、様子を見て強い薬(注射)に代えていくというお話でした。

先ほども書いたように、この病状説明には、母も父も同席しましたが、二人共病名がきちんと聞こえなかったらしく、母は自分ががんであることを暫く知らずにいました。
私と妹は、あえて両親に病名を伝えないことにしたのですが、数日後、回診に来た担当医に母が "先生、私の病名は何ですか?" と尋ね、その時一緒に居た父共々病名を知ってしまい、二人が愕然としているのを目の当たりにした妹はパニックに陥ってしまいました。
でも、母が病名を知ったことでその後の説明がし易く、結果的には隠しているよりずっと良かったと思っています。

その後、6/20 私が名古屋へ行った時にもう一度、内科の担当医から病状説明を受けた際に、便通が良くないので翌週の始めまで様子を見てストーマ造設を考えているというお話がありました。

それから私と妹は、お母さんウンコ出た?と毎日毎日、母の便通のことばかり気にしていました。

そして、6/4から抗がん剤 TS-1 (TC442/20mgx2/朝・夜) の投与が始まりました。
TS-1は、朝食後と夕食後の1日2回、28日間連日服用して、その後14日間休薬します。これを1クールといいます。
母は、6/4から途中6/27にストーマの造設手術のため外科に移りましたが、6/29までの26日間服用しました。その後、TS-1は服用していません。

入院してからの食事は、朝は重湯とお味噌汁、お昼は重湯とスープ、夜は重湯とおすまし。全て具は入っていない流動食です。
点滴は、朝9時から夜の9時まで、一日12時間という長さで、時々、夜10時過ぎまでずれ込むこともあって、大変でした。
その時の点滴液は、私のメモですが "KN補液3B" 50ml、"大塚生食注" 100ml、"ケイテン静注用" 1g、ビーフリード" 500ml です。


sachi1929 at 14:10|PermalinkComments(2)経過 | July 2008

2008年07月16日

くちなしの花の香り

くちなし
道路脇に咲いていた"くちなし"の花が良い香りを放っています♪

私が母の体調が思わしくないのを認識したのは、去年の9月でした。
その時点で、または遅くとも今年の1月に私がもっと危機感を持っていれば早期発見ができたのにと反省しています。

母は身長が153cmくらい、体重は40Kgかせいぜい42Kgほどでいささか痩せすぎの方ですが、今まではほとんど病気らしい病気もせず、いつも元気な人なので、私にはほとんど危機感がありませんでした。
現在78才なので、勿論それなりに腰や足が痛いと言っては、近所の整体へ行ったり、緑内障のため目の検査に月に一度病院行いをしていました。

その整体病院での検査で、"脊柱狭窄症"と診断されていて、その腰や足の痛みが大腸と関連があったのかどうか分かりませんが、昨年初め頃から母自身、体調が思わしくなく、便秘がちだったり時々血便が出たりもしていて、近くにある内科へ行き小さな検査はしてもらっていた様です。

その内科で総合病院を紹介され、初めて診察を受けたのは去年の3月です。
その時の検査の内容は分かりませんが、その後注腸検査、CTなどを含め、去年10月、そして今年の3月にも検査をしました。
そして、5/23に検査入院をして、大腸内視鏡検査でやっと大腸がんが判明しました。

血液検査によりがんの約50%が分かるそうですが、母の場合は今の時点でも血液反応はありません。

総合病院での検査では、どこも異常がないから"精神的なもの"と言われたり、診察も予約制なので、調子が悪くなると近くの内科へ相談に行っていました。
母の話では、近所の内科の医師に、"もう残っている検査は、大腸の内視鏡検査だけなので、良かったら受けた方がいいですよ"とアドヴァイスされたそうですが、総合病院の内科での10月の検査の時点で、私宛のメールに"先生が勧めないから、しばらく様子見です"と書いてきていました。**↓


**母からのメール:
"おはよう。はやいね、
昨日病院へ行って聞いてきました。悪いところは、ないって、昔人間だから腸が長いんだって。
だから皺になってるところに便が止まったりするんだって。
どおしても内視鏡で、と言う事なら2泊3日は必要、それに大分痛いらしい、しばらく薬を続けるようにって言われて30日分薬を貰ってきました。医者が検査を勧めないから、様子見です。
いろいろ心配かけてごめんなさい。どこも悪くないって、言われたので安心しました"  (10/12/2007)


このメールでは、先生が勧めないとありますが、今はインフォームドコンセプトが徹底していて、検査に当たっては、その危険性や処置の仕方などを細かく患者に話すため、母自身も入院検査という煩わしさもあり、先延ばしにした感があります。


sachi1929 at 14:23|PermalinkComments(0)経過 | July 2008

2008年07月15日

ノウゼンカズラの咲く庭から

ノウゼンカズラ
今年は例年より少し早く咲き始めたノウゼンカズラ。

5月に咲いた大山蓮華を始め、実家の庭の花々は今までになく沢山花を咲かせたそうです。
そんな中、母の病気が分かったので、父は"あんなに花が咲いたからなぁ"などと言って変に関連付けてしまっています。

母は今、"S状結腸がん"という病気で入院中です。
その治療の中で、便通が悪いので腸閉塞を避けるため、ストーマ(人工肛門)造設の手術を7/1に行いました。
これにより母は現在、身体障害者手帳交付の申請しています。

そして、今日7/15には今後の治療のために中心静脈カテーテルと埋め込みポートの手術をしました。

ストーマの扱いも、看護師の方が驚くほど積極的に行い、今はパウチを貼ることに慣れるよう頑張っています。
ポートの手術後、私との電話で、部分麻酔だったため、手術中の医師の声や処置の音が聞こえて、嫌だったと話してくれました。

私のブログ "今日のメニュー" にも書きましたが、つい先日まで母のことを書くつもりもなく、このブログを立ち上げる予定もありませんでした。
しかし、私なら挫けてしまいそうな多くのことに高齢にも関わらず前向きにがんばっている母の姿を見て、母のことを書いていくことが大切なことに思えてきました。
そして、"がん"と聞いただけで不安になり、担当医からのお話を聞いても、後から後から質問が湧いてきて、自分自身落ち着かない日々が続きましたので、私なりにNetで調べて分かったことや体験したことを綴っていくことにより、同じ病気でとまどっている方やその家族の方々の不安を少しでも軽減する手助けになるのではという思いもあります。

*お知らせ*
・いただいたお問い合わせには、私の分かる範囲でなるべく丁寧にお答えいたします。
また、コメントへのお返事もさせていただきますが、このブログに関しては、こちらからのご訪問は控えさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。


sachi1929 at 16:34|PermalinkComments(0)はじめに | July 2008