以前からの知り合いの方でベトナムに生産拠点を構えられたとかでご相談があるというので聞いてみたところ、タントゥアン(Tan Thuan)輸出加工区(EPZ)内のレンタル工場をベースにしているとかで、驚いた。
今時、わざわざ輸出加工区に入る企業は多くなく、しかもそれがアパレル企業の方だったからだ。
当時のベトナムは国内インフラの整備が非常に遅れていて、停電など工業生産のためには障害が多すぎた。
一方で、インフラ整備のための資金は限られていたため、ベトナム政府は特区を設け、外資企業が投資しやすいようにその地域を重点的に整備していたという経緯がある。
こうした輸出加工区は工業開発を推進するために世界各国で採用されている手法で、ベトナムもそうした先例に倣ったのだろう。
ホーチミン市第7区にあるタントゥアン(Tan Thuan)輸出加工区(EPZ)はベトナム全土でのその試みの先駆けである。
私がベトナムに住むようになった1995年は日本のベトナム投資第1次ブームの年で、
ホーチミン市の日本人在住者は前年の300人から1000人へと3倍増したという。
この1995年、1996年くらいにタントゥアン輸出加工区に進出した日系企業は多い。
アパレル企業では、オンワードの旗振りのもと進出した安田、昭和、三景の3社はよく知られているが、
それ以外にも肌着のグンゼ、子供服のスリーバンビなど皆この時期の進出組だ。
輸出加工区というのは、税法上はベトナム国内ではなく、国外として位置付けられている。
したがって、加工区内に輸入する際は関税は発生しない代わりに、加工した材料をすべて輸出することになっている。
このころまでには、クリントン大統領のベトナム訪問など対米関係が改善し、
ベトナムの市場主義経済への移行が確定してきており、
海外からの投資が加速しだした。
国内のインフラが整備され、輸出加工区以外の工業団地がベトナム国内各地に開発された。
また、ベトナムは9000万人の人口を抱えるインドシナ随一の大国であり、
先々消費市場としての展望も見えてきていた。
そのため、ベトナム国内のリソースを活用しやすい輸出加工区以外の通常地域への投資が主流となりだした。
結局、輸出加工区というのは開発の端緒を開くための位置づけにすぎなかったと今でははっきり理解してとれる。
今後、輸出加工区に投資する企業があるとすれば、ベトナム国内の消費市場には興味のなく、材料を国外から調達し、出来上がった製品を海外に輸出するための委託加工だけを行う組立産業などに限られるはずで、
今や製造拠点としてもさることながら、それ以上に消費市場として注目されているベトナムを考えると、輸出加工区の役割はひとまず終わったと言っていいだろう。
輸出加工区内からベトナム国内の通常地域に商品を移動しようとすれば、その間に立ちはだかる税関を塚しなければならない。通関手続きが発生するわけである。
そのため、ベトナム国内の業者とのやりとりが必要な場合は面倒な手続きを踏まなくてはならない。
私にご相談のあった方もその書類手続きの煩雑さに辟易していて、なんとかならないかと相談に見えたのだった。
2000年ごろ以前は輸出加工区とベトナム国内とのやりとりは今以上に煩雑だったが、
加工区内の企業からの要望もあって、それでも以前に比べてずいぶんと簡略化されていると聞いている。
ただ、これはある程度のボリュームの物を何度か移動する場合なら可能なわけで、
日本のアパレルのモノづくりのような、ごく少量の資材を頻繁に動かすことなれば、
書類にサインしてハンコを押す手足がいくつあっても足りないのだろう。
そもそも、今頃、輸出加工区内に入ることになった経緯がわからないのだが、
初期動作を間違えると無駄な時間と費用が膨大にかかってしまう。
事情を知らないコンサル業者などを頼ると、とんでもない目に遇うといういい例になってしまったようだ。
我々の存在をさらに周知して、日本のアパレル関連企業各社がこうした事態に陥らないように、
サポートしなければとつくづく感じた次第であった。
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今時、わざわざ輸出加工区に入る企業は多くなく、しかもそれがアパレル企業の方だったからだ。
輸出加工区とは...
そもそも輸出加工区とは、1990年代のベトナムが、ドイモイ政策以降、海外企業を誘致するために設置した経済特別区である。当時のベトナムは国内インフラの整備が非常に遅れていて、停電など工業生産のためには障害が多すぎた。
一方で、インフラ整備のための資金は限られていたため、ベトナム政府は特区を設け、外資企業が投資しやすいようにその地域を重点的に整備していたという経緯がある。
こうした輸出加工区は工業開発を推進するために世界各国で採用されている手法で、ベトナムもそうした先例に倣ったのだろう。
ホーチミン市第7区にあるタントゥアン(Tan Thuan)輸出加工区(EPZ)はベトナム全土でのその試みの先駆けである。
私がベトナムに住むようになった1995年は日本のベトナム投資第1次ブームの年で、
ホーチミン市の日本人在住者は前年の300人から1000人へと3倍増したという。
この1995年、1996年くらいにタントゥアン輸出加工区に進出した日系企業は多い。
アパレル企業では、オンワードの旗振りのもと進出した安田、昭和、三景の3社はよく知られているが、
それ以外にも肌着のグンゼ、子供服のスリーバンビなど皆この時期の進出組だ。
輸出加工区というのは、税法上はベトナム国内ではなく、国外として位置付けられている。
したがって、加工区内に輸入する際は関税は発生しない代わりに、加工した材料をすべて輸出することになっている。
一定の役割を終えた輸出加工区(EPZ)
だが、この制度も2000年ごろ以降から取り巻く環境が変わってくる。このころまでには、クリントン大統領のベトナム訪問など対米関係が改善し、
ベトナムの市場主義経済への移行が確定してきており、
海外からの投資が加速しだした。
国内のインフラが整備され、輸出加工区以外の工業団地がベトナム国内各地に開発された。
また、ベトナムは9000万人の人口を抱えるインドシナ随一の大国であり、
先々消費市場としての展望も見えてきていた。
そのため、ベトナム国内のリソースを活用しやすい輸出加工区以外の通常地域への投資が主流となりだした。
結局、輸出加工区というのは開発の端緒を開くための位置づけにすぎなかったと今でははっきり理解してとれる。
今後、輸出加工区に投資する企業があるとすれば、ベトナム国内の消費市場には興味のなく、材料を国外から調達し、出来上がった製品を海外に輸出するための委託加工だけを行う組立産業などに限られるはずで、
今や製造拠点としてもさることながら、それ以上に消費市場として注目されているベトナムを考えると、輸出加工区の役割はひとまず終わったと言っていいだろう。
輸出加工区でも今ではベトナム国内との物の移動は可能というが...
先にも述べたが、輸出加工区というのは、税制面ではオフショアで、国内とは扱いが異なる。輸出加工区内からベトナム国内の通常地域に商品を移動しようとすれば、その間に立ちはだかる税関を塚しなければならない。通関手続きが発生するわけである。
そのため、ベトナム国内の業者とのやりとりが必要な場合は面倒な手続きを踏まなくてはならない。
私にご相談のあった方もその書類手続きの煩雑さに辟易していて、なんとかならないかと相談に見えたのだった。
2000年ごろ以前は輸出加工区とベトナム国内とのやりとりは今以上に煩雑だったが、
加工区内の企業からの要望もあって、それでも以前に比べてずいぶんと簡略化されていると聞いている。
ただ、これはある程度のボリュームの物を何度か移動する場合なら可能なわけで、
日本のアパレルのモノづくりのような、ごく少量の資材を頻繁に動かすことなれば、
書類にサインしてハンコを押す手足がいくつあっても足りないのだろう。
そもそも、今頃、輸出加工区内に入ることになった経緯がわからないのだが、
初期動作を間違えると無駄な時間と費用が膨大にかかってしまう。
事情を知らないコンサル業者などを頼ると、とんでもない目に遇うといういい例になってしまったようだ。
我々の存在をさらに周知して、日本のアパレル関連企業各社がこうした事態に陥らないように、
サポートしなければとつくづく感じた次第であった。
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