2011年08月26日
一周忌
今日、8月26日は祖父フクヲの一周忌でした。
法要は近親者のみで済ませました。
あれから1年経ったんですね。
月日の過ぎるのは早いものです。
ブログを休止してからも、毎日数名の方が訪問されていたようです。
ありがとうございました。
法要は近親者のみで済ませました。
あれから1年経ったんですね。
月日の過ぎるのは早いものです。
ブログを休止してからも、毎日数名の方が訪問されていたようです。
ありがとうございました。
孫のマメコ記す
2010年09月01日
初七日
先月27日に通夜が、28日に葬儀が執り行われました。
お寺は、曹洞宗「達磨寺」です。
早いもので、今日が初七日ですが、法要は28日の葬儀・火葬の後、繰上法要として営まれました。
(以下の写真は葬儀の時のものです)


遺影は、平成16年に、祖父の体験が「季刊札幌人」という雑誌に掲載された時に、写真家の義弟が取材で撮影したものを使いました。
とてもいい笑顔です。

戒名は「無菴福翁居士」になりました。
「無」は、帰依や捧げるという意味で、亡くなったことで、仏様の弟子になったことを表すそうです。
「菴」は「庵」と同じで、辞書によると「世捨て人や僧侶などの閑居する小さな草葺(くさぶ)きの家」という意味ですが、絵や読書やお酒など、自宅で好きなことに没頭した晩年を表現したのだそうです。
「福」は俗名「福男」の「福」。
「翁」はみんなに愛された「おじいちゃん」という意味です。
とても祖父らしい、いい戒名を付けていただきました。
「達磨寺」のご住職、ありがとうございました。

出棺の前に、参列者全員で集合写真を撮りました。
じつは、喪主であるフクヲの妻、祖母久子は病気のため、通夜と葬儀には参列しませんでした。
そのかわり、最後のお別れの時に、入居しているホームの職員に連れて来てもらうことになっていました。
集合写真の準備をしている時に、ちょうどタイミングよく祖母が到着し、こうして写真に収まることができ、そして、出棺の時、最後のお別れをすることができました。
最近はいつも体調が悪く、寝てばかりのことが多い祖母ですが、この時はとてもしっかりしていて、祖父と最後の会話をしていました。
私は胸が一杯になり、それまで堪えていたものが一気に溢れ出てしまいました。
祖父との別れは、とても辛いものでしたが、日一日と、少しずつその気持ちがやわらいで来ているような気がします。
お寺は、曹洞宗「達磨寺」です。
早いもので、今日が初七日ですが、法要は28日の葬儀・火葬の後、繰上法要として営まれました。
(以下の写真は葬儀の時のものです)


遺影は、平成16年に、祖父の体験が「季刊札幌人」という雑誌に掲載された時に、写真家の義弟が取材で撮影したものを使いました。
とてもいい笑顔です。

戒名は「無菴福翁居士」になりました。
「無」は、帰依や捧げるという意味で、亡くなったことで、仏様の弟子になったことを表すそうです。
「菴」は「庵」と同じで、辞書によると「世捨て人や僧侶などの閑居する小さな草葺(くさぶ)きの家」という意味ですが、絵や読書やお酒など、自宅で好きなことに没頭した晩年を表現したのだそうです。
「福」は俗名「福男」の「福」。
「翁」はみんなに愛された「おじいちゃん」という意味です。
とても祖父らしい、いい戒名を付けていただきました。
「達磨寺」のご住職、ありがとうございました。

出棺の前に、参列者全員で集合写真を撮りました。
じつは、喪主であるフクヲの妻、祖母久子は病気のため、通夜と葬儀には参列しませんでした。
そのかわり、最後のお別れの時に、入居しているホームの職員に連れて来てもらうことになっていました。
集合写真の準備をしている時に、ちょうどタイミングよく祖母が到着し、こうして写真に収まることができ、そして、出棺の時、最後のお別れをすることができました。
最近はいつも体調が悪く、寝てばかりのことが多い祖母ですが、この時はとてもしっかりしていて、祖父と最後の会話をしていました。
私は胸が一杯になり、それまで堪えていたものが一気に溢れ出てしまいました。
祖父との別れは、とても辛いものでしたが、日一日と、少しずつその気持ちがやわらいで来ているような気がします。
孫のマメコ記す
2010年08月26日
フクヲ逝く
久しぶりの投稿になりますが、残念なお知らせです。
本日、午前8時00分、祖父フクヲは天国へと旅立ちました。
ここ数ヶ月、とても落ち着いた状態が続いていたのですが、3日前から何となく調子が悪く、2日前には発熱が見られ、肺炎と診断され、治療を受けていました。
持病の喘息の悪化もあって、昨日から呼吸状態が悪化していました。
看護師さんによると、今朝7時過ぎまで、会話ができる状態だったそうてすが、その後急変したとのことです。
眠るような最期だったとのことです。
肺炎は、今までも何回か繰り返していて、そのたびに治療を受けては復活していたので、今回も期待していたのですが、その願いもかなわず、とうとう力尽きてしまいました。
若い頃はタンパラ(短腹…気が短いこと)だった祖父も、入院してからは、すっかりおとなしくなり、天然ボケ(注:認知症はありませんでした)のユニークな発言で、看護師さんたちを笑わせ、病棟の人気者になっていました。
いつしか、祖父の病室は、看護師さんたちの「癒し部屋」になっていたといいます。
亡くなった時は、朝の申し送りの時間帯だったのですが、たくさんの看護師さんが入れ代わり立ち代わり祖父の元を訪れ、声をかけたり、顔をなでたりして、別れを惜しんでいたそうです。
皆さん、今まで本当にありがとうございました。
また、昨年の11月以降、ブログを更新していなかったのにもかかわらず、毎日数名の方々が訪問してくださいました。
今まで、祖父を応援してくださり、本当にありがとうございました。
祖父フクヲは亡くなりましたが、祖父の生きた証として、このブログは消さずに残して置きたいと思います。
おじいちゃん、本当に今までありがとう
本日、午前8時00分、祖父フクヲは天国へと旅立ちました。
ここ数ヶ月、とても落ち着いた状態が続いていたのですが、3日前から何となく調子が悪く、2日前には発熱が見られ、肺炎と診断され、治療を受けていました。
持病の喘息の悪化もあって、昨日から呼吸状態が悪化していました。
看護師さんによると、今朝7時過ぎまで、会話ができる状態だったそうてすが、その後急変したとのことです。
眠るような最期だったとのことです。
肺炎は、今までも何回か繰り返していて、そのたびに治療を受けては復活していたので、今回も期待していたのですが、その願いもかなわず、とうとう力尽きてしまいました。
若い頃はタンパラ(短腹…気が短いこと)だった祖父も、入院してからは、すっかりおとなしくなり、天然ボケ(注:認知症はありませんでした)のユニークな発言で、看護師さんたちを笑わせ、病棟の人気者になっていました。
いつしか、祖父の病室は、看護師さんたちの「癒し部屋」になっていたといいます。
亡くなった時は、朝の申し送りの時間帯だったのですが、たくさんの看護師さんが入れ代わり立ち代わり祖父の元を訪れ、声をかけたり、顔をなでたりして、別れを惜しんでいたそうです。
皆さん、今まで本当にありがとうございました。
また、昨年の11月以降、ブログを更新していなかったのにもかかわらず、毎日数名の方々が訪問してくださいました。
今まで、祖父を応援してくださり、本当にありがとうございました。
祖父フクヲは亡くなりましたが、祖父の生きた証として、このブログは消さずに残して置きたいと思います。
おじいちゃん、本当に今までありがとう

孫のマメコ記す
管理者注)マメコの夫より
みなさん、今までご愛読ありがとうございました。
これまで、ブログ中に登場する人物の名前は、個人が特定できないよう、カタカナや伏せ字、イニシャル等にしていましたが、フクヲ自身が亡くなり、また登場人物のほとんどが故人となっていること、マメコの許可が出たことから、今後は実名に戻して掲載し直そうと思っています。
(完成はいつになるかわかりませんが…)
激動の時代を生き抜いたフクヲ(本名「野中福男」)の生涯を、もう一度リアルに読み直していただけますと幸いです。
みなさん、今までご愛読ありがとうございました。
これまで、ブログ中に登場する人物の名前は、個人が特定できないよう、カタカナや伏せ字、イニシャル等にしていましたが、フクヲ自身が亡くなり、また登場人物のほとんどが故人となっていること、マメコの許可が出たことから、今後は実名に戻して掲載し直そうと思っています。
(完成はいつになるかわかりませんが…)
激動の時代を生き抜いたフクヲ(本名「野中福男」)の生涯を、もう一度リアルに読み直していただけますと幸いです。
2009年11月18日
フクヲ93歳になる!
今日11月18日、祖父フクヲは93歳になりました。
入院してから2回目の誕生日を迎えることができました。
病院のスタッフの方々をはじめ、ブログをご覧になっている読者の皆様の応援のおかげです。
本当にありがとうございました。
祖父は一日のうちのほとんどを寝て過ごすことが多く、ものを飲み込むことができないためご飯が食べられず、全ての栄養を点滴で与えられています。
ここ数ヶ月ははMRSAという細菌が肺に住みついてしまって、何度も肺炎を繰り返し、抗生物質が止められない状態ですが、最近は熱もなく落ち着いた状態が続いています。
今日は祖母ヒサコ(フクヲ妻)、伯父(フクヲ長男)夫婦、母(フクヲ長女)、私(フクヲ孫)が病院に駆けつけて、本当にささやかなお誕生日祝いをしました。
長い間食べるものも飲むものも口にしていませんでしたが、今日は特別にお酒を二口ほど、口に付けてもらうことができました。
味はよくわからないようでしたが、喜んでいるようでした。
この日を迎えることができて本当によかったです。
おじいちゃん、93歳おめでとう
(次の目標はお正月です…)
入院してから2回目の誕生日を迎えることができました。
病院のスタッフの方々をはじめ、ブログをご覧になっている読者の皆様の応援のおかげです。
本当にありがとうございました。
祖父は一日のうちのほとんどを寝て過ごすことが多く、ものを飲み込むことができないためご飯が食べられず、全ての栄養を点滴で与えられています。
ここ数ヶ月ははMRSAという細菌が肺に住みついてしまって、何度も肺炎を繰り返し、抗生物質が止められない状態ですが、最近は熱もなく落ち着いた状態が続いています。
今日は祖母ヒサコ(フクヲ妻)、伯父(フクヲ長男)夫婦、母(フクヲ長女)、私(フクヲ孫)が病院に駆けつけて、本当にささやかなお誕生日祝いをしました。
長い間食べるものも飲むものも口にしていませんでしたが、今日は特別にお酒を二口ほど、口に付けてもらうことができました。
味はよくわからないようでしたが、喜んでいるようでした。
この日を迎えることができて本当によかったです。
おじいちゃん、93歳おめでとう

(次の目標はお正月です…)
孫のマメコ記す
2009年10月07日
1年経過
1年前の今日、祖父フクヲは現在の病院に転院してきました。
転院後の数ヶ月は危ない時期もあって、正直ここまで来れるとは思っていませんでした。
いろいろな方にお世話になり、本当にありがたく思っています。
来月はいよいよ93歳の誕生日です。
孫のマメコ記す
転院後の数ヶ月は危ない時期もあって、正直ここまで来れるとは思っていませんでした。
いろいろな方にお世話になり、本当にありがたく思っています。
来月はいよいよ93歳の誕生日です。
孫のマメコ記す
2009年08月16日
あと3ヶ月
約3ヶ月ぶりの投稿になりました。
その後の祖父フクヲは、肺炎を繰り返し、一時は危ない状態になりましたが、ここしばらくは落ち着いた状態が続いています。
このまま行けば、93歳の誕生日を迎えられるかもしれないと、主治医である主人が話していました。
それが現実になりますように…。
その後の祖父フクヲは、肺炎を繰り返し、一時は危ない状態になりましたが、ここしばらくは落ち着いた状態が続いています。
このまま行けば、93歳の誕生日を迎えられるかもしれないと、主治医である主人が話していました。
それが現実になりますように…。
孫のマメコ記す
2009年05月05日
花見
その後の祖父フクヲは、発熱が続いたり、呼吸の状態がよくなかったり、最近になって薬を飲めなくなったりと、あまりいい状態ではありません。
会話もほとんどできなくなってしまいました。
今日は以前から伯父(フクヲ長男)が希望していた「お花見」が実現しました。
外出許可をもらい、ほぼ寝たきりの状態となった祖父を、スタッフの方々総出で車椅子(リクライニングできるやつ)に移動させてもらって、祖母ヒサコ、伯父、母(フクヲ長女)、私(孫その1)家族、妹(孫その2)家族で、病院の近くの公園に行って来ました。
祖父が外に出るのは、去年10月に今の病院に入院してから初めてのことです。

公園の入り口の桜を見せているところです。
祖父は目を開けて桜を見て、「桜見れてよかった」と言っていました。
いつもは声を出しても、なかなか聞き取れないのですが、この時ははっきりと喋っていました。

フクヲ、伯父、母の親子3人、桜の木の下にて。
この連休中はとてもいい天気で、桜も散り始めていて、この木は葉桜になりかかっていました。
祖父の体調はやはりあまりよくなく、外出中もほとんど眠っていたような状態だったので、20分ほどで戻って来ました。

「お花見」から帰って来て、皆に「よかったねえ」と声をかけられているところ。
今日は午後から天気が悪く、肌寒かったのですが、祖父が外出している間だけ、何故か急に雲と風がなくなって暖かくなり、絶好のお花見日和となりました。
(↑実は私が強く念じたおかげです…w)
これが最後になるかもしれない「お花見」ができて、今日は本当によかったです。
会話もほとんどできなくなってしまいました。
今日は以前から伯父(フクヲ長男)が希望していた「お花見」が実現しました。
外出許可をもらい、ほぼ寝たきりの状態となった祖父を、スタッフの方々総出で車椅子(リクライニングできるやつ)に移動させてもらって、祖母ヒサコ、伯父、母(フクヲ長女)、私(孫その1)家族、妹(孫その2)家族で、病院の近くの公園に行って来ました。
祖父が外に出るのは、去年10月に今の病院に入院してから初めてのことです。
公園の入り口の桜を見せているところです。
祖父は目を開けて桜を見て、「桜見れてよかった」と言っていました。
いつもは声を出しても、なかなか聞き取れないのですが、この時ははっきりと喋っていました。
フクヲ、伯父、母の親子3人、桜の木の下にて。
この連休中はとてもいい天気で、桜も散り始めていて、この木は葉桜になりかかっていました。
祖父の体調はやはりあまりよくなく、外出中もほとんど眠っていたような状態だったので、20分ほどで戻って来ました。
「お花見」から帰って来て、皆に「よかったねえ」と声をかけられているところ。
今日は午後から天気が悪く、肌寒かったのですが、祖父が外出している間だけ、何故か急に雲と風がなくなって暖かくなり、絶好のお花見日和となりました。
(↑実は私が強く念じたおかげです…w)
これが最後になるかもしれない「お花見」ができて、今日は本当によかったです。
孫のマメコ記す
2009年03月21日
術後3ヶ月
3ヶ月ぶりの投稿になってしまいました。
12月11日の左足切断手術後は、心配していた合併症も起こらず、とても順調に経過しています。
術後全くブログを更新していなかったので、心配された読者の方もいるかと思います。
申し訳ありませんでした。
食事は相変わらず少量しか摂らず、必要な栄養のほとんどを点滴で補っている状態ですが、それなりに元気です。
一時はかなり褥瘡(床ずれ)がひどかったのですが、もう少しで治るところまで来ているそうです。
心配していたのは肝臓癌の方で、最初は余命は3ヶ月と言われていたので、覚悟していましたが、気付いてみたら、もう5ヶ月以上も経っていました。
CTを撮ってみると、昨年10月の入院時とほとんど大きさが変わっていないとのことでした。
伯父(フクヲ長男)は当初、「せめて、来年(今年のこと)の花見だけはさせてやりたい」と言っていましたが、それが実現可能になりそうです。

昨日、久しぶりに娘(フクヲ曾孫)を連れて、お見舞いに行って来ました。
お風呂の準備のため、裸で失礼します…w
12月11日の左足切断手術後は、心配していた合併症も起こらず、とても順調に経過しています。
術後全くブログを更新していなかったので、心配された読者の方もいるかと思います。
申し訳ありませんでした。
食事は相変わらず少量しか摂らず、必要な栄養のほとんどを点滴で補っている状態ですが、それなりに元気です。
一時はかなり褥瘡(床ずれ)がひどかったのですが、もう少しで治るところまで来ているそうです。
心配していたのは肝臓癌の方で、最初は余命は3ヶ月と言われていたので、覚悟していましたが、気付いてみたら、もう5ヶ月以上も経っていました。
CTを撮ってみると、昨年10月の入院時とほとんど大きさが変わっていないとのことでした。
伯父(フクヲ長男)は当初、「せめて、来年(今年のこと)の花見だけはさせてやりたい」と言っていましたが、それが実現可能になりそうです。
昨日、久しぶりに娘(フクヲ曾孫)を連れて、お見舞いに行って来ました。
お風呂の準備のため、裸で失礼します…w
孫のマメコ記す
2008年12月11日
手術成功
今日、祖父フクヲは左足切断の手術を受け、無事終了しました。
手術自体はうまく行きましたが、整形外科の先生によると、術後の痛みで1週間くらい具合が悪くなる可能性があることや、切断部の感染症や縫合不全も起こりうるということで、術後2〜3週間は注意が必要とのことでした。
でも、ひとまず危険な手術を無事乗り切ってくれて安心しました。
術後も、持ち前の気力と体力で順調に回復してくれると信じています。
手術自体はうまく行きましたが、整形外科の先生によると、術後の痛みで1週間くらい具合が悪くなる可能性があることや、切断部の感染症や縫合不全も起こりうるということで、術後2〜3週間は注意が必要とのことでした。
でも、ひとまず危険な手術を無事乗り切ってくれて安心しました。
術後も、持ち前の気力と体力で順調に回復してくれると信じています。
孫のマメコ記す
2008年12月07日
手術に向けて
その後、祖父フクヲの病状は落ち着いています。
一時は36kgまで減った体重が、点滴の力で41kgまで増え、顔もげっそりしていたのが、少し肉が付いてきて、元の祖父の顔に近づいて来ているような気がします。
ただ、一見元気に見えるのですが、主治医(夫)よると、左足の感染症が悪化してきたと言います。
せっかく元気になったのに、このままでは再び感染症により命が危険にさらされる可能性が高いとのことで、やはり足を切断するしか方法はなくなりました。
今の足の状態を伯父(フクヲの長男)が見て、手術を決意しました。
祖父も、「ここまで生きて来られたんだから、悔いはない。手術を受けて、車椅子に乗れるようになりたい」と言っています。
さらに最近では、「松葉杖をついて歩きたい」とか、「酒が飲めるようになりたい」(今は飲ませていないので)とまで言うようになりました。
一時危なかった時は、「ここまで生きて来られたんだし、悔いはない。だからもう何もしなくていい」と、投げやりになっていたのが、元気になった今ではとても前向きに考えていて、看護師さんたちもみんな「すごいね〜」と驚いていました。
何といっても92歳で、手術には相当の危険が伴いますが、祖父のこの気力で何とか乗り切ってくれると信じています。
手術日は12月11日です。
一時は36kgまで減った体重が、点滴の力で41kgまで増え、顔もげっそりしていたのが、少し肉が付いてきて、元の祖父の顔に近づいて来ているような気がします。
ただ、一見元気に見えるのですが、主治医(夫)よると、左足の感染症が悪化してきたと言います。
せっかく元気になったのに、このままでは再び感染症により命が危険にさらされる可能性が高いとのことで、やはり足を切断するしか方法はなくなりました。
今の足の状態を伯父(フクヲの長男)が見て、手術を決意しました。
祖父も、「ここまで生きて来られたんだから、悔いはない。手術を受けて、車椅子に乗れるようになりたい」と言っています。
さらに最近では、「松葉杖をついて歩きたい」とか、「酒が飲めるようになりたい」(今は飲ませていないので)とまで言うようになりました。
一時危なかった時は、「ここまで生きて来られたんだし、悔いはない。だからもう何もしなくていい」と、投げやりになっていたのが、元気になった今ではとても前向きに考えていて、看護師さんたちもみんな「すごいね〜」と驚いていました。
何といっても92歳で、手術には相当の危険が伴いますが、祖父のこの気力で何とか乗り切ってくれると信じています。
手術日は12月11日です。
孫のマメコ記す
2008年11月18日
フクヲ92歳になる。
今日11月18日、祖父フクヲは92歳になりました。
左足の血流障害と感染症で一時は危篤状態にまでなりましたが、その後みごと復活し、この日を迎えることができました。
日中、祖母ヒサコ、伯父(フクヲ長男)、母(フクヲ長女)、それにホームのスタッフ数名と入居者の方1名が病室に集まり、ささやかなお誕生パーティーを行ったそうです。
(私は残念ながら都合により欠席しました)

親子4人で写真を撮るのは、ずいぶんと久しぶりとのことでした。(看護師さん撮影)
現在、食事は自力でとる事はできるのですが、ほんの数口しか食べないので、栄養はほとんど点滴で摂っている状態です。
体重はなんと36kgまで落ちてしまいました。

刺激の少ない入院生活が長く続いたせいで、記憶障害的な症状も出始めていますが、皆が集まった時はとてもしっかりとしていて、以前の祖父に戻ったようだった、と母が言っていました。
ともかく、無事(?)この日が迎えられてよかったです。
おじいちゃん、92歳おめでとう
左足の血流障害と感染症で一時は危篤状態にまでなりましたが、その後みごと復活し、この日を迎えることができました。
日中、祖母ヒサコ、伯父(フクヲ長男)、母(フクヲ長女)、それにホームのスタッフ数名と入居者の方1名が病室に集まり、ささやかなお誕生パーティーを行ったそうです。
(私は残念ながら都合により欠席しました)
親子4人で写真を撮るのは、ずいぶんと久しぶりとのことでした。(看護師さん撮影)
現在、食事は自力でとる事はできるのですが、ほんの数口しか食べないので、栄養はほとんど点滴で摂っている状態です。
体重はなんと36kgまで落ちてしまいました。
刺激の少ない入院生活が長く続いたせいで、記憶障害的な症状も出始めていますが、皆が集まった時はとてもしっかりとしていて、以前の祖父に戻ったようだった、と母が言っていました。
ともかく、無事(?)この日が迎えられてよかったです。
おじいちゃん、92歳おめでとう

孫のマメコ記す
2008年10月13日
三途の川
血流障害による左足の壊死が感染症を起こし、治療法はもう切断しかないと診断されました。
足を切断しなければ、ほぼ間違いなく感染症で死んでしまうということです。
切断すれば、助かる可能性が高くなりますが、逆に手術で死ぬ可能性が25%もあるということです。
フクヲ本人は、「もう十分生きたし、我が人生に悔いはなし」で、手術をしたくないという希望で、母も伯父も、もうこれ以上辛い思い(手術そのもの、手術後の痛みなど)をさせたくないということで、あとはなるべく苦しまないで逝かせてあげたいという希望でした。
そうして、10月7日に夫の勤める病院に転院させてもらいました。
この病院は、場所的に母も伯父もお見舞いに通いやすいということもありますが、夫に最期まで診てもらえるということと、看護師さん・看護助手さん達がとてもよくしてくれるので、転院できて少し気が楽になりました。
転院した日と、その次の日の2日間はとても状態が悪く、体の具合がよくない祖母ヒサコもホームからお見舞いに駆けつけ、みんなで涙で語り合ったそうです。
転院3日目の朝には、危篤状態に近いということで、夫から連絡があり、母経由で伯父から親戚一同に連絡が回りました。
ところが、その日の午後、病院に行ってみると、祖父は少し背を起こしたベッドにもたれかかって、母や伯父とニコニコ会話をしていたのです。
前日まであった熱も下がり、出が悪かったおしっこも出るようになり、下がっていた血圧も上がっていました。
そして、なんと「酒が飲みたい」と言い出したのでした。
入院患者は普通お酒は飲めませんが、夫が飲ませてもいいと言ってくれたので、伯父が日本酒を買って来て飲ませてみました。
口内炎のひどいのができたいたせいもあり、祖父は「味がしない」と言って、一口で終わりました。
それでも、形だけでもお酒が飲めて、とてもよかったと思いました。
絶食も解除してくれたので、伯父が買って来たウニを一口食べ、夕食も出してもらうことになりました。
その夕食時、食事介助をしてくれる看護師さんに、祖父はなんと、「酒はないのか?」と言ったそうです。
看護師さんが、「さっき飲んだでしょう?」と言うと、祖父は、「あれはご飯前だったから、あれだけ(一口)でやめたんだ。もっと酒が飲みたい…」と言ったそうです。
困った看護師さんが当直の夫に連絡して、飲んでもよいと許可をもらいました。
その話を聞いて、笑ってしまいました。
さすが、わが祖父フクヲです
そして、その後も毎晩お酒を飲んでいるようです。(病院なのに…)
その後も状態は安定して、転院4日目には、「危篤」の連絡を受けて道内と本州から駆けつけた親戚一同(私の従姉兄妹、伯母、その母たち)とも笑顔で面談することができました。
元気になった祖父を見て、みんな喜んでいました。
一時は危篤の状態までになったのが、驚異の回復力で復活しました。
祖父のことなので、なんとなくこうなるのではないかとも思っていましたが…。
この病院に転院できて、本当によかったと思います。
夫によると、「今のところ落ち着いてはいるが、もともとの状態が悪いので、今後も予断を許さない」とのことでした。
でも、ここまで来たら、後は何があっても驚かないし、受け入れる覚悟はできています。
家族としても悔いはありません。
ちなみに祖父は「三途の川を見てきた」そうです

床頭台の上には、義弟が羽幌町郷土資料館から特別に借りてきた、当時祖父が実際に使用していたヘルメットと、たくさんの炭鉱の写真が置かれていました。
足を切断しなければ、ほぼ間違いなく感染症で死んでしまうということです。
切断すれば、助かる可能性が高くなりますが、逆に手術で死ぬ可能性が25%もあるということです。
フクヲ本人は、「もう十分生きたし、我が人生に悔いはなし」で、手術をしたくないという希望で、母も伯父も、もうこれ以上辛い思い(手術そのもの、手術後の痛みなど)をさせたくないということで、あとはなるべく苦しまないで逝かせてあげたいという希望でした。
そうして、10月7日に夫の勤める病院に転院させてもらいました。
この病院は、場所的に母も伯父もお見舞いに通いやすいということもありますが、夫に最期まで診てもらえるということと、看護師さん・看護助手さん達がとてもよくしてくれるので、転院できて少し気が楽になりました。
転院した日と、その次の日の2日間はとても状態が悪く、体の具合がよくない祖母ヒサコもホームからお見舞いに駆けつけ、みんなで涙で語り合ったそうです。
転院3日目の朝には、危篤状態に近いということで、夫から連絡があり、母経由で伯父から親戚一同に連絡が回りました。
ところが、その日の午後、病院に行ってみると、祖父は少し背を起こしたベッドにもたれかかって、母や伯父とニコニコ会話をしていたのです。
前日まであった熱も下がり、出が悪かったおしっこも出るようになり、下がっていた血圧も上がっていました。
そして、なんと「酒が飲みたい」と言い出したのでした。
入院患者は普通お酒は飲めませんが、夫が飲ませてもいいと言ってくれたので、伯父が日本酒を買って来て飲ませてみました。
口内炎のひどいのができたいたせいもあり、祖父は「味がしない」と言って、一口で終わりました。
それでも、形だけでもお酒が飲めて、とてもよかったと思いました。
絶食も解除してくれたので、伯父が買って来たウニを一口食べ、夕食も出してもらうことになりました。
その夕食時、食事介助をしてくれる看護師さんに、祖父はなんと、「酒はないのか?」と言ったそうです。
看護師さんが、「さっき飲んだでしょう?」と言うと、祖父は、「あれはご飯前だったから、あれだけ(一口)でやめたんだ。もっと酒が飲みたい…」と言ったそうです。
困った看護師さんが当直の夫に連絡して、飲んでもよいと許可をもらいました。
その話を聞いて、笑ってしまいました。
さすが、わが祖父フクヲです

そして、その後も毎晩お酒を飲んでいるようです。(病院なのに…)
その後も状態は安定して、転院4日目には、「危篤」の連絡を受けて道内と本州から駆けつけた親戚一同(私の従姉兄妹、伯母、その母たち)とも笑顔で面談することができました。
元気になった祖父を見て、みんな喜んでいました。
一時は危篤の状態までになったのが、驚異の回復力で復活しました。
祖父のことなので、なんとなくこうなるのではないかとも思っていましたが…。
この病院に転院できて、本当によかったと思います。
夫によると、「今のところ落ち着いてはいるが、もともとの状態が悪いので、今後も予断を許さない」とのことでした。
でも、ここまで来たら、後は何があっても驚かないし、受け入れる覚悟はできています。
家族としても悔いはありません。
ちなみに祖父は「三途の川を見てきた」そうです

孫のマメコ記す
床頭台の上には、義弟が羽幌町郷土資料館から特別に借りてきた、当時祖父が実際に使用していたヘルメットと、たくさんの炭鉱の写真が置かれていました。
2008年10月03日
三たび入院
昨日、祖父フクヲは三度目の入院となりました。
左足の血流がよくならず、とうとう感染症を起こしてしまったのです。
ホームを出る時、スタッフの方々が涙を流して見送ってくれたそうです。
これが最後の入院になり、おそらくもうホームには戻れないだろうということを、皆わかっていたのかもしれません。
左足の血流がよくならず、とうとう感染症を起こしてしまったのです。
ホームを出る時、スタッフの方々が涙を流して見送ってくれたそうです。
これが最後の入院になり、おそらくもうホームには戻れないだろうということを、皆わかっていたのかもしれません。
孫のマメコ記す
2008年09月15日
敬老の日
今日はホームで敬老の日のお祝いがあったので、行って来ました。
先に伯父(フクヲの長男)と母(フクヲの長女)が来ていました。
祖父フクヲはスタッフや伯父の介助で車椅子に乗り、お祝いの席に着きました。
祖母ヒサコも一緒です。
祖父はやはり食欲がなく、ご馳走にはほとんど手を着けませんでしたが、大好きなお酒はペロッと一杯飲み干していました。
体調が良くないので、会話も少なく、表情も冴えませんでしたが、スタッフの人が、入所中のお年寄り方(1年前と変わらないメンバー)の紹介をしている最中、祖父の番になって、若い頃勤めていた炭砿の話や、満州の話になった時、短い時間でしたが、祖父の顔に満面の笑みが浮かびました。

(向かって左から私の娘(フクヲの曾孫)、フクヲ、スタッフの方、ヒサコ、伯父、私の夫)

こんなに楽しそうに笑っている祖父を見たのはとても久しぶりです。
とても嬉しかった半面、笑っているその目は、何だか残り少ない自分の人生を見通しているみたいに見えて、少し寂しく、悲しい気持ちになりました。
まずは2ヶ月後の92歳の誕生日、その次は新年、そしてできることなら来年の誕生日を迎えられるよう、長生きしてほしいです。
先に伯父(フクヲの長男)と母(フクヲの長女)が来ていました。
祖父フクヲはスタッフや伯父の介助で車椅子に乗り、お祝いの席に着きました。
祖母ヒサコも一緒です。
祖父はやはり食欲がなく、ご馳走にはほとんど手を着けませんでしたが、大好きなお酒はペロッと一杯飲み干していました。
体調が良くないので、会話も少なく、表情も冴えませんでしたが、スタッフの人が、入所中のお年寄り方(1年前と変わらないメンバー)の紹介をしている最中、祖父の番になって、若い頃勤めていた炭砿の話や、満州の話になった時、短い時間でしたが、祖父の顔に満面の笑みが浮かびました。
(向かって左から私の娘(フクヲの曾孫)、フクヲ、スタッフの方、ヒサコ、伯父、私の夫)
こんなに楽しそうに笑っている祖父を見たのはとても久しぶりです。
とても嬉しかった半面、笑っているその目は、何だか残り少ない自分の人生を見通しているみたいに見えて、少し寂しく、悲しい気持ちになりました。
まずは2ヶ月後の92歳の誕生日、その次は新年、そしてできることなら来年の誕生日を迎えられるよう、長生きしてほしいです。
孫のマメコ記す
2008年09月07日
退院4日目
今日は夫と娘を連れて、ホームに行って来ました。
祖父フクヲはベッドに寝たきりで、自分一人では起き上がることはできず、介助して車椅子に乗らないと移動できない状態でした。
食欲はなく、あまり食べられないようです。
かなりやせて小さくなっていました。
それでも、娘(フクヲのひ孫)の姿を見ると、ニコニコして手を差し伸べ、みるみる元気になって行くのがわかりました。
子どもの力ってすごい…。
左足の色も入院時よりは良くなっていて、全体的に、思っていたより状態が良いので、とりあえず安心しました。
祖父フクヲはベッドに寝たきりで、自分一人では起き上がることはできず、介助して車椅子に乗らないと移動できない状態でした。
食欲はなく、あまり食べられないようです。
かなりやせて小さくなっていました。
それでも、娘(フクヲのひ孫)の姿を見ると、ニコニコして手を差し伸べ、みるみる元気になって行くのがわかりました。
子どもの力ってすごい…。
左足の色も入院時よりは良くなっていて、全体的に、思っていたより状態が良いので、とりあえず安心しました。
孫のマメコ記す