会見する原告の谷内栄(右)納得しかねる判決ですね。机上の法律論ではいくらでも正当化できるでしょうが…
救いは一審、二審のように市による神社の撤去を認めなかったことと、もう一つの訴訟では市から自治会への無償譲渡を合憲としたことでしょうか。

そしてこの手の政教分離訴訟の常として、原告の一人・谷内栄(79)はクリスチャンです(朝日新聞はなぜか北海道版でのみ明記、北海道新聞もウェブ上には記述なし)。もう【宗教クレーマー】とでも名付けたいぐらいだ。
読売新聞 同市の元中学校教諭でクリスチャンの谷内栄さん(79)らが市長を相手取り、公有財産の管理を違法に怠ったとして、神社の撤去などを求めていた。
日経新聞(写真も) クリスチャンでもある谷内さんは「負けたわけではない。憲法判断では勝っており、闘いはこれからだ」と強調した。
東京新聞 キリスト教との出合いが転機となった。「戦前、戦中にたたき込まれた国家神道とはまったく違う世界観があった」。十七歳で入信した。
毎日新聞 玉音放送を聞きながら「神の国の世を再建する」と泣いて誓った。翌年キリスト教に出会い、戦中の世の中の異常さに気付いた。
産経新聞 訴訟の対象となった神社に対しては、「私はクリスチャンの立場から、信教の自由のために訴訟を起こした。互いに信仰は尊重しなければならない。かたくなにならず、尊重し合える存在になって」と述べた。

相手の信仰を尊重せず、頑なに撤去に執着しているのはあなたのほうだろう。しかも平成15年には共産党から市長選に出て落選するなど、政治的意図は明らかです。

「最善策 住民と模索」 政教分離訴訟(朝日新聞北海道版)
 もう一人の原告、高橋政義さん(87)とは、首相らの靖国参拝に反対する「滝川平和遺族会」の活動で知り合った。高橋さんは太平洋戦争で中国大陸に出兵。今回の裁判の意見陳述では「幾多の罪を重ねた自分を深く反省します」と謝罪から始めた。

 戦前の教育や国家神道に影響を受けた体験を踏まえて、「政教分離の原則は、日本国民やアジア太平洋地域の人々に甚大な被害を与えた反省から生み出された」と指摘。「私は宗教としての神社神道を否定も肯定もしない。公の財産を宗教上の組織団体のために使うことに異議を申し立てる」と訴えていた。

高橋は中帰連(中国帰還者連絡会)の構成員です。

酔夢ing Voice - 西村幸祐 -: 靖国を巡る、無知と反日の連鎖
今日の朝日朝刊の社会面も典型的なプロパガンダ。「中国での加害体験を語る小山一郎さん(84)」が「中国で日本は凄く悪いことをしたのに、日本の指導者はふんぞり返って謝らない。中国人がブーイングするのはよく分る」という調子。何の事はない。この小山一郎氏はあの悪名高き中帰連だ。撫順収容所でCIAも注目した支那共産党の徹底した洗脳が行われ、革命分子として評価された日本人から送還されたのだ。そんな証言しか掲載できない朝日新聞は戦前と全く同じ様に日本と日本人の生命を危機に扇動する。

地元でも胡散臭がられているようです。たとえは悪いけどグリーンピースやシーシェパードみたいなもので、相手の寛容さにつけこんで付け上がる神経が許せない。
神社が「違憲」? - Yahoo!知恵袋
市が無償で土地を貸しているといっても、もともと市の都合で小学校が拡張したときに神社の敷地が引っかかり、管理していた農家(祠を建てた人の子孫)がそれじゃうちの土地に移転してよとなり、そうなると固定資産税の問題があるから土地は市に寄付しますから税金は勘弁してねとなった経緯がある。
もともと市の土地に神社を建てたわけではないので、市が無償で使用させているというのは表面上の事実に過ぎないんですよ。

ちなみに今回の訴訟は砂川市民(クリスチャン)が原告ですが、砂川市で住民投票やったら「このままでよいが90%超える」と知人は言ってます。

以前にもこちらのサイトは紹介しています。
上告しないよう要求したキリスト者 斎藤吉久
 たとえば、これも何度も書いてきたことですが、岩手県奥州市(旧水沢市)にはキリシタン領主・後藤寿庵の館跡があり、昭和初年度に建てられた廟堂が置かれています。いまは市有地で、地元のカトリック教会が主催する大祈願祭が行われ、市長が参列しています。長崎市には戦後、市有地内に宣教団の手で二十六聖人記念館と記念碑(レリーフ)が建てられました。その後、市に寄贈された記念碑では毎年、野外ミサが行われているようです。

 キリスト者たちは、こうした宗教施設が公有地からすべて撤去されるべきだ、とお考えなのでしょうか。もしそうなら、国家は非宗教的存在であるべきだという、いわば革命国家の論理を主張することになり、神を信じる信仰者としては矛盾この上ないだろうし、キリスト教だけは棚上げし、もっぱら神道と公機関との関係を法的に規制すべきだというのなら、まったくの独善であって、信教の自由を侵すことになるでしょう。

違憲判決の効力の及ぶ範囲は争われた事件だけ、と習った遠い記憶がありますが(もちろん改めて訴訟になれば今回の判決が先例となるだろうけど)、それを端折って他の神社を「違憲神社」とレッテル張りする毎日新聞神奈川新聞山梨日日高知新聞なども同じ日本人とは思えない(毒)無神経さです。
じゃあ「違憲キリスト教施設」も取り上げるべきでしょう。この点で朝日の記事は言っていることがおかしい。
長崎市西坂町の市有地にある「日本二十六聖人記念館」は、弾圧を受けて殉教したキリシタン聖人をたたえる。1959年から宗教法人カトリックイエズス会(東京)に設置許可を出す市は、歴史的な資料もあることから無償としてきた。長崎市の担当者は「観光振興に貢献している。砂川市の例とは性質が異なると考えている」と話す。

岩手県奥州市水沢区にある「後藤寿庵廟」。像が安置される後藤寿庵は、江戸時代に伊達政宗の家臣として利水に取り組んだキリシタン武士だ。功績をたたえるため戦前に地元住民がつくり、市に土地、建物とも寄付した。
毎年春にはカトリック水沢教会が「寿庵祭」を開く。使用許可を与えている奥州市の担当者は「宗教施設ではなく、灌漑事業に力を注いだ偉人を顕彰する施設で、文化財と考えている」と語った。

いや、そんなことで正当化されるとは判決文のどこにも書いてないはずだが。よりメジャーな存在である分だけ、行政がキリスト教に「特別の便宜を供与し、援助している」ことを一層強く表しているとも言えるのでは。
宗教行事であることが明らかな「列福式」に公共施設を使うことも、彼らの論理では認められないはずです。
列福式異聞―長崎大司教は「九条の会」呼びかけ人で政教分離強硬派
ふたたび斎藤氏。斎藤吉久メールマガジンNo.421「市有地内神社訴訟で最高裁が憲法判断か?」
 やはりカトリックの例ですが、昨年11月、長崎では188人の殉教者の列福式が、3万人の信者を集めて、盛大に行われましたが、会場となったのは県営野球場でした。しかも、式の実行委員長をつとめた高見三明・長崎大司教といえば、政教分離原則はできるだけ厳格に解釈されるべきだ、と主張する厳格主義者です。

 「厳格に」というのなら、県営施設を使うべきではありません。キリスト者の論理は支離滅裂で、まったく一貫していません。「兄弟の目にあるちりが見えながら、自分の目にある梁(はり)に気がつかない」(聖書)のです。

私の考えが独自の見解ではないと分かって安堵しました。
原告も一部マスゴミも結局、政教分離訴訟は「道具」なだけで神道を攻撃し否定したいだけではないのか。極論すれば神社への放火犯や賽銭泥棒と、畏敬の念を欠く点では同等です。
社説:政教分離判決 再確認した憲法の原則(北海道新聞)
 わが国はかつて、国家神道を精神的支柱として戦争への道を突き進んだ。神社参拝が強要され、信教の自由も奪われた。政教分離原則は、そうした苦い体験のもとに生まれたことを忘れてはなるまい。

【社説】市有地の神社 新視点で『違憲』導いた(東京新聞)
 全国各地域・集落ごとに点在する神社は、人々の生活に密着した習俗的な存在とも考えられる。お参りを生活習慣としている人も多い。それだけに「あまり神経をとがらせなくてもいいのでは」という意見もあるだろう。

 だが、軍国主義と結び付いた国家神道の時代を記憶に刻み込んでいる人もいる。神社の運営費を町内会費とともに支払うケースなどは、ためらいを覚える人もいるだろう。

ならばキリスト教の施設をみてアジアやアフリカや中南米での「侵略者の手先」を想起する人もいるはずです。人数の多い少ないじゃないわけでしょ?
<2/3 更新>
原告の谷内はプロテスタントのようですね。
「政教分離厳格に」 砂川の神社訴訟 2万3000人署名(2009/10/06 北海道新聞)
【砂川】神社を管理する地元町内会に砂川市が市有地を無償で使用させているのは憲法の政教分離に反するとして、住民が菊谷勝利市長に違法確認を求めた2件の訴訟の上告審で、原告側は5日までに「公正な裁判」を求める署名2万3237人分を集めた。13日に最高裁に提出する。 原告の谷内栄さん(79)ら砂川政教分離訴訟を支える会(加藤正勝代表)が6月から道内を中心に教育、平和運動、宗教関係者らに呼びかけてきた。 一、二審判決では、空知太神社について違憲、富平神社について合憲としている。最高裁は12月2日に原告、被告双方から意見を聞く弁論を行う。加藤代表は「予想以上に集まった。憲法の政教分離の精神を厳格にとらえて、公正な裁判をお願いする」と話す。署名は今後も続ける。連絡は支える会(電)0125・XX・XXXXへ。

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巻頭メッセージ 89号 平和を実現するキリスト者ネット
世界に平和を望む

日本キリスト教会滝川教会牧師/靖国神社問題特別委員会委員長
加藤 正勝(かとう まさかつ)


 最近、札幌のある小学校に町内会からみこしが寄付された。危惧した人々が問い合わせたら教育委員会から「子どもみこし等は神具ではなく特定の宗教とは関係のない単なる物品」であり「担ぐことについては地域の一員として、関わりを深めるもので、その目的を超えて特定の宗教儀式に参加を強制しない」と回答があった。郷土愛や国を愛することがたやすく神社と結びつく気風だからこそ、政権分離を厳しく問わなければならない。すべての人の信仰、思想の自由が守られ、国民主権が実現されなければならない。これらの法制から町内会まで一連の動きには国家・天皇・戦争・神社を一につなぐ、何かの力がうごめいて見える。旧憲法下の天皇中心、国家神道の時代に決して戻ってはいけない。

クリスチャンの人も大半はこんな偏った考えの持ち主ではないと承知していますが、あまりに「ノイジーマイノリティ」が目立ち過ぎます。