2018年02月17日

阿呆陀羅經師薦め:水上文義『蓮華三昧経の成立をめぐって』を読む

FullSizeRenderやや横道であるが、どうも『蓮華三昧経』とされてしまうと具名である『妙法蓮華…』のイメージが吹き飛ぶ。

それはともかく、先に阿呆陀羅經師から『妙法蓮華三昧祕密三摩耶經』をご送付いただき、つらつら読むにつけ、さてこの経、いつ成立したのだろうか。そんな疑問を先取りされ、併せて、阿呆陀羅經師が薦めてくれたのは、先に読んだ『日本撰述偽詫書に見る法華経曼荼羅の構成』の論者・水上文義師の当論考。痒い所に手を届くようなお計らいである。


大雑把に書けば、水上師は『蓮華三昧経』を、冒頭の大日如来自証偈と後の本文の成立には相当の開きがあるとされ、また異本も紹介されるのだが、本論考自体は専ら自証偈の成立に置かれる。概ねその偽詫者?は安然であるというのが結論である。しかも、安然が本経を空海の唐招来としたことを怪しむ。
相伝・口伝というも、およその出来上がりは偽詫書かと興醒めもするが、しかし水上師の秀逸な論考のことではない。むしろ、その点を闡明にされる点に敬意を覚えたものである。

  
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2018年02月16日

阿呆陀羅經師薦め:水上文義『日本撰述偽詫書に見る法華経曼荼羅の構成』を読む

水上文義『日本撰述偽詫書に見る法華経曼荼羅の構成』副題 ― 蓮華三昧経を中心に ―

本論考では、先に読んだ『妙法蓮華三昧祕密三摩耶經』の特異性をよく説明されている。
日蓮漫荼羅と必ずしも一致しないところもあるが、類型にある点は散見できる。

殊に「両部を統合する法華経の曼荼羅を構成しようとした意図が看取できる。」という点は興味深い。

日蓮漫荼羅に見られる四菩薩勧請についても「會寶塔東門有上行菩薩。南門有無邊行菩薩。西門有淨行菩薩。北門有安立行菩薩。」と一致する。しかもこれは性空、または『真言書』の作者が独自に案出したものであろう」という。

性空は「延喜10年(910年) - 寛弘4年3月10日(1007年3月31日))は、平安時代中期の天台宗の僧」であるから、日蓮より時代的に先行する。

「本経の説く法華経の漫荼羅は、突出した円密一致の方向を模索したといえるであろうし、このような大胆な口伝が通用してくるのが、院政期から鎌倉期以後ということになるのであろう。とはいえ、本経の諸説は広く支持されたものでもなければ、ましてやこの漫荼羅の図像遺例があるわけでもない。端的にいえば、伝統的円密一致論の立場からは、むしろ異端的でさえある。しかし、だからこそ、儀(偽か)経をなしてまで独自の口伝を展開し伝承した、中世日本仏教の一側面、この曼荼羅に見ることができよう」

筆者・水上文義師は、なんら考慮されておられないが、わたしのごとき宗教経歴を持つものからすれば、日蓮漫荼羅もこの潮流の支にあると思うのだ。
  
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2018年02月15日

阿呆陀羅經師薦め『妙法蓮華三昧祕密三摩耶經』を読む

妙法蓮華三昧祕密三摩耶ここ10年近く、膨大な議論をお付き合いくださっている阿呆陀羅經師がSATに載らない『妙法蓮華三昧祕密三摩耶經』をご送付下さった。
なんと日蓮の用例“漫荼羅”とある。門下一般でも“曼荼羅”と書くが、日蓮は“漫荼羅”である。この根拠を、わたしは日蓮墨筆を読む修行から『大日経疏』から採ったものと思ってきたが、『妙法蓮華三昧祕密三摩耶經』を読み出すと、冒頭から吃驚仰天。「於一心中云何建立妙法蓮華兩部漫荼羅耶」という件である。
両部大日の種子を書いた漫荼羅は日蓮にもあった。安8である。まさにこの漫荼羅は「妙法蓮華兩部漫荼羅」そのものではないか。さて、日蓮遺文中には、同経の引用は覚えないが、『注法華経』は、どうであったか。あとで調べてみることにしたい。
なお、『見宝塔秘密三摩耶品』では“漫荼羅”ではなく「涌出千界大眾欲顯本地大曼荼羅」となっていることに興味が惹かれた。

読み進めば、さらに驚くことばかりだが、等覚、妙覚の上に本覚を置いている。これを十如に配当する。

第一葉東方阿閦
第二葉南方寶生
第三葉西方彌陀
第四葉北方不空
第五葉東南普賢
第六葉西南文殊
第七葉西北觀音
第八葉東北彌勒
第九葉中臺大日本覺如來
第十本末平等本覺毗盧遮那如來
第十一重諸法實相本覺如來

日蓮にこの引き受けは感じられないけれど、写本遺文に特徴的に見られる“本覚如来”の用例が見られることは興味深い。

『寿量秘密三摩耶品』では、以下の如く、梵字の説明が付され、参考になった。



さて、この経の成立は、いつのことか。
併せていくつか論考をご紹介いただいたので、引き続き読もうと思う。
当経を読み、種々懐いた疑問は、そこにありそうだ。
いまは書かないこととしよう。  
Posted by saikakudoppo at 16:55Comments(0)

2018年01月28日

快挙 別府良孝上人玉稿『日蓮正宗の戦時教学と藤本蓮城師』が東海印度学仏教学会誌掲載が決まる

お世話になっている曹洞宗の別府良孝上人の玉稿『日蓮正宗の戦時教学と藤本蓮城師』の東海印度学仏教学会誌への掲載が決まった。厳しい査読を2回経た労作である。
いまだ掲載前なので、詳細は控えるがゲラを拝読させていただいた。
僧侶として戦争反対され、殊に第2次世界対戦下で弾圧された僧侶を含む方々を宗派を超えて顕彰され、殊に宗教団体の戦争責任を追及されて来られた。
その熱意の活動に敬意を表し、感謝の意も籠めたい。

ますます、ご活躍を期待するものである。  
Posted by saikakudoppo at 19:25Comments(0)

2018年01月24日

日蓮宗奈良青年会会長・池田英邦上人にお会いする

奈良講演でお世話になった日蓮宗奈良青年会会長・池田英邦上人に久しぶりにお会いした。
お会いするごとに立派になられ頼もしい。横須賀在住の頃、日々朝勤で読経をお聞きしていたこと、修法衣のお姿が思い出された。
三女のお誕生、御尊祖父上人の円弱、そして三行成就などの近況をお聞きした。

〔 備忘録 〕殊に三行の話題から日蓮宗の祈祷行に就き、いくつか質疑応答をいただき、参考になった。
・日蓮宗の祈祷は神に行う。鬼子母神、大黒天、ついで三十番神の存在は大きい。
(先に菅田正昭先生から、鬼子母神・三十番神についてお聞きした()が、そのとき、わからなかった諸神の意義との会通がついた。
 また、わたしが「上人のお寺に鬼子母神はありますか?」と問うと、「はい。おられます」と返答されたことが印象に残った)
・檀信徒について「檀家は寺に着き、信徒は人に着く」というご説明は、腑に落ちるものがあった。
・その他、種々、お話が伺え、参考になった。
 この場をお借りして、御礼を申し上げたい。  続きを読む
Posted by saikakudoppo at 06:37Comments(0)

2018年01月15日

菅田正昭師との立ち話「大石寺の日永は興味深い」

菅田正昭先生との気忙しいなか、立ち話。
先生曰く「大石寺の日永は怪しい」
怪しいとは、わたしなりに“菅田語”を翻訳すれば“興味深い”ということ。
そういえば、過去にも大埜滋誠上人が、日永が裏書・花押を記した日蓮像を提示されていた。
日永が、というより、このころの大石寺は教学も、化儀も、熟爛とした過渡期にあったのではないか。
日蓮像の眉間に白毫を施したり、一方では菅田先生が指摘されるよう、いまは廃れて、なかったことにしている鬼子母神や、三十番神、天照大神や八幡大菩薩の造像信仰が、大石寺門下にあった。

歴史というのは、いまの時代の当たり障りのない記述で終始される。
今朝も先生と立ち話をしたが、身分制度や、被差別がスポイルされて綴られる日本の歴史など、まるで史実を伝えない。
同じように、神仏習合、寺請制度といった為政に呑み込まれた大石寺の実態を抜きにして語られる美談の如何に事実と乖離していることか。
少しそんなこともあまり更新をしていない当ブログでも書いておこうかと思った次第である。  
Posted by saikakudoppo at 22:38Comments(0)菅田正昭師

2018年01月11日

大石寺入道 菊水護国師と会う

大石寺入道 菊水護国師と浅草、神谷バーで会う。
光久日康能化円寂ほか、お身内のお話と共に、大石寺法門、法華講の有様に就き、種々お聞きした。
法華講衆のお立場から、新参の創価学会流入組の法華講員には苦慮されているご様子が窺がわれた。また、所謂、本門戒壇と本尊義に関し深い議論、実に有意義だった。  
Posted by saikakudoppo at 23:35Comments(0)

2018年01月10日

菅田正昭先生に道端で出会う

備忘に録す。

過日、歩いていると「おー!」という声。
菅田正昭先生だった。

「何をなさっているんですか?」
「ちょっと、地名を調べていてね。
“〜城”というだけれど、歴史的に城なんかなかった場所でね」
「そうですか…。城は、白いの“白”じゃないんですか?」
「“白”か? それはなかなか危ない話になるよぉ」
「え? 白は危ないんですか?」
「うん、そうそう。じゃぁ、また」
と、笑顔で手を振った。

いつもながら、ミステリアスと思った次第。
  
Posted by saikakudoppo at 09:00Comments(0)菅田正昭師

2018年01月09日

中村行明上人にお会いする

IMG_3527中村行明上人にお会いする。
「国際文化会館でディナーをしましょう」と仰った。
上人にお会いするのは、いったい何年ぶりか。
2012年、ミッキー吉野さんとライブされたときにご連絡を受けたが、行けなかった。
10年は経たないが、程近い時間である。
創建されたラダックのシャンティストゥパー、ニューデリーのブッディズム・センターもそれぞれ住職を置き、上人本人は最高責任者でありながら、世界を自在に行脚されている。


CDを2枚頂戴した。上人は歌い、ギターを弾く。


1枚は ANOTHER SIDE OF BUDDHISM
上述のライブと同じく、ミッキー吉野さんがキーボード。写真は森谷洋至さん、Special Thanks として湯川れい子さん、ミニー吉野さん、杉本博士さん。
もう1枚は 3・11
コーラスは M-8 小倉もと子さん、写真は桃井和馬さん、Special Thanks として湯川れい子さん、杉本博士さん。

2枚のタイトルに行明上人の思いが籠もっている。

「これが上人のお経であり、教えですね」と問うと、微笑み無言で頷かれた。

平和を求めて

  
Posted by saikakudoppo at 06:29Comments(0)

2018年01月01日

謹賀新年 平成卅年 戊戌 元旦

あけましておでとうございます
旧年中は、内心再考を旨とし、ほぼ更新を控えてまいりましたにも拘わらず、例年に倍するご高覧を賜りましたことを深く御礼申し上げます。
本年もまた、皆様のご高覧を賜れれば、幸甚でございます。

蹲踞

犀角独歩 拝  
Posted by saikakudoppo at 00:00Comments(4)