石垣カフェ写真展
すごく懐かしかった
一年程前に初めて訪れて、7ヵ月前にはなくなったのに
すごく長い間そこにいたような気がする
すごく長い間、『それ』はあの石垣の上にあったような気がする
たった7ヵ月だけなのに
俺が初めて訪れてからたった5ヵ月なのに
マンマさん、
ホントに見晴らしよかったね!あの風景、あの高い場所から俺の大好きなクロスロード、百万遍交差点を見るなんて二度とないかもしれない
返信コメントに書こうかと思ったけどいっぱい書きたいことがあって文字数オーバーするからこちら(本文)に書きます。
なんで俺が石垣カフェにこんなに思い入れがあるのか、こんなにこだわったのか。
もちろんあの空間が居心地よくて楽しくていろんな人に会えて、そしてこの抵抗運動、このアナーキーな空間に関わっている、という高揚感、そういう理由はある。
けどそれだけじゃあ、ないんだ。
石垣を撤去しようとする大学当局、守ろうとする学生有志との話し合い『石垣問題説明会』に参加させてもらい、発言までさせてもらった。
説明会場で俺はマイク片手に「大学側はこの問題に関して事前に充分に学生と話し合ったのですか?単なる告知ではなく、話し合いです!」と、当局側の担当者、東山副学長に詰め寄った。そして
「俺は学生ではなく企業に勤める社会人です、企業というところは殆どのことがトップダウンで決定されます、
せめて、
せめて大学くらいは
愚直に民主主義であって欲しい」
と訴えた。
ぶっちゃけ、俺の石垣カフェに対するスタンスは『真面目な?笑、学生の抵抗運動に[便乗]してすき放題、やりたい放題する悪い大人・笑』というものである。
そして石垣は学生にとってはサークルとかライブとか政治問題の会合とかの立て看板を出す大事なメディアなのだが、学生でない俺は石垣がなくなっても、リアルで困るわけではない(心情的にはあの石垣がなくなるのは許せんが)
つまり石垣に関して俺はかなりお気楽な立場なわけだ。その俺がなんで?
学生に負けてほしくなかったんだ。『いくら反対しても大学の決定は覆らない』なんて若い学生に思ってほしくなかったんだ、大学というところは一部の例外を除いて学生は4年たてばまるまる人が入れ替わる、たった4〜5年前の運動が忘れられてしまうんだ、4年後の新入生は石垣のない風景しか知らなくなるんだ。
石垣を撤去したあと、当局はなにをするか、それが恐かったんだ。
『国立大学特別法人法』だったっけ?とにかくそんな名前の新しい法律が何年かまえにできた
これは『国立大学といえども国の財政は苦しいから大学側で採算とってくださいね、学長にもっと権限あたえるからさあ』という法律らしい
つまり、大学は企業に、学長は経営者になるという法律だ
経営者が不況の時に何をするかは決まってる
コストの削減だ
経営、という目から見ると非生産的な施設はいらない、ということになる
そして京大の経営、という目から見る非生産的な施設とは?
『京大吉田寮』
そして
『京大西部講堂』!
石垣の次に狙われるのはこのふたつじゃないかと思った
石垣ひとつ守れないで寮や西部が今までどおり存続しえる、という保障はどこにもない。
俺は過去、吉田寮の食堂や西部講堂前広場でのライブやイベントに何度も出演させてもらったし、西部講堂でのコンサートでいろんなミュージシャンのステージを見てきた。
誰がカバやねんロックンロールショウ、
ダディ竹千代と東京おとぼけキャッツ、
ダウンタウンブギウギバンド、
リザード、
連続射殺魔、
山本シンと招き猫ユニット、
ヴァンパイア、
だるま食堂、
三十三間堂、
ネオマチィス、
光玄、
岡本民、
ハニー&コスチューム、
スキソイド、
ウルトラビデ、
忘れちゃいけない
『浅川マキ』
浅川マキのバックミュージシャンだけでもすごいぞ、
山下洋介、
坂田明、
つのだひろ、
南正人、
内田勘太郎、
近藤友則、
川端民夫、
まだまだこんなもんじゃない、数えきれないミュージシャンの演奏に出会った
こんな思い出いっぱいの場所を潰してたまるか
石垣ひとつ守れないで吉田寮や西部講堂が無事でいられるか!?
7ヵ月間戦ってくれた
石垣カフェのスタッフの方々に敬意を表します
感謝します
俺は楽しかったよ!