先日のだったん人のおどり、ですが、
もしあの曲、あるいは踊りも含め、あの部分だけを見たら、先入観なしに入ったら、どんな話を想像するもんでしょうか。
歌劇 イーゴリ公 は、そもそも実話なんだそうです。 詳しい話は知りませんが、ざっくり
今のロシア側にあたる帝政ロシアンなイーゴリさんが主人公。だったん人に攻められたら恐いから、やられる前にいてまえ!と今のモンゴル圏になるんかな?だったん人の側に攻めこんで、しかし負けて捕まる。
ジンギスカンよろしく、モンゴルの遊牧民の皆さんめっちゃくちゃ戦闘能力が高かったらしいので、まああっさり撃退されたことでしょう。

んで、捕まえただったん人側の王様が、オマエ、ええ男やん、仲間にならへん? とイーゴリさんと彼の息子をもてなししてる最中、が、あの、だったん人の踊り。 その後脱獄し、無事帰れて良かっね、という中身。
ちなみにイーゴリさんの息子も一緒に捕まるもののだったん人側の娘さんと仲良くなって、壻殿として迎えられる流れで脱獄せずに残っちゃう。


イーゴリさんにはなんかトホホ感満載で、だったん側はなんかホンワカ、あまりにお人好しすぎる(^^)。 
そんな寛容になれるくらいだったん人側が底抜けに強かったんか、実は元々あんまり敵対してなかったんか、本当に人が良かったんか。
ガッツリ血で血を洗う仁義なき戦いみたいなバッドエンドでもないですね。


しかしな~んだかなあ、劇の筋書き、ストーリー自体としては他にも使えそうなもんはあったやろし、なんとでもできたと思う。曲にストーリーが見劣りするというか。

あくまで私見ですが、
そうならなかったんはボロディンの、きっと頭に浮かんだ曲のイメージ、がまさしく遊牧民のイメージとバチーん!と一致したんやないかなあ?
このメロディーを世に出せれば、ワシあとはなんでもええで!みたいなことやったんかもしらんなあ。
イメージ先行でストーリー後付けやったんかもしらんなあ。 って、いや、まさかなあ?

しかしオペラやバレエって、音楽、踊りに対するストーリーのそういうギャップって、結構感じることがまま、ある。 誰も寝てはならぬ、はスケコマシ、蝶々夫人のピンカートンはロクデナシ、う~ん、なんだかなあ?