腕が棒のようになっているとつとに言われていたのだが、鏡を見るとやはり棒のようになっている。右腕の肩関節の、動きに応じた回旋が起きていないのだ。
右腕は少しずつ動くようになってきたが、可動域制限の一番大きな要因は、斜角筋の緊張による腕神経叢の圧迫だったようである。特に外転時に上腕骨の制限を補うために肩甲骨上方回旋、それに伴う斜角筋による、第一肋骨の挙上→鎖骨の挙上 という運動パターンを形成していたようである。
肩関節の回旋がスムーズに起きるためにはどうすればよいかと動きに向かっていると、掌の感覚が右手の方が鈍くなっていることに気付く。面白いことに、腕の位置によって基本的に掌の感覚は変化しないように脳は体を動かすようである。そしてその時には運動はスムーズに連動しているのである。
右手は腕の位置によって、掌の感覚がはっきりしたり、ぼんやりしたりする。これを、掌の感覚だけを意識して腕の位置によって変化が起きないように動かしてみると、スムーズに連動が起きるのである。部分ごとの体の問題を越えてある統合された力が働く。この掌の感覚が鈍くなることは意外に腕神経叢、特に鎖骨付近の筋緊張の影響が大きいようなのである。

子供の足の動きにはいつもほれぼれとするが、特徴的なのは膝や腰がどのような肢位であっても、足底の地面からの感覚情報の受容が均質であるように見えることである。その感覚情報が、足首、膝、腰の関節を常に理想的な状態に保っているようであり、同時にそれぞれの関節が、足裏の感覚情報を目的として理想的な位置にあるようにも見える。これはパラレルな関係だろう。
大人になるとこうはいかない。足裏の感覚は姿勢によって変化が起きてしまう。これは足の内在筋の緊張によるものであると思っていたのだが、手に引き合わせて考えると、掌の感覚鈍麻が手の内在筋の緊張によるのだとは考えにくい。むしろ手で起きることを足に敷衍すると、坐骨神経の圧迫、仙骨部の筋緊張によるのではないだろうか。
とにかく感じることは、神経管の周囲の筋緊張は思いのほか末梢の感覚器の微細な変化を生み出すことである。そして、掌の感覚を保ったまま動く、また足の裏の感覚を保ったまま動く、ということを行うことで体は自らの協調性を整える働きをもっており、それは物理的な器質的な不具合を瞬時に乗り越えるような大きな力をもっているようだということだ。