犬山城
国宝・犬山城。
(撮影:2013.1.8)
犬山城は織田信長の叔父である織田信康が天文6年(1537)に木之下城を移して築城したと伝えられている。
こののち江戸時代初期にかけ城主は入れ替わった。
天正12年(1584)、小牧・長久手合戦の際には羽柴(豊臣)秀吉は大軍を率いてこの城に入り、小牧山に陣をしいた徳川家康と戦った。
江戸時代になり、元和3年(1617)尾張藩付家老・成瀬正成が城主となってからは成瀬氏が代々受け継いで幕末を迎えた。
なお、天守は昭和10年に国宝に指定され、同27年規則改正にともない再指定された。
また天守の創建年代は天正(1573~92)頃、慶長5(1600)・6年などといくつかの説があるが、現存する天守の中では最も古いと言われている。
(撮影:2013.1.8)
犬山城は織田信長の叔父である織田信康が天文6年(1537)に木之下城を移して築城したと伝えられている。
こののち江戸時代初期にかけ城主は入れ替わった。
天正12年(1584)、小牧・長久手合戦の際には羽柴(豊臣)秀吉は大軍を率いてこの城に入り、小牧山に陣をしいた徳川家康と戦った。
江戸時代になり、元和3年(1617)尾張藩付家老・成瀬正成が城主となってからは成瀬氏が代々受け継いで幕末を迎えた。
なお、天守は昭和10年に国宝に指定され、同27年規則改正にともない再指定された。
また天守の創建年代は天正(1573~92)頃、慶長5(1600)・6年などといくつかの説があるが、現存する天守の中では最も古いと言われている。
彦根を満喫し、次に向かうは犬山城。
国宝・犬山城天守でござる。
犬山城は、天文6年(1537)織田信長の叔父・信康により築城。
戦国時代の中、めまぐるしく城主も変わるが、元和3年(1617)徳川家康9男の徳川義直の尾張入りに際し、成瀬正成が尾張徳川家の付家老として入城する。
以後明治まで成瀬家が代々受け継いでゆく。
木曽川のほとりの小高い山の上に築かれた天守は、日本最古の様式でござる。
木曽川河原より天守をのぞむ。
本丸内より天守をみる。
付櫓と天守。
天守内部の「城主の間」でござる。
天守から、木曽川を一望。
東側でござる。
西側でござる。
写真に見える山は、信長が犬山城攻めに際し築いた伊木山城跡でござる。
ライン大橋より犬山城をのぞむ。
国宝・犬山城天守でござる。
犬山城は、天文6年(1537)織田信長の叔父・信康により築城。
戦国時代の中、めまぐるしく城主も変わるが、元和3年(1617)徳川家康9男の徳川義直の尾張入りに際し、成瀬正成が尾張徳川家の付家老として入城する。
以後明治まで成瀬家が代々受け継いでゆく。
木曽川のほとりの小高い山の上に築かれた天守は、日本最古の様式でござる。
木曽川河原より天守をのぞむ。
本丸内より天守をみる。
付櫓と天守。
天守内部の「城主の間」でござる。
天守から、木曽川を一望。
東側でござる。
西側でござる。
写真に見える山は、信長が犬山城攻めに際し築いた伊木山城跡でござる。
ライン大橋より犬山城をのぞむ。
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