2011年03月20日
第102回ミラノ-サンレモが開催れました
スタート前、日本の国旗に応援のメッセージを書き込む参加選手たち。
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スタート地点には日本の国旗が掲げられ、急遽参加が決まった唯一の日本人選手にして日本チャンピオンの宮澤崇史さんに手渡され、黙祷の際に涙ぐむシーンが印象的でした。
チームメートのイタリア人チャンピオン・ビスコンティ選手に肩を抱かれる宮澤選手
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そんな風に舞台が整えられた宮澤選手の大和魂が漢レースを見せました。
このミラノ〜サンレモはプロのロードレース中で最長の298キロ。
通常のレースならば長くて260キロ程度、普通は200キロ前後、日本のレースなら160〜180キロ程度のレースが普通。 そのなか、スタートから10キロ地点で逃げを決めて、200キロ地点まで4人で逃げておりましたが、山を登るところで追走集団に飲み込まれました。
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普通ならここで目立ったことでお役目終了なのですが、炎の闘魂となった宮澤選手は、チームメートのために追走集団の先頭になって逃げ集団を追い始めます。 いわゆる「曳き」の役目を背負ったのです。 時速50キロ以上でトレインを牽く宮澤選手の気迫が魅入られたのか、カメラバイクが張り付きます。 すると、宮澤選手が引く前は先頭集団と追走集団のたいむ差が1分40秒だったのに、あっというまに1分10秒と30秒も縮めました。 もうコメンタリーは大興奮。 贔屓の引き倒しですけれど、あの熱い走りを見て興奮したファンも多かったのではないでしょうか?
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そして、筋書きのないドラマは、気配を消していた24歳なのにオヤジ顔のゴス選手が優勝。 そのゴールラインには、日本を応援するためのペイントまでされてました。 どんだけ日本を応援してんだイタリアは!(泣)
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レース主催者と参加選手と宮沢選手の熱い思いに、奮い立った自転車レースファンは多かったに違いありません。
このミラノ〜サンレモはプロのロードレース中で最長の298キロ。
通常のレースならば長くて260キロ程度、普通は200キロ前後、日本のレースなら160〜180キロ程度のレースが普通。 そのなか、スタートから10キロ地点で逃げを決めて、200キロ地点まで4人で逃げておりましたが、山を登るところで追走集団に飲み込まれました。
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普通ならここで目立ったことでお役目終了なのですが、炎の闘魂となった宮澤選手は、チームメートのために追走集団の先頭になって逃げ集団を追い始めます。 いわゆる「曳き」の役目を背負ったのです。 時速50キロ以上でトレインを牽く宮澤選手の気迫が魅入られたのか、カメラバイクが張り付きます。 すると、宮澤選手が引く前は先頭集団と追走集団のたいむ差が1分40秒だったのに、あっというまに1分10秒と30秒も縮めました。 もうコメンタリーは大興奮。 贔屓の引き倒しですけれど、あの熱い走りを見て興奮したファンも多かったのではないでしょうか?
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そして、筋書きのないドラマは、気配を消していた24歳なのにオヤジ顔のゴス選手が優勝。 そのゴールラインには、日本を応援するためのペイントまでされてました。 どんだけ日本を応援してんだイタリアは!(泣)
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レース主催者と参加選手と宮沢選手の熱い思いに、奮い立った自転車レースファンは多かったに違いありません。