2011年05月

2011年05月24日

虎渓山永保寺庭園の話◆ …蹐鼎りは修行の場づくり

夢窓国師の滞在期間はわずか3年でありましたが、翌年の正和3年(1314年)に特徴がある岩山の脇に観音堂を建立し、池庭(臥竜池)をうがち、観音堂の前に橋殿を上げたそり橋(無際橋)を造り庭園を整えました。このそり橋と観音堂の組み合わせは、かつて夢窓が修行した鎌倉・建長寺と同様であるといわれます。建長寺はわが国初の本格的な禅宗寺院で宋からの渡来僧、蘭渓道隆が造営したものです。そもそも禅宗寺院の庭は禅の教えを伝えたり、修行のための場としてつくられました。そのために、それにふさわしい場、空間・環境をつくることが求められ、その結果「山水天開画幽境」と言える場を探し求めたと考えられます。ここで思い出されるのが南フランスで12世紀(聖堂は1175年完成)に建築されたル・トロネ修道院です。宗教的な修行を人の気配のない自然環境の中で行うという、共通点があります。
池にかかる無際橋と観音堂の光景はなんともすばらしい。背景は山の緑に囲まれ、自然環境以外のものは何もなく、この光景を邪魔する異物はありません。山の中であるがゆえに雑音もなく、耳を澄ますと土岐川の流れの音が現世の塵を吹き払ってくれます。また観音堂の左手にある岩山は梵音巌(ぼんのんがん)と呼ばれ、天辺からいく筋かの滝(飛瀑泉)が流れ落ちます。そり橋の橋殿は、そこから梵音巌や飛瀑泉、池庭を観じ禅の境地に入る場所である、とのことです。そればかりか境内の全ての要素が人間の五感を通して宗教的な思惟を高めようと意図されてつくられていることになります。上右写真は右に観音堂、左に梵音巌を見る。下写真は国宝観音堂。   才本



永保寺右近景永保寺左近景永保寺梵音岩






永保寺観音堂

2011年05月20日

多治見 虎渓山永保寺庭園の話

虎渓山永保寺は夢窓国師が正和2年(1313年)、39才の時、行雲流水の途すがらここの地形を賞して「山水天開画幽境(その山水の景は大自然の中に描かれた絵のような幽境の地)」と賞し隠棲の地と定められ、草庵を建てたことに発している、と当寺発行の小冊子に記されています。「虎渓」はもともと国師が「古渓」と名づけたのに由来しているが、「虎渓」はこの地が中国の櫨山の虎渓に酷似していることから名づけられた、と言われています。
この記録にあるように現在も完全無欠の自然環境の体をなし、すばらしく気持ちよい空間をつくっています。以前このブログで紹介した、夢想国師作の京都嵯峨天竜寺でもそうであったように、近くには土岐川が流れ(天竜寺は桂川)そのせせらぎの音が心を洗う、という効果も仕組まれています。そのものづくりの姿勢は、狭義の庭づくりを超え、周辺を取り込んだ環境づくり、さらに小宇宙を創造しようという意志が貫かれてかれています。  左写真は境内横を流れる土岐川、右写真は永保寺庭園を広角で捉えた写真。   才本


土岐川永保寺右遠景