July 2011

July 31, 2011

海外視察初日 チェンナイ市内観光+インドの躍動

昨日の夕方に帰国した。現地を出る時に飛行機の出発が二時間遅れた。経由地のバンコクでの接続がもうダメかと諦めかけていたのだが、飛行機が若干、早めに着いた事とバンコクでのタイ航空のスタッフの方々の努力もあってカウンターをパスして、航空券をレシートで出してもらい、ぎりぎりで予定通りの便に乗り継ぐ事が出来た。心配していた荷物に関しても問題なく成田まで運んでくれたので、遅れたのだが遅れていない状態で帰国出来た。毎度ながら、飛行機が遅れないという脅威の運の力で何とか乗り切り、久しく食べていない日本食を食べて、やっぱり日本はご飯が美味しいな・・・としみじみ感じた。今日はゆっくりして行きつけのお寿司屋さんでランチを食べて、主張中に使ったシャツ等のものをクリーニングに出す。インドと比べてなんて落ち着いた町なんだと感じていたのだが、インド的な町自体が活気に溢れているというものはなかった。

初日は朝に成田空港まで向かい、お昼の便で一旦、プーケットまで行き、そこからバンコクに行って、バンコクからチェンナイへと向かうルートを取る。バンコク空港はその日は豪雨で着陸が出来ずに何度かバンコク市内周辺を旋回する。機長の判断と気合いで、バンコク空港に着陸し、着陸した時には全員立ち上がって、機長の勇気と技量を称えた。バンコクは色んな国から人が来ているし、新しい空港は近代的でとても綺麗なので、そこまでは良かったのだが、そこから先のチェンナイ行きの便の待合室には丸顔で色黒いタミル人がほぼ全てで何とも不思議な空気というか、俺、一人だけ浮いてるのかな・・・と独特の緊張感を感じた。豪雨という事もあり、出発も遅くなって、チェンナイの空港についた後、まずは両替をして、既に1時を過ぎていたので、ホテルへと向かう足の確保を考えた。ホテルまで行くための前払い式のタクシーを調達してホテルへと向かう。

車もエアコンが付いている訳ではなく、窓も昔の様に手で回して開ける。立ち上げたばかりの会社にしては大きなお金を投資して日本からはるばるチェンナイに来たのだ。チェンナイ市内のホテルに向かう途中にこれから起こる事に対して期待をした。その日は何も出来ないので、とりあえず寝る。翌朝から何時もやっている市内の観光を行った。事前に確認しておいた地図を頼りに町を旅する。翌日の集合場所となっているホテルに向かおうとするといきなりオートリキシャの運転手から乗らないかといわれるが、自分の足で現地に向かってみたかったので、断る事にした。何度も声をかけられて、思った以上に距離があると思ったので、安ければ乗るよと一台と話をして乗る。途中から買い物客用のショッピングセンターに行きたいと言ってきたので、絶対に行くなと断って降りる事にした。そこから何処に自分がいるのかさえわからない状態に陥ってしまう。

そこで道がわかりそうな地元の警察官風のオッサンに聞いて、歩いていくと目的地と同じ名前のホテルに着いて、そこで事情を説明すると現地の詳細な観光用の地図をもらった。そこから歩くと目的地まで距離がそれなりにあるので、リキシャを調達し、交渉して目的地に運んでもらう。ホテルを確認してから、寺院やショッピングセンター、路地裏、貧民窟等を見ていく。屋台はお腹にかなり危ないので、ショッピングセンターで火の通った日本人でも食べられる現地の人達と同じものを食べた。とにかくチェンナイ市内の地理を徹底的に体にしみこませるために歩き続ける。20キロ以上は歩いたのだろうか、電車に乗ったり、色んな事をしてチェンナイ市内の主要な場所と距離感を実感した。最後はオートリキシャで宿泊しているホテルに戻り、シャワーを浴びて、牛から色んな動物と道に溢れる位に人がいるインドの初日を終えるために休む事にした。

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July 20, 2011

1000人いたら考える人100、行動する人10、成功する人1 営業に営業し、思考を事業の種とする

今日も自宅で調整を行った。海外出張が連続する事と被災地を向かうという段取りを進めて行く。HISの専用デスクにオーダーを投げて、営業心理をついて完全に味方にしてしまう。俺のやり方は売り込みにきた営業の能力を引き出して、買い物をする際に付加価値をつけさせる。企業の商品の競争力は営業マンの力+商品の力なので、優れた営業マンにしてしまい、好条件で取り引きを成立させたらそれだけでこちらが得をするのだ。競争相手になる前提を伝え、こういう条件を整えたら売り上げになると伝える。条件を超えられなければ取り引きは成立しないから見積もりを出す必要がないので、双方共に手間を省ける。自分が営業マンだった時の事を振り返って最高のお客さんになってあげるのだ。こちらが付き合い易い客だと営業マンは訪問回数が増えて対応が迅速になる。粗利は低いが、楽に商売が出来て手間がかからない優良顧客になる。

今日は洗濯機の修理の方がふいに来てくれて明日の予定を一日早めて綺麗に修理してくれた。かれこれ5年位の付き合いだろうか、俺の事をたいそう気に入ってくれて彼の親友で才能のある人物を引き合わせたいと紹介してくれた。その方と話したのだが、俺の事をとても有難い存在だと思ってくれて、非常に感銘を受けてくれた。修理をやっている方に俺がやっている事業の話をしてどうやって儲けるのか考えるヒントを与えた。私には俺の様に考えるのは難しいとあったので、次の話をした。1000人いたら考える人100、行動する人10、成功する人1という確率だろう。つまりその差は何かというと時間をどういう形で使い、自分が1になる事を確信しながら努力を続けられるかどうかだと説明した。殆どの人は目の前の仕事を片付けてそれで満足している。彼に俺は人の目のつかない所で本を読み勉強をしていたが、殆どの人は休憩中は携帯をいじるか寝るかで時間を使う。

作業している間も頭は自由に動かせるので、どうすれば改善出来るか、何が問題ないのか考える事は出来るし、考えれば発想力を研く事が出来ると伝えた。発想を研いて、それを実行した場合はどうなるのか現実に応用した場合の経験を得ていれば理に適った物事を本質に即して考える事が出来る。後は人の縁とかその人の人柄で成功を掴むだけのものを持つかどうかそこに尽きる。やらねば何も生まれない、やり続けて信じ続ける事で可能性は残る。俺の他の事業に対する考え方や様々な事を話をした。彼にも言われたのが、俺の話は嫌味に聞こえない。自分は出来る、賢いと自信たっぷりに言うと大半は反感を持ってしまうのだが、人徳の成せる技か聞いていても素直に受け入れられるし、且つわかりやすいと言われた。彼は理解の限界に来たので、話をそこでおさめ、仕事に戻っていったら、何時も彼の様な存在が俺の助け、俺を強くするのだと考えた。



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July 19, 2011

リスク管理能力の落とし穴 インド、上海、香港連続海外出張の準備

今日は色々と事務的な仕事を行った。独立してから半年以上が経過してあっと言う間に年月が流れた。今年はもう半分を切った。色んな事に積極的に取り組んできた結果、実になりそうなものもあったし、実にならなかったものもあった。取り組んできたものについては俺は出来る限りの事はしてきた。何時も感じるのは言ったらきりがないが、リスクをはかる時に相手の中に想像力がない、もしくは新しい事に取り組む事から逃げているため、何をするにしても無駄だという事。とある所とやり取りをしたが、他人が踏み固めて100%安全だという所で二番手を競うとこしか興味がない所があった。いい年をした子供もいる人が考えた結果がこれなのかと本当に疲れてしまった。制度のせい、時代のせい、他人のせい、言い訳をしたらいくらでも出来る。何十年という思考停止状態がこれ程、人間の想像力を蝕むのかと思うと本当に恐ろしくなった。

生きているって事は同時に苦しいが楽しさもある。楽しさは創造力の賜物だ。楽しさがあると信じていられるから苦しさにも耐えていける。日本がかつてない危機に瀕しており、このままいくと本当に落ちる所まで落ちていく。悲惨な事件は留まる事を知らないし、事件の根絶には一人一人が自覚を持って取り組むしかないんだ。前向きにものを考え、想像し、大きな試練に打ち勝つ力を持たないと人間は成長出来ない。成長せずに惰性で生きていけば身も心も腐っていく。かつて希望に旨を含ませていた活力はなくなり、体に力が漲らなくなってしまう。そうした状態は子供に遺伝して、全体が衰退に向かう。俺は幼い頃、大人の堕落した姿に絶望した。子供の道理を弁えているものなら大人の姿はわかる。言い訳を並べる状況を見て、自分だけは何が何でも腐るまい!と情熱を燃やした。精神力を持続させるには志を共にする仲間の存在が大きい。

今週末からインドに向かう。インドでの宿泊場所や訪問しようと思っているところの資料を見たり、日本にいながらやるべき事はたくさんある。インドでかなりの経験を積んでくるつもりだが、帰国して早々に上海と香港への旅に出ようと思う。今までは一都市を訪問して周囲を巡るだけだったが、今回は連続して回る。自分としては行動に慎重さは必要だが、自分に言い訳をして躊躇する事は許されない。ここで俺が臆したら、前に進まない人間への批判はそのまま自分に返ってくるし、俺が打ち立てた大義は粉々に砕け散る。やると決めた以上は何が何でも成果を実現し、世間に真価を問わねばならない。こんな感じで真剣に打ち込む様に俺はしているが、ここまでやる人間はそれ程いないので、昔から選抜される度に感じてきた複雑な疎外感を感じる。そうした自分に対する情も断ち切らねば真のリーダーとは言えないという事は頭ではわかっているのだが。



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July 17, 2011

ジョージ・ブッシュと中曽根・橋本元総理、瀬島龍三から認められた孫子の兵法書の大家を訪ねて 香取神宮・鹿島神宮参拝

土曜は朝から中国で御世話になっている凄い人脈を持っていらっしゃる方の先輩で、ジョージ・ブッシュと中曽根・橋本元総理、瀬島龍三から認められた孫子の兵法書の大家がいらっしゃるので、訪ねると良いと言われていたので訪ねる事にした。この方とのアポイントは中々取れなくて、そもそも電話が全然繋がらなかった。とある俺の飼主でもある人物に予定を聞いてから連絡するとあら不思議、一発で電話が繋がり、アポイントが取れてしまった。これは何かの画策か・・・と思いつつも何時もの事だからと割り切る事にした。飼主と合流し、電車で現地に向かう。早めに現地入りして予定の時間になったので電話をかけたが電話が繋がらない。うーんどうしようと思い、しょうがないから歩いていくもしくはタクシーでと思っていたら電話が繋がり、車で迎えに来て下さる事になった。それらしき人物がいらしたので確認をしてから車で先生のご自宅に向かう。

壁が赤く不思議なお家だったのだが、まあいいかとそこは流して先生と話をする事にした。先生だけかと思いきや家政婦っぽい方がいらして奥様かお手伝いさん?と思いながら流して、飲み物と何故かお団子を出して頂いて先生との話を続けた。俺が何時も話している独立したきっかけや今の日本に対して思う事、自分としてどういう事を取り組むのか等の話をした。すると外野から声がかかり、掃除のオバサンと思っていた方が本性を現して、先生、ついに先生の研究を受け継ぐ方がいらっしゃりましたと言い始めた。思わぬ伏兵にさすが孫子の兵法書の大家の家と思っていたら、先生はケンブリッジ大学から世界の賢人として認められ、孫子の研究に関しても多大な業績を残したという事で中国政府から感謝されており、天皇陛下に評価して頂くために賞の準備やらジョージ・ブッシュ、中曽根・橋本の歴代の総理経験者から送られた感謝状等を見せて頂いた。

其々直筆のものがあり、中には瀬島龍三のものがあった。そのオバサンが止まらなくて俺の事をみた瞬間、ずっと只者ではないと思っていたので、話をずっと聞いていたらしい(笑)日本の本当の資産家達の話とか色々と話が始まり、このオバサン、業界の方なのか・・・と理解した。飼主の方にも食いついて俺達はかなり気に入られた。先生は本当に欲のない方で、家も実は高幡不動の大僧正に買ってもらったらしい。オバサンは日本の貴重な財産である先生を世界的に有名にするために奔走している様で、オバサンの押しの強さもあり、結局、孫さんの師匠に引き合わせる事になった。時間になったので、先生に駅まで送って頂き、オバサンと方向が同じだったので、一緒に帰った。飼主の方がオバサンに気に入られて漢方の話とか業界の話をする。俺は聞きなれているし、またキャスティングされたのか・・・と思って二人のやり取りをみていた。

今日は朝からバスで香取神宮へと向かう。香取は軍神と龍神を奉っており、いずれ訪れようと思っていた所だ。インドに行く前に参拝しておきたいと思い、占い師の先生に訪問する日時の啓示をお願いして、今日の日が吉ですと出して頂いた。今日は本当に暑かったが、要石からきちんと見回り、同時に願掛けを行った。願う事は何時も決まっていて自分を含めた周囲の安寧と幸福、日本の再生と世界の平和だ。香取を終えて、30分以上を炎天下の中、ひたすら歩いて香取駅に着く直前に電車が行ってしまった・・・一時間に一本しかないので、利根川を観に行って更に時間が余ったので、駅でだれる事にした。一時間後に電車が来たので、電車で鹿島神宮に向かう。鹿島神宮では塚原卜伝を道中見て、境内に入っていった。鹿島も香取と同じ様に殆どの所をきちんと見てから拝んでいく。拝んだからと言ってどうなる訳ではないが、自分の思いを強くするために願った。

また香取・鹿島を見る目的は我が家に伝わる古代の伝承を考える際のヒントを得るためにきた。我が家は諏訪大社を護っていて、諏訪と言えば香取・鹿島と並んで軍神と龍神を奉っており、出雲にも関係がある。輪廻転生も関係なく、全ては現世の問題だけで完結するとは思えないし、少なくとも近くの祖先のカルマは子孫として受け継ぎ、また受け止めねば本当の人生というのは見えてこないので、この訪問に俺としては意味があると感じた。鹿島神宮を見終わってから周囲にあるかなり古いお寺や禅寺、中臣鎌足縁の神社等を回っていく。炎天下の中で随分と歩き、体は日焼けしてしまって随分と黒くなった。インドに行けばもっと黒くなってしまうだろう。もうクタクタで喉が渇いてきた所に東京駅行きの高速バスの停留所が見えてきた。バスの中で涼んでいると噴出した汗が結晶となり、塩が出てきていた。東京駅に着いてから夕食をとり、そのまま家路についた。

瀬島龍三
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E5%B3%B6%E9%BE%8D%E4%B8%89
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July 16, 2011

中国・インド市場攻略、KWE販売の農水水産省補助事業(輸出課題対策)、坂本龍馬の志を継ぐ者と政経倶楽部@東京21cクラブ交流会&お誕生日会

木曜日は朝からインドのビジネスビザの申請のために手続きを行いに行った。手続きをした際に印刷した文字が少し薄かったためにもしかしたら不可とされるかもしれないと事務員の方に注意された。その時はその時だと思い、手続きを終えて、近鉄エクスプレス販売さんが農林水産省の補助事業(輸出課題対策)として実際にどうやって販売をして課題が何処にあったのか発表する会を開かれたので、話を伺う事にした。これは本当は3月の下旬に行う予定だったのだが、震災の影響があって3ヶ月程延期された。参加されている方はこうした事業に関心のある方ばかりなので、ご挨拶をさせて頂く。俺の前職の会社の事を良くご存知の方が多かったので、自分がこの輸出事業に関わっている事に関して話が早かった。話の内容は近鉄エクスプレス販売のホームページに記載されている。主にドバイと台湾での販路開拓の話であった。

帰り際、俺に声をかけてくれる方がいらして話をしてみたら、こういうものが調達出来ますか?とあったので、調達できますよと答えたら喜んでくれた。またキャスティングなのか???と疑問がよぎったが、商売としては悪くない話なので引き受ける事にした。その後、海外を主な対象とする有名な投資会社に訪問した。その会社は元々、経済産業省のキャリアの方からの紹介がきっかけで知る事になるのだが、かつて別の会場で挨拶だけした方が実は窓口として出てこられた。その方と中国出身で一橋を出た女性と話をする。中国事業に力を入れておられるので、我々の取り組みを説明し、後は個別に仕事をしていきましょうという事になった。そことの打ち合わせを終えて新丸ビルに向かう事にした。その日は東京21cクラブの交流会に参加するために来たのだが、会が始まるまでに時間があったので待っていたら誕生日おめでとうとの連絡をたくさん頂いた。

会が始まってから色んな方と話をさせて頂く。アメリカ人の方と話をさせて頂いて、その友人のCAの方と話をしているととあるアジア経営者連合会で仲良くさせてもらっているTさんが乱入してきて、彼、日本人っぽくないでしょう(笑)と言って、面白いから付き合った方が良いよと言ってくれた。彼等も日本人ではなくアメリカ人的な前向きさの俺の性格と考えがとっても好きになった様でとても好意的に受け止めてくれた。色んな方々と挨拶をさせてもらっている仲で、鹿児島出身の方で綺麗な方がいらしたので話をした。かつて女優をされていた様で、今はタレントを辞めて民間企業で働いている方だったが、俺と鹿児島の繋がりと三州倶楽部のオトウサン達の直伝の鹿児島弁で話すと非常に興味深く聞いて頂いた。やたら気に入って頂いて、彼女と非常に仲が良いとある資産家を紹介して頂くとの話になったので、俺も三州倶楽部の会合に参加出来る様に取り計らう事にした。

その後、また前述の方が乱入してきて、上場直前のとある会社の社長を紹介してもらう。その方は坂本龍馬の志を継ぐ者を育てようとしていて、日本の創生のために政経倶楽部の中心人物の方だ。百度の有名な方も来ていたのだが、日本に否定的な見通しをもたれていたのを嘆いておられ、この国はこれからどうなるのだ・・・と感じておられた所に俺がこういう活動をしていて、元々船会社で、曽祖父のルーツが実は高知の医者の家系で、父方が長い歴史を持つ武士の家系でと説明するとここに探していた人物がいたよとサマルトリアの王子を見つけた位に驚かれた(笑)俺がどういう戦略を描いているのか、逆梅屋庄吉的に中国での事業を成功させて日本の創生のための資金を調達させると話すと33歳で梅屋庄吉をかくも語れて、坂本龍馬の再来の如き人物と巡り会えるとは・・・と大変喜んでおられ、知事に立候補しないか最大限支援すると仰った。

私の天命はしばらくは実業家として大成する事で縁もない天命と異なる事をした所で何も成功しないときっぱりと断った。日本人を中国人が見下すならそれはそれで結構、戦前の愚かな軍部が行った愚行の二の舞になるし、相手が慢心するのは相手の勝手、我々は強かに中国から学び、かつて梅屋庄吉が貸した金を回収して真の開国を実現し、時代を新しい世界に進めるのが大切な事ですと伝えた。私はいずれ大きなお金を手にする事が出来る宿命ですし、早晩、国政に出て行かざるを得ないでしょう。私自身が現在、日本が抱えている全ての問題を解決し、日本を世界最高の国家に押し上げていきますと話をした。その方から是非、飲もうと誘われてまたキャスティングか、話が出来すぎだろうと思いつつもこれをやれるのは俺しかいないから主役になりきって自分の天命を全うしようと思った。その後、他の方々にも話をさせてもらい家路についた。

昨日は洗濯機の修理を行ってもらい、何時も来て下さる修理の方と話したら、彼の友人で才人がいるので是非、紹介したいと言われたので、キャスティングかと思い、はいわかりましたと答えた。その後、無事にビジネスビザを発行してもらい、新丸ビルに向かって人気のお店で席取りを行う事にしたら何と一席だけあいていた。そこに仲の良いメンバーに集ってもらい、お誕生日会として最近の近況を含めて話をする。俺の人生にとって重要人物が来たので、皆にその人物を紹介した。それとブログに書けない話をさせてもらい、皆の近況と今後の展開を聞いて場所を移して新丸ビルのテラスで話をする。ここ最近は何故かKO出身の人と仲良くなる割合が多く、参加者の半数以上がKO卒だった。33歳になってとにかくまずは事業を安定させて一つ一つの新しい挑戦を形にしていく、そのために協力をお願いしたいと伝え、終電が近付いてきたので帰る事にした。

近鉄エクスプレス販売
http://www.kwesales.co.jp/

東京21cクラブ
http://www.tokyo21c-club.com/open/index_f.html

三州倶楽部
http://sanshukurabu.or.jp/about_sansyukurabu.html

政経倶楽部
http://www.seikei-club.jp/details/about.html

梅屋庄吉
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E5%B1%8B%E5%BA%84%E5%90%89

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