2020年08月23日
新ブログ編集終了
本日新ブログの編集が終了しました。
これを持ちまして今後当ブログを更新することはなくなります。
長い間ありがとうございました。
これを持ちまして今後当ブログを更新することはなくなります。
長い間ありがとうございました。
sagarireba at 23:16|Permalink│Comments(0)│
2020年08月19日
新ブログ編集中
当ブログをそっくりそのまま移植した新ブログですが、記事の内容が細切れになって読みづらいとの指摘を受けたため、ただいま記事をまとめるべく編集中です。
sagarireba at 19:02|Permalink│Comments(0)│
2020年07月24日
ブログ移転完了しました
ようやくブログの移転が完了しました。
新しいブログはこちらです↓
タイトルを新しく変更しましたが、これは平成16年7月15日に「有限会社札幌グラフコミュニケーションズ」から発行された「季刊 札幌人」(2004年夏号、定価600円)にフクヲが掲載された時の中見出しから拝借しました。
移転に際し、内容を考察し、インターネット等で得た参考文献や画像をリンクとして数多く掲載しました。
また使用している漢字を原文に忠実に再現しました。
新しい発見があるかもしれないので、新ブログも最初から読んでいただきたいと思います。
よろしくお願いいたします。
sagarireba at 00:02|Permalink│Comments(0)│
2020年07月01日
ブログを移転します
久しぶりの投稿になります。
長らくブログを放置していましたが、その後も時々読者が訪問していることを知りました。
訪問してくださった皆さん、ありがとうございました。
今年はフクヲ没後10周年に当たることもあり、ブログをリニューアルして移転することにしました。
現在その作業も終わりに近づいています。
移転が完了しましたら、当ブログで告知する予定です。
(タイトルを変更することを考えています。)
なお、このライブドアブログは記念としてそのまま残しておきます。
長らくブログを放置していましたが、その後も時々読者が訪問していることを知りました。
訪問してくださった皆さん、ありがとうございました。
今年はフクヲ没後10周年に当たることもあり、ブログをリニューアルして移転することにしました。
現在その作業も終わりに近づいています。
移転が完了しましたら、当ブログで告知する予定です。
(タイトルを変更することを考えています。)
なお、このライブドアブログは記念としてそのまま残しておきます。
管理人=マメコ夫記す
2012年07月02日
ありがとう、なべさん、さようなら
このブログの数少ない読者の一人で、祖父フクヲこと野中福男のファンでいらっしゃった「なべさん」こと渡辺登さんが、今年の3月19日に亡くなっていたと、今日になってフクヲの娘である母(優子)から聞きました。
母はなべさんのブログの読者で、3月以降ブログが更新されていないのをとても気にしていたところ、同じ読者のかま猫さんやnyankaiさんを通じて、先日の6月29日に訃報を知ったそうです。
母は大変ショックを受けていました。
私も夫も、とてもショックです。
Twitter(@kannsuke_)を見てみると、亡くなる前日まで元気にツイートされていたようです。
息子さんによれば、その日に容体が急変し、翌日早朝に亡くなられたそうです。
なべさんのブログ(現在閲覧不可)では、独特の創作俳句、富士山を始めとした自然写真や飼い猫の写真、かわいい双子のお孫さんの成長記録などを見るのを楽しみにしていました。
なべさんには、たくさんのコメントをいただきました。
本当にありがとうございました。
安らかにお眠りください。
母はなべさんのブログの読者で、3月以降ブログが更新されていないのをとても気にしていたところ、同じ読者のかま猫さんやnyankaiさんを通じて、先日の6月29日に訃報を知ったそうです。
母は大変ショックを受けていました。
私も夫も、とてもショックです。
Twitter(@kannsuke_)を見てみると、亡くなる前日まで元気にツイートされていたようです。
息子さんによれば、その日に容体が急変し、翌日早朝に亡くなられたそうです。
なべさんのブログ(現在閲覧不可)では、独特の創作俳句、富士山を始めとした自然写真や飼い猫の写真、かわいい双子のお孫さんの成長記録などを見るのを楽しみにしていました。
なべさんには、たくさんのコメントをいただきました。
本当にありがとうございました。
安らかにお眠りください。
フクヲの孫マメコ記す
2011年08月26日
一周忌
今日、8月26日は祖父フクヲの一周忌でした。
法要は近親者のみで済ませました。
あれから1年経ったんですね。
月日の過ぎるのは早いものです。
ブログを休止してからも、毎日数名の方が訪問されていたようです。
ありがとうございました。
法要は近親者のみで済ませました。
あれから1年経ったんですね。
月日の過ぎるのは早いものです。
ブログを休止してからも、毎日数名の方が訪問されていたようです。
ありがとうございました。
孫のマメコ記す
2010年09月01日
初七日
先月27日に通夜が、28日に葬儀が執り行われました。
お寺は、曹洞宗「達磨寺」です。
早いもので、今日が初七日ですが、法要は28日の葬儀・火葬の後、繰上法要として営まれました。
(以下の写真は葬儀の時のものです)


遺影は、平成16年に、祖父の体験が「季刊札幌人」という雑誌に掲載された時に、写真家の義弟(KEN五島)が取材で撮影したものを使いました。
とてもいい笑顔です。

戒名は「無菴福翁居士」になりました。
「無」は、帰依や捧げるという意味で、亡くなったことで、仏様の弟子になったことを表すそうです。
「菴」は「庵」と同じで、辞書によると「世捨て人や僧侶などの閑居する小さな草葺(くさぶ)きの家」という意味ですが、絵や読書やお酒など、自宅で好きなことに没頭した晩年を表現したのだそうです。
「福」は俗名「福男」の「福」。
「翁」はみんなに愛された「おじいちゃん」という意味です。
とても祖父らしい、いい戒名を付けていただきました。
「達磨寺」のご住職、ありがとうございました。

出棺の前に、参列者全員で集合写真を撮りました。
じつは、喪主であるフクヲの妻、祖母久子は病気のため、通夜と葬儀には参列しませんでした。
そのかわり、最後のお別れの時に、入居しているホームの職員に連れて来てもらうことになっていました。
集合写真の準備をしている時に、ちょうどタイミングよく祖母が到着し、こうして写真に収まることができ、そして、出棺の時、最後のお別れをすることができました。
最近はいつも体調が悪く、寝てばかりのことが多い祖母ですが、この時はとてもしっかりしていて、祖父と最後の会話をしていました。
私は胸が一杯になり、それまで堪えていたものが一気に溢れ出てしまいました。
祖父との別れは、とても辛いものでしたが、日一日と、少しずつその気持ちがやわらいで来ているような気がします。
お寺は、曹洞宗「達磨寺」です。
早いもので、今日が初七日ですが、法要は28日の葬儀・火葬の後、繰上法要として営まれました。
(以下の写真は葬儀の時のものです)


遺影は、平成16年に、祖父の体験が「季刊札幌人」という雑誌に掲載された時に、写真家の義弟(KEN五島)が取材で撮影したものを使いました。
とてもいい笑顔です。

戒名は「無菴福翁居士」になりました。
「無」は、帰依や捧げるという意味で、亡くなったことで、仏様の弟子になったことを表すそうです。
「菴」は「庵」と同じで、辞書によると「世捨て人や僧侶などの閑居する小さな草葺(くさぶ)きの家」という意味ですが、絵や読書やお酒など、自宅で好きなことに没頭した晩年を表現したのだそうです。
「福」は俗名「福男」の「福」。
「翁」はみんなに愛された「おじいちゃん」という意味です。
とても祖父らしい、いい戒名を付けていただきました。
「達磨寺」のご住職、ありがとうございました。

出棺の前に、参列者全員で集合写真を撮りました。
じつは、喪主であるフクヲの妻、祖母久子は病気のため、通夜と葬儀には参列しませんでした。
そのかわり、最後のお別れの時に、入居しているホームの職員に連れて来てもらうことになっていました。
集合写真の準備をしている時に、ちょうどタイミングよく祖母が到着し、こうして写真に収まることができ、そして、出棺の時、最後のお別れをすることができました。
最近はいつも体調が悪く、寝てばかりのことが多い祖母ですが、この時はとてもしっかりしていて、祖父と最後の会話をしていました。
私は胸が一杯になり、それまで堪えていたものが一気に溢れ出てしまいました。
祖父との別れは、とても辛いものでしたが、日一日と、少しずつその気持ちがやわらいで来ているような気がします。
孫のマメコ記す
2010年08月26日
フクヲ逝く
久しぶりの投稿になりますが、残念なお知らせです。
本日2010年8月26日、午前8時00分、祖父フクヲは天国へと旅立ちました。
ここ数ヶ月、とても落ち着いた状態が続いていたのですが、3日前から何となく調子が悪く、2日前には発熱が見られ、肺炎と診断され、治療を受けていました。
持病の喘息の悪化もあって、昨日から呼吸状態が悪化していました。
看護師さんによると、今朝7時過ぎまで、会話ができる状態だったそうてすが、その後急変したとのことです。
眠るような最期だったとのことです。
肺炎は、今までも何回か繰り返していて、そのたびに治療を受けては復活していたので、今回も期待していたのですが、その願いもかなわず、とうとう力尽きてしまいました。
若い頃はタンパラ(短腹…気が短いこと)だった祖父も、入院してからは、すっかりおとなしくなり、天然ボケ(注:認知症はありませんでした)のユニークな発言で、看護師さんたちを笑わせ、病棟の人気者になっていました。
いつしか、祖父の病室は、看護師さんたちの「癒し部屋」になっていたといいます。
亡くなった時は、朝の申し送りの時間帯だったのですが、たくさんの看護師さんが入れ代わり立ち代わり祖父の元を訪れ、声をかけたり、顔をなでたりして、別れを惜しんでいたそうです。
皆さん、今まで本当にありがとうございました。
また、昨年の11月以降、ブログを更新していなかったのにもかかわらず、毎日数名の方々が訪問してくださいました。
今まで、祖父を応援してくださり、本当にありがとうございました。
祖父フクヲは亡くなりましたが、祖父の生きた証として、このブログは消さずに残して置きたいと思います。
おじいちゃん、本当に今までありがとう
本日2010年8月26日、午前8時00分、祖父フクヲは天国へと旅立ちました。
ここ数ヶ月、とても落ち着いた状態が続いていたのですが、3日前から何となく調子が悪く、2日前には発熱が見られ、肺炎と診断され、治療を受けていました。
持病の喘息の悪化もあって、昨日から呼吸状態が悪化していました。
看護師さんによると、今朝7時過ぎまで、会話ができる状態だったそうてすが、その後急変したとのことです。
眠るような最期だったとのことです。
肺炎は、今までも何回か繰り返していて、そのたびに治療を受けては復活していたので、今回も期待していたのですが、その願いもかなわず、とうとう力尽きてしまいました。
若い頃はタンパラ(短腹…気が短いこと)だった祖父も、入院してからは、すっかりおとなしくなり、天然ボケ(注:認知症はありませんでした)のユニークな発言で、看護師さんたちを笑わせ、病棟の人気者になっていました。
いつしか、祖父の病室は、看護師さんたちの「癒し部屋」になっていたといいます。
亡くなった時は、朝の申し送りの時間帯だったのですが、たくさんの看護師さんが入れ代わり立ち代わり祖父の元を訪れ、声をかけたり、顔をなでたりして、別れを惜しんでいたそうです。
皆さん、今まで本当にありがとうございました。
また、昨年の11月以降、ブログを更新していなかったのにもかかわらず、毎日数名の方々が訪問してくださいました。
今まで、祖父を応援してくださり、本当にありがとうございました。
祖父フクヲは亡くなりましたが、祖父の生きた証として、このブログは消さずに残して置きたいと思います。
おじいちゃん、本当に今までありがとう

孫のマメコ記す
管理者注)マメコの夫より
みなさん、今までご愛読ありがとうございました。
これまで、ブログ中に登場する人物の名前は、個人が特定できないよう、カタカナや伏せ字、イニシャル等にしていましたが、フクヲ自身が亡くなり、また登場人物のほとんどが故人となっていること、マメコの許可が出たことから、今後は実名に戻して掲載し直そうと思っています。
(完成はいつになるかわかりませんが…)
激動の時代を生き抜いたフクヲ(本名「野中福男」)の生涯を、もう一度リアルに読み直していただけますと幸いです。
みなさん、今までご愛読ありがとうございました。
これまで、ブログ中に登場する人物の名前は、個人が特定できないよう、カタカナや伏せ字、イニシャル等にしていましたが、フクヲ自身が亡くなり、また登場人物のほとんどが故人となっていること、マメコの許可が出たことから、今後は実名に戻して掲載し直そうと思っています。
(完成はいつになるかわかりませんが…)
激動の時代を生き抜いたフクヲ(本名「野中福男」)の生涯を、もう一度リアルに読み直していただけますと幸いです。
2009年11月18日
フクヲ93歳になる!
本日2009年11月18日、祖父フクヲは93歳になりました。
入院してから2回目の誕生日を迎えることができました。
病院のスタッフの方々をはじめ、ブログをご覧になっている読者の皆様の応援のおかげです。
本当にありがとうございました。
祖父は一日のうちのほとんどを寝て過ごすことが多く、ものを飲み込むことができないためご飯が食べられず、全ての栄養を点滴で与えられています。
ここ数ヶ月ははMRSAという細菌が肺に住みついてしまって、何度も肺炎を繰り返し、抗生物質が止められない状態ですが、最近は熱もなく落ち着いた状態が続いています。
今日は祖母久子(フクヲ妻)、伯父(隆文=フクヲ長男)夫婦、母(優子=フクヲ長女)、私(フクヲ孫)が病院に駆けつけて、本当にささやかなお誕生日祝いをしました。
長い間食べるものも飲むものも口にしていませんでしたが、今日は特別にお酒を二口ほど、口に付けてもらうことができました。
味はよくわからないようでしたが、喜んでいるようでした。
この日を迎えることができて本当によかったです。
おじいちゃん、93歳おめでとう
(次の目標はお正月です…)
入院してから2回目の誕生日を迎えることができました。
病院のスタッフの方々をはじめ、ブログをご覧になっている読者の皆様の応援のおかげです。
本当にありがとうございました。
祖父は一日のうちのほとんどを寝て過ごすことが多く、ものを飲み込むことができないためご飯が食べられず、全ての栄養を点滴で与えられています。
ここ数ヶ月ははMRSAという細菌が肺に住みついてしまって、何度も肺炎を繰り返し、抗生物質が止められない状態ですが、最近は熱もなく落ち着いた状態が続いています。
今日は祖母久子(フクヲ妻)、伯父(隆文=フクヲ長男)夫婦、母(優子=フクヲ長女)、私(フクヲ孫)が病院に駆けつけて、本当にささやかなお誕生日祝いをしました。
長い間食べるものも飲むものも口にしていませんでしたが、今日は特別にお酒を二口ほど、口に付けてもらうことができました。
味はよくわからないようでしたが、喜んでいるようでした。
この日を迎えることができて本当によかったです。
おじいちゃん、93歳おめでとう

(次の目標はお正月です…)
孫のマメコ記す
2009年10月07日
1年経過
1年前の今日、祖父フクヲは現在の病院に転院してきました。
転院後の数ヶ月は危ない時期もあって、正直ここまで来れるとは思っていませんでした。
いろいろな方にお世話になり、本当にありがたく思っています。
来月はいよいよ93歳の誕生日です。
孫のマメコ記す
転院後の数ヶ月は危ない時期もあって、正直ここまで来れるとは思っていませんでした。
いろいろな方にお世話になり、本当にありがたく思っています。
来月はいよいよ93歳の誕生日です。
孫のマメコ記す
2009年08月16日
あと3ヶ月
約3ヶ月ぶりの投稿になりました。
その後の祖父フクヲは、肺炎を繰り返し、一時は危ない状態になりましたが、ここしばらくは落ち着いた状態が続いています。
このまま行けば、93歳の誕生日を迎えられるかもしれないと、主治医である夫が話していました。
それが現実になりますように…。
その後の祖父フクヲは、肺炎を繰り返し、一時は危ない状態になりましたが、ここしばらくは落ち着いた状態が続いています。
このまま行けば、93歳の誕生日を迎えられるかもしれないと、主治医である夫が話していました。
それが現実になりますように…。
孫のマメコ記す
2009年05月05日
花見
その後の祖父フクヲは、発熱が続いたり、呼吸の状態がよくなかったり、最近になって薬を飲めなくなったりと、あまりいい状態ではありません。
会話もほとんどできなくなってしまいました。
今日は以前から伯父(隆文=フクヲ長男)が希望していた「お花見」が実現しました。
外出許可をもらい、ほぼ寝たきりの状態となった祖父を、スタッフの方々総出で車椅子(リクライニングできるやつ)に移動させてもらって、祖母久子、伯父、母(優子=フクヲ長女)、私(孫その1)家族、妹(孫その2)家族で、病院の近くの公園に行って来ました。
祖父が外に出るのは、去年10月に今の病院に入院してから初めてのことです。

公園の入り口の桜を見せているところです。
祖父は目を開けて桜を見て、「桜見れてよかった」と言っていました。
いつもは声を出しても、なかなか聞き取れないのですが、この時ははっきりと喋っていました。

フクヲ、隆文、優子の親子3人、桜の木の下にて。
この連休中はとてもいい天気で、桜も散り始めていて、この木は葉桜になりかかっていました。
祖父の体調はやはりあまりよくなく、外出中もほとんど眠っていたような状態だったので、20分ほどで戻って来ました。

「お花見」から帰って来て、皆に「よかったねえ」と声をかけられているところ。
今日は午後から天気が悪く、肌寒かったのですが、祖父が外出している間だけ、何故か急に雲と風がなくなって暖かくなり、絶好のお花見日和となりました。
(↑実は私が強く念じたおかげです…w)
これが最後になるかもしれない「お花見」ができて、今日は本当によかったです。
会話もほとんどできなくなってしまいました。
今日は以前から伯父(隆文=フクヲ長男)が希望していた「お花見」が実現しました。
外出許可をもらい、ほぼ寝たきりの状態となった祖父を、スタッフの方々総出で車椅子(リクライニングできるやつ)に移動させてもらって、祖母久子、伯父、母(優子=フクヲ長女)、私(孫その1)家族、妹(孫その2)家族で、病院の近くの公園に行って来ました。
祖父が外に出るのは、去年10月に今の病院に入院してから初めてのことです。
公園の入り口の桜を見せているところです。
祖父は目を開けて桜を見て、「桜見れてよかった」と言っていました。
いつもは声を出しても、なかなか聞き取れないのですが、この時ははっきりと喋っていました。
フクヲ、隆文、優子の親子3人、桜の木の下にて。
この連休中はとてもいい天気で、桜も散り始めていて、この木は葉桜になりかかっていました。
祖父の体調はやはりあまりよくなく、外出中もほとんど眠っていたような状態だったので、20分ほどで戻って来ました。
「お花見」から帰って来て、皆に「よかったねえ」と声をかけられているところ。
今日は午後から天気が悪く、肌寒かったのですが、祖父が外出している間だけ、何故か急に雲と風がなくなって暖かくなり、絶好のお花見日和となりました。
(↑実は私が強く念じたおかげです…w)
これが最後になるかもしれない「お花見」ができて、今日は本当によかったです。
孫のマメコ記す
2009年03月21日
術後3ヶ月
3ヶ月ぶりの投稿になってしまいました。
12月11日の左足切断手術後は、心配していた合併症も起こらず、とても順調に経過しています。
術後全くブログを更新していなかったので、心配された読者の方もいるかと思います。
申し訳ありませんでした。
食事は相変わらず少量しか摂らず、必要な栄養のほとんどを点滴で補っている状態ですが、それなりに元気です。
一時はかなり褥瘡(床ずれ)がひどかったのですが、もう少しで治るところまで来ているそうです。
心配していたのは肝臓癌の方で、最初は余命は3ヶ月と言われていたので、覚悟していましたが、気付いてみたら、もう5ヶ月以上も経っていました。
CTを撮ってみると、昨年10月の入院時とほとんど大きさが変わっていないとのことでした。
伯父(隆文=フクヲ長男)は当初、「せめて、来年(今年のこと)の花見だけはさせてやりたい」と言っていましたが、それが実現可能になりそうです。

昨日、久しぶりに娘(フクヲ曾孫)を連れて、お見舞いに行って来ました。
お風呂の準備のため、裸で失礼します…w
12月11日の左足切断手術後は、心配していた合併症も起こらず、とても順調に経過しています。
術後全くブログを更新していなかったので、心配された読者の方もいるかと思います。
申し訳ありませんでした。
食事は相変わらず少量しか摂らず、必要な栄養のほとんどを点滴で補っている状態ですが、それなりに元気です。
一時はかなり褥瘡(床ずれ)がひどかったのですが、もう少しで治るところまで来ているそうです。
心配していたのは肝臓癌の方で、最初は余命は3ヶ月と言われていたので、覚悟していましたが、気付いてみたら、もう5ヶ月以上も経っていました。
CTを撮ってみると、昨年10月の入院時とほとんど大きさが変わっていないとのことでした。
伯父(隆文=フクヲ長男)は当初、「せめて、来年(今年のこと)の花見だけはさせてやりたい」と言っていましたが、それが実現可能になりそうです。
昨日、久しぶりに娘(フクヲ曾孫)を連れて、お見舞いに行って来ました。
お風呂の準備のため、裸で失礼します…w
孫のマメコ記す
2008年12月11日
手術成功
今日、祖父フクヲは左足切断の手術を受け、無事終了しました。
手術自体はうまく行きましたが、整形外科の先生によると、術後の痛みで1週間くらい具合が悪くなる可能性があることや、切断部の感染症や縫合不全も起こりうるということで、術後2〜3週間は注意が必要とのことでした。
でも、ひとまず危険な手術を無事乗り切ってくれて安心しました。
術後も、持ち前の気力と体力で順調に回復してくれると信じています。
手術自体はうまく行きましたが、整形外科の先生によると、術後の痛みで1週間くらい具合が悪くなる可能性があることや、切断部の感染症や縫合不全も起こりうるということで、術後2〜3週間は注意が必要とのことでした。
でも、ひとまず危険な手術を無事乗り切ってくれて安心しました。
術後も、持ち前の気力と体力で順調に回復してくれると信じています。
孫のマメコ記す
2008年12月07日
手術に向けて
その後、祖父フクヲの病状は落ち着いています。
一時は36kgまで減った体重が、点滴の力で41kgまで増え、顔もげっそりしていたのが、少し肉が付いてきて、元の祖父の顔に近づいて来ているような気がします。
ただ、一見元気に見えるのですが、主治医(夫)よると、左足の感染症が悪化してきたと言います。
せっかく元気になったのに、このままでは再び感染症により命が危険にさらされる可能性が高いとのことで、やはり足を切断するしか方法はなくなりました。
今の足の状態を伯父(隆文=フクヲ長男)が見て、手術を決意しました。
祖父も、「ここまで生きて来られたんだから、悔いはない。手術を受けて、車椅子に乗れるようになりたい」と言っています。
さらに最近では、「松葉杖をついて歩きたい」とか、「酒が飲めるようになりたい」(今は飲ませていないので)とまで言うようになりました。
一時危なかった時は、「ここまで生きて来られたんだし、悔いはない。だからもう何もしなくていい」と、投げやりになっていたのが、元気になった今ではとても前向きに考えていて、看護師さんたちもみんな「すごいね〜」と驚いていました。
何といっても92歳で、手術には相当の危険が伴いますが、祖父のこの気力で何とか乗り切ってくれると信じています。
手術日は12月11日です。
一時は36kgまで減った体重が、点滴の力で41kgまで増え、顔もげっそりしていたのが、少し肉が付いてきて、元の祖父の顔に近づいて来ているような気がします。
ただ、一見元気に見えるのですが、主治医(夫)よると、左足の感染症が悪化してきたと言います。
せっかく元気になったのに、このままでは再び感染症により命が危険にさらされる可能性が高いとのことで、やはり足を切断するしか方法はなくなりました。
今の足の状態を伯父(隆文=フクヲ長男)が見て、手術を決意しました。
祖父も、「ここまで生きて来られたんだから、悔いはない。手術を受けて、車椅子に乗れるようになりたい」と言っています。
さらに最近では、「松葉杖をついて歩きたい」とか、「酒が飲めるようになりたい」(今は飲ませていないので)とまで言うようになりました。
一時危なかった時は、「ここまで生きて来られたんだし、悔いはない。だからもう何もしなくていい」と、投げやりになっていたのが、元気になった今ではとても前向きに考えていて、看護師さんたちもみんな「すごいね〜」と驚いていました。
何といっても92歳で、手術には相当の危険が伴いますが、祖父のこの気力で何とか乗り切ってくれると信じています。
手術日は12月11日です。
孫のマメコ記す