2021年07月08日
熊野へ巡礼ツーリング
最初に「熊野に行きたい」と思ったのは、意外にもサーフィンがキッカケでした。

まだサーフィンを始めたばかりの頃、海が大荒れの時に板切れ一枚にしがみついて沖に漕ぎ出すのは、とても怖ろしく感じたものです。
実際、一生懸命パドリングをして、漕げども漕げども、一向にサーフボードは思ったところへは向って行ってくれません。
やがて離岸流に乗ってしまったのでしょう・・みるみる間に陸地が遠のいて行って、やがて「もう戻れないのではないか?」と不安を感じはじめると、自分のすぐ隣に死が横たわっているような恐怖に襲われて、ひどく心細い思いがしたことを覚えています。

その時にふと思い出したのが、以前読んだ本に書いてあった“海上他界”という概念です。
※熊野や高知には、海の彼方に観音菩薩が降臨する理想郷があると信じられており、そこを目指して、外に出られないように扉を釘でふさいだ小舟に30日分の食糧と油を積み、呪文を唱えながら伴舟に曳かれて海へと旅立つといった信仰があったそうです(補陀落渡海)。
真っ暗にふさがれた小舟の中で、信仰のためにただ死ぬためだけに旅に出る人もきっと、その時の私のように心細い思いをしたことでしょう。
いや、もしかすると、観音菩薩のもとに行ける幸せをかみしめていたのかもしれないですね💦。
そんな取り止めもない想像を巡らせながら、『いつかそこを訪れて、補陀落渡海についてもっと知りたい』なんて思ったのです。

海上他界の話を知るまで、私はてっきり、熊野地方の信仰は熊野三山や那智の滝を中心とした“山中他界”の世界だと思っていました。
熊野は信仰のある者以外は近づくことさえ拒み続けてきた険しい山々に囲まれており、ただ死者の霊魂だけが、自由にこの山を越えることができたと言われてきました。

人が死ねば、その死者は枕元にたてられた一本の樒の花を持って熊野詣をするため、熊野詣に行くとその途中で死んだ親族や知人に会うことができるのだと・・。
それはにわかには信じがたいお話しなのではあるけれど・・
しかし、「もしかしたら?」となんてことを思ってしまうと、私は居ても立ってもいられなくなり、仕事終わりに東京を経ち、一路夜の新東名をバイクで西へ向かったのです。
その翌朝、名古屋の友達と鳥羽で合流し、一路熊野へ。

今回の旅のメイン目的地は”大雲取越”。
そこは死者の魂が熊野本宮大社までを辿る道。
亡くなった人と再会できる場所。
バイクを置いて丸一日、私たちは大雲取越を歩くことにしました。

基本この旅はバイクのツーリング旅なので、山歩きの装備はほとんどありません。
普段バイクに乗る時に履いている靴で、リュックも持っていなかったので着替えをしまっていたナイロン製のシューズバックをリュック替わりにして、テクテクと不規則な石段の山道を6時間歩きました。

歩きながら考えたことは、旅立つ前に「会いたい」と思っていた人のこと。
当然のことながら、その人とその山中で会うことはありませんでした。
しかし、久しぶりにその人のことを思しながら歩いたその一日は、ちょっとしたその死者に対する弔いにはなったのではないでしょうか・・。

まだサーフィンを始めたばかりの頃、海が大荒れの時に板切れ一枚にしがみついて沖に漕ぎ出すのは、とても怖ろしく感じたものです。
実際、一生懸命パドリングをして、漕げども漕げども、一向にサーフボードは思ったところへは向って行ってくれません。
やがて離岸流に乗ってしまったのでしょう・・みるみる間に陸地が遠のいて行って、やがて「もう戻れないのではないか?」と不安を感じはじめると、自分のすぐ隣に死が横たわっているような恐怖に襲われて、ひどく心細い思いがしたことを覚えています。

その時にふと思い出したのが、以前読んだ本に書いてあった“海上他界”という概念です。
※熊野や高知には、海の彼方に観音菩薩が降臨する理想郷があると信じられており、そこを目指して、外に出られないように扉を釘でふさいだ小舟に30日分の食糧と油を積み、呪文を唱えながら伴舟に曳かれて海へと旅立つといった信仰があったそうです(補陀落渡海)。
真っ暗にふさがれた小舟の中で、信仰のためにただ死ぬためだけに旅に出る人もきっと、その時の私のように心細い思いをしたことでしょう。
いや、もしかすると、観音菩薩のもとに行ける幸せをかみしめていたのかもしれないですね💦。
そんな取り止めもない想像を巡らせながら、『いつかそこを訪れて、補陀落渡海についてもっと知りたい』なんて思ったのです。

海上他界の話を知るまで、私はてっきり、熊野地方の信仰は熊野三山や那智の滝を中心とした“山中他界”の世界だと思っていました。
熊野は信仰のある者以外は近づくことさえ拒み続けてきた険しい山々に囲まれており、ただ死者の霊魂だけが、自由にこの山を越えることができたと言われてきました。

人が死ねば、その死者は枕元にたてられた一本の樒の花を持って熊野詣をするため、熊野詣に行くとその途中で死んだ親族や知人に会うことができるのだと・・。
それはにわかには信じがたいお話しなのではあるけれど・・
しかし、「もしかしたら?」となんてことを思ってしまうと、私は居ても立ってもいられなくなり、仕事終わりに東京を経ち、一路夜の新東名をバイクで西へ向かったのです。
その翌朝、名古屋の友達と鳥羽で合流し、一路熊野へ。

今回の旅のメイン目的地は”大雲取越”。
そこは死者の魂が熊野本宮大社までを辿る道。
亡くなった人と再会できる場所。
バイクを置いて丸一日、私たちは大雲取越を歩くことにしました。

基本この旅はバイクのツーリング旅なので、山歩きの装備はほとんどありません。
普段バイクに乗る時に履いている靴で、リュックも持っていなかったので着替えをしまっていたナイロン製のシューズバックをリュック替わりにして、テクテクと不規則な石段の山道を6時間歩きました。

歩きながら考えたことは、旅立つ前に「会いたい」と思っていた人のこと。
当然のことながら、その人とその山中で会うことはありませんでした。
しかし、久しぶりにその人のことを思しながら歩いたその一日は、ちょっとしたその死者に対する弔いにはなったのではないでしょうか・・。
この記事へのコメント
1. Posted by サラダ 2021年07月31日 06:08
何年ぶりだろう😆ライブドアのブログ
さいあきさんも歳を取られましたねー
今はバイク乗ってるし
当然私も歳をとりましたが
ってアタクシ誰かもうとっくの昔にお忘れですかねー🤣
さいあきさんも歳を取られましたねー
今はバイク乗ってるし
当然私も歳をとりましたが
ってアタクシ誰かもうとっくの昔にお忘れですかねー🤣
2. Posted by さいあき 2021年08月11日 14:34
うわ〜懐かしい〜😀
とっくの昔にお忘れって(笑)、一度もお目にかかったことはありませんが、以前よくコメントいただいていたこと、ちゃんと覚えてますよ。
本当に久しぶりですね。
その後サラダさんもお変わりありませんか?
私も歳をとりましたが、あいかわらず波乗りしたり、バイクに乗ったり、仕事ばかりの人生にならんようにジタバタしながらやってますよ(^_-)-☆
とっくの昔にお忘れって(笑)、一度もお目にかかったことはありませんが、以前よくコメントいただいていたこと、ちゃんと覚えてますよ。
本当に久しぶりですね。
その後サラダさんもお変わりありませんか?
私も歳をとりましたが、あいかわらず波乗りしたり、バイクに乗ったり、仕事ばかりの人生にならんようにジタバタしながらやってますよ(^_-)-☆
3. Posted by サラダ 2021年08月12日 23:33

今はPANKODAMAです
@parindraakuma ←Twitter
@pankodama2 ←Instagram
pankodama.com
繋がれそうなものあればつながってくださいね〜
4. Posted by さいあき 2021年08月14日 22:47
とりあえず、インスタ拝見しました(^ー^)ノ
自分は地べたにテント貼って焚き火していて、サラダさんは高級ホテルでアフタヌーンティー(笑)
ホント色んな人が渦巻いてる業界ですな😄
自分は地べたにテント貼って焚き火していて、サラダさんは高級ホテルでアフタヌーンティー(笑)
ホント色んな人が渦巻いてる業界ですな😄