2022年05月10日
水音がねむらせない おもひでが それから それへ
俳人の種田山頭火は、昭和11年の6月に越後から東北へと旅をしたのだそうです。
そんなことを、フラリと立ち寄った新潟県の村上市内にあった山頭火の句碑を見た時にネット検索をして知りました。
『イヤってほどバイクに乗って、どこか遠くに行きたいなぁ』と急に思い立ち、行き先として頭に浮かんだのが母方の祖父の出身地だった新潟県の村上だったのです。
優しかった祖父。
近くの瀬波温泉に泊まった家族旅行の楽しい思い出。
調べてみると、瀬波温泉はどこも満室で、村上市内は宿泊施設などは少なく、『ま、GWだけど何とかなるさ』と愛車にごく少量の着替えと工具を積んで、関越道を西へ西へと向かいました。

句碑にはこう書いてありました。
【水音がねむらせない おもひでが それから それへ】
思い出かぁ…。

翌日の行動を全く決めていなかったのですが、ふと税理士受験時代の友達のR君が村上から100キロほど北上したところにある山形県の酒田に転勤になったと今年の年賀状に書いてあったことを思い出したのです。
途中の小さなパーキングエリアにバイクを止めて、持参したコッフェルとバーナーでコーヒーを淹れながら、スマートフォンでDropboxに保存しておいた今年の年賀状を探ってみると、そこにはR君の実家の山形市内の住所しか書いてありませんでした。
『確か20数年前にお邪魔した時、実家の家業は酒屋だったな』との記憶をたどり、市内の酒屋をネットで検索するとすぐに実家の電話番号を見つけることができました。

早速電話をしてみると、出たのはもうかなり高齢のお父様
『サイトーさんですか。その節はどうも』
『え?覚えてますか?私のこと?』

お父様に彼の携帯番号をお聞きして、すぐにそのパーキングエリアからR君に電話かけてみたのですが、出ず。
『連絡つかなきゃ仕方ないや』と割り切って村上市内へ向かい、駅前の商人宿を現代風に改装したような宿に投宿し、近所の割烹で名産の鮭料理を肴にお酒を飲んでいたら、R君から連絡がありました。
『久しぶりだなぁ、酒田まで来いよ』 ^ ^

もしもR君と連絡がつかなかったら、そのまま翌日にとんぼ返りで帰宅しようと思っていたのですが、首の皮一枚、“おもひで”が繋がりました。

電話では、「とりあえず明日酒田に行く」としか約束をしていなかったので、何時に酒田のどこに行けば良いものか・・まったく不明(笑)。
その分、気ままなもので・・村上の街を散策したり、新潟から県境を越えて海岸線を走ったり、鶴岡あたりの林道をゆっくり走ったりして、夕方酒田市内に到着。
『今、オートバックスにいるけど、何時にどこに行けば良いかな?』と聞くと、『迎えに行くからそこで待ってて』というので待っていると、すぐにピカピカのSUVでR君が現れました。

『太ったな、R(笑)』
『アキラは変わらないな、白髪は増えたけど(笑)』
『単身赴任のアパートだけど良いのか?』
『最高じゃん。でも、夜イビキうるさいかもよ』
『大丈夫だ』

早速、R君が予約してくれていた市内の老舗の寿司屋で久しぶりの再開を祝して乾杯。
次に普段接待で使っているというスナックに行ってちょこっと飲んでから代行を呼んで帰宅。
『まだこんな時間なのに、帰宅、早くねーか?』と思ったら・・
部屋にはR君手作りの、桜鱒の焼物、コシアブラとコゴミの和物などがワンプレートに載った“宅飲みセット”が用意してあったのです。
すっかり涙腺の弱くなった私は、『マヂか?』と感動でウルっとなりそうでしたが、『ガッハハ、やるなぁ』と笑って誤魔化して、R君オススメの地元名産の芋焼酎“耕作くん”であらためて乾杯をして、夜中まで昔話に花が咲かせたのです。

ホントなら山形には親戚もいることですし、もう少し東北地方をゆっくり走りたかったのですが、翌々日には仕事のアポイントを入れてしまったので、翌日中に帰宅しなくてはなりません。
翌朝は、遊佐町の温泉で朝風呂につかりサッパリしてから、『ここは寄って行け』と言うR君イチオシの丸池様という鳥海山の麓の湧水の池を御神体とする神様をお参りしてから帰途へ。
往路と同じルートは面白くないので、走行距離は長くなってしまうけど、帰路は月山道路を経由して東北道を通って帰ることにしました。
一気通貫で約560キロ。
家路を急ぎます。

ただひたすら走るだけの道のりは退屈で、思い出すのはR君と過ごした時間のことばかり。
楽しかった分、なんだか『やっぱり一人は寂しい』なぁとちょっぴりトホホな気分になって
それでも、小気味の良いプロペラ機のような単気筒のエンジン音をただボンヤリと聴くとはなしに聴きながら・・ただひたすらスロットルを開けて・・延々と・・走る・・走る・・なかなか着かない・・走る・・走る・・

そして、
思い出がそれからそれへ
そして、
GWのプチツーリングは幕を閉じたのです。
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そんなことを、フラリと立ち寄った新潟県の村上市内にあった山頭火の句碑を見た時にネット検索をして知りました。
『イヤってほどバイクに乗って、どこか遠くに行きたいなぁ』と急に思い立ち、行き先として頭に浮かんだのが母方の祖父の出身地だった新潟県の村上だったのです。
優しかった祖父。
近くの瀬波温泉に泊まった家族旅行の楽しい思い出。
調べてみると、瀬波温泉はどこも満室で、村上市内は宿泊施設などは少なく、『ま、GWだけど何とかなるさ』と愛車にごく少量の着替えと工具を積んで、関越道を西へ西へと向かいました。

句碑にはこう書いてありました。
【水音がねむらせない おもひでが それから それへ】
思い出かぁ…。

翌日の行動を全く決めていなかったのですが、ふと税理士受験時代の友達のR君が村上から100キロほど北上したところにある山形県の酒田に転勤になったと今年の年賀状に書いてあったことを思い出したのです。
途中の小さなパーキングエリアにバイクを止めて、持参したコッフェルとバーナーでコーヒーを淹れながら、スマートフォンでDropboxに保存しておいた今年の年賀状を探ってみると、そこにはR君の実家の山形市内の住所しか書いてありませんでした。
『確か20数年前にお邪魔した時、実家の家業は酒屋だったな』との記憶をたどり、市内の酒屋をネットで検索するとすぐに実家の電話番号を見つけることができました。

早速電話をしてみると、出たのはもうかなり高齢のお父様
『サイトーさんですか。その節はどうも』
『え?覚えてますか?私のこと?』

お父様に彼の携帯番号をお聞きして、すぐにそのパーキングエリアからR君に電話かけてみたのですが、出ず。
『連絡つかなきゃ仕方ないや』と割り切って村上市内へ向かい、駅前の商人宿を現代風に改装したような宿に投宿し、近所の割烹で名産の鮭料理を肴にお酒を飲んでいたら、R君から連絡がありました。
『久しぶりだなぁ、酒田まで来いよ』 ^ ^

もしもR君と連絡がつかなかったら、そのまま翌日にとんぼ返りで帰宅しようと思っていたのですが、首の皮一枚、“おもひで”が繋がりました。

電話では、「とりあえず明日酒田に行く」としか約束をしていなかったので、何時に酒田のどこに行けば良いものか・・まったく不明(笑)。
その分、気ままなもので・・村上の街を散策したり、新潟から県境を越えて海岸線を走ったり、鶴岡あたりの林道をゆっくり走ったりして、夕方酒田市内に到着。
『今、オートバックスにいるけど、何時にどこに行けば良いかな?』と聞くと、『迎えに行くからそこで待ってて』というので待っていると、すぐにピカピカのSUVでR君が現れました。

『太ったな、R(笑)』
『アキラは変わらないな、白髪は増えたけど(笑)』
『単身赴任のアパートだけど良いのか?』
『最高じゃん。でも、夜イビキうるさいかもよ』
『大丈夫だ』

早速、R君が予約してくれていた市内の老舗の寿司屋で久しぶりの再開を祝して乾杯。
次に普段接待で使っているというスナックに行ってちょこっと飲んでから代行を呼んで帰宅。
『まだこんな時間なのに、帰宅、早くねーか?』と思ったら・・
部屋にはR君手作りの、桜鱒の焼物、コシアブラとコゴミの和物などがワンプレートに載った“宅飲みセット”が用意してあったのです。
すっかり涙腺の弱くなった私は、『マヂか?』と感動でウルっとなりそうでしたが、『ガッハハ、やるなぁ』と笑って誤魔化して、R君オススメの地元名産の芋焼酎“耕作くん”であらためて乾杯をして、夜中まで昔話に花が咲かせたのです。

ホントなら山形には親戚もいることですし、もう少し東北地方をゆっくり走りたかったのですが、翌々日には仕事のアポイントを入れてしまったので、翌日中に帰宅しなくてはなりません。
翌朝は、遊佐町の温泉で朝風呂につかりサッパリしてから、『ここは寄って行け』と言うR君イチオシの丸池様という鳥海山の麓の湧水の池を御神体とする神様をお参りしてから帰途へ。
往路と同じルートは面白くないので、走行距離は長くなってしまうけど、帰路は月山道路を経由して東北道を通って帰ることにしました。
一気通貫で約560キロ。
家路を急ぎます。

ただひたすら走るだけの道のりは退屈で、思い出すのはR君と過ごした時間のことばかり。
楽しかった分、なんだか『やっぱり一人は寂しい』なぁとちょっぴりトホホな気分になって
それでも、小気味の良いプロペラ機のような単気筒のエンジン音をただボンヤリと聴くとはなしに聴きながら・・ただひたすらスロットルを開けて・・延々と・・走る・・走る・・なかなか着かない・・走る・・走る・・

そして、
思い出がそれからそれへ
そして、
GWのプチツーリングは幕を閉じたのです。
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2022年04月25日
イエスマン
滅多に映画は観ないのです。
観たら、面白いのは分かっているのです。
でも、私は壮大な虚構よりも、どんなに平凡で退屈であっても「リアルの方がオモシロイ」と思っているもので、つい劇場よりもアウトドアに足が向いてしまうのです。
波も無く、激しい雨でバイクにも乗りたくない日曜日
已む無く自宅でNetflixを観ようと思い立ち、「何か映画館では絶対観ないようなB級コメディでも観ようか」と検索をかけた結果目に留まった映画。
YES MAN (“YES”は人生のパスワード)
観終わった後・・
『ハハハ・・ 軽い映画だったな(笑)』と思いながら・・しかし、何かが心に引っかかるのです。
映画の中では、当初、主人公のカールは、友達に飲み会やパーティーに誘われても「なんだかんだ」と理由をつけてただひたすら参加を断り続ける。
やがて友達にも愛想を尽かされ、お誘いの声もかからなくなる。
しかし、「ちょっと待て・・これって自分と被るところがないか?」
コロナのせいというのもあるかもしれませんが、最近では極わめて限られた友人以外の人付き合いがなんだかとても厄介なことのように思えて、片っ端から飲みのお誘いを断るようになっていたのです。

ちょうどそんなことを思っていた折に、過去に何度か飲みのお誘いを断っていた知人から「飲みに行きませんか?」とお誘いいただいたので、(面白半分にイエスマンのノリで)『OK、行きましょう♪』とお誘いに乗ってみたのです。
すると、どうでしょう・・。
(「また作り話をして・・」と鼻で笑う人もいるかもしれませんが)、でも、本当に不思議なのですが・・
その後次から次へと飲みのお誘いが入り、そのたびに面白半分に『OK、行きましょう♪』と調子に乗ってイエスマン化していたら、その後も思いもよらなかったような意外な人からの飲みの誘いまで、次から次へと、来ること来ること。
おかげで、ビールの飲みすぎで、少しパドリングが遅くなったような気がしています💦。

さて、本題(前置きが長すぎ(笑))。
確定申告も終わり、開放的な気分の私は高知サーフトリップへ。

今回の目的地は高知なのですが、まずは岡山で友人たちとシコタマ飲んで、それから翌朝、車で一気に瀬戸内・四国を駆け抜け高知入りして、サーフィン三昧。
かくして“にわかイエスマン“は、東京でも、神奈川でも、岡山でも、高知でも、なんだかんだと言いながら、結局シコタマ飲むのです(笑)。
観たら、面白いのは分かっているのです。
でも、私は壮大な虚構よりも、どんなに平凡で退屈であっても「リアルの方がオモシロイ」と思っているもので、つい劇場よりもアウトドアに足が向いてしまうのです。
波も無く、激しい雨でバイクにも乗りたくない日曜日
已む無く自宅でNetflixを観ようと思い立ち、「何か映画館では絶対観ないようなB級コメディでも観ようか」と検索をかけた結果目に留まった映画。
YES MAN (“YES”は人生のパスワード)
何事にもネガティブで「NO」が口癖の男カール。
偶然参加したセミナーで「どんな事にでも『YES』と答えることが人生を成功させる秘訣だ」と教えられる。
それからひたすら、どんなムチャ振りに対しても「YES」を連発し、散々な目に合うのだけれど、不思議なことにどんどんカールの運気は上がっていく。
観終わった後・・
『ハハハ・・ 軽い映画だったな(笑)』と思いながら・・しかし、何かが心に引っかかるのです。
映画の中では、当初、主人公のカールは、友達に飲み会やパーティーに誘われても「なんだかんだ」と理由をつけてただひたすら参加を断り続ける。
やがて友達にも愛想を尽かされ、お誘いの声もかからなくなる。
しかし、「ちょっと待て・・これって自分と被るところがないか?」
コロナのせいというのもあるかもしれませんが、最近では極わめて限られた友人以外の人付き合いがなんだかとても厄介なことのように思えて、片っ端から飲みのお誘いを断るようになっていたのです。

ちょうどそんなことを思っていた折に、過去に何度か飲みのお誘いを断っていた知人から「飲みに行きませんか?」とお誘いいただいたので、(面白半分にイエスマンのノリで)『OK、行きましょう♪』とお誘いに乗ってみたのです。
すると、どうでしょう・・。
(「また作り話をして・・」と鼻で笑う人もいるかもしれませんが)、でも、本当に不思議なのですが・・
その後次から次へと飲みのお誘いが入り、そのたびに面白半分に『OK、行きましょう♪』と調子に乗ってイエスマン化していたら、その後も思いもよらなかったような意外な人からの飲みの誘いまで、次から次へと、来ること来ること。
おかげで、ビールの飲みすぎで、少しパドリングが遅くなったような気がしています💦。

さて、本題(前置きが長すぎ(笑))。
確定申告も終わり、開放的な気分の私は高知サーフトリップへ。

今回の目的地は高知なのですが、まずは岡山で友人たちとシコタマ飲んで、それから翌朝、車で一気に瀬戸内・四国を駆け抜け高知入りして、サーフィン三昧。
かくして“にわかイエスマン“は、東京でも、神奈川でも、岡山でも、高知でも、なんだかんだと言いながら、結局シコタマ飲むのです(笑)。
2022年03月31日
サクラがサイタ
不忍へ 上野をよぎる桜月夜
今宵逢ふ人 皆美しき
なんて・・、与謝野晶子をパクってみた(笑)。

毎年、桜が咲くと缶ビールを片手に上野に来ている。

『それの何が楽しいの?』と聞かれても、答えようがない。
でも、なんだかそういうのって嬉しくて♪

オッサンになってからようやく
『椿が咲いた』『梅が咲いた』『桜が咲いた』と、四季の移ろいを楽しんたり喜んだりできるようになりました。
人間として私は“遅咲き”なのでしょう(笑)

そんな遅咲き人間の私が最近気づいたことは、敢えてわざわざ面倒を楽しむということ。
たとえば、冬に庭の大量の落ち葉を集めて、大きな穴を掘って落ち葉を埋めて、米糠を買ってきて混ぜて、果物の皮を細断して撒いて、時よりかき混ぜて・・そんな風にして家庭菜園用の腐葉土を作ってみた。
ホームセンターで買えば済むことなのに、敢えて。

またある時には、庭で焚火をしながら飲む時のために端材を集めてテーブルを作ってみたり。
持っているキャンプ道具を使えば済む事なのに、敢えて。

出来損ないでも・・不十分でも・・
それでもやっぱり手間暇かけたモノは愛おしい。

先日のこと
予期せず観たAmazonプライムの「平家物語」がとても良かったのです。
未来が見える「目」を持つ琵琶法師の少女・びわの物語です。
『諸行無常の響きあり…かぁ』・・なーんて思いながら
「あと何回、上野で桜を見れるのかなぁ・・」なんてことをつい考えてしまう、
少し風がひんやりと冷たい春の夜なのです。
今宵逢ふ人 皆美しき
なんて・・、与謝野晶子をパクってみた(笑)。

毎年、桜が咲くと缶ビールを片手に上野に来ている。

『それの何が楽しいの?』と聞かれても、答えようがない。
でも、なんだかそういうのって嬉しくて♪

オッサンになってからようやく
『椿が咲いた』『梅が咲いた』『桜が咲いた』と、四季の移ろいを楽しんたり喜んだりできるようになりました。
人間として私は“遅咲き”なのでしょう(笑)

そんな遅咲き人間の私が最近気づいたことは、敢えてわざわざ面倒を楽しむということ。
たとえば、冬に庭の大量の落ち葉を集めて、大きな穴を掘って落ち葉を埋めて、米糠を買ってきて混ぜて、果物の皮を細断して撒いて、時よりかき混ぜて・・そんな風にして家庭菜園用の腐葉土を作ってみた。
ホームセンターで買えば済むことなのに、敢えて。

またある時には、庭で焚火をしながら飲む時のために端材を集めてテーブルを作ってみたり。
持っているキャンプ道具を使えば済む事なのに、敢えて。

出来損ないでも・・不十分でも・・
それでもやっぱり手間暇かけたモノは愛おしい。

先日のこと
予期せず観たAmazonプライムの「平家物語」がとても良かったのです。
未来が見える「目」を持つ琵琶法師の少女・びわの物語です。
『諸行無常の響きあり…かぁ』・・なーんて思いながら
「あと何回、上野で桜を見れるのかなぁ・・」なんてことをつい考えてしまう、
少し風がひんやりと冷たい春の夜なのです。
2022年02月24日
へそ曲がりのブルース
このところずっと、どこか“守り”に入っている自分が許せなかったのです。
業を煮やして、ひとまず『エイヤ〜!』と、確定申告期にも関わらず宮崎までやってきました。
この数日間、髭も剃らずに真っ黒に日焼けをして、毎日波を追いかけています。

同業者の多くが「忙しい忙しい」と、まるで「男はつらいよ」のタコ社長のようにジタバタ右往左往しながらこの時期過ごしている様を想像してみる。
すると、余計に何割か増しで『ウッシシシシ(๑˃̵ᴗ˂̵)』と愉快な気分になってしまうのです。
多分私は、性格がねじ曲がったヒニクレ者のへそ曲がりなのでしょう(笑)。

しかしこれは『そうしなくては』『そうでなくては』と自ら願い、考え、諦めるものは諦め、捨てるものは捨てるなどして手にした大切な時間なのだから、
まるで捕まえてきた小鳥を咥えて自慢げに飼い主に見せに来た時の猫みたいな少し誇らしい気分で、宮崎の青い空の下、呑気なOFFの時間を愉しんでいるのです。

私がフリーランスになって正解だったと思った最大のポイントは、自由を選べるという選択権を得たことではなく、不本意なことに対して誰に遠慮するでもなくNOと言える拒否権を得たことでした。

先入観に捉われず考えてみれば、確定申告の時期だからって必ずしも忙しくしなくたって良いはずなのです。
自らの選択で、適切に拒否権を行使することができるのであるならば…。

しかしそれはそれとして、やはり思うに任せないこともある。
結果論でしかありませんが、正直勤務税理士時代には、独立開業なんて楽勝だと思っていました。
甘く考えていたのです。

新たな仕事を獲得すること。
人を雇用すること。
そして毎日、毎月、毎年、確実に大過なく仕事をこなして行くこと。
どれもこれも、少しでも手を抜くとすぐに綻びが生じてしまうものですから、私は見苦しいまでにジタバタともがき、試行錯誤しながら前へ進むしかないのです。

そしてこの歳になって、家族との死別や、従業員や顧問先や友人との意見の相反や、なんやかんやと色々経験をして行くうちに、やがて本当の意味で“常ならず(すべては永遠不滅ではない。)”ということを少しずつ理解できるようになってきたのではないかと感じています。
そしてもしも常ならずということが逃れることのできない真理であるとするならば、それを甘受してやろうという覚悟が決まってはじめて、楽しいこともツラいこともすべて余計なことなど考えずに淡々と受け入れてみようじゃないかって気になってくるのです。

それは単に自分の驕りか、あるいは錯覚なのか、あるいは単なる開き直りなのかも知れないけれど(笑)
いずれにしても、今、私は宮崎の海に在る。
業を煮やして、ひとまず『エイヤ〜!』と、確定申告期にも関わらず宮崎までやってきました。
この数日間、髭も剃らずに真っ黒に日焼けをして、毎日波を追いかけています。

同業者の多くが「忙しい忙しい」と、まるで「男はつらいよ」のタコ社長のようにジタバタ右往左往しながらこの時期過ごしている様を想像してみる。
すると、余計に何割か増しで『ウッシシシシ(๑˃̵ᴗ˂̵)』と愉快な気分になってしまうのです。
多分私は、性格がねじ曲がったヒニクレ者のへそ曲がりなのでしょう(笑)。

しかしこれは『そうしなくては』『そうでなくては』と自ら願い、考え、諦めるものは諦め、捨てるものは捨てるなどして手にした大切な時間なのだから、
まるで捕まえてきた小鳥を咥えて自慢げに飼い主に見せに来た時の猫みたいな少し誇らしい気分で、宮崎の青い空の下、呑気なOFFの時間を愉しんでいるのです。

私がフリーランスになって正解だったと思った最大のポイントは、自由を選べるという選択権を得たことではなく、不本意なことに対して誰に遠慮するでもなくNOと言える拒否権を得たことでした。

先入観に捉われず考えてみれば、確定申告の時期だからって必ずしも忙しくしなくたって良いはずなのです。
自らの選択で、適切に拒否権を行使することができるのであるならば…。

しかしそれはそれとして、やはり思うに任せないこともある。
結果論でしかありませんが、正直勤務税理士時代には、独立開業なんて楽勝だと思っていました。
甘く考えていたのです。

新たな仕事を獲得すること。
人を雇用すること。
そして毎日、毎月、毎年、確実に大過なく仕事をこなして行くこと。
どれもこれも、少しでも手を抜くとすぐに綻びが生じてしまうものですから、私は見苦しいまでにジタバタともがき、試行錯誤しながら前へ進むしかないのです。

そしてこの歳になって、家族との死別や、従業員や顧問先や友人との意見の相反や、なんやかんやと色々経験をして行くうちに、やがて本当の意味で“常ならず(すべては永遠不滅ではない。)”ということを少しずつ理解できるようになってきたのではないかと感じています。
そしてもしも常ならずということが逃れることのできない真理であるとするならば、それを甘受してやろうという覚悟が決まってはじめて、楽しいこともツラいこともすべて余計なことなど考えずに淡々と受け入れてみようじゃないかって気になってくるのです。

それは単に自分の驕りか、あるいは錯覚なのか、あるいは単なる開き直りなのかも知れないけれど(笑)
いずれにしても、今、私は宮崎の海に在る。
2022年02月09日
コチ(鯒)が美味しかったというオハナシ
そういえば、今年海で「寒いなぁ」って思ったことが一度もないぞ?
この子は洟を垂らしているけど(笑)
↓

去年の秋くらいから急に税務調査は増えたし、
相続の案件はゴタゴタしていて一筋縄ではいかないし、
ナンダカンダとストレスばかりが多い日々。
平時なら仕事の間隙を縫うように海外に行ったりして気分転換をはかることもできるのだけれど、思うように海外へ渡航ができない今、自分の心の安寧は、地元の海に行くことによって保たれているのです。

正直言って、ここのところ地元も千葉も、波は良くない。
それでも気が付けば、いつも中山美穂の“WAKU WAKUさせて”を口ずさみながらご機嫌で海へ向かっている自分がいるのです。

なかなか上手く言えないのだけれど・・
とにかく気持ちが良いのです。
楽しいのです。

1173に乗れればそれに越したことはないのだけれど、
少し「ヒヤッ!」とする海の波間に漂いながら、『なかなかセット(の波)が入って来ないなぁ』とか言いながら、沖を凝視するのを一時やめて空を見上げてみる。

いかにも冬らしい凛とした澄んだ色の空に、密度の低そうな雲がクシャクシャと浮かんでいる。
真っ黒のウエットスーツが日光を浴びて温かくなってきた。
『あ〜なんか、気持ちええなぁ・・』とか言いながら、一回ザブンとサーフボードから落ちて全身に冷たい海水を浴びて、またサーフボードによじ登る。
すると途端に、北風に煽られた際の気化熱で一気に体温が下がる。

でも、ぜんぜん寒くない(^^♪。
そして、いつの間にか頭の中は空っぽになって、日常のアレヤコレヤを全部忘れている。
本当に、誇張でもなんでもなく、ぜ〜んぶ♪

本音を言えば、バリやゴールドコーストに行きたいさ。
そりゃそうさ・・
でも、案外そんなところまで行かなくたって、
バリやゴールドコーストとは足元にも及ばないショボい波しか無かったとしても、結構気持ちの良い週末を過ごすことはできるものです。
これが“俺的新常態”ってやつなのでしょう。

家に帰り、温かい風呂に入ってから地元の魚屋に行きました。
そこで地物のコチ(鯒)が売られていたので、それを捌いてもらってサクにしてもらいました。
いそいそと帰宅し、早速先日行きつけの蕎麦屋さんが仕入れて譲ってくれた日本酒をお気に入りの錫の徳利でぬる燗を一合つけました。
そいつでコチ(鯒)のお刺身と一緒にキューってね♪
それがあまりにも美味しくておっタマゲてしまいました。
まあ、色々あるけど、これはこれで結構幸せなのかもしれません。
この子は洟を垂らしているけど(笑)
↓

去年の秋くらいから急に税務調査は増えたし、
相続の案件はゴタゴタしていて一筋縄ではいかないし、
ナンダカンダとストレスばかりが多い日々。
平時なら仕事の間隙を縫うように海外に行ったりして気分転換をはかることもできるのだけれど、思うように海外へ渡航ができない今、自分の心の安寧は、地元の海に行くことによって保たれているのです。

正直言って、ここのところ地元も千葉も、波は良くない。
それでも気が付けば、いつも中山美穂の“WAKU WAKUさせて”を口ずさみながらご機嫌で海へ向かっている自分がいるのです。

なかなか上手く言えないのだけれど・・
とにかく気持ちが良いのです。
楽しいのです。

1173に乗れればそれに越したことはないのだけれど、
少し「ヒヤッ!」とする海の波間に漂いながら、『なかなかセット(の波)が入って来ないなぁ』とか言いながら、沖を凝視するのを一時やめて空を見上げてみる。

いかにも冬らしい凛とした澄んだ色の空に、密度の低そうな雲がクシャクシャと浮かんでいる。
真っ黒のウエットスーツが日光を浴びて温かくなってきた。
『あ〜なんか、気持ちええなぁ・・』とか言いながら、一回ザブンとサーフボードから落ちて全身に冷たい海水を浴びて、またサーフボードによじ登る。
すると途端に、北風に煽られた際の気化熱で一気に体温が下がる。

でも、ぜんぜん寒くない(^^♪。
そして、いつの間にか頭の中は空っぽになって、日常のアレヤコレヤを全部忘れている。
本当に、誇張でもなんでもなく、ぜ〜んぶ♪

本音を言えば、バリやゴールドコーストに行きたいさ。
そりゃそうさ・・
でも、案外そんなところまで行かなくたって、
バリやゴールドコーストとは足元にも及ばないショボい波しか無かったとしても、結構気持ちの良い週末を過ごすことはできるものです。
これが“俺的新常態”ってやつなのでしょう。

家に帰り、温かい風呂に入ってから地元の魚屋に行きました。
そこで地物のコチ(鯒)が売られていたので、それを捌いてもらってサクにしてもらいました。
いそいそと帰宅し、早速先日行きつけの蕎麦屋さんが仕入れて譲ってくれた日本酒をお気に入りの錫の徳利でぬる燗を一合つけました。
そいつでコチ(鯒)のお刺身と一緒にキューってね♪
それがあまりにも美味しくておっタマゲてしまいました。
まあ、色々あるけど、これはこれで結構幸せなのかもしれません。
2022年01月11日
酔漢、怒る(笑)
年末のテレビ画面の中では、したり顔のキャスターが「コロナの一年」などと2021年を総括してました。

テレビを見ながら、少し飲み過ぎたかな?
「あれ?宮崎に行ったのって去年だっけ?オトトシだっけ?」みたいな感じで曖昧になった記憶を辿るために2021年1年分の自分のFacebookを遡って眺めていたら、だんだん自分で自分に腹が立ってきてしまいました。
『俺・・コロナを言い訳にして、結局何もしてないじゃないか・・』

自分がボヤボヤしている間に、留学中の長男は大学を卒業して次の課程に進学を決め、
周囲の税理士は、各々の戦略に基づいて着々と仕事をこなし、
サーファーの先輩方は、まるでコロナ禍なんて関係ないよとばかりに海外の波を求めて飛び回り、

その一方、何をとっても中途半端な私ときたら「さすがにコロナじゃ身動きとれないよ」なんて愚にもつかんような言い訳ばかり言って、結局何もしていない💦。
カッコ悪いったら有りゃしないのです。

それは一言で言えば、「覚悟が足りなかった」ということなのでしょう。
どんなにクダラナイことでも良いから、もっともがいて、無様でカッコ悪いくらいにジタバタ生きてやらないと・・、それこそカッコ悪いじゃありませんか。

たとえば、皆が等しく80歳まで生きることができるとして
自分が後何年元気に動けるのかを考慮して、コロナを言い訳にして無為に生きていくなんて、勿体な過ぎますよ。

酔漢は、怒っているのです。
で、腹が立つから、もう一杯呑んじゃお😝

テレビを見ながら、少し飲み過ぎたかな?
「あれ?宮崎に行ったのって去年だっけ?オトトシだっけ?」みたいな感じで曖昧になった記憶を辿るために2021年1年分の自分のFacebookを遡って眺めていたら、だんだん自分で自分に腹が立ってきてしまいました。
『俺・・コロナを言い訳にして、結局何もしてないじゃないか・・』

自分がボヤボヤしている間に、留学中の長男は大学を卒業して次の課程に進学を決め、
周囲の税理士は、各々の戦略に基づいて着々と仕事をこなし、
サーファーの先輩方は、まるでコロナ禍なんて関係ないよとばかりに海外の波を求めて飛び回り、

その一方、何をとっても中途半端な私ときたら「さすがにコロナじゃ身動きとれないよ」なんて愚にもつかんような言い訳ばかり言って、結局何もしていない💦。
カッコ悪いったら有りゃしないのです。

それは一言で言えば、「覚悟が足りなかった」ということなのでしょう。
どんなにクダラナイことでも良いから、もっともがいて、無様でカッコ悪いくらいにジタバタ生きてやらないと・・、それこそカッコ悪いじゃありませんか。

たとえば、皆が等しく80歳まで生きることができるとして
自分が後何年元気に動けるのかを考慮して、コロナを言い訳にして無為に生きていくなんて、勿体な過ぎますよ。

酔漢は、怒っているのです。
で、腹が立つから、もう一杯呑んじゃお😝
2021年12月01日
“面白そう”を選ぶ人
最近になって、分かったことがあります。
それは、「世の中には2種類の人がいる」ということ。

ひとつは、
選択に迷った時に“賢明な方”を選ぶ人。

もうひとつは、
選択に迷った時に“面白そうと思う方”を選ぶ人。

私の場合、プライベートは確実に後者。
税理士として仕事を受けるかどうかを決める時も後者。

受任した仕事を実際に遂行する時に限って前者です。
なぜなら、結果に対して専門家としての責任を伴うから・・。

仕事の場面でも、遊びの場面でも、色々な人に出会います。
そしてたいていの場合、人は“賢明な選択”をしようとリスクを列挙しはじめて、結局「失敗しない方」の選択として「リスクのない方」を選び・・
結果として最終的に「現状維持」か、あるいは「より無難な方」を結論として導き出すのです。

よく投資や起業の世界では【リスクなくして成功なし】なんてことを耳にするのですが、本当の意味でそれを理解して実行できている人なんてごく少数なのだということを実感します。
そのことは、就業者の中に占めるサラリーマン(最終的に個人で責任(リスク)を負わない働き方)の割合が85%にも及ぶという厚生労働省のデータからもおよそ推測されるところであります。

そのことが分かってから、自分と関わる人が面白くない方の選択をしたとしても、私は「ガッカリ」することがほとんどなくなりました。
言い方は悪いですが(笑)・・たぶん私はハナから他人に期待などしていないのだと思います。
それは20数年も育ててきた自分の子供に対してさえも、今は『好きにすればよいじゃないか』としか思いません。
彼らももう大人なのですから。
続きを読む
それは、「世の中には2種類の人がいる」ということ。

ひとつは、
選択に迷った時に“賢明な方”を選ぶ人。

もうひとつは、
選択に迷った時に“面白そうと思う方”を選ぶ人。

私の場合、プライベートは確実に後者。
税理士として仕事を受けるかどうかを決める時も後者。

受任した仕事を実際に遂行する時に限って前者です。
なぜなら、結果に対して専門家としての責任を伴うから・・。

仕事の場面でも、遊びの場面でも、色々な人に出会います。
そしてたいていの場合、人は“賢明な選択”をしようとリスクを列挙しはじめて、結局「失敗しない方」の選択として「リスクのない方」を選び・・
結果として最終的に「現状維持」か、あるいは「より無難な方」を結論として導き出すのです。

よく投資や起業の世界では【リスクなくして成功なし】なんてことを耳にするのですが、本当の意味でそれを理解して実行できている人なんてごく少数なのだということを実感します。
そのことは、就業者の中に占めるサラリーマン(最終的に個人で責任(リスク)を負わない働き方)の割合が85%にも及ぶという厚生労働省のデータからもおよそ推測されるところであります。

そのことが分かってから、自分と関わる人が面白くない方の選択をしたとしても、私は「ガッカリ」することがほとんどなくなりました。
言い方は悪いですが(笑)・・たぶん私はハナから他人に期待などしていないのだと思います。
それは20数年も育ててきた自分の子供に対してさえも、今は『好きにすればよいじゃないか』としか思いません。
彼らももう大人なのですから。
続きを読む
2021年10月26日
1864
最近、思わぬ人から『昔からこのブログを読んでいるので、サイアキさんのことは以前から知ってます』と言われ、『うわぁぁぁぁぁぁぁΣ(゚口゚;)//』とシドロモドロになることが頻発しております(汗)。
またその件については別の機会に記事にするとして(笑)、今回は、かつてこのブログには“旨ひ〜”という記事のカテゴリーがあったことをフト思い出し、久しぶりに投稿してみました。
それでは行ってみよう・・1864
会員と一緒でないと入れない、スペシャルなステーキ店です。

今回は、1864の店主の金田中の元総料理長だった高橋さんとのご縁で寄らせていただきました。(ここで使用される器類も、高橋さんの作品なのだとか・・)
緊急事態宣言も明けたというのに、厨房を取り囲むようにあるカウンター席は、私と同行者の2名のみ。
高橋さんを独占です(笑)。

お肉は、松阪牛と但馬牛。
ランプの赤身やシャトーブリアン、サーロインやヒレ肉
フレッシュなのや、熟成肉や。
目の前で恐ろしい分量のトリミングが行われ(心の中で「ひえ〜、もったいない」と絶叫してしまう)、目の前にデ〜ンと設置された炭火の窯で焼き上げます。
キャンプで肉焼きに萌えるタイプの私としては、プロの焼き技をガン見し、そして質問魔と化して大変勉強になりました。(炭火や焼く時間以上に、火からはずして余熱で寝かす時間が圧倒的に長いのが印象的でした。)

その長い待ち時間は、元料亭の総料理長だった高橋さんのすばらしい和食が楽しめます。
蒸しアワビとクリームチーズの和え物。

鯛と蕪を炊いたの

カラスミと銀杏
カラスミの味があまりにも濃厚で、思わず高橋さんに「これは何かひと手間かけてこの味に?」とお聞きしたのですが、まったく塩と焼酎以外は使っていない・・とのこと。

と、ここで「こんなカラスミを出されてはかなわん」と、ステーキ店なのに日本酒を一合頼みました(笑)。

さきほど大量にトリミングされた牛肉は、このコンソメスープになるのだそうです。

スライスされたトリュフの香り豊かなサラダをつまみつつ、「肉はまだか?」と気が急いてくるセッカチな私(笑)。

と、ここでワインを飲まずにはいられないセットが・・。

ピション・バロン です。

1864限定でカイザーに焼いてもらっているというオニオン入りのパン

4種 食べ比べ

デザートは、柿とマスカット

と、思ったらもう一品。
くず切り

ちょうど我々の食事が終わる頃、目の前で若手の職人が仕込みをしていました。
ちょいと珍しい赤鯖という魚をどうしたら美味しくいただけるか、試行錯誤されているところを『ちょっとツマみたいんだけど』と無理を言ってツマんでみました(笑)。

高橋さんがおっしゃるには、「若いのに好きにやらせて育てるのだ」・・と。
すばらしい ( ̄ー ̄)b
またその件については別の機会に記事にするとして(笑)、今回は、かつてこのブログには“旨ひ〜”という記事のカテゴリーがあったことをフト思い出し、久しぶりに投稿してみました。
それでは行ってみよう・・1864
会員と一緒でないと入れない、スペシャルなステーキ店です。

今回は、1864の店主の金田中の元総料理長だった高橋さんとのご縁で寄らせていただきました。(ここで使用される器類も、高橋さんの作品なのだとか・・)
緊急事態宣言も明けたというのに、厨房を取り囲むようにあるカウンター席は、私と同行者の2名のみ。
高橋さんを独占です(笑)。

お肉は、松阪牛と但馬牛。
ランプの赤身やシャトーブリアン、サーロインやヒレ肉
フレッシュなのや、熟成肉や。
目の前で恐ろしい分量のトリミングが行われ(心の中で「ひえ〜、もったいない」と絶叫してしまう)、目の前にデ〜ンと設置された炭火の窯で焼き上げます。
キャンプで肉焼きに萌えるタイプの私としては、プロの焼き技をガン見し、そして質問魔と化して大変勉強になりました。(炭火や焼く時間以上に、火からはずして余熱で寝かす時間が圧倒的に長いのが印象的でした。)

その長い待ち時間は、元料亭の総料理長だった高橋さんのすばらしい和食が楽しめます。
蒸しアワビとクリームチーズの和え物。

鯛と蕪を炊いたの

カラスミと銀杏
カラスミの味があまりにも濃厚で、思わず高橋さんに「これは何かひと手間かけてこの味に?」とお聞きしたのですが、まったく塩と焼酎以外は使っていない・・とのこと。

と、ここで「こんなカラスミを出されてはかなわん」と、ステーキ店なのに日本酒を一合頼みました(笑)。

さきほど大量にトリミングされた牛肉は、このコンソメスープになるのだそうです。

スライスされたトリュフの香り豊かなサラダをつまみつつ、「肉はまだか?」と気が急いてくるセッカチな私(笑)。

と、ここでワインを飲まずにはいられないセットが・・。

ピション・バロン です。

1864限定でカイザーに焼いてもらっているというオニオン入りのパン

4種 食べ比べ

デザートは、柿とマスカット

と、思ったらもう一品。
くず切り

ちょうど我々の食事が終わる頃、目の前で若手の職人が仕込みをしていました。
ちょいと珍しい赤鯖という魚をどうしたら美味しくいただけるか、試行錯誤されているところを『ちょっとツマみたいんだけど』と無理を言ってツマんでみました(笑)。

高橋さんがおっしゃるには、「若いのに好きにやらせて育てるのだ」・・と。
すばらしい ( ̄ー ̄)b
2021年09月02日
この杯を受けてくれ(Road to Qatar 2022)
この杯を受けてくれ
どうぞなみなみ注がしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ
【于武陵「勧酒」(訳)井伏鱒二】

いったい、いつまでこんな“非常事態“が続くのでしょうか?
海外に行ったきりの長男とももうずいぶん長いこと会っていませんし、おちおち友達と盛り場にワッと繰り出して飲みにも行くことさえままなりません。
そんな状況下においても、サーフィンをしたり、ツーリングに行ったり、キャンプに行ったりして、なんとかストレスを溜めずにやっております。

前出の井伏鱒二の「花も嵐も」ですが・・
一般的には、美しく咲いた花が嵐で一瞬にして無残に散ってしまう様になぞらえ、美しいものも、楽しい時間も、「いつかアッサリとお終いを迎える」という無常観を詠っているものと解釈されております。
確かにその通りなのですが、しかし肝心なことは、何事においても必ず「いつかはお終いがやってくる」という理(ことわり)が不変の真理であるとするならば、「それなら、ではどうする?」と考えることだと思うのです。

「どうせ終わるなら、もうどうでもいいや」と腹をくくってジタバタしないという選択をすることもあろうかと思いますし、
「いつか終わりが来ると分かっているなら、せめて今この時間を大切にしよう」と刹那的に生きるという選択をすることもあろうかと思います。

私はもうずいぶん前から、後者のような考え方をするようになりました。
どうせ、いつか何もかにもが終わっちまうっていうのなら、今、こんな状況下にあっても何ができるだろうか?と考えてみる。

来年
2022年。
また2018年のロシアW杯に行ったメンバーと「カタールに行こう!」と、先日W杯の観戦チケットの手配に着手しました。
果たして、来年には海外渡航は出来るようになっているのでしょうか?
まさかとは思うけど・・W杯アジア地区予選で敗退して本戦に出場できないなんてことはないですよね💦?
考え出したらキリがないのだけれど、
これまでだって、いつだって、ちゃんと成る様になっている。 d(´∀`)
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2021年08月12日
独立を躊躇っている税理士さんはいませんか?
勤務税理士で
もう、今の勤務先の会計事務所で仕事をすることにウンザリしていて
「辞めて独立しちゃおうかな・・」と思っているけど
「でもなぁ・・所長はのれん分けなんてしてくれないだろうし、自分の顧問先なんて全然無いし、独立して無収入になって家族に迷惑かける訳にもいかないし・・やっぱり我慢してここで働くしかないかなぁ・・」なんてくすぶっている勤務税理士の方はいませんか?
うちの事務所(JR新橋駅前のニュー新橋ビル内です)、引っ越して広くなったので机も空いているし、税務会計ソフトのサーバーの使用枠に余裕あるし・・
自分も、相棒の税理士も「もう仕事増やさなくていいかな‥」って思っていて、お渡しできる仕事も結構あると思うし・・
もしも「これはチャンスかも?」ってピンときた人がいたら、下のコメント欄にコメントください('◇')ゞ
もう、今の勤務先の会計事務所で仕事をすることにウンザリしていて
「辞めて独立しちゃおうかな・・」と思っているけど
「でもなぁ・・所長はのれん分けなんてしてくれないだろうし、自分の顧問先なんて全然無いし、独立して無収入になって家族に迷惑かける訳にもいかないし・・やっぱり我慢してここで働くしかないかなぁ・・」なんてくすぶっている勤務税理士の方はいませんか?
うちの事務所(JR新橋駅前のニュー新橋ビル内です)、引っ越して広くなったので机も空いているし、税務会計ソフトのサーバーの使用枠に余裕あるし・・
自分も、相棒の税理士も「もう仕事増やさなくていいかな‥」って思っていて、お渡しできる仕事も結構あると思うし・・
もしも「これはチャンスかも?」ってピンときた人がいたら、下のコメント欄にコメントください('◇')ゞ
2021年07月08日
熊野へ巡礼ツーリング
最初に「熊野に行きたい」と思ったのは、意外にもサーフィンがキッカケでした。

まだサーフィンを始めたばかりの頃、海が大荒れの時に板切れ一枚にしがみついて沖に漕ぎ出すのは、とても怖ろしく感じたものです。
実際、一生懸命パドリングをして、漕げども漕げども、一向にサーフボードは思ったところへは向って行ってくれません。
やがて離岸流に乗ってしまったのでしょう・・みるみる間に陸地が遠のいて行って、やがて「もう戻れないのではないか?」と不安を感じはじめると、自分のすぐ隣に死が横たわっているような恐怖に襲われて、ひどく心細い思いがしたことを覚えています。

その時にふと思い出したのが、以前読んだ本に書いてあった“海上他界”という概念です。
※熊野や高知には、海の彼方に観音菩薩が降臨する理想郷があると信じられており、そこを目指して、外に出られないように扉を釘でふさいだ小舟に30日分の食糧と油を積み、呪文を唱えながら伴舟に曳かれて海へと旅立つといった信仰があったそうです(補陀落渡海)。
真っ暗にふさがれた小舟の中で、信仰のためにただ死ぬためだけに旅に出る人もきっと、その時の私のように心細い思いをしたことでしょう。
いや、もしかすると、観音菩薩のもとに行ける幸せをかみしめていたのかもしれないですね💦。
そんな取り止めもない想像を巡らせながら、『いつかそこを訪れて、補陀落渡海についてもっと知りたい』なんて思ったのです。

海上他界の話を知るまで、私はてっきり、熊野地方の信仰は熊野三山や那智の滝を中心とした“山中他界”の世界だと思っていました。
熊野は信仰のある者以外は近づくことさえ拒み続けてきた険しい山々に囲まれており、ただ死者の霊魂だけが、自由にこの山を越えることができたと言われてきました。

人が死ねば、その死者は枕元にたてられた一本の樒の花を持って熊野詣をするため、熊野詣に行くとその途中で死んだ親族や知人に会うことができるのだと・・。
それはにわかには信じがたいお話しなのではあるけれど・・
しかし、「もしかしたら?」となんてことを思ってしまうと、私は居ても立ってもいられなくなり、仕事終わりに東京を経ち、一路夜の新東名をバイクで西へ向かったのです。
その翌朝、名古屋の友達と鳥羽で合流し、一路熊野へ。

今回の旅のメイン目的地は”大雲取越”。
そこは死者の魂が熊野本宮大社までを辿る道。
亡くなった人と再会できる場所。
バイクを置いて丸一日、私たちは大雲取越を歩くことにしました。

基本この旅はバイクのツーリング旅なので、山歩きの装備はほとんどありません。
普段バイクに乗る時に履いている靴で、リュックも持っていなかったので着替えをしまっていたナイロン製のシューズバックをリュック替わりにして、テクテクと不規則な石段の山道を6時間歩きました。

歩きながら考えたことは、旅立つ前に「会いたい」と思っていた人のこと。
当然のことながら、その人とその山中で会うことはありませんでした。
しかし、久しぶりにその人のことを思しながら歩いたその一日は、ちょっとしたその死者に対する弔いにはなったのではないでしょうか・・。

まだサーフィンを始めたばかりの頃、海が大荒れの時に板切れ一枚にしがみついて沖に漕ぎ出すのは、とても怖ろしく感じたものです。
実際、一生懸命パドリングをして、漕げども漕げども、一向にサーフボードは思ったところへは向って行ってくれません。
やがて離岸流に乗ってしまったのでしょう・・みるみる間に陸地が遠のいて行って、やがて「もう戻れないのではないか?」と不安を感じはじめると、自分のすぐ隣に死が横たわっているような恐怖に襲われて、ひどく心細い思いがしたことを覚えています。

その時にふと思い出したのが、以前読んだ本に書いてあった“海上他界”という概念です。
※熊野や高知には、海の彼方に観音菩薩が降臨する理想郷があると信じられており、そこを目指して、外に出られないように扉を釘でふさいだ小舟に30日分の食糧と油を積み、呪文を唱えながら伴舟に曳かれて海へと旅立つといった信仰があったそうです(補陀落渡海)。
真っ暗にふさがれた小舟の中で、信仰のためにただ死ぬためだけに旅に出る人もきっと、その時の私のように心細い思いをしたことでしょう。
いや、もしかすると、観音菩薩のもとに行ける幸せをかみしめていたのかもしれないですね💦。
そんな取り止めもない想像を巡らせながら、『いつかそこを訪れて、補陀落渡海についてもっと知りたい』なんて思ったのです。

海上他界の話を知るまで、私はてっきり、熊野地方の信仰は熊野三山や那智の滝を中心とした“山中他界”の世界だと思っていました。
熊野は信仰のある者以外は近づくことさえ拒み続けてきた険しい山々に囲まれており、ただ死者の霊魂だけが、自由にこの山を越えることができたと言われてきました。

人が死ねば、その死者は枕元にたてられた一本の樒の花を持って熊野詣をするため、熊野詣に行くとその途中で死んだ親族や知人に会うことができるのだと・・。
それはにわかには信じがたいお話しなのではあるけれど・・
しかし、「もしかしたら?」となんてことを思ってしまうと、私は居ても立ってもいられなくなり、仕事終わりに東京を経ち、一路夜の新東名をバイクで西へ向かったのです。
その翌朝、名古屋の友達と鳥羽で合流し、一路熊野へ。

今回の旅のメイン目的地は”大雲取越”。
そこは死者の魂が熊野本宮大社までを辿る道。
亡くなった人と再会できる場所。
バイクを置いて丸一日、私たちは大雲取越を歩くことにしました。

基本この旅はバイクのツーリング旅なので、山歩きの装備はほとんどありません。
普段バイクに乗る時に履いている靴で、リュックも持っていなかったので着替えをしまっていたナイロン製のシューズバックをリュック替わりにして、テクテクと不規則な石段の山道を6時間歩きました。

歩きながら考えたことは、旅立つ前に「会いたい」と思っていた人のこと。
当然のことながら、その人とその山中で会うことはありませんでした。
しかし、久しぶりにその人のことを思しながら歩いたその一日は、ちょっとしたその死者に対する弔いにはなったのではないでしょうか・・。
2021年05月10日
バイクとオジサン
「極力、他者と接しないよう外出するな」と人は言う。
人から人へと感染する、まったく厄介なウイルスです。
人と会えないことをストレスに感じる人もいるかもしれませんが、私のように「それはそれで良いんじゃないか?」と思う人も少なくないはずです。
要はそれって、他者とどのように接するのかという、人それぞれのスタイルの問題でしかないのですから。

そんな私は、とりあえずサーフボードを持って海に行けば、何時間でも自分ひとりで退屈せずに過ごすことができるのですが、なにせ自然相手、波がまったく無かったり、あるいは強い風が吹いてどうしようもない状況に陥り、週末に暇を持て余すこともしばしば。
何週間も連続で波に恵まれなかったある日、「このままではイカン、腐ってしまう!」と思い始めていた矢先、何の気なしに友人のオフロードバイクを借りて西伊豆までソロツーリングに行ってみたところ、すっかり林道にハマってしまいました。

人里離れた、滅多に人が入らないような廃道のような場所でも、オフロードバイクならグイグイ入って行けて、ちょっとした冒険気分が味わえます。
車体が軽いので、急に林道が行き止まりになったとしても、強引に車体の向きを変えてUターンするのも容易ですし、自由度が半端ないのです。
右を見ても左を見ても、まったく人けのない手つかずの自然のままの美しい渓流の景色。
予想もしない悪路の連続。
「どこにでも行けちゃう」という自由さと気楽さ。
すっかり林道走行に夢中になってしまいました。

その西伊豆ツーリングに行くまでは、「自分がバイクを買ってもほとんど乗らないだろうな」と思っていて、これっぽっちも「バイクを買おう」なんて思っていなかったのです。
それが急転直下、「バイクって自由で楽しい乗り物なんだ」ということを新ためて思い出し、バイクの魅力というものを再認識して、私はオフロードバイクを購入してしまったという訳です。

先日、たまたま東京MXでスーパーカブというアニメが放映されることを知って試しに観てみたら、それが思いの外面白くて、今では毎週録画をして観るのが楽しみになってしまいました。

こういうのが“今どき“っぽいのかな・・
無気力な感じの主人公に感情移入ができないのだけれど、はじめて乗ったバイクのドキドキ・流れる景色・ガス欠した時の絶望感・マニュアルと読みながら一つずつ覚えていく操作・バイクに乗ったことで広がっていく思いがけない世界、そういう一つ一つの小さなバイクの魅力が随所に描かれていて、観ていてとても楽しい作品なのです。

事実、サーフィン以外何も面白く感じなかった50代のオジサン(私)が、久しぶりに乗ったバイクにドキドキしているのですから(笑)、やっぱりバイクってオモシロい。
続きを読む
人から人へと感染する、まったく厄介なウイルスです。
人と会えないことをストレスに感じる人もいるかもしれませんが、私のように「それはそれで良いんじゃないか?」と思う人も少なくないはずです。
要はそれって、他者とどのように接するのかという、人それぞれのスタイルの問題でしかないのですから。

そんな私は、とりあえずサーフボードを持って海に行けば、何時間でも自分ひとりで退屈せずに過ごすことができるのですが、なにせ自然相手、波がまったく無かったり、あるいは強い風が吹いてどうしようもない状況に陥り、週末に暇を持て余すこともしばしば。
何週間も連続で波に恵まれなかったある日、「このままではイカン、腐ってしまう!」と思い始めていた矢先、何の気なしに友人のオフロードバイクを借りて西伊豆までソロツーリングに行ってみたところ、すっかり林道にハマってしまいました。

人里離れた、滅多に人が入らないような廃道のような場所でも、オフロードバイクならグイグイ入って行けて、ちょっとした冒険気分が味わえます。
車体が軽いので、急に林道が行き止まりになったとしても、強引に車体の向きを変えてUターンするのも容易ですし、自由度が半端ないのです。
右を見ても左を見ても、まったく人けのない手つかずの自然のままの美しい渓流の景色。
予想もしない悪路の連続。
「どこにでも行けちゃう」という自由さと気楽さ。
すっかり林道走行に夢中になってしまいました。

その西伊豆ツーリングに行くまでは、「自分がバイクを買ってもほとんど乗らないだろうな」と思っていて、これっぽっちも「バイクを買おう」なんて思っていなかったのです。
それが急転直下、「バイクって自由で楽しい乗り物なんだ」ということを新ためて思い出し、バイクの魅力というものを再認識して、私はオフロードバイクを購入してしまったという訳です。

先日、たまたま東京MXでスーパーカブというアニメが放映されることを知って試しに観てみたら、それが思いの外面白くて、今では毎週録画をして観るのが楽しみになってしまいました。
私にはなにもない。と思っていた。
山梨県北杜市の高校に通う女の子、小熊。
両親も友達も趣味も無い、何も無い日々を過ごす彼女がたまたま立ち寄ったバイクショップ。
そこで出逢ったのは古びた1台のバイク、後に小熊の生活を一変させる「スーパーカブ」だった。
【TVアニメ「スーパーカブ」公式サイトより 】

こういうのが“今どき“っぽいのかな・・
無気力な感じの主人公に感情移入ができないのだけれど、はじめて乗ったバイクのドキドキ・流れる景色・ガス欠した時の絶望感・マニュアルと読みながら一つずつ覚えていく操作・バイクに乗ったことで広がっていく思いがけない世界、そういう一つ一つの小さなバイクの魅力が随所に描かれていて、観ていてとても楽しい作品なのです。

事実、サーフィン以外何も面白く感じなかった50代のオジサン(私)が、久しぶりに乗ったバイクにドキドキしているのですから(笑)、やっぱりバイクってオモシロい。
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2021年04月06日
お別れと悔恨
バイクで南アルプスの林道を走行中、カーナビ代わりに使用しているスマホの画面にしきりに家族LINEの着信通知が届いているのを見て、自宅で何が起きているのかを察しました。
早くLINEを開いて確かめたい・・。
でも、もしもバイクを停めてスマホをタップしたら、まだ「もしかしたら私の思い過ごしかもしれない」という淡い期待は一瞬にして吹き飛ばされて、ただ知りたくもない現実を目の前に突きつけられるだけだということは百も承知だったので、私は悶々とした気持ちを抱えながらしばらくバイクを走らせていました。

帰宅をすると、妻が愛犬の由真ちゃんの傍らで大粒の涙を流しながら泣いていました。
それなのに私は、ピクリとも動かなくなった由真ちゃんの骸(むくろ)を見ても不思議と悲しいという感情は湧かずに、「もう二度と会うことができないのだ」という寂しさからか、ただ胸が震えるだけで、落涙することはありませんでした。
そして、その時に私が思ったのが・・『またかよ・・』
正直、いくら鈍感な私でも、大好きな者との離別は、やはり耐えられないほどの苦痛なのです。
必ず、そして絶対、誰にでも、自分にも訪れる“死”に対しては、ある程度「当然のこと」として受け入れることはできるのです。
だけど、離別の寂しさばかりは
次から次へと
もう本当に勘弁してもらいたいと思うのですが、年齢的に間違いなくこれからは今まで以上に離別を受け入れなくてはならない状況を甘受されられることでしょう。
ホント、ウンザりです。
私だってもう良い歳なのだから、そろそろ何事にも拘泥せず、ただ水のような、雲のような、悔恨のない生き方ってできないものだろうか?と思うのだけれど・・
それもできずに、いつまでも、ただ悔恨ばかりしながらこれから何年も生きていかなければならないのでしょうか?
どこまで私は愚かなのでしょうか。
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早くLINEを開いて確かめたい・・。
でも、もしもバイクを停めてスマホをタップしたら、まだ「もしかしたら私の思い過ごしかもしれない」という淡い期待は一瞬にして吹き飛ばされて、ただ知りたくもない現実を目の前に突きつけられるだけだということは百も承知だったので、私は悶々とした気持ちを抱えながらしばらくバイクを走らせていました。

帰宅をすると、妻が愛犬の由真ちゃんの傍らで大粒の涙を流しながら泣いていました。
それなのに私は、ピクリとも動かなくなった由真ちゃんの骸(むくろ)を見ても不思議と悲しいという感情は湧かずに、「もう二度と会うことができないのだ」という寂しさからか、ただ胸が震えるだけで、落涙することはありませんでした。
そして、その時に私が思ったのが・・『またかよ・・』
正直、いくら鈍感な私でも、大好きな者との離別は、やはり耐えられないほどの苦痛なのです。
必ず、そして絶対、誰にでも、自分にも訪れる“死”に対しては、ある程度「当然のこと」として受け入れることはできるのです。
だけど、離別の寂しさばかりは
次から次へと
もう本当に勘弁してもらいたいと思うのですが、年齢的に間違いなくこれからは今まで以上に離別を受け入れなくてはならない状況を甘受されられることでしょう。
ホント、ウンザりです。
私だってもう良い歳なのだから、そろそろ何事にも拘泥せず、ただ水のような、雲のような、悔恨のない生き方ってできないものだろうか?と思うのだけれど・・
それもできずに、いつまでも、ただ悔恨ばかりしながらこれから何年も生きていかなければならないのでしょうか?
どこまで私は愚かなのでしょうか。
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2021年02月25日
老犬
ここ数年
親との死別・・
妻が大病し・・
子供たちが家から居なくなり・・
仕事仲間と離反したり・・
(ノ_-;)…ナンダヨ…モウ…
ガックシ落ち込みながらも、それでもこれまで上っ面ではエヘラエヘラと笑ってなんとかやって来れたのも、自分にはまだ気力と体力があって虚勢を張る余力があったから。

一方、我が家の老犬(ゆまちゃん)は、いよいよ終末を迎えようとしているようで。
元々、保健所の保護犬で、それを「救える命があるのなら」と譲渡会で譲り受け、以来14年間。
一緒に遊び
時にはイタズラをしたゆまちゃんを怒ったり
それでも毎日私が帰宅をすると、尻尾をブンブン振って笑顔で迎えてくれた。
そんなゆまちゃんは、近頃ではまったくご飯を食べなくなってしまい
栄養不足なのか、すっかり体力も無くなって、日がな寝てばかり。
時より「よっコラショ」と起き上がり、フラフラとした足取りで歩く姿は元気だった頃の往時の面影はありません。
近頃では、朝には点滴を打ってもらうために動物病院へ連れて行き、夜はぐっすりストレスなく眠れるようにと動物病院から引き取って、暖かくした部屋で添い寝をしながら寝姿を見守る。
そしていよいよ今日からは、自宅で嫌がるゆまちゃんを押さえながら私と妻とで点滴の皮下注射を打たなければなりません。
そんなことまでして、ゆまちゃんにツライ思いまでさせてまで「長生きしてね』なんて身勝手な戯言を言っている自分にホトホト嫌気がさして、やりきれない気持ちになってしまいます。

翻って、日に日に衰えて行くゆまちゃんの姿は、まるで写し鏡に映った20年後の自分の姿を見ているようで、「歳をとるということは、こういうことなのだ・・」ということをヒシヒシと実感せざるを得ないのです。
「歳を重ねることは決して悪いことではない」なんてことを言う人もいますが、そんなのって、悲哀をポジティブに表しただけのただのマヤカシじゃないかと思うのです。
“自分ではどうしようもないことが増えてゆく”というのは、やっぱりツラく悲しいことなのではないでしょうか。
そう思うと、
だからこそ今まだ気力と体力のあるうちくらいは、日々を大切に一所懸命に生きていくということを意識しておかないとただ漫然と日々が過ぎてしまい、いつかきっと老いさらばえて自由が利かなくなった時に後悔することになる。
それにしても、“生きていく”って、
ただそれだけでも本当に大変なことなのだということを、あらためて感じました。
ましてや、悔いを残さずに生きていくことなど・・。
続きを読む
親との死別・・
妻が大病し・・
子供たちが家から居なくなり・・
仕事仲間と離反したり・・
(ノ_-;)…ナンダヨ…モウ…
ガックシ落ち込みながらも、それでもこれまで上っ面ではエヘラエヘラと笑ってなんとかやって来れたのも、自分にはまだ気力と体力があって虚勢を張る余力があったから。

一方、我が家の老犬(ゆまちゃん)は、いよいよ終末を迎えようとしているようで。
元々、保健所の保護犬で、それを「救える命があるのなら」と譲渡会で譲り受け、以来14年間。
一緒に遊び
時にはイタズラをしたゆまちゃんを怒ったり
それでも毎日私が帰宅をすると、尻尾をブンブン振って笑顔で迎えてくれた。
そんなゆまちゃんは、近頃ではまったくご飯を食べなくなってしまい
栄養不足なのか、すっかり体力も無くなって、日がな寝てばかり。
時より「よっコラショ」と起き上がり、フラフラとした足取りで歩く姿は元気だった頃の往時の面影はありません。
近頃では、朝には点滴を打ってもらうために動物病院へ連れて行き、夜はぐっすりストレスなく眠れるようにと動物病院から引き取って、暖かくした部屋で添い寝をしながら寝姿を見守る。
そしていよいよ今日からは、自宅で嫌がるゆまちゃんを押さえながら私と妻とで点滴の皮下注射を打たなければなりません。
そんなことまでして、ゆまちゃんにツライ思いまでさせてまで「長生きしてね』なんて身勝手な戯言を言っている自分にホトホト嫌気がさして、やりきれない気持ちになってしまいます。

翻って、日に日に衰えて行くゆまちゃんの姿は、まるで写し鏡に映った20年後の自分の姿を見ているようで、「歳をとるということは、こういうことなのだ・・」ということをヒシヒシと実感せざるを得ないのです。
「歳を重ねることは決して悪いことではない」なんてことを言う人もいますが、そんなのって、悲哀をポジティブに表しただけのただのマヤカシじゃないかと思うのです。
“自分ではどうしようもないことが増えてゆく”というのは、やっぱりツラく悲しいことなのではないでしょうか。
そう思うと、
だからこそ今まだ気力と体力のあるうちくらいは、日々を大切に一所懸命に生きていくということを意識しておかないとただ漫然と日々が過ぎてしまい、いつかきっと老いさらばえて自由が利かなくなった時に後悔することになる。
それにしても、“生きていく”って、
ただそれだけでも本当に大変なことなのだということを、あらためて感じました。
ましてや、悔いを残さずに生きていくことなど・・。
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2021年01月22日
振り返れば不要不急なことしかやってこなかった
友達と2人で飲みに行こうかどうしようか、相談をしていたのです。
言ってしまえば、飲みに行くなんていうのは、絵にかいたような“不要不急”な行為なわけで、このご時世では完全なNG行為だってことは重々分かっており、そりゃ、飲みに行かないって選択をすればノーリスクでしょうよ。
分かってますよ・・。

“不要不急”ってつまり、
ご飯食べて、寝て、排泄して、
またご飯食べて、寝て、排泄して、
そして口糊を凌ぐために労働をして・・
その無限の繰り返し以外は、全部“不要不急”ってことでしょ?

それなのに、自分ときたら今までさんざん旅に出て、バイクに乗って、サーフィンをして、大酒を飲んで・・
しかし、もしも過去の自分が「リスクがあるから無駄なことはやらない」なんて選択をしていたら、
まるで死期を待つだけの老人のような“ただ生きてるだけの日々“を送っていた訳で、それはおそらくひどく味気ないものだったのではないかと思われ、やっぱり、こんな事態になってしまった今においても尚、不要不急の無駄が恋しくて仕方がないのです。

それでもやはり、今のご時世は“何もしない”が正解!
それは、自分のような朽ちかけたオッサンなら『しょうがねーな』と諦めることもできるかもしれないけれど、“死”なんてまったく我が事のように感じられない若い人にとってただ生きてくだけの日々っていうのは相当シンドイことだと思うのです。
有り余る“生”は、さぞかし不要不急を渇望していることでしょう。

言ってしまえば今回は「飲みに行こうかどうしようか」、ただそれだけのこと。
でもコロナって、人々の健康のみならず、人々の日常生活をも窮屈にして息苦しい世の中にしてしまうという意味で、あらためて「厄介だなぁ」と思い、思わず勢い余ってこんなブログを書いてしまいました。

結局は、「何が正解なのか?」と正解のない問いに対して想像力を働かせて、各自が判断していくしかないのだけれど・・
何があろうと結局
楽観的な人は楽観的な想像を根拠に自由気ままに振る舞い
悲観的な人は悲観的な想像に怯えてジッと巣籠をしている小動物のように、ただ家に閉じこもって何もやらない。

それは、政府が何かしらの指針や、法律で罰則を明確に示したとしても、たぶん同じこと。

楽観論者を悲観論者に・・
あるいは、
悲観論者を楽観論者に変えることなんて出来やしないのだから。
言ってしまえば、飲みに行くなんていうのは、絵にかいたような“不要不急”な行為なわけで、このご時世では完全なNG行為だってことは重々分かっており、そりゃ、飲みに行かないって選択をすればノーリスクでしょうよ。
分かってますよ・・。

“不要不急”ってつまり、
ご飯食べて、寝て、排泄して、
またご飯食べて、寝て、排泄して、
そして口糊を凌ぐために労働をして・・
その無限の繰り返し以外は、全部“不要不急”ってことでしょ?

それなのに、自分ときたら今までさんざん旅に出て、バイクに乗って、サーフィンをして、大酒を飲んで・・
しかし、もしも過去の自分が「リスクがあるから無駄なことはやらない」なんて選択をしていたら、
まるで死期を待つだけの老人のような“ただ生きてるだけの日々“を送っていた訳で、それはおそらくひどく味気ないものだったのではないかと思われ、やっぱり、こんな事態になってしまった今においても尚、不要不急の無駄が恋しくて仕方がないのです。

それでもやはり、今のご時世は“何もしない”が正解!
それは、自分のような朽ちかけたオッサンなら『しょうがねーな』と諦めることもできるかもしれないけれど、“死”なんてまったく我が事のように感じられない若い人にとってただ生きてくだけの日々っていうのは相当シンドイことだと思うのです。
有り余る“生”は、さぞかし不要不急を渇望していることでしょう。

言ってしまえば今回は「飲みに行こうかどうしようか」、ただそれだけのこと。
でもコロナって、人々の健康のみならず、人々の日常生活をも窮屈にして息苦しい世の中にしてしまうという意味で、あらためて「厄介だなぁ」と思い、思わず勢い余ってこんなブログを書いてしまいました。

結局は、「何が正解なのか?」と正解のない問いに対して想像力を働かせて、各自が判断していくしかないのだけれど・・
何があろうと結局
楽観的な人は楽観的な想像を根拠に自由気ままに振る舞い
悲観的な人は悲観的な想像に怯えてジッと巣籠をしている小動物のように、ただ家に閉じこもって何もやらない。

それは、政府が何かしらの指針や、法律で罰則を明確に示したとしても、たぶん同じこと。

楽観論者を悲観論者に・・
あるいは、
悲観論者を楽観論者に変えることなんて出来やしないのだから。
2020年12月28日
コロナの1年も間もなく終了です
ちっぽけなウイルス・・。
そんなウイルスのせいで、今年は散々な一年になってしまいました。

未知のウイルスに対して打つべき手立てなんてまだ誰にも分からないっていうのに、そんな中でも手探りで「なんとかしよう」と頑張っている人たちがいます。

その一方で、自分の無力を棚に上げて政治や考え方の違う他者を非難するだけの世間一般の人々の弱さや卑怯さというものを、これほどまで如実に目の当たりにしたことは、かつてなかったような気がします。

そんな世情だからこそ、私は他者に惑わされない、自分のスタイルを堅持する姿勢が大切なんじゃないかと感じています。

基本的には“世間“の波には逆らわない。
しかし、違和感を覚えることには流されない。

時としてそのやり方は孤独を生むのだけれど、「それが何だってぇんだ?」と苦にもしないで笑ってる。

そんな意固地なやり方をするものだから、私は人から時より「コワい」とか言われてしまうのですが💦・・・それこそ「それが何だってぇんだ?」って話なんです。
私にとっては…。

こんなことを書くと、まるで私が自暴自棄のヤケクソを起こしているように思う方もいらっしゃるかもしれませんが、ある意味それはその通りなのです(笑)。

内心では「ラクして生きたい」と思っているくせに、我を通して自分のスタイルを変えようともせずに、わざわざ渡世を面倒臭いものにしてしまう。
上手く折り合えないことがあっても、「ダメならダメで仕方ないや」と、サッサとビールを飲んで忘れてしまう。
考えてみればつくづくバカな性分なのだと思うのだけど、仕方ないですね💦。

そんな私の来年の運勢は、日税グループから毎年謹呈される神宮館瑞運暦によりますと、《快楽運》なのだそうです。

曰く【昨年頑張ってきた自分へのご褒美で、今年は趣味や娯楽に没頭する事や仲間との飲食、行楽を楽しむ年です。】ですと・・。
そんな占いを真に受けて、『もしもワクチンの卓効によってコロナ禍が劇的に解消したならば・・毎月のように海外サーフトリップに行って、毎日のように新橋でビール飲んじゃうぞ〜!!』なんて呑気なことを考えながら、今日も黙々と、まるで職人のように電動工具を片手に新しい事務所の内装工事をやりながら2020年の年末を過ごしております。

そんな感じで年明けからは、私の事務所は京橋から新橋へと移転して、新たなスタートを切ります。
来年もまだしばらくはウィルス様の支配下から脱することはできないでしょうから鬱陶しい日々が続くと思いますが、そんな中でも笑顔を絶やさず、皆様にとっても来年が楽しい一年になりますように願っています。
デハデハ(^ー^)ノ 良いお年を♪
そんなウイルスのせいで、今年は散々な一年になってしまいました。

未知のウイルスに対して打つべき手立てなんてまだ誰にも分からないっていうのに、そんな中でも手探りで「なんとかしよう」と頑張っている人たちがいます。

その一方で、自分の無力を棚に上げて政治や考え方の違う他者を非難するだけの世間一般の人々の弱さや卑怯さというものを、これほどまで如実に目の当たりにしたことは、かつてなかったような気がします。

そんな世情だからこそ、私は他者に惑わされない、自分のスタイルを堅持する姿勢が大切なんじゃないかと感じています。

基本的には“世間“の波には逆らわない。
しかし、違和感を覚えることには流されない。

時としてそのやり方は孤独を生むのだけれど、「それが何だってぇんだ?」と苦にもしないで笑ってる。

そんな意固地なやり方をするものだから、私は人から時より「コワい」とか言われてしまうのですが💦・・・それこそ「それが何だってぇんだ?」って話なんです。
私にとっては…。

こんなことを書くと、まるで私が自暴自棄のヤケクソを起こしているように思う方もいらっしゃるかもしれませんが、ある意味それはその通りなのです(笑)。

内心では「ラクして生きたい」と思っているくせに、我を通して自分のスタイルを変えようともせずに、わざわざ渡世を面倒臭いものにしてしまう。
上手く折り合えないことがあっても、「ダメならダメで仕方ないや」と、サッサとビールを飲んで忘れてしまう。
考えてみればつくづくバカな性分なのだと思うのだけど、仕方ないですね💦。

そんな私の来年の運勢は、日税グループから毎年謹呈される神宮館瑞運暦によりますと、《快楽運》なのだそうです。

曰く【昨年頑張ってきた自分へのご褒美で、今年は趣味や娯楽に没頭する事や仲間との飲食、行楽を楽しむ年です。】ですと・・。
そんな占いを真に受けて、『もしもワクチンの卓効によってコロナ禍が劇的に解消したならば・・毎月のように海外サーフトリップに行って、毎日のように新橋でビール飲んじゃうぞ〜!!』なんて呑気なことを考えながら、今日も黙々と、まるで職人のように電動工具を片手に新しい事務所の内装工事をやりながら2020年の年末を過ごしております。

そんな感じで年明けからは、私の事務所は京橋から新橋へと移転して、新たなスタートを切ります。
来年もまだしばらくはウィルス様の支配下から脱することはできないでしょうから鬱陶しい日々が続くと思いますが、そんな中でも笑顔を絶やさず、皆様にとっても来年が楽しい一年になりますように願っています。
デハデハ(^ー^)ノ 良いお年を♪
2020年11月19日
生々流転(われはけふゆく)
考え方は人それぞれだと思うけど・・
ただ移動するだけでも良い・・
私は、今いるところから“どこかに行く“って行為、それ自体が単純に好きだ。

その“どこか”では、未知の誰かと出会えるかもしれないし
初めて見る景色に心を奪われてしまうかもしれないし
美味しいものを食べられるかもしれないし

そう考えるだけでワクワクする
居ても立っても居られなくなる

最近では・・
青森の三沢、福井の三方五湖、神戸・大阪、高知へ

ワクワクするとか言いながら、
自分は行く先々で知り合いのアテンドに従いただついて行き、知らない人にろくに積極的に話しかけることをするでもなく、ただ曖昧な笑顔をたたえつつその場に座っているだけ、なんてことがよくあります。
矛盾💦。

おそらく私は面倒くさいことに煩わされることが嫌なのです。
つまり
“いつでもリセットができる状態”ってヤツを確保しておきたいのです。

そう考えると、なぜ私がいつも“どこか”に行きたがっているのか、その理由が分かる気がします。

家庭とか
仕事とか
そこからは逃げる訳にはいかないから

だからせめて『日常から離れた時くらいワガママで身勝手にさせてもらっても良いんじゃないか?』なんて
そんな都合の良いことを考えているのでしょう。
まだ見ぬ“どこか”に楽園なんてある訳ないって、はじめから分かっているのに…。

前置きが長くなりましたが
来月、事務所を今の京橋(東京税理士会京橋支部)から新橋(東京税理士会芝支部)へ移転します。

今回の移転先を探すにあたって、『京橋支部を離れることになっても良いんじゃないか』と切り出したのは、相棒のKちゃんではなく、私の方からでした。
未練とワクワクを秤にかけて、ワクワクをとるのもアリなのではないか?と思ったのです。

そして私は、シガラミに後ろ髪を引かれながら
でも、自分が決めたことなのだからと腹をくくって、次の新しい世界で仕切り直しのReスタートを切ることにします。

来週には、京橋支部の仲間が飲み会を開いてくれるそうです。(時節柄、限られた人数で、ですが)
麻布支部から転入して以来これまで16年半もの間、京橋支部の皆には本当に良くしていただき感謝しかありません。
ありがとうございました。
続きを読む
ただ移動するだけでも良い・・
私は、今いるところから“どこかに行く“って行為、それ自体が単純に好きだ。

その“どこか”では、未知の誰かと出会えるかもしれないし
初めて見る景色に心を奪われてしまうかもしれないし
美味しいものを食べられるかもしれないし

そう考えるだけでワクワクする
居ても立っても居られなくなる

最近では・・
青森の三沢、福井の三方五湖、神戸・大阪、高知へ

ワクワクするとか言いながら、
自分は行く先々で知り合いのアテンドに従いただついて行き、知らない人にろくに積極的に話しかけることをするでもなく、ただ曖昧な笑顔をたたえつつその場に座っているだけ、なんてことがよくあります。
矛盾💦。

おそらく私は面倒くさいことに煩わされることが嫌なのです。
つまり
“いつでもリセットができる状態”ってヤツを確保しておきたいのです。

そう考えると、なぜ私がいつも“どこか”に行きたがっているのか、その理由が分かる気がします。

家庭とか
仕事とか
そこからは逃げる訳にはいかないから

だからせめて『日常から離れた時くらいワガママで身勝手にさせてもらっても良いんじゃないか?』なんて
そんな都合の良いことを考えているのでしょう。
まだ見ぬ“どこか”に楽園なんてある訳ないって、はじめから分かっているのに…。

前置きが長くなりましたが
来月、事務所を今の京橋(東京税理士会京橋支部)から新橋(東京税理士会芝支部)へ移転します。

今回の移転先を探すにあたって、『京橋支部を離れることになっても良いんじゃないか』と切り出したのは、相棒のKちゃんではなく、私の方からでした。
未練とワクワクを秤にかけて、ワクワクをとるのもアリなのではないか?と思ったのです。

そして私は、シガラミに後ろ髪を引かれながら
でも、自分が決めたことなのだからと腹をくくって、次の新しい世界で仕切り直しのReスタートを切ることにします。

来週には、京橋支部の仲間が飲み会を開いてくれるそうです。(時節柄、限られた人数で、ですが)
麻布支部から転入して以来これまで16年半もの間、京橋支部の皆には本当に良くしていただき感謝しかありません。
ありがとうございました。
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2020年10月28日
神懸かり・・なのか?
顧問先にスピリチュアルセラピストの方がいらっしゃいまして、その方の著書を何冊か読ませていただきました。
その文中、妙に私の琴線に触れるところがあり、また、たまたまその著書の中で勧められていた神社がいつもサーフィンで行っているポイントの近くということもあり、サーフィンがてら帰りにお詣りに行ってみようかと思い立ち、足を伸ばしてみたのです。

その神社は日本三大金運神社と言われているところらしいのですが、元々「知足」という言葉が好きで、そもそも「もっともっと稼ぎたい」といった野心を抱いているわけではない私としては、神様にお願いして金運をアップさせたいと思ってお詣りに行った訳ではありません。
逆に去年などは、ちょっとした会計事務所一軒分に相当する顧問契約を私の事務所から切り離してガッツリ所得を減らして(その分、時間的気分的な余裕を手に入れ)、「あ〜スッキリした」なんて呑気なことを言っていたくらいですから(笑)。

しかし、その一方で・・
かねてより自分は「運やツキに恵まれてここまでやって来れた」と思っているフシがあり、そんな自分にとってその本に書いてあった『神社には神様にお願いをするために行くのではなく、感謝を申し上げるためにお詣りに行く』というクダリが妙に自分の中で腑に落ちるところがあって、「いっちょうお詣りに行ってみるか」と思い立ったという次第。

そしてお詣りに行ったのですが
その結果
偶然なのか・・・?
それとも、神懸かりなのか・・?
もしかしたら、日頃の行いが良いから、必然的にそうなったのか・・(笑)?
お詣りに行った後、本当に気味が悪いくらいに新規で仕事の依頼が相次いでいるのですが・・、いったいこれって何なのでしょうか?

「もう来ないでしょ」
「うわ、また来た💦」
「さすがにナンボ何でも」
「うわ、また?💦」

少しおっかなく感じはじめています💦。
なぜなら、自分は「何かを手に入れるということは、何かを失うということだ」と理解しているから。

また、きっとどこかしらで“折り合い”をつける時期がやってくるのでしょう。

その時に、失うモノに対して恋々と執着することなく、笑って「あ〜スッキリした」と強がってみせることができるのなら、今はただそのツキに乗っかり前に向かって歩んでいけば、それで良いのかもしれません。

よく分からんのですけど、もしかすると、それがこのブログのタイトルでもある“波に乗る”ということのキモなのかもしれないと思い始めている自分がいます。
たとえそれが夢のようにパーフェクトな台風のスウェルであれ、どうしようもないジャンクな風波であれ…
私が海を訪れた際に、私に与えられた波がその波なんだというのであるならば、私はそれを乗りこなすことに腐心し、無我夢中でそれと向き合う。
それ以外におまえにはなす術(すべ)があるのか?と聞かれたら、そうするしかないでしょ?って、きっと答えるだろうと思うのです。
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その文中、妙に私の琴線に触れるところがあり、また、たまたまその著書の中で勧められていた神社がいつもサーフィンで行っているポイントの近くということもあり、サーフィンがてら帰りにお詣りに行ってみようかと思い立ち、足を伸ばしてみたのです。

その神社は日本三大金運神社と言われているところらしいのですが、元々「知足」という言葉が好きで、そもそも「もっともっと稼ぎたい」といった野心を抱いているわけではない私としては、神様にお願いして金運をアップさせたいと思ってお詣りに行った訳ではありません。
逆に去年などは、ちょっとした会計事務所一軒分に相当する顧問契約を私の事務所から切り離してガッツリ所得を減らして(その分、時間的気分的な余裕を手に入れ)、「あ〜スッキリした」なんて呑気なことを言っていたくらいですから(笑)。

しかし、その一方で・・
かねてより自分は「運やツキに恵まれてここまでやって来れた」と思っているフシがあり、そんな自分にとってその本に書いてあった『神社には神様にお願いをするために行くのではなく、感謝を申し上げるためにお詣りに行く』というクダリが妙に自分の中で腑に落ちるところがあって、「いっちょうお詣りに行ってみるか」と思い立ったという次第。

そしてお詣りに行ったのですが
その結果
偶然なのか・・・?
それとも、神懸かりなのか・・?
もしかしたら、日頃の行いが良いから、必然的にそうなったのか・・(笑)?
お詣りに行った後、本当に気味が悪いくらいに新規で仕事の依頼が相次いでいるのですが・・、いったいこれって何なのでしょうか?

「もう来ないでしょ」
「うわ、また来た💦」
「さすがにナンボ何でも」
「うわ、また?💦」

少しおっかなく感じはじめています💦。
なぜなら、自分は「何かを手に入れるということは、何かを失うということだ」と理解しているから。

また、きっとどこかしらで“折り合い”をつける時期がやってくるのでしょう。

その時に、失うモノに対して恋々と執着することなく、笑って「あ〜スッキリした」と強がってみせることができるのなら、今はただそのツキに乗っかり前に向かって歩んでいけば、それで良いのかもしれません。

よく分からんのですけど、もしかすると、それがこのブログのタイトルでもある“波に乗る”ということのキモなのかもしれないと思い始めている自分がいます。
たとえそれが夢のようにパーフェクトな台風のスウェルであれ、どうしようもないジャンクな風波であれ…
私が海を訪れた際に、私に与えられた波がその波なんだというのであるならば、私はそれを乗りこなすことに腐心し、無我夢中でそれと向き合う。
それ以外におまえにはなす術(すべ)があるのか?と聞かれたら、そうするしかないでしょ?って、きっと答えるだろうと思うのです。
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2020年09月08日
海神様(台風10号ハイシェン)がやってきた
今回の台風10号の名前は、ハイシェン(Haishen)・・海神様という意味だそうです。
日本では古来より自然界の万物(台風はもちろん、たとえば太陽や、月や、山や、海や、樹や、昆虫や、動物や、風や、雨や、台所や、トイレや・・)に神が宿ると信じられており、『八百万(やおよろず)の神』と表して、ありとあらゆる自然物を畏怖し、崇拝してきました。
世の中にはあまたの信仰がありますが、私の内心にある信仰心というものを説明するとしたならば、やはりこのような自然界の万物に対する畏怖の気持ち、とりわけ海に対する畏怖(圧倒的な力を持つものに対する怖れ)の気持ちというものが最も近いのではないかと思っています。

まず、台風で荒れる海の前に私が思うことは、『ヤバいな・・』
何がヤバいのかというと、海が持つ圧倒的な力。
その圧倒的な力に揉みくちゃにされて、息も絶え絶えになりながら、肉体も精神もボロボロになるまで打ちのめされている自分のイメージ。

そんな“怖れ”に対峙するために、私ができることといえば、呼吸を整え、「なんとかなるでしょ」と思う(ようにする)・・根拠なき楽観。
その楽観のバックボーンとして必須なのが、普段からの摂生。

もしも普段から自分が「摂生をしている」という意識がなかったとしたら、おそらく海で私は“ただ海を前に怖れるだけの人”になってしまうような気がして、自然と暴飲暴食を避け、体力が落ちないように心がけるようになりました。
そして、私は、時より自分の限界を超えているような海に行くことで精神的に鍛えられ、たとえ日常生活の中で面倒事に煩わされたとしても取り乱すことなく平静を保っていられる(「もしかしたら死んでしまうかも」という恐怖に較べたら、日常の諸事など大したことに思わなくなる)のではないかなんて、時より思うことがあります。
おそらく、仕事に関しても同じようなことが言えるはずで、たとえば「正直者の頭に神宿る(日頃から正直に生きている者には必ず神や仏の御加護がある)」という諺があるように、日頃からお天道様に恥じぬキチンとした仕事をしている限り、何があっても動じることなく泰然としていられる気がするのです。

しかし世の中がドンドン便利になってきて、ありとあらゆる“情報”という名のマニュアルや、近道、裏技みたいなものが簡単に手に入るようになって、逆に「正直者が馬鹿を見る」とばかりに、コツコツと研鑽を積んで地道にやっていこうなんて人が馬鹿者呼ばわりされる世の中になってしまいました。
それは、古代人のような原始の信仰を持つ私の目には“怖れを知らぬ愚かな所業”としか映っておらず、そんな世相には背を向けて知らんプリで、自分は自分のできることをただ愚直にやっていくだけ。

そんな風にして私は、この週末は海神様の御加護に預かり、海で至福の時間を過ごし、そして「自分はまだやれる」という確信を得ながら、『やっぱり自分は間違ってなんていなかった』ということを再確認してきたのです。
続きを読む
日本では古来より自然界の万物(台風はもちろん、たとえば太陽や、月や、山や、海や、樹や、昆虫や、動物や、風や、雨や、台所や、トイレや・・)に神が宿ると信じられており、『八百万(やおよろず)の神』と表して、ありとあらゆる自然物を畏怖し、崇拝してきました。
世の中にはあまたの信仰がありますが、私の内心にある信仰心というものを説明するとしたならば、やはりこのような自然界の万物に対する畏怖の気持ち、とりわけ海に対する畏怖(圧倒的な力を持つものに対する怖れ)の気持ちというものが最も近いのではないかと思っています。

まず、台風で荒れる海の前に私が思うことは、『ヤバいな・・』
何がヤバいのかというと、海が持つ圧倒的な力。
その圧倒的な力に揉みくちゃにされて、息も絶え絶えになりながら、肉体も精神もボロボロになるまで打ちのめされている自分のイメージ。

そんな“怖れ”に対峙するために、私ができることといえば、呼吸を整え、「なんとかなるでしょ」と思う(ようにする)・・根拠なき楽観。
その楽観のバックボーンとして必須なのが、普段からの摂生。

もしも普段から自分が「摂生をしている」という意識がなかったとしたら、おそらく海で私は“ただ海を前に怖れるだけの人”になってしまうような気がして、自然と暴飲暴食を避け、体力が落ちないように心がけるようになりました。
そして、私は、時より自分の限界を超えているような海に行くことで精神的に鍛えられ、たとえ日常生活の中で面倒事に煩わされたとしても取り乱すことなく平静を保っていられる(「もしかしたら死んでしまうかも」という恐怖に較べたら、日常の諸事など大したことに思わなくなる)のではないかなんて、時より思うことがあります。
おそらく、仕事に関しても同じようなことが言えるはずで、たとえば「正直者の頭に神宿る(日頃から正直に生きている者には必ず神や仏の御加護がある)」という諺があるように、日頃からお天道様に恥じぬキチンとした仕事をしている限り、何があっても動じることなく泰然としていられる気がするのです。

しかし世の中がドンドン便利になってきて、ありとあらゆる“情報”という名のマニュアルや、近道、裏技みたいなものが簡単に手に入るようになって、逆に「正直者が馬鹿を見る」とばかりに、コツコツと研鑽を積んで地道にやっていこうなんて人が馬鹿者呼ばわりされる世の中になってしまいました。
それは、古代人のような原始の信仰を持つ私の目には“怖れを知らぬ愚かな所業”としか映っておらず、そんな世相には背を向けて知らんプリで、自分は自分のできることをただ愚直にやっていくだけ。

そんな風にして私は、この週末は海神様の御加護に預かり、海で至福の時間を過ごし、そして「自分はまだやれる」という確信を得ながら、『やっぱり自分は間違ってなんていなかった』ということを再確認してきたのです。
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2020年08月21日
新常態ってヤツを早く見つけなくては
やっぱりです・・。
先日内閣府が公表した4〜6月期の実質GDPは、年率換算で前年比27・8%減というとんでもない数字でした。
過去、GDPの下げ幅が「最大だった」と言われていたリーマン・ショック直後の2009年1〜3月期の年率17・8%減と比べても、今回のコロナ禍がいかに壊滅的にひどい状況であるのかが分かります。
とりわけ、今回のコロナ禍の中にあっては、GDPの約6割を占める個人消費の落ち込みが著しく、国民全体が外出自粛した結果、こんなことになってしまったようです。

感染防止の観点から、外出自粛が必要なことは疑う余地もありません。
ですが、ここまで経済の落ち込みがひどいとなると、正直、コロナよりも不況の方が私は怖いです。
持続化給付金やコロナ融資や納税猶予で資金繰りでなんとか持ちこたえている事業者も、今の調子で経済が停滞を続けている限り、返済据え置き期間終了後の借入金の返済や、来年に2年分まとめてやってくる納税の負担に耐えられるとは到底思えません。
9月末に期限を迎える雇用調整助成金も、何らかの財源の手当てを施さない限り持続不可なことは既に明らかで、もしもの場合には、今後大量の失業者が発生することも懸念されます。
厚生労働省の発表によれば、8月20日の0時現在のコロナウイルス感染による死者数の累計は1,143人とのこと。
一方で、厚生労働省が発表している「我が国の自殺の現状」という報告書によれば、平時においても、毎年の日本の自殺者の数は約3万人いて、そのうち「経済的理由」による自殺が22%を占める、ということは約6,600人の人が経済的理由で自殺をしている計算になり、また、失業率と自殺死亡率には明確な相関関係があることが人口動態統計及び労働力調査によって明らかにされている以上、もはや「コロナに罹らないためには自粛が絶対必要」とばかりは言い切れない状況になっているのではないかと思っています。
コロナも怖いが、不況も怖い。
じゃあどうしたら良いのでしょうか?
そこに明快で“絶対的”な解なんてないことは確かなのですが、無作為にただ怖れるだけの今のような状況が「良くない」ということだけは断定的に言うことができます。
『じゃあ、お前はどうしたら良いって思うんだ?』と聞かれたら、自分はいわゆる“スエーデン方式”を支持したいです。

今後コロナ対応で、日本がいずれの方法を選択するにせよ(現政権は、「決定事項に四の五の言われたらかなわんから、このまま何も決めずに無作為に行っちゃえ」って思ってるような気がして、気が気じゃないんですけどね💦)、今は世の中全体に暗いムードが垂れ込めていて、人々が日に日に“自分とは考え方の違い他者”に対して不寛容(それどころか攻撃的)な空気になってきていることを肌で感じながら、それに呼応するかのように周囲の空気を読んで、自らで考えるということをせず、ただ無難なことだけをやって常識人のような顔をしている。
自分はそんな今の世の中の空気がものすごく気持ち悪いです(>。<;)。
続きを読む
先日内閣府が公表した4〜6月期の実質GDPは、年率換算で前年比27・8%減というとんでもない数字でした。
過去、GDPの下げ幅が「最大だった」と言われていたリーマン・ショック直後の2009年1〜3月期の年率17・8%減と比べても、今回のコロナ禍がいかに壊滅的にひどい状況であるのかが分かります。
とりわけ、今回のコロナ禍の中にあっては、GDPの約6割を占める個人消費の落ち込みが著しく、国民全体が外出自粛した結果、こんなことになってしまったようです。

感染防止の観点から、外出自粛が必要なことは疑う余地もありません。
ですが、ここまで経済の落ち込みがひどいとなると、正直、コロナよりも不況の方が私は怖いです。
持続化給付金やコロナ融資や納税猶予で資金繰りでなんとか持ちこたえている事業者も、今の調子で経済が停滞を続けている限り、返済据え置き期間終了後の借入金の返済や、来年に2年分まとめてやってくる納税の負担に耐えられるとは到底思えません。
9月末に期限を迎える雇用調整助成金も、何らかの財源の手当てを施さない限り持続不可なことは既に明らかで、もしもの場合には、今後大量の失業者が発生することも懸念されます。
厚生労働省の発表によれば、8月20日の0時現在のコロナウイルス感染による死者数の累計は1,143人とのこと。
一方で、厚生労働省が発表している「我が国の自殺の現状」という報告書によれば、平時においても、毎年の日本の自殺者の数は約3万人いて、そのうち「経済的理由」による自殺が22%を占める、ということは約6,600人の人が経済的理由で自殺をしている計算になり、また、失業率と自殺死亡率には明確な相関関係があることが人口動態統計及び労働力調査によって明らかにされている以上、もはや「コロナに罹らないためには自粛が絶対必要」とばかりは言い切れない状況になっているのではないかと思っています。
コロナも怖いが、不況も怖い。
じゃあどうしたら良いのでしょうか?
そこに明快で“絶対的”な解なんてないことは確かなのですが、無作為にただ怖れるだけの今のような状況が「良くない」ということだけは断定的に言うことができます。
『じゃあ、お前はどうしたら良いって思うんだ?』と聞かれたら、自分はいわゆる“スエーデン方式”を支持したいです。

今後コロナ対応で、日本がいずれの方法を選択するにせよ(現政権は、「決定事項に四の五の言われたらかなわんから、このまま何も決めずに無作為に行っちゃえ」って思ってるような気がして、気が気じゃないんですけどね💦)、今は世の中全体に暗いムードが垂れ込めていて、人々が日に日に“自分とは考え方の違い他者”に対して不寛容(それどころか攻撃的)な空気になってきていることを肌で感じながら、それに呼応するかのように周囲の空気を読んで、自らで考えるということをせず、ただ無難なことだけをやって常識人のような顔をしている。
自分はそんな今の世の中の空気がものすごく気持ち悪いです(>。<;)。
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