2008年04月

2008年04月25日

新薬師寺本堂の建築

新薬師寺は聖武天皇の病気平癒を祈って、天平19年(747年)に光明皇后によって創立されました。この堂の位置はかっての中心伽藍から離れており、別院の仏堂と考えられています。外見はこじんまりとした建物で、屋根は勾配がゆるいためより一層小さく見えます。ところが内部空間は壁がまったくないワンルーム空間のため、思ったより大きく拡がりを感じます。天井はあたかも屋根構造が露出しているようなつくり方で(化粧屋根裏)、屋根と天井の間にはほとんど空間はありません。また柱や梁などの構造材は最小限に抑えられ、空間のヴォリュームを損なわない工夫がされています。当時の技術を駆使しながらも、更なる工夫をし、リスクを感じながらも自らの考え方に確信をもってつくった結果の建築であります。この建築にはそんな緊迫感が漂っています。 才本


断面0046(450P)

2008年04月24日

京都円通寺の借景庭園

円通寺は京都北部の鞍馬街道の入り口に当たるところにあります。京都盆地から山地に変わっていくまさにその境目の部分で、丘が平地部分に不規則に入り込んだ地形です。比叡山がある東側は平地としてひらけ、北、西、南は丘で囲まれています。庭園と建物(書院?)はその比叡山の眺望を取り込むために東を向いています。昨年夏に訪問した際には関係者が、最近比叡山と当寺の間に高層マンションが計画されているとのことを憂慮されているとのことでした。それがもう建ったかどうかは不明ですが残念なことです。
京都中心部から円通寺に向かうときはずいぶんと山の中に入っていく感覚があり、さらに庭園から比叡山を眺めていると、深い山の中から比叡山を見ている錯覚に陥ります。ところが実際は比叡山と当寺の間には大きな市街地が広がっているわけです。ここにある感覚と現実の相違は借景庭園としてのうまさを物語るものでありましょう。断面図は地形の航空写真(グーグルアース)からアバウトに作成しました。 才本


円通寺 断面図2











2008年04月18日

作家 林芙美子の住まい

作家林芙美子が昭和26年(1951年)に48才で永眠するまでの10年間過ごした住まいが、今東京新宿区に林芙美子記念館として残されている。芙美子は新居の建築のために参考書200冊近くを求めて学習したといわれます。「私は自分の家の設計図をつくり、建築家の山口文象氏に敷地のエレヴエションを見て貰って、1年余り、設計図に就いてはねるだけねって貰った。東西南北風の吹き抜ける家というのが私の家に対する最も重要な信念であった。(中略)まづ、参考書によって得た知識で、私はいい大工を探しあてたいと思ひ、紹介される大工の作品を何ヶ月か私は見てまわった。」(『家をつくるにあたって』)
以前、このブログで紹介した白洲正子邸が田の字型平面の農家を購入して自在に使いこなしたのとはまったく対照的に、ここでは設計や準備にじっくりと時間をかけ自分の思い通りの住まいをつくり込んだ、というわけです。300坪の敷地に70坪もあろうかと思われる(推測)平屋の大邸宅です。生活部分と仕事部分(芙美子の書斎と夫のアトリエ)が分離された平面である。当初芙美子の書斎は今の寝室の予定であったが、明るすぎるといい隣の納戸を書斎に変更したとのこと。床面積に余裕があるからこそできることです。
著名な建築家と一等の大工によってつくられた邸宅はいまだ古びることなく、凛とした姿で建っています。左写真 向かって左が仕事場、右が生活の場、中写真は茶の間、右写真は書斎  才本


林芙美子邸 外観林芙美子邸 茶の間林芙美子邸 書斎

2008年04月15日

醍醐寺の建築 4 三宝院の唐門

三宝院の唐門は醍醐寺伽藍へと向かう参道に面し、三宝院へは表書院前の庭園に直接入ることができる。桐と菊の御紋が門いっぱいに描かれなんともおおらかな感じがする。桃山時代の創建当時には門全体が黒の漆塗りで桐と菊の四つの御紋は金箔が施されていたらしい。現代で黒漆と金箔の取り合わせといえば仏壇ぐらいしか想像できない。このデザインや配色は、今残る三宝院の庭と建築が秀吉の死期をまたいでつくられたことと関係があるような気がしますがいかがでしょうか。  才本



醍醐寺 唐門

2008年04月13日

醍醐寺の建築 3 上醍醐の清滝宮本殿と拝殿

清滝宮は醍醐寺一山の守護神として祀られた神社として上醍醐の醍醐水の祠の脇につくられている。平地にではなく、図に示すように醍醐山の急峻な斜面の上下に本殿(昭和の再建)と拝殿(1439年再建、国宝)がつくられている。現在は両者の間には木々が茂っていることもあり拝殿からは本殿がほとんど見えないでしょう。また本来拝むための建築である拝殿がちょっと特異です。拝殿というよりも住宅風です。人が出入りする場所に破風を設けて人を迎えるデザインをしていますが、本殿に向かってはそっけなく、ここから「本殿を拝する」というデザインは外観的にも内観的にも一切されていません。内部は畳敷きで拝殿というよりはむしろ寛いだ雰囲気につくられています。そして特筆すべきは、この拝殿から本殿はほとんど見えませんが、ところが反対方向は斜面が下りで眺望がよく、しかも建具が蔀戸で開放できるようになり、いかにも眺望を眺めて楽しんでくださいというデザインになっています。拝殿でありながら宗教的な配慮よりも人間的な満足を得ることを重視しているように思えます。室町時代は仏堂が方丈と呼ばれ住宅風につくられたり、金閣のような楼閣建築で上から眺めて楽しむなど、神や仏よりも人間のための居住空間を重視する傾向のひとつといえましょう。左写真は左に拝殿、右上にわずかに本殿が見える。中写真は右方向が斜面くだり方向で眺望が楽しめるように蔀戸が上がっている。右写真は右方向を上がっていくと本殿がある。 才本


上醍醐清滝宮





















上最後3
上醍醐2上醍醐1

2008年04月08日

醍醐寺の建築 2 三宝院

三宝院は鎌倉時代に醍醐寺の有力な一流派として創設されたが、その後応仁の乱などで荒廃しました。時代が下り、下醍醐の五重塔や金堂などの伽藍同様、秀吉の支援により復興されつつありましたが、慶長3年(1597)3月15日の「醍醐の花見」後の8月には秀吉が死去し、なかばで中断されたようです。三宝院の庭園は「花見」の直後から開始され秀吉死去直前にほぼ完成したとのこと。建築は秀吉の死後となり計画は大きく変更され、他の建築を解体移築することになった。表書院も例外でなく醍醐寺内の楽屋や附属建築を解体し建築したものだそうである。しかしながら現在の表書院の平面図を見る限り、建築計画は秀吉により行われたれたと見るべきであろう。表書院(図キΑ砲寮殿と呼ばれる部分(南西に突出た部分)は庭に突出ているため、そこに立つと庭に一歩踏み込んだような臨場感がある。ここには作者のこだわりが感じられます。また奥(東)に位置する純浄観(図)は地形に従い、50センチほど高い位置に作られている。そこから見ると表書院から見る庭とはまた一味違った視点が楽しめます。表書院と純浄観を結ぶ吹き放ち廊下の北には寝殿(図)があり、そこからも庭(中心的存在である藤戸石)が覗き見ることができるように工夫されています。
一つの庭園を表書院、純浄観、寝殿とそれぞれ異なった三つの視点もたせることで、庭と建築の関係を多様にし、楽しみ方も増す、といったところでしょうか。写真は撮ることができなかったので三宝院のチラシから平面図を転載します。方位は上が南です。 才本


醍醐寺三宝院配置図

2008年04月05日

醍醐寺の建築 1  下醍醐の伽藍

醍醐寺は醍醐山上(上醍醐)からこんこんと湧き出る水(醍醐水)を祀ったのが始まりといわれます。創建後、醍醐天皇の勅願寺となり山上、山下にまたがる大伽藍が整備された。山下の下醍醐には金堂、五重塔のほか三宝院の書院、庭園が残っています。
五重塔(写真左)は国宝に指定され、現存する五重塔の中では古い部類に入り、平安時代の天暦5年(951年)に建造された。塔建築は時代が新しくなると、上層へ行くほど屋根が小さくなる率(逓減率)が小さくなりズンドウ形でプロポーションが悪くなります。名古屋では八事の興正寺の塔が新しい時代(江戸期)のいい例です。醍醐寺五重塔は逓減率が高く、軒の出が深く、相輪(屋根の上に載る金属の部分)の高さが総高の3分の一と長いためプロポーションがよく、引き締まったデザインで非常に美しいものです。金堂(国宝、写真右)は豊臣秀吉の命で既存の堂を移築改装され1600年に完成したもの。これもプロポーションがよく、堂々とした構えの堂であります。  才本


醍醐寺 塔醍醐寺 金堂2

2008年04月03日

醍醐の花見

去る4月1日京都醍醐寺を訪れ、慶長3年(1598年)豊臣秀吉がしたという醍醐の花見を406年後にこの身をもって味わってきました。総門を入った参道には、左側に三宝院の唐門がありますが、その周辺は巨大な枝垂れ桜が何本か並び満開に咲き誇り、そのすばらしさに思わず息を呑む光景です。プロ風のカメラマンや熟年のアマカメラマンなどが列を成してカメラを向けていました。(左写真)
中央の写真は三宝院のなかの枝垂桜です。そして右写真は霊宝館(宝物館)近くの枝垂桜で、1本の巨木で背は高くありませんが横に大きく広がった見事な桜です。
これほどの大きさの桜がここに集まっているとは驚きです。秀吉の見た400余年前の桜が今のものと同じとは思えないですが、代々にわたり受け継がれてこんな光景がいつの時代にも見られる状態になっているのでしょうか。すばらしい桜に圧倒され、大満足の一日でした。 才本



醍醐の花見2醍醐の花見1醍醐の花見3