歴史ロマンをもとめて~さどこブログ~

福島・宮城を中心に各地の城や古戦場など史跡を巡る「歴史ロマン」の旅を写真で紹介。 他に桜や紅葉、日本伝統の祭りも。

織田信長

国宝 瑞龍寺 ~富山高岡への旅~

加賀藩2代藩主・前田利長公の菩提寺、瑞龍寺。
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利長には実子がなく44歳で家督を異母弟の利常に譲り自らは隠居した。
利長は金沢から富山に移るが、富山城の炎上を機に高岡に移って高岡城を築き、この地で亡くなった。

3代利常は兄の利長に深く恩を感じ、その菩提を弔うために瑞龍寺を建立した。


国宝 山門。
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正保2年(1645)に建立され、万治年間場所を替えて建直す。
延享3年(1746)火災で消失、現在の建物は文政3年(1820)に竣工。799



















国宝 仏殿。
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国宝 法堂。
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利長公の位牌。
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大庫裏。
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前田・織田家御分骨廟の瑞龍寺石廟(富山県指定文化財)。
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利長公は本能寺の変の後、織田信長公父子の分骨を金沢・宝円寺に迎えてその霊を慰めたとされる。
利長公の菩提寺瑞龍寺を造営したとき、開山 広山恕陽禅師が利長公父子も加えて同じ形式の五基を建造したのがこの石廟の由来である。

利長公石廟。
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加賀藩祖・前田利家公霊廟。
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織田信長公霊廟。
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織田信忠公霊廟。
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東京国立博物館 ~天下人の実像~ 織田信長

東京国立博物館、総合文化展~天下人の実像にて。
織田信長編。

織田信長像。(模本)
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織田信長書状。
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織田信長が右筆・武井夕庵に対して小田原北条氏からの使者への手土産として渡す進物の用意を命じた手紙。


織田信長朱印状。
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鷹狩りの狩猟場での鉄砲使用について限定的な許可を家臣に与えたもの。
差出には信長の署名と「天下布武」の朱印が確認できる。


織田信長朱印状。
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室町将軍の診察・治療を行うなど安土桃山時代に活躍した医者・竹田定加。
信長は定加に上鳥羽の地を診療の報酬として保証した。

信長ゆかりの崇福寺~織田家菩提寺~

織田信長が斎藤道三の孫・斎藤龍興を亡ぼし、永禄10年(1567)美濃に移ると、崇福寺を菩提所とし、保護した。
本能寺の変で信長と息子・信忠が明智光秀に討たれると、信長の側室・お鍋の方がその遺品を送り寺内に埋め位牌を安置させた。これが現在の「織田信長父子廟」である。

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織田信長公父子廟。
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父子の法名が左右に並べて刻んである。
 総見院殿贈一品大相圀泰岩大居士 覚霊
 大雲院殿三品羽林高岩大禅定門  神儀


信長公・信忠公父子の位牌堂。
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崇福寺本堂では信長公ゆかりの画像や書状を目にすることができる。
(写真撮影不可)

信長公画像(崇福寺HPより)
信長公画像

伝信長公筆「雪月花」(崇福寺HPより)
雪月花



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