菊池市泗水町にある久米・安国寺から菊池神社、雲上宮を参拝して、ちょっと寄り道をしたあと、山鹿を通って八女市へ。
三号線を走っているときに八女黒木の案内が出たので右折。
結構な山の中を走り続けていると家々が並んでいるところに出たので、「五条さんはどこですか?」と、座って話していた男性たちに尋ねる。
突き当たって右折をして500mと言われたけれども、案内板を見損ねてしまい、通り過ぎてしまう。
大淵ではなくなったので、引き返して気をつけて案内板を探してみると、すぐに分かった。
山の中腹にそれらしい緑の屋根が見える。
「あれだ」。
かなり急な坂道を車で登る。
静かな佇まいの五條氏邸。
「こんにちは」と声をかけると、返事があったので玄関を開けると、ご当主のお母さまだった。
懐良親王の従者として五条氏と共に九州にやってきた、藤原朝臣向井家の家系図を見せながらいろいろ話をし、そろそろ帰ろう、というその時、ご当主が玄関に入って来られた。
そこで、また、同じような話をして、五條氏邸の案内板の写真を撮らせていただいて帰路につく。
やっぱり奇跡が起こった。
五條氏のご当主と懐良親王の従者の話ができれば最高ではあるけれども、そこまで考えて五條氏邸を訪問したわけではなかった。
懐良親王ゆかりの五條氏邸に行ってみたい、ただそれだけのお気持ちで八女黒木まで行ってみただけなのに。
ご当主の母上に突然の無礼な訪問者の話を聞いていただいたばかりか、ご当主にまでお逢いでき、話したいことまで話すことが出来た。
たった一度の訪問ですべてのコトが済んでしまった。
この日、久米原古戦場で思った以上の時間を使い、寄り道までして五條氏邸に着くまでに時間がかかってしまった。
一度は通り過ぎた。
しかし、遅くなったからこそ、ご当主にお逢いすることが出来た。
もっと早く五條氏邸に到着していたら、ご当主にはお会いできなかった、と思うと、何から何まで、誰かに導かれていたとしか思えない。
家系図が私にとって無関係なものではなく、私は先祖供養を誰かに頼まれたのだった。
我が家にも不幸はあり、供養されたい先祖がおられることは確かなので、今後も懐良親王や藤原朝臣向井家の先祖ゆかりの地を尋ねて歩きたい。
尋ねているうちに、家系図にない、新しい事実がきっと明らかになる、と思う。
三号線を走っているときに八女黒木の案内が出たので右折。
結構な山の中を走り続けていると家々が並んでいるところに出たので、「五条さんはどこですか?」と、座って話していた男性たちに尋ねる。
突き当たって右折をして500mと言われたけれども、案内板を見損ねてしまい、通り過ぎてしまう。
大淵ではなくなったので、引き返して気をつけて案内板を探してみると、すぐに分かった。
山の中腹にそれらしい緑の屋根が見える。
「あれだ」。
かなり急な坂道を車で登る。
静かな佇まいの五條氏邸。
「こんにちは」と声をかけると、返事があったので玄関を開けると、ご当主のお母さまだった。
懐良親王の従者として五条氏と共に九州にやってきた、藤原朝臣向井家の家系図を見せながらいろいろ話をし、そろそろ帰ろう、というその時、ご当主が玄関に入って来られた。
そこで、また、同じような話をして、五條氏邸の案内板の写真を撮らせていただいて帰路につく。
やっぱり奇跡が起こった。
五條氏のご当主と懐良親王の従者の話ができれば最高ではあるけれども、そこまで考えて五條氏邸を訪問したわけではなかった。
懐良親王ゆかりの五條氏邸に行ってみたい、ただそれだけのお気持ちで八女黒木まで行ってみただけなのに。
ご当主の母上に突然の無礼な訪問者の話を聞いていただいたばかりか、ご当主にまでお逢いでき、話したいことまで話すことが出来た。
たった一度の訪問ですべてのコトが済んでしまった。
この日、久米原古戦場で思った以上の時間を使い、寄り道までして五條氏邸に着くまでに時間がかかってしまった。
一度は通り過ぎた。
しかし、遅くなったからこそ、ご当主にお逢いすることが出来た。
もっと早く五條氏邸に到着していたら、ご当主にはお会いできなかった、と思うと、何から何まで、誰かに導かれていたとしか思えない。
家系図が私にとって無関係なものではなく、私は先祖供養を誰かに頼まれたのだった。
我が家にも不幸はあり、供養されたい先祖がおられることは確かなので、今後も懐良親王や藤原朝臣向井家の先祖ゆかりの地を尋ねて歩きたい。
尋ねているうちに、家系図にない、新しい事実がきっと明らかになる、と思う。