2005年01月08日

嫌いな人とのつきあい方

内田樹さんのブログを読む。
「嫌いな人とのつきあい方」について書かれていた。
以下、引用。

「嫌いな人とは付き合わない、というのが私から学生諸君へのアドバイスである。
つねづね申し上げていることだが、そばにいるだけで疲れる人、こちらの生命エネルギーが枯渇してくる人というがたしかに存在する。
そのような人間とも「共に生きる」というのはなかなか立派な心がけであるが、「共に」というのにはかなり解釈の幅があるわけで、必ずしも「べったり一緒に」という意味ではない。適正な距離を置き、できるだけかかわりにならない「共に」というのもだって「あり」だと私は思う。」

このような内田さんの指摘は、『死と身体』にも書かれていて、いたく共感したのを覚えている。
嫌いな人間関係に耐えることによって、自分の感覚がどんどん鈍くなっていくとの指摘、まったくその通りだと思う。

「教育」的な考え方では、「みんな仲良く」が疑うべくもない「倫理」とされ、それができないと、人格的に劣っていると見られ、自分でもそのように捉えていく。だから、無理をして、そのために、どんどん人間が鈍感になっていく。

まったく共感。
自らが「道徳」的であろうとし、そのために、自分が鈍感になるだけでなく、どんどん自分が嫌な奴になっていくことを、私は痛感している。
もっと自分は、いい人だったと思う。
でも、不快な体験を重ねるために、どんどん自分が、嫌な奴になっていると思う。

そうだったのか。
確かに、私の周りには、嫌いな人がたくさん。
だからだったのね。
無理して「仲良くしよう」なんて思わずに、親密圏は大事にしながらも、嫌いな人とは適正な距離を取っていこうと思う。



ところで、その「嫌いな人」の代表は、内田さんのブログの後半部分と真っ向から対立する人。
「矛盾」に耐えられない、単純な、子どもの思考をする人々。
やっぱり、素の自分をいつでも出していこうというメッセージは、おかしいんじゃないかな。


この記事へのトラックバックURL

http://trackback.blogsys.jp/livedoor/sachie91/11980749