あんまり調子に乗ってるとそのうちクレームがくるぞw

さて国民の与り知らないところで2010年が「国民読書年」に決まったそうです。
「国民読書年に関する決議」が採択 カレントアウェアネス・ポータル
決議本文(参議院)6月6日採択。
国民読書年に関する決議

平成20年6月6日
参議院本会議
(中略)
 我々はこの事実を深刻なものと受け止め、読書の価値を見直し、意識の啓発を目指し、政府と協力してあらゆる活動を行ってきた。一九九九年に「子ども読書年に関する決議」を両院で採択、二〇〇一年には「子どもの読書活動の推進に関する法律」を立法、さらに二〇〇五年には「文字・活字文化振興法」を制定し、具体的な施策の展開を推し進めてきた。

 それらに呼応して「朝の十分間読書運動」の浸透、読書の街づくりの広がり、様々な読書に関する市民活動の活性化など、読書への国民の意識は再び高まりつつある。

 この気運を更に高め、真に躍動的なものにしていくため、二〇一〇年を新たに「国民読書年」と定めたいと思う。これにより、政官民が協力し、国をあげてあらゆる努力を重ねることをここに宣言する。

 右決議する。

(西岡武夫君外六名発議)

西岡武夫は長崎新聞出身で、「国会同意人事が事前に報道されたら民主党は認めない」という主張でマスコミの顰蹙を買った奴ですがいいんですかね。
「国民読書年に関する決議案」が「アイヌ民族を先住民族とする事を求める決議案」と抱き合わせで審議されてる(衆議院・参議院)というのも象徴的というか。いつから「活字文化」とやらはアイヌ民族(あちらはあちらで政治的思惑がありそうですが)と同列に国が庇護すべき「弱者」になったんでしょうか?

もうね、大きなお世話だという以外に言葉が思いつかない。
法学の都:国民読書年
 しかし、わざわざ政府が「文字・活字を受け継ぎ、更に発展させ、心豊かな社会の実現につなげていくことは、今の世に生きる我々が負うべき重大な責務」と宣言して読書のススメをするというのはよく分からない話です。
 もちろん、この宣言の内容自体が意味をなしていないということもあります。しかしここでいいたいのは、政府が読書がいいことだからそれをしましょう、と推進すること自体がよくわからないということです。
 なぜなら、読書の目的を活字による情報の取得とそれに伴う人格の形成・文化の発展と考えた場合、これは人民によって読書が自発的に行われる場合に十分意味がある行為であり、強制されても意味がないという側面が強いからです。
 読書習慣を持ち合わせていない家庭の子供にも読書習慣を身につけさせましょう、という学校教育の一環ならばわかります。しかし、全国民に対して呼びかけるというのは少々説教くさいというか、そんなことを言われる筋合いはないという匂いを感じるわけです。

同感ですね。素晴らしい日本の活字文化を築き上げてきた(注・皮肉です)業界人にできなくて、他の業界の陳情も聞かなきゃいけない政治家や、数年で配置換えになる官僚にできることって何なんですか?
考えられるのは図書館の充実ですが、推進母体の文字・活字文化推進機構の役員はムダに人が多いくせに図書館関係者は国会図書館長と学校図書館の代表だけ。やっぱ企業に直接カネが流れないとダメなわけですか? 広告代理店や出版関係者の飲み食いや借金返済に血税が消えなきゃいいですけどね(毒

漠然と「本を読みましょう」というだけなら無意味だし、かといって「この本を読め」と政治家や官僚が指示したらそれこそ思想・言論の自由への介入でしょう。左翼言論人−内橋克人とか斎藤貴男とか森達也とか吉田司とかそのへん−はなぜ黙ってるんでしょうか。沈黙は同意とみなしますよ?
あれだけ政府を批判しておきながら、自分の属する業界が政府にタカることについて恥ずかしいと思わないんですか?

あるいは社会問題への発言が目立つ作家の高村薫とか。でもこんな自画自賛してるようじゃ駄目そうです。
高村薫さんと考える:最終回のテーマ 若者と活字文化(その2止)(毎日新聞 2008年3月16日 大阪朝刊)
 高村 江戸時代から活字文化に触れる度合いは世界に冠たるものがあります。文学のレベルも高い。明治時代には世界の文学を取り入れ、翻訳し、100年以上たっても読み継がれている。こんな国は世界でも珍しい。さらに、世界でも非常に難しい言語である日本語を使いこなしている。日本人の知的基礎体力は日本語そのものにあると言ってもいい。文化的成熟という点では、日本は分厚い地盤があるんです。若い人は、日本人が持っているこの能力を減らさないでほしい。あとは、国家として政治の成熟があれば、日本は生き延びていける。

前にも言いましたが「お上の世話にはならない」という気骨ある業界人は一人もいないんですか? どいつもこいつもヘタレばかりですね!

先週あった報告集会もお粗末なものだったようです。
図書館雑記&日記兼用:「国民読書年」国会決議に関する報告集会
 というわけで、『「国民読書年」国会決議に関する報告集会』に行ってきたわけだが。

 こういうもんなんだろうか?
 しゃべった人間が10人いても、45分で終わってしまう会というのもビックリだったんだけど、だいたいが「○○先生には多大なるご尽力いただき〜」みたいな論文で言うところの謝辞に終始してみたり、やっぱりそこでどうして読書が強力に推進されるのか分からないまま、さも当然のように読書推進のことが語られてみたり。

 がんばってメモ取ったんだけどね。なんか誰が何を言ったって言うのはたぶん全く意味をなさないんで、感想だけにするよ。要するに、期待していたような、どうして読書を法律作ってまで推進しなくちゃならないかとか、国民読書年をどのようにすすめていきます、みたいなバックボーンの報告が全く無かったのさ。結局意味あることはたぶん普通に公表されるレベルしか話されてないので、アピールの掲載と報道を待てば、それは誰もが知ることができるようになる。

財団法人 文字・活字文化推進機構 活動計画・報告
◆NEW! 「国民読書年」国会決議に関する報告集会を開催しました
…
挨拶 福原義春 文字・活字文化推進機構会長
報告 鈴木恒夫 活字文化議員連盟幹事長

来賓挨拶
渡海紀三朗 文部科学大臣
中川秀直 活字文化議員連盟会長
細田博之 図書議員連盟会長
河村建夫 子どもの未来を考える議員連盟会長  (メッセージ)
長尾真 国立国会図書館長

決意表明
小坂健介 日本新聞協会副会長
小峰紀雄 日本書籍出版協会理事長

鈴木恒夫は毎日新聞出身、中川秀直は日経出身。まあ活字文化振興法自体、ナベツネが再販制度維持のために旗を振ったものですからね。「活字文化」であって「出版文化」じゃないのも新聞が利権の分配に与りたいための姑息な表現なわけです。
2006年04月10日 【活字利権】活字文化議連の愚行ふたたび
だから財団の活動としてNIE(教育に新聞を)の普及も入っている。NIEといえば最近の話題はこれ。
上毛新聞前部長、104万円流用 NIE経費で鉄道模型(6/19 朝日)
 上毛新聞社は19日、編集局前編集部長(54)が、新聞を教材に活用する「NIE(教育に新聞を)」活動を進めている群馬県NIE推進協議会の事務局経費104万4050円を私的に流用していた、と発表した。趣味の鉄道模型の購入費や小遣いに使っていたという。

 前部長はすでに全額を弁済しているため、同社は告訴は考えていないというが、前編集部長を同日、懲戒解雇とし、前・現編集局長の2人をいずれも減給1カ月(3%)の処分にした。

 同社によると、前編集部長はNIEを担当していた07年5月ごろから数十回にわたり、自身が管理していた協議会の口座から預金を引き出し、使い込んだ。一部はその後、穴埋めしたため、預金の不足額は84万2050円だった。

国から補助金が出ようものなら、より多額の着服も起こりかねません。
新聞協会会長はまだ毎日新聞前社長の北村正任のはずですがなぜ出てこないんでしょうか? 読売・朝日に「談合値上げ」を持ちかけた疑惑の影響でしょうか?

「社長の小坂健介は小坂憲次衆議院議員の父・善太郎の従弟にあたる。小坂憲次は信濃毎日新聞・信越放送の大株主でもあるため、知事選などに絡む報道で自民党の意向が反映されやすいといわれている。」(信濃毎日新聞 - Wikipedia)そうですし、自民党必死だなって感じです。今のままだと2010年には与党から転落してそうですがw

まあ民主党にも西岡武夫や山岡賢次(民主党 「新聞と『知る権利』議員懇談会」会長、義父は作家・山岡荘八)・近藤昭一(中日新聞出身)・枝野幸男(「メディア規制法案」などで業界の提灯持ち)など「マスコミ族議員」が腐るほどいますから政権が代わったって何も変わらないでしょうけどね。いや活字機構理事長の肥田美代子は前民主党衆院議員ですから、かえって政官業の癒着が進むと考えるのが自然でしょう。

さて話は微妙に飛ぶ。
岡本薫氏の間抜けな提案 - 池田信夫 blog
彼は文化庁の著作権課長だったころ、「自動公衆送信」など日本独自の概念を著作権法に加え、世界でもっとも厳密にインターネット配信を違法化した人物だ。その彼が、「著作権の問題を複雑にしているのは映画会社とテレビ局の政治力だ」と官僚の責任を棚上げにするのはともかく、驚くのは彼が「知的財産権を守る超党派議員連盟」の会合で配布した「オーバービューを欠いた『間抜けな提案』の例」という文書だ。
(中略)
文化庁の元著作権課長が、こんな基本的なことを知らないとしたら、それこそ本物の間抜けである。相手が政治家やルポライターならだませると思っているとすれば、著作権政策を意図的にミスリードする嘘つきだ。どっちにしても、こんな人物が日本の奇怪な著作権法をつくり、それを後輩がさらに改悪しようとしているのは悲劇である。中山信弘氏じゃないが、著作権法は、いったん火事になって焼け落ちたほうがいいのかもしれない。

岡本薫という人物は教育論なんかでは評価されているようですが、私はこの発言の主として絶対に許せない。
第1話: 「私がメディア評価を行う立場」/報道の「在るべき姿」についての私の考え(言論NPO)
 例えば、いわゆる「再販制度」に関する報道について、「新聞報道は、新聞業界の利害に基づいた記事を書いている。ケシカラン」という批判がありますが、私はそうは思いません。新聞社の「幸福追求権」を否定する方が憲法違反であり、すべての人々が早く「新聞社も、他のすべての会社・個人等と同様に、その『欲求』の方向に動く権利があり、また、そのようにしか動かない」ということを知るべきです。

 「正確な情報を伝えようとすること」も、「新聞業界の利益を守ろうとすること」も、いずれも同様に新聞社の自由な「欲求」であるにすぎません。この両者の間に「価値的な差異がある」と、誰かが「その人の個人的な思想・信条・価値観・倫理観をもとに感じる」のはもちろん自由ですが、それを他人(新聞社)に押し付けようとするのは憲法違反です。

こういうのを法匪というんでしょう。自由ってのは公権力に対する自由だって教わりませんでしたっけ? 読者が新聞社を批判するのが憲法の問題ってよく分からないんですけど。
よしんば岡本の主張が正しいとして、再販問題のとき当時の文部大臣・与謝野馨と出版・新聞業界による「活字文化懇談会」が「業界の利害に基づいた」主張を繰り広げたことはどうなるんです? これこそ再販を見直す/廃止すべきという人々の「幸福追求権」の侵害で「憲法違反」じゃないですかね。

再販維持キャンペーンのときはマスコミでふざけた主張ばかり読まされましたが、ここまでホームラン級の馬鹿な発言はなかったのではないかと。ナベツネの「再販廃止論はオウムと同じ」と肩を並べるワースト記録に認定したいと思います。