本当なら、2か月近く前に今回のブログをアップする予定でしたが、精神的になかなか書けなくて年を越してしまいました。

眠れそうもないので、アップしようと思います。

2012年11月26日は妻の百箇日でした。

亡くなった日から百日目のことを指しますが、またの名を「卒哭忌」と言うそうです。



サイト http://5go.biz/kankon/r12_1.htm によると


百箇日の法要

四十九日までは、七日目ごとの法要を行うわけですが、その後は百箇日の法要となります。
この間、お盆や彼岸などが入る場合もあります。
百箇日は卒哭忌(そっこくき)ともいいます。「哭」は、声をあげて泣きさけぶ、「卒」は、終わる、という意味です。故人を思い、泣き悲しんでいた親族や近親者たちも泣くことをやめる頃、それが百箇日を迎える頃だ、ということから卒哭忌といわれるようになったのです。
この日は、元来は、近親者や故人の友人・知人を招き、僧侶を招いて供養を行うものなのですが、最近は、遺族だけで内輪ですませることが多いようです。
この百箇日の法要をお寺などで正式に営む場合には、故人の供養とともに施餓鬼会(せがきえ)を行う習わしもあります。
また、地方によっては、四十九日ではなく、百箇日に位牌を仏壇にまつるところもあるようです。



とのこと。

「卒哭忌」辺りから、親族が故人を偲んで泣き叫ぶのをやめるらしいのですが、私は逆にその頃から苦しみが増大してきて今も夜になると泣き悲しむ日が続いています。

正直、ここまで人の死にダメージを受けるとは思いませんでした。

というのも、祖父母が亡くなった時、高校時代の同級生が大学に入って登山中に事故で亡くなった時、従兄弟が仕事中にショッキングな事故で亡くなった時も、確かに悲しみましたが時間とともにその悲しみは薄れていきました。

そのため、私は人の死に関してはドライな性格なのだと思っていました。

しかし、妻の死に関しては亡くなって5か月近く経った今も悲しみというより苦しみが薄れることはありません。

今後生きていくうちで、おそらく妻の死以上にダメージを受けることはないと思います。

語弊があるかもしれませんが、実両親が亡くなったとしてもここまでダメージはないと思います。

苦しみが薄れないのは、彼女を忘れてしまうことが怖くて、彼女とのメールのやりとりや彼女といっしょにいた時間のことを思い出しているせいかもしれません。

でも、何があってもそれは忘れたくない。

そして、いつも頭の中でぐるぐる回っているのは、「なぜ彼女が亡くならなければならなかったのか」ということ。

プライベートでも仕事でも頑張っていた彼女。

結婚してしばらくして私が鬱になり自宅療養、入院生活を繰り返していても、そばで寄り添っていてくれた彼女。

周りに鬱の人がいる方はご存じかもしれませんが、鬱の人って周りの人を振り回してしまうんですよね。

私はそれで、親しかった友人2人と疎遠になりました。

でも、彼女は寄り添っていてくれました。

まだ新婚生活中でしたから、いきなり人生設計がくるってしまったわけで、彼女から離婚を求められてもやむを得ない状況でした。

そればかりか、当時は埼玉に住んでいましたが、休みの日になると入院先の練馬、そして次の入院先の福島へは新幹線でお見舞いに来てくれました。

そして、彼女に乳がんが発覚すると、ホルモン療法を受けるので子供を授かるのが難しくなるため、彼女自ら離婚してくださいと言ってきました。

そこまで追い込まれながらも、その後手術、放射線治療をして社会復帰。

仕事に復帰してからは、上司から管理職への昇進の話を頂いたのですが、「定期的に通院する必要がありフルに働けないので、周りのみなさんに迷惑をかけてしまう恐れがあるため辞退させていただきます」と断ったくせに、終電まで仕事をすることがたびたびあったり。

毎週通院して、(3週間に2度)午前中に抗がん剤を投与して、午後から出社。

抗がん剤の種類、患者との相性にもよりますが、抗がん剤打つとフラフラになります。(これも時間差がありますが、仕事の両立というのは大変なことです)

それを何年も続けて、頑張ってきたのに、今回のような最後を迎えるなんて・・・。

○2012年8月12日に入院し、これが最後の入院となりましたが、その前日の彼女のメールは

「今日は体調最悪」 ←いつもこんな弱気なこと言わないのに。
「大丈夫。明日少し回復するように祈っていて。あとおじさんも元気でいることが一番です」 ※おじさんとは私のこと

○入院当日早朝のメール

「昨日と変わらず。ゴンちゃんとおじさんが元気ならいい。」 ←ゴンちゃんはうちで飼っているハムスター。
                                     8代目のハムで、初めて彼女が名づけ親

○入院翌朝のメール

私「少しはよくなりましたか?今日は夕方お見舞いに行きます。」 彼女「はい、ごめんね」 ←ごめんなんていう必要はこれっぽちもないのに。この時点でメールを返すのがなんとかという状態でこの後私がメールしてもレスはなく、これが最後の返事となりました。

泣いてしまうのはわかりきっているのに、毎晩ベッドに入ってからこれらのやりとりを携帯で見返すと、涙があふれ出してきます。

また、最後の入院の時は、日増しに意識がうつらうつらとなっていったのですが、最後に私の目を見て遺してくれて言葉が、「ありがとね」「ごめんね」でした。

彼女に感謝され謝られるより、私のほうが感謝して謝らなければならないことのほうがよっぽどあるのに・・・。

そして、以前のブログにも書きましたが、長い間ベッドの上で横になっていた彼女が座りたがったので、ベッドの横に足を出して座っていた時に倒れないよう私が寄り添っていた際、主治医から言われた厳しい言葉を思い出して号泣してしまった私に対して、背中をぽんぽんして「大丈夫、大丈夫」って・・・。

6/26に自宅から実家へ帰る際も彼女の様子がおかしかったから、強引に腕を組んで送って行った時も弱弱しい口調で「大丈夫、大丈夫」って言っていたんですよね。

で、歩いて数分で痙攣しながら崩れ落ちました。

大丈夫じゃないのに、いつも無理して「大丈夫」なんて言うんだもん。

彼女が弱音を吐かない性格なのは知っていたはずなのに、なぜもっとしっかりフォローしてあげなかったのか。

なぜ、強制的にでももっと早い段階で会社を休職させて治療に専念させなかったのか。

彼女がなかなか動かないなら、彼女の上司に訴えかけるという手段もあったのに。

心のどこかに、仕事もして普通に生活しているんだから・・・という油断があったのかもしれない。

彼女のやりとりを思い出して苦しくなるとともに、自分がいかに彼女をフォローするための努力をしていなかったかで自己嫌悪に陥ります。

そして、この苦しい気持ちの状態をずっと耐え続けていかなければならないのか・・・・。

苦しいのは以前は起きている時だけだったのが、最近は夢の中でも彼女を失って泣いていることがあって、その時の目覚めは最悪です。

彼女が亡くなった時は、お通夜&告別式までは頑張ろう
告別式が終わった後は、四十九日までは頑張ろう
四十九日が終わった後は、彼女に関する各種手続き(退職手続き、相続関連)が終わるまでは頑張ろう

と思って来ましたが、もう少しで相続関連も終わりそうです。

この後、私はどうなるんだろう・・・。

うつ病で休職していた時ですら、このまま復職してもまた同じことになるかもしれないから・・・ということで転職活動したり、自分と同じように仕事で悩みを持つ人の役に立ちたいということで産業カウンセラー養成講座に通っていたのに(これは結局途中断念)、今は何もする気力がないや。

彼女が亡くなった8/19で時間が止まっているような気がします。

大学時代の友人たちと会ったり、昔好きだった人とお酒を飲みに行ったり、帰省して中学生時代からの友人と会ったりしたけど、何も変わらなかったし、極端な言い方をすればワイワイした後はむしろ辛くなった。

正直今一番落ち着くのは、自宅のリビングで彼女の遺影に話しかけながらハムスターと遊ぶことだね。

でも、このハムスターの寿命もあと1年くらいか・・・。

初めて彼女が命名したハムスターだから、置き土産みたいなものでいなくなるとさみしくなるな。

彼女のもとに行ければ、きっと彼女も喜ぶけどね。

あと1時間くらいで日の出かな?

軽く寝よう。