歴史ロマンをもとめて~さどこブログ~

福島・宮城を中心に各地の城や古戦場など史跡を巡る「歴史ロマン」の旅を写真で紹介。 他に桜や紅葉、日本伝統の祭りも。

名古屋城

名古屋城、本丸御殿。

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撮影:2016.7.25
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西南隅櫓。(国重文)
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東南隅櫓。(国重文)
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表二之門。(国重文)
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旧二ノ丸東二之門。(国重文)
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そして本丸御殿へ。
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表書院。正規な謁見に用いられた。
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藩主と身内や家臣との私的な対面や宴席に用いられた対面所。
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そして天守。
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尾張藩祖・徳川義直が眠る定光寺 ~愛知県瀬戸市~

徳川御三家筆頭、尾張藩の居城、名古屋城。
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尾張藩初代・徳川義直は、徳川家康の第9子として生まれた。
兄・松平忠吉の死去に伴い、甲府25万石から兄の遺跡であった尾張国清州藩主となり、家康は豊臣方への備えとして天下普請の城郭として名古屋城を築城。
そして義直が尾張藩初代として入城。


義直は狩猟を好み、定光寺付近(現愛知県瀬戸市)の風景や自然を好み、生前に自らの墓地を定光寺と定めた。


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義直公に殉じた家臣の墓。
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義直公の墓。
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名古屋城 (2)

名古屋城。
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天守閣内部には貴重な資料が展示されている。

尾張徳川家16代義宣所用
金梨子地葵紋散太刀拵付
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名古屋城本丸御殿の天井画。
山水図。
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柳鳥図。
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藤図。
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本丸御殿のうち、将軍を迎える建物であった上洛殿には、花鳥や山水を描く絵が天井まではめ込まれていた。
天井画は第二次世界大戦末期、襖絵と共に取り外され、疎開されたために焼失を免れ、現在計700面の天井板絵が重要文化財に指定されている。

筆者は狩野探幽一門。



尾張徳川家二代光友書状 伊勢菰野藩土方家三代雄豊宛。
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七曜紋獅子牡丹文蒔絵鞍。
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紺糸威二枚胴具足。
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竜前立付鉄錆地二十四間筋兜。
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天守最上階からの眺め。
北側。
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岐阜城をのぞむ。
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小牧山をのぞむ。
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南側。
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東側。
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不明門。(焼失再建)
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天守。

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名古屋城 (1)

名古屋城へ。
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正門。
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東南隅櫓。(重要文化財)
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清正公石曳きの像。
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慶長15年(1610)、加藤清正が徳川家康に願い出て、大小の天守閣の石垣工事を施工した。
清正は巨石を修羅に乗せて運ぶとき、石の上に乗り、気勢を上げたと伝えられている。


清正石。
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天守閣の石垣の築造を命じられた加藤清正は、巨石の運搬に際し、自ら音頭をとって、木遣を歌わせ民衆の老若を問わず綱をとって運んだと伝えられているが、清正石の区画の施工大名は黒田長政なので説話と思われる。

旧二之丸東二之門。
503

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