2012年09月

2012年09月22日

仁和寺本坊の建築と庭園空間

仁和寺本坊(門跡御所)はバス通り面した仁王門を入ってすぐ左(西)に広がる一角にあります。本坊の建築はその庭園とともに有料で公開されていますが、この建築群はじつは明治20年(1887年)の火災の後再建されたものであります。旧宸殿は慶長内裏(後陽成天皇に住居)を移転したものであったそうですが残念なことです。今でも宸殿、白書院、黒書院、霊明殿が渡り廊下で結ばれ、進むにしたがって風景がどんどん変化して、みる者を飽きさせません。この渡り廊下は白書院の手前とその向こうでは渡り廊下のデザインが異なり、なぜだろうと疑問がわいてきます。
これらの建築群の中で宸殿をはじめ勅使門と霊明殿は明治末から大正初めにかけて京都府技師亀岡末吉が設計、同技手塩野庄四郎が工事監督を担当して建立されたということであります。その意匠は斬新で独創的で、「亀岡式」と呼ばれているそうです。
この宸殿の南には白砂(白川砂)が敷かれた平安期寝殿造系の庭園があり、正面が意識され、「右近の橘(西)・左近の桜(東)」が植えられています。宸殿の北には江戸時代初期に手が加えられた美しい池泉庭園があります。つづく 才本 清継

本坊を入ると最初に現れる渡り廊下 白壁と緑の風景とのコントラストが美しい
景色を枠どるための白壁か、風雨から足元を守る白壁か?
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白書院をより向こうは開放的な渡り廊下
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白書院(手前、左の建築)から宸殿(正面)を見る
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宸殿の南庭 左の建物が宸殿、正面は勅使門
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宸殿(右の建築)の北庭 江戸初期の池泉庭園
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2012年09月06日

鞍馬・由岐神社にも割拝殿がありました

以前ここで、奈良県の石上神宮・摂社出雲健雄神社の割拝殿(鎌倉時代・国宝)を紹介しましたが(2008年6月16日)、割拝殿とは拝殿建築の中央柱間が通路として通り抜けできるタイプのものであります。
同じタイプの拝殿が京都北部鞍馬山中にある由岐(ゆき)神社にもありました。ここは鞍馬寺の鎮守社で、寺の仁王門を入って左手の山の中にあり、当社の祭礼は「鞍馬の火祭り」として知られています。この拝殿は豊臣秀頼によって再建され、いま重要文化財に指定されています。傾斜地に建ち、内から見ると平屋建てですが外部は敷地が3メートルほど下がっておりその差を舞台造で処理しています。
拝殿の正面に向かって右2間、左3間が拝殿スペースであり、その間の1間が入り口通路となり唐破風がかかり、ここに階段を設け内外の高低差を処理している。デザインは豊臣に時代らしく大ぶりで、雄大さが感じられます。(1の写真)
逆に敷地内部から見ると拝殿部分の床は地盤面より500〜600MMほど上がっていますが床がこの地盤に載っているのではなく、床と地盤の間に隙間があり向こうを見透かすことができます(2の写真)。これは建物全体が舞台造の柱梁の上に載せられ、自重などの荷重はすべて下の低い地盤面で支えているということになり、構造的手法としてはよりシンプルな解決になると考えられます。
神社の拝殿は開放性、透視性、通風性が高くつられることが多いのですが、この床の下の隙間もそんなことが意識されているかもしれません。
以前ここで紹介しました石上神宮の摂社の割拝殿とは唐破風の扱いが異なり、石上神宮では拝殿の屋根の軒線の上にかぶさるように唐破風が載っていますが(3,4の写真)、由岐神社では拝殿の屋根の軒線が唐破風に変化していくようにつくられています(2の写真)。その理由は前者の建物が小さく低いから人を迎える唐破風を一段高く上げたこともあるでしょうが、時代の好みもあることでしょう。  才本 清継

1.正面から見た由岐神社拝殿
由岐神社IMG_0075(400P)


2.同上 敷地内部より見た拝殿
由岐神社IMG_0068(400P)


3.石上神宮・摂社出雲健雄神社の割拝殿
由岐神社IMG_1007(400P)


4.同上詳細
由岐神社IMG_1010(400P)