この10年くらい気をつけている、自身の演奏上のことです。 嫌味がない、素直な演奏できてるかな? アクの強い、大げさな吹きかたになってないかな? 好き放題テンポ振ったり?それか逆にワンパターンになってやしないか。
なってたらjaroに電話せねばなるまいのう。

あんまり四角四面、ピッチリちびTみたくキチキチにするつもりはなくて、自然に自分の中から出てくる吹きたい意思に任せてみよう、と思ってる。

でもセンスの薄いのが、そこに踏みこんでろくなことにならん典型が上記なパターン。ことごとくはまってきたクチ。
また典型を恐れ安易、無難に陥ると、どの曲も同じように聞こえてくる。最近はこっちになりやすい。

どっちかの方向に進めば右肩上がりによくなる、ではないし、単に中間を狙うもんでもない。当たり前っちゃ、当たり前だけど、実際は当たり前ではなく多分正解がないのが正解。 

さじ加減に下手な手心も禁物。 要は作為のルーツ。

下手の横好きも時間とともに、音楽の潮目に反するような小賢しい努力、は無益で不連続な筋肉の硬直、演奏の動脈硬化を起こすだけなんやないかと次第に思うようになりました。
安い。ゲスくて安っぽいんですよね。 そんな努力、無駄無駄無駄無駄無駄あああ!ってjojo ばりに。

そもそも本当に凄い歌手って、皆、歌ってるとき自然体、それが正解やろな、と。

自然体になりうるのはきっと二つしかなく、ひとつは自分にとって自然で迷いがないこと、もうひとつは、自分に都合のいい惰性。 

センスがなければ、きっと前者でも後者でも行き止まりで、音楽の神様みたいな人たちには、見渡す限り、大海原な大パノラマが煌々と見えてて、これをどげんかして皆にも見せてあげたい、そんな違いがあるんやないかしらん。
とはいえ皆が皆、神様とはいかないと思う。
生まれもった素養も生い立ちも環境、努力もあるから。けんどもが、素人、アマチュアだって後者な惰性を抑制できれば、それは過程に望みや楽しさが存在する、誠実な取り組みやと思う。

こうなるとノリ的にはオリンピックより市民ドッチボール大会みたい? 実際そうやもしらん。 限られた人だけの世界ではないし、才能も才能やけど、そもそも皆で楽しもうが本質。 music に音、楽しい、と字を当てたのがどこの誰かは知りませんが、ほんま的を言い当ててるなあ。